第三話・修練開始
フレデリックが去った後は、アランの監督下で鍛錬を続けることになった。
「では、坊ちゃま。まずは体力作りのための走り込みでございます。館を囲む内壁に沿ってランニングと行きましょうか」
武具を一旦片付けてきたアランと共に、アレックスは修練場から外に出る。
空を見上げれば、青々と晴れ渡った晴天である。
「それで、アラン。どれくらい走るのですか?」
「最初は体力がどれだけあるか見るためにも、走れるところまで走り込みます」
「分かりました。それでは行きますね」
そう言うと、アレックスは徐に走り出した。
アランも、その後を静かについて走る。
館を囲む内壁をぐるりと回れば、凡そ2キロメートルになる。
(2周も走れれば上出来だろうか?)
アランは、訓練メニューを思案しながらもそう思うのであった。
……
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アレックスが淡々と走り込みを続ける事、3時間余り……。
アランは、走り込みを続けるアレックスの体力に驚きを隠せないでいた。
(姿勢は背筋が真直ぐ伸びてブレがない。走る速さもなかなかのもの。何よりも走り始めた頃から全くペースが落ちていない。坊ちゃまには凡人にない非凡な才能があると感じてはいたが……)
アランはその目に気を集中して、アレックスの様子を注意深く観察してみる。
そうして、アレックスの身の回りを包む霊力が、その身を淀みなく隈なく包み込む様を目にした。
(驚いた。まだ6歳にして、もう霊力を身に纏う「纏」を習得しておられるという事か?)
アランは、手を叩いて合図とした後、その足を止めた。
その様子にアレックスも走るのを止めて肩で息をしながら振り向くと、アランに明るく声を掛けた。
「アラン、まだ私は限界ではありませんよ?」
「はい、坊ちゃま。まだもう少し走れるようでございますな。ですが、もう走るのはようございましょう。続いては剣の型稽古でございます」
「いよいよですね。とても楽しみです」
「では、今一度修練場の方に行きましょうか」
アランが倉庫に入り、二人で使う木剣を手に修練場の中に戻ってくる。
違いと言えばアランは盾を持ってこなかった事ぐらいであろうか。
傍に控えるメイドから汗を拭いてもらいながら、休憩用に用意されていた果実水を一口飲んで、アレックスはアランに問いかけた。
「それでは、アラン。父様がお使いになるカルディア騎士道の訓練という事になるのですね?」
「はい、いいえ、坊ちゃま。旦那様は、カルディア騎士道を坊ちゃまに習得させる心算は御座いません。もとより、あれは神聖カルディア王国の騎士団に伝わる武術。初代様が納めておられたからこそ、旦那様は初代様から教えを受ける事が出来たにすぎません。今、正式にカルディア騎士道の訓練を受けようと思えば、神聖カルディア王国に留学でもしなければ無理でしょう」
「では、これから何を学ぶという事になるのでしょう?」
アレックスは、ちょこんと小首を傾げて考える素振りを示した。
そんなアレックスに対して、アランは微笑みと共に答えを告げる。
「このローランディア選王国、いえ、大陸でもっとも広く学ばれている剣術である、万古不朽流剣術を学んでいただきます」
「万古不朽流剣術ですか?確か、アランはその使い手だと聞いた覚えがありますね」
「左様で御座います。不肖ながらこのアランめが、坊ちゃまに剣の指導をさせていただきます」
「そうですか。そういう事なら、わかりました。それでは、よしなに……」
アレックスも、アランに微笑み返す。
カルディア騎士道を学ぶ事が出来ないことに、多少残念な気持ちがないわけでもないが、アランの腕前の程を聞き及んだ事のあるアレックスに不満はなかった。
以前に聞き及んだアランの剣術の腕前について思い返してみれば、アランの剣術の腕前は達人級、より正確に言えば師範である。
ローランディア選王国でもスプリングフィールド選公爵領においては十指に入る、まさに剣豪と言っても通じる達人であるのだ。
そんなアランに指導指してもらえるのであれば、否も応もない。
汗を拭くメイドに軽く礼を返しながら、アレックスはアランに歩み寄った。
アランから自分用の木剣を受け取り、具合を確かめるように一振りしてみる。
剣の長さは小剣といったところだが、アレックスのまだまだ小さな身体であるとサイズ的には長剣を持つのと大差のないバランスになるのであった。
「それでは坊ちゃま、まずは全ての基本となる中段の構えを教えます。続いて、上段と下段の構え。構えを覚えたら、素振りをしてもらいますが……」
そうしていくつかの注意事項を説明されながら、構えの訓練が始まる。
中段の構えから上段、続いて下段の構え、そうしてまた中段の構えに戻る。
何度も構えを取っては、それを繰り返していく。
(ふむ……。構えの一つとってしても、既に完成されていると言っても良いでしょうな。正直に言って直すべき所が見当たりません。一体これはどうしたものか?)
アレックスの構えにおかしな所はない。
寧ろ、おかしな所がない事がおかしいのだ。
「坊ちゃま、完璧でございます。ですが大変失礼ですが、旦那様に内緒で誰かに剣を教わっていたなどという事は、ございますまいな」
「いいえ、アラン。……あぁ、でも父様と兄さま達の鍛錬は何度も見ていますね」
「見ていただけ……でございますか?」
「そうですよ。あっ、でも頭の中で何度も練習したことはあります」
その言葉には、アランもあっけに取られて絶句する他なかった。
一体どこに、見様見真似だけでここまで完璧に構えを習得できる者がいるだろうか。
しかし、実際にアレックスは構えを完璧に熟している。
アランには、最早その才能に驚嘆するしかなかった。
……
…………
………………
アレックスは、淡々と構えの稽古を繰り返しながら考える。
今まで剣を持った事もない子供がここまで出来るものではない。
すべては生前――前世の知識と経験があるからこそだ。
もちろん、自分が前世までの記憶を持ったまま生まれた者――転生者であるという事実を大々的に宣伝するつもりなどはないのだが……アレックスには、それを隠すつもりもなかった。
つまりは前世までの剣の腕前を隠すつもりがないのである。
もちろん、それは剣だけではない。
実際、自分が死んでから生まれ変わるまでの間の歴史等の知りようも無い事は兎も角として、読み書き計算などの一般的教養から剣術、魔術等の特殊な技能についての知識や経験まで、持てるものは総動員していく心算なのである。
最も、だからと言って学ぶ意義がないわけでもない。
知っているからと言って、学び直しに意味が無いとは思っていないのだ。
実際、今でも生前の体格と今の体格の違いの祖語を埋めるために、自分なりに必死なのである。
だから、この剣術の稽古も進んで受けている。
フゥと一息ついて、雑念を振り払う。
そうして、まだまだ学び直しはこれからだと気持ちを新たに剣の構えに集中するのだった。




