プロローグ前編②
大陸統一歴 1999年 3月
大陸東部、魔物の領域深部地域の地下迷宮にて──
地の底深い迷宮の最奥にその部屋はあった。
巨大な空間の中心に据えられた祭壇は一段高く、巨大列柱が幾本と周囲を取り囲んでいた。
その列柱の間を埋める様に、明々と燃え盛る幾多もの篝火が立ち並んでいる。
しかし、篝火の燃え盛る炎の灯りでさえも、この部屋の広大な領域を支配する闇を退ける程の力は無かった。
篝火の明かりに照らされる祭壇を前に一人の人影が立っていた。
フードを目深に被っているため、その表情は要として知れない。
祈りを捧げる声は掠れて嗄れ、一振りの短剣を捧げ持つ両の手は枯れ枝と見紛うばかりに細かった。
人影が見降ろす先、石造りの祭壇には薄衣を纏った女性が静かに横たわっていた。
邪悪な祭儀に捧げられる生贄の横たわる祭壇を前にして、人影の発する祈りの声は徐々にそのボルテージを上げていき、最高潮に達するとフードの人物は短剣を大きく振り上げた。
キーン!!
短剣が振り上げられた次の瞬間、フードの人物の手から短剣が弾き飛ばされた。
「世界の破滅を企み、闇に蠢く者よ。その暗き謀も暴かれる時が来たと知るが良い……」
振り返ったフードの人物は、声の聞こえた頭上を見上げて驚愕のあまり声も出せずに口を大きく開いたまま一点を凝視した。
視線の先にはいつからそこに居たのか、一人の男が巨大列柱の上に静かに佇んでいた。
スラリとした長身は柱の上でも一切の揺ぎ無く、身軽な短衣の袖から覗く腕は決して太くはないがしっかりと逞しく鍛え上げられた戦士のそれだと分かる。
金髪碧眼の涼やかに整った顔立ちは静かに口元を引き結び、切れ長の怜悧な眼差しがフードの人物を真直ぐに見据えていた。
「天網恢恢、疎にして漏らさず。人、それを天道と言う……」
柱の上に佇む男とフードの人物、二人の男の視線が交錯する。
フードの人物は一つ大きく深呼吸すると柱の上にたたずむ男へとゆっくりと向き直って声を上げた。
「貴様……何者だ?名を名乗れ!」
「貴様に名乗る名前は無い!」
フードの奥から溢れんばかりに怒気が膨れ上がる。
誰何の声を一声で切り捨て、男が石柱の上から飛び上がった。
瞬間、男は光に包まれ、空中に白銀の鎧姿が現れる。
掲げた手には輝く剣を構え、溢れる粒子が光の尾を引いている。
「不死者騎士よ、迎え撃て!」
フードの男の命令を受けて、傍らに積み上げられていた八つの鎧兜――不死者騎士達――が動き出した。
「剣技、鷲爪襲撃」
男の体から力の波動が溢れ出し、空から襲い掛かる猛禽の如き苛烈さで眼下の標的へと襲いかかった。
石柱から飛び降りる男を串刺しにせんと、不死者騎士が突き出した巨大な剣が何も無い空を切る。
空中で猛然と加速した男の速さに動きの遅れた不死者騎士の剣を越えて、背後に位置したもう一体を光の剣が切り裂いていた。
後ろを取られた不死者騎士が背を取った男に振り返るものの、盛大に剣を振り上げた直後ではその動きは男にとっては致命的なまでに遅かった。
「闘技、闘気拳打」
男の拳が光の尾を引いて、不死者騎士のガラ空きの胴へと吸い込まれていく。
拳から伸びる鋼すら切り裂く鉤爪が、易々と不死者騎士の身に纏う板金鎧を打ち抜いた。
真芯を撃ち抜かれて仮初めの命を失い崩れ落ちる不死者騎士を前にして、白銀の鎧姿とフードの男の視線が再び交錯する。
「シュテテドニスの脳筋とカルディアの欲惚け共が戯れ合っているにも関わらず!」
「戦争だからといって、貴様ら『社会』を忘れる程の間抜けではないな……」
白銀の鎧を纏った男の構える光り輝く剣の切っ先が、フードの男に突き付けられる。
「邪神教団『社会』教主チエク・フルチフェル……貴様の企みもここまでだ」
「神のものは神へと返すべきなのだ!」
「ならば、カイザルのものはカイザルに返してもらおうか?」
「忌々しいフェルネスの狗めがぁ!」
教主と呼ばれた男はそう吐き捨てると、怒りに打ち震えて目深に被ったフードを跳ね上げる。
乾いて縮れた白髪、干からびて皮だけが張り付いた様な風貌、憎悪に歪み暗く落ち窪んだ瞳は生気を感じさせない。
「世に満ちる魔素よ、闇に沈みし亡者共に我が声を届けよ、汝等今一時の命を欲するならば我が声に応じ立ち上がれ、木水土闇複合効果最大化魔技、不死者集団創造」
教主の放った魔術が、漆黒の波動となって周囲に広がっていった。
波動を浴びて、周辺に点在した死体の山がモゾリと蠢き始める。
足元の石畳の隙間からは、白く濁った靄が立ち昇っていた。
「如何に貴様の腕が立つと言えども、この亡者共の群には抗えまい?我が前に立った事、悔みながら死ぬが良いわぁ!」
不死者の群──骸骨兵士、死人戦士、屍食闘鬼、憑骸騎士──が周囲を幾重にも取り囲む。
頭上には無数の霊達──幽霊、悪霊、亡霊、死霊──が漂い飛び交う。
無数の亡者を付き従えた教主の姿は、その風貌と相まって不死者の王とでも呼ぶべき邪悪な偉容を漂わせていた。
亡者の群がぞわりと蠢き、男の元へじわじわとにじり寄っていく。
四方を亡者の群れに囲われて、男にもはや逃げ場はない。
(どうやってここまでたどり着いたかは知らぬが、ふざけた口を叩いた報いを受けさせてやろう)
教主チエク・フルチフェルは、この愚かな男をいかにするかと思案を巡らせながら、その口元を歪めてクツクツと声にならない笑みを浮かべていた。