プロローグ後編⑥
学園を出発した馬車が館へと着いた頃のは、既に日も十分に傾いた時分であった。
カタコトと微かに揺れ進む馬車は、ゆっくりとした速度で丘を昇って行く。
馬車の姿を確認した門番の合図で城門がゆっくりと開かれ、馬車は止まる事なく静かに潜り抜けていった。
馬車は城門を潜ると前庭を外周に沿って進み、正面の執務館ではなく隣接した居住館へと回り込んでいく。
執務館と居住館を繋ぐ回廊に沿って進み、居住館側の前庭から屋敷の外周に沿ってぐるりと回り込めば、居住館のエントランスから入り口前階段までを館に勤める使用人達が整列して馬車の到着を待ち構えていた。
馬車はゆっくりとスピードを落として階段前にぴたりと止まり、列から進み出た執事のアランが馬車から踏み台を取り出した。
アランが馬車の扉を開けて一歩引いて礼をすれば、館から列をなした使用人達も揃って一礼して馬車の主達の下車を待つ。
「「「お帰りなさいませ!」」」
「出迎えご苦労」
馬車を降りたランドルフが片手を上げて答礼を返しながら入り口前階段を上がり、後ろにレスリーと彼女に手を引かれた幼子が続く。
玄関の扉をくぐれば、丁度サロンから二階へと続く階段をフレデリックとキャサリンが降りてきた所だった。
「おぉ、お帰り。我が息子、我が娘、我が愛し子」
「あらあら、お帰りなさい」
「「「お父様、お母様、ただいま帰りました」」」
サロンに入った所で三人は一列に並んで帰宅の挨拶をする。
その様子を見たフレデリックは満面の笑みを浮かべていた。
「今日の学園はどうだったかな?夕食の時にでもゆっくりと聞かせておくれ」
……
…………
………………
三人が居住館へと帰ってきてからしばし後、夫妻と子供達の姿は食堂にあった。
広々とした食堂の天井には豪奢なシャンデリアが下がり、長テーブルにも幾つもの燭台が並び室内を明々と照らし出している。
テーブルの上には今日の晩餐が次々と並べられていった。
前菜のサラダに始まりスープと白パン、主菜の肉料理、食後のフルーツまで、簡素ながらもどれをとっても料理人の腕の良さが伝わる見事な仕上がりである。
そんな質素でありながらも丹精込めた祭場の料理の数々に、五人は暫し会話も忘れたかのように饗される料理に舌鼓を打つのであった。
やがて、食事も一段落となった頃合いを見計らったかのように、フレデリックはゆっくりと息を吐いてから家族の顔を見回した。
フレデリックの様子に、家族の皆の視線も自然と集まっていく。
「さて、ランドルフ。今日の学園の剣術の授業の事だが、正直どうなのかな?」
「どうと言われても……。スプリングフィールド家の名に恥じぬ様に精一杯頑張るだけですよ?」
フレデリックの漠然とした問いかけに対して、ランドルフは困惑した面持ちで返した。
「私が剣を教えるようになってもう8年になるな……。高等部へ進学してからでも2年が経つが、その間に成果らしい成果を上げたという報告は聞いていない。このまま剣を修めていくか?魔術の授業ではなかなか見込みがあるという報告もある。座学の成績も悪くない。剣ばかりが貴族という事もなかろう」
「父様、僕は……」
「まあ、直ぐに結論を出す必要もない。これからの事だ、よくよく考えるが良いだろう」
フレデリックの眼差しが、ランドルフから幼子へと移された。
「所でアレックス、お前ももう直ぐ6歳になるか。もうそろそろ剣を教えてもよかろう――」
「本当ですか!?父様。すごく嬉しいです」
フレデリックの言葉に食い気味に返事を返した幼子を前にして、フレデリックは微苦笑を浮かべながら言葉を続けた。
「まあ、すぐに剣を持たせるわけにはいかん。しばらくは体力作りからだな」
「それでも嬉しいです!」
幼子が浮かべる満面の笑顔に、家族のみならず給仕をするべく部屋に控える使用人達にも笑みが広がっていく。
幼子の名は、アレクサンダー・アリス・スプリングフィールドという。
スプリングフィールド家の第三子で、この年に6歳になる。
アレクサンダーは考える、これで大手を振って修行ができると。
そうして、この世界に生まれる前、次元の壁を越えた後の記憶を思い出す。
……
…………
………………
光を超えた先で感じたものは、真っ暗闇の中にも温かみを感じる場所だった。
暗がりの中にも温かさと安らぎを感じられる場所、そこに浮かぶように……しかし、次の瞬間、全身を激痛が走る。
小さく未熟な身体には耐え難い巨大な魂が宿ったがため、身体が受け入れきれずに崩壊を始める感覚を感じ取る。
(このままでは駄目だよ)
(この肉体を触媒にして封印を掛けるぞ)
バラバラに引き裂かれた肉体が力を宿して淡く輝き、その輝きは徐々に小さく小さくなりながら肉体の内に輝きを沈み込ませていく。
バラバラに砕けた血肉が、徐々に一つの塊へと収束していく。
一つの体に一つの魂がぴたりと合わさって、折り重なる二つの精神が一つ所に収まっていく。
バラバラだったものが一つ所に集まり、合わさっていくことで安定していく、その安定感に安堵の息を吐くとともに意識がゆっくりと薄れていく。
そうして、次にはっきりと意識をしたのはこの世界に生まれてから4年程が過ぎた頃だろうか。
朝日と共に意識が覚醒したアレクサンダーは、現状を徐々に理解していく。
体が重く怠く、起き上がろうとしたが上手く体が動いてくれない。
(封印の影響かな?体が思うように動かない)
そう思い、徐々に体を慣らすしかないかと考えながら、思考の違和感が無くなっている事に気付く。
二つの意識が交互に浮かぶ様なブレがなく、落ち着いた思考はクリアに流れていく。
……
…………
………………
それから2年、アレクサンダーは人目を忍んで体を動かすトレーニングを地道に続け、今では手足を思う通りに動かす事ができるようになったと考えている。
そろそろ次の段階に移りたいと思っていたところだったのである。
そこに剣術の話とくれば、渡りに船というものだった。
アレクサンダーは勢い込んで、フレデリックに剣術の修行を願い出ていた。
そうしてアレクサンダーに急かされたフレデリックは、早速明日の朝に稽古をつける事を約束させられてしまうのだった。
晩餐も終わり、それぞれが部屋へと戻っていく中、アレクサンダーは上機嫌で自室に向かっていた。
その後を、執事のアランがゆっくりと追従していく。
「アラン、明日の朝はいつもより早めに起こしてくださいね」
「はい、かしこまりました」
自室の扉の前まで来ると、アランが進み出て扉を開ける。
その扉をくぐり、背後で扉の閉まる音を聞きながら、今日の部屋付きメイド達に声をかける。
「今日はこのまま休みます」
声を掛けた後、そのまま鏡台に歩み寄ればメイドの一人が椅子を引く。
椅子に腰掛けて、メイドにされるがままに結い上げていた髪を下ろして丁寧に櫛を通されていく。
アレクサンダーは、大きな鏡台に映し出される自身の姿を改めて観察していく。
金銀妖眼の特徴的な目、腰まで届こうかという長く艶やかに煌めく金髪、柔らかく透き通るような白い肌、細面に愛らしく整った顔立ち……
小児用のふわりとしたフリルで飾られたドレスを着てみれば、如何にも貴族の御令嬢といった風情がありありと漂う美しく愛らしい姿を現している。
しかし、いつもは憂鬱になるこの姿も、明日からの事を思えば気にはならなかった。
「御機嫌でございますね」
「ンフフ、分かりますか?今日の晩餐の席でね、父様が剣の修行を御許可してくださったんですよ」
「さようでございましたか。おめでとうございます」
「えぇ、ありがとう」
髪を梳き終えれば、メイド達によって用意されていた寝間着へとテキパキと着替えさせられていく。
着替え終えたその姿に、アレクサンダーはこういった所も少しずつ変えていかなければなと独り言ちたのだった。




