プロローグ後編⑤
大陸統一歴2304年7月
──ローランディア選王国、東方領領都スプリングフィールド
領主館の庭園にて──
青く澄み切った夏空にさんさんと輝く太陽は眩し過ぎるくらいで、夏の盛りのジリジリと照り付ける太陽の下であっても人の流れでごった返している街は賑やかは歓声に彩られていた。
壁向こうの貴族街にさえ漏れ聞こえるような大きな街の賑わいであるが、ここ領主の館の奥に位置する居住館にまでは流石に遠く聞こえてこない。
そのため外界から隔絶したかの様に閑静な居住館の庭は、職人の手により丁寧に整えられ、大きく茂った木は東屋にその木陰を落としていた。
照り付ける日差しを遮られた東屋はカラッとした風が吹き抜けて、夏の暑さを忘れる涼やかな空間を作り出している。
「奥様、お茶をお入れいたしました」
「ありがとう、いただくわね」
奥様付きの初老の侍女がそっとテーブルにお茶の入ったカップを置く。
キャサリンは侍女にそっと笑みを返すと静かにカップを手に取って一口含む。
コクリと飲み干せば、冷たいハーブティの爽やかな香りとのど越しが夏の陽気に火照った体を優しく冷ましてくれるようだった。
「スッキリしていていい味ね。……ッ、クシュン!」
「まぁ、奥様?今はお身体が大事な時期でございますから、お体に障ってはいけません。もうそろそろ御屋敷にお戻りになられた方が宜しいかと……」
くしゃみと共に悪寒にブルリと身を震わせたキャサリンに、傍に控えていた侍女がそっと近付いて額の汗を拭いながら声を掛けた。
「そうね、安定期ではあるけれど、お腹の子に何かあってはいけないわね……。!?ッ、ウグッ、アッ、アァアアア!!」
「奥様?!奥様、しっかりなさってください。あぁ、誰か。誰か、奥様が!誰かぁ!!」
侍女の言葉に頷いて館へ戻ろうと腰を浮かしたキャサリンは、突然襲った痛みに堪らず苦痛の声を上げた。
お腹を抱えて蹲る彼女を慌てて侍女が助け起こしながら、この緊急事態を知らせるべく館に向かって声を張り上げた。
しばらくして、そのただ事ではない侍女の叫び声を聞きつけて、数人の侍女を連れた執事のアランが駆け寄ってきた。
「いったい何事ですか!……奥様?いかん、すぐに医者を!私が、奥様をお運びします。貴方方は医者の手配と寝室の準備を。ロッティ、貴方は状況を説明して下さい。奥様、失礼をいたします」
奥様付きの侍女ロッティ──ロテリナ・スーザニアは、キャサリンを抱き上げたアランの後に付き従いながらキャサリンの倒れた時の様子を話していった。
事態を聞き及んだフレデリックが慌ただしく部屋に入って来たのは、キャサリンの往診を終えた医師が帰った後であった。
「キャサリン!キャサリンの容態はどうなっている?無事なのか?」
「ご主人様、まずは落ち着いてください。奥様は既にお休みになっておられます」
キャサリンのベッド脇でサイドテーブルの上の小物を片付けていたアランは、落ち付き払った様子でフレデリックに苦笑を返した。
「ご説明させて頂きますので、彼方のお部屋に……」
「オホンッ、そうか……。うむ、一先ず報告を聞こう」
アランの指摘に咳払いで誤魔化したフレデリックは、アランに促されてたった今通り抜けて来たばかりの居室へと逆戻りしていった。
フレデリックは居室のソファーに腰掛けると、アランに一つ頷いて言葉をかける。
「アラン、その様子を見れば大事無いとは思うが?」
「はい、ご主人様。それではご報告させて頂きます。奥様の容体は既に安定しており、お子様も無事でございます」
アランの言葉に、フレデリックはほっと胸を撫で下ろすとようやく肩の力を抜いた。
しかし、続く言葉に難しげに眉根を寄せてしまう。
「医者の見立てですが、健康に特に問題は見られず、今回の事の原因は不明。お腹のお子にも問題は見られないとの事でございます。しかし、また同じ様な事があった場合には早産の可能性もあるとの事で、何があっても直ぐに対処出来る様に準備だけはしておくという事でございます」
「原因不明か。今回、何も無かったのは幸いというべきか?ともあれ、何かあれば直ぐにでも対応出来る様に手筈は整えておけ」
「はい、ご主人様。差し出がましいとは思いましたが、既に指示は終えてございます」
「そうか。まぁ、アランなら仕損じる事もなかろう。では、後はよしなに……」
「イエス、ユアハイネス。全てお任せください」
アランの返答に鷹揚に頷いて立ち上がったフレデリックは、そそくさと再びキャサリンの眠る寝室の扉に手を掛けた。
「ご主人様、執務の方は?」
「既に片を付けてある」
「左様でございますか。それでは、そろそろ午後の決裁書類が纏まる頃合い。執務にお戻り頂ければ幸いでございます」
「……、分かっている。キャサリンの顔を見てから戻ろうと思っていただけだ」
……
…………
………………
大陸統一歴2304年10月
──ローランディア選王国王都セントラル、王城テネブリス
国王私室にて──
王の居室の一つにおいて、老師──アルフレッド・ナゥレッジポータルはこの国、ローランディア選王国の現国王である女王ロザリアーネ・ジャネット・ローランディアに面会していた。
「スプリングフィールド卿に、三人目の子が生まれたそうであるな。妻子ともに息災であると聞く。良きことであるな」
「ハッ、陛下」
老師は顔を上げ、懐から違通の書簡を取り出した。
目の前に差し出された書簡に女王が小首をかしげれば、緩くウェーブのかかった燃える様に鮮やかな赤髪がふわりと踊り、鮮烈な深紅の眼差しがついと細められた。
「スプリングフィールド卿より書簡を預かっております。どうぞ──」
「わざわざ?青龍騎士団の報告であれば、老師がおれば事足りように……」
老師から受け取った書簡の封蝋を確認すれば、確かにスプリングフィールド家のものである。
書簡を検めるのを待つ老師の様子に何事かあったかと考えて、女王ロザリアーネは手早く封を切って中の手紙に目を通していく。
「陛下──」
「申せ」
「ハッ、陛下。スプリングフィールド家に生まれた赤子は生まれた直後に尋常ならざる気を放ち、その勢いは部屋を吹き飛ばす有様でした。今は罪科の鎖で抑えてありますが、赤子を相手に鎖で縛る等というわけにもいきますまい。サマーベイスン卿の所に儂の杖を作った魔道具工房がございます。何分、罪科の鎖に代わる代物でございます故、陛下からのお口添えをいただきたく……」
深々と首を垂れる老師を眺めやり、ロザリアーネは手にした手紙をそっと畳んで胸元に押し込むと真紅のドレスを翻してソファーから立ち上がった。
「我が従弟殿も律儀な事よの。選公爵家の力があればわざわざ私に話を通すまでもなかろうに……。まぁ、よい。私の顔を立ててくれようと言うのであれば、せっかくの事だ、乗っておこうではないか」
「ありがとうございます、陛下」
さて、件の赤子とは如何なる者か──声に出すことなく女王は独り言ちる。
その力に溺れる愚者となるか、或いは御する知者足らんとするか?
このローランディア選王国は王を選ぶ国、資質次第では継承候補者の列に名を連ねることもあろう。
「いずれは、会ってみたいものよのう」
燃える様な真紅に彩られる立ち姿に再び深々と首を垂れる老師を背に、女王は使いを出すべくテーブルに置かれた呼び鈴を手に取ったのだった。




