プロローグ後編④
(ここは……僕は一体…………?)
暗闇を揺蕩う意識はぼんやりとして取り留めなく、あやふやな感覚では手足の様子とて覚束ない。
漂う意識を包み込む残酷なまでに優しい闇は全てを呑み込む様でいて、取り留めの無い思考と感覚がゆっくりと溶けていく様な快感に全てを委ねてしまいたくなる。
茫洋として薄れゆく意識の片隅で、思考の欠片が小さくも確かな警告を発する。
(この快感に身を委ねてはいけない……)
(忘れてはならない、手放してはいけない……)
(ここはどこだ?僕は誰だ?)
(思い出せ……全てを失い消え失せてしまう前に!)
底の無い深く暗い闇の彼方から、一つの思考が浮かび上がる。
(僕は……僕の名前は、一樹……八幡平、一樹……)
意識が急速に覚醒して自己認識を確立していく。
身体の芯から広がる様に、手足の先へと感覚が広がっていく。
取り戻した手足にグッと力を込めて、その感触を確かめていく。
(僕は一樹……桜ヶ崎高校三年、桜ヶ埼一樹だ!)
顔を上げて瞬けば、暗闇に閉ざされていた視界は急速に広がっていく。
何一つ存在しないかの様に感じられた漆黒の闇の彼方まで、無数に浮かぶ瞬く光の数々が刹那に感じとれた。
……
…………
………………
(ここはどこだ?……俺は一体どうなった?)
暗闇の中を彷徨う意識はぼんやりとして、中空を漂うかの様に不安定に揺らめく感覚に嫌でも不快感が湧き上がる。
手足さえ覆い隠す深く暗い闇が己の全てを呑み込む様でいて、寄る辺なきその身を蝕むようにじわじわと虚無に沈み込む。
痛みも感覚もない恐怖と絶望に、存在が軋みを上げて悶え苦しむ。
色を失い薄れゆく意識が漆黒に消え行かんとする中で、止まりかけた思考が呻きを上げる。
(この絶望に呑まれるわけにはいかない……)
(眼を開け、その手を伸ばせ……)
(踠く、足掻く、抗う、生きる……)
(掴み取れ……全てが消え去り失われてしまう前に!)
己がゆっくりと消え失せる悍ましい感触に身悶え、覆い被さり粘着き纏わり付く闇を掻き分け振り払う。
茫洋として感覚を失い薄れゆく意識の片隅で、思考の欠片が小さくとも確かな叫びを上げる。
(俺は……俺の名前は、アラム……聖戦士アラム・サラーム……)
握り直した拳を開き、粘着く闇を引き裂いて力の限りに彼方へとその手を伸ばす。
絡み付く不快感を振り解き、闇を掻き分け己が身はここに確かに在るのだと力強く叫びを上げる。
(俺はアラム……冒険者『夜明けの黄金』のアラム・サラームだ!)
彼方へ向けてその掌を差し向ければ、全てを覆い隠すかの様な漆黒を切り裂いて感覚が広がっていく。
開けた視界に飛び込んでくるのは、漆黒の闇に浮かぶ無数に瞬く光の数々であった。
……
…………
………………
「「これは……、ここは一体……」」
目を開けば、そこかしこに瞬く光の数々を望む事が出来る。
足掛かりすらないはずのそこに確と立ち、少しでも状況を把握しようと周囲を見回す。
「俺は……生きて、いるのか……?」
破滅の光に立ち塞がり力の限りに抗った、あの瞬間が脳裏を過ぎる。
神をも殺す破壊の力は抗い様も無く、己が命を賭けても僅かに終わりの時を先延ばしにしたに過ぎない。
それでも確かに成し遂げた、大切なものを守りきったという確信はある。
しかし、最早確かめる術は無いという事だけは確かだろう。
辺り一面の闇色の世界を見回しながら、これからどうしたものかと独り言ちる。
見渡す限りに揺らめく闇とそこかしこで瞬く光の数々、その常成らざる景色を前にして幾つかの可能性が俺の脳裏を過ぎっていった。
「この様相は……異界?いや……しかし、幽界や幻界とも違う……」
あの時、子供を庇った僕がトラックに跳ね飛ばされた瞬間の感覚がありありと脳裏に甦る。
思い返すまでも無く、あれは致命傷だったと分かる。
しかし、手足の様子を確かめてみても、傷どころか痛み一つ感じられない。
目の前には夜空に星が煌めくかの様な光景が一面に広がり、果てしなく空虚な広がりの只中にぽつりと置かれた状況に只々困惑が増すばかりであった。
最期に触れた彼女の掌の温もりに、しかしあれで良かったのだと頭を振った。
今置かれている状況からして、自分は死んだのだという事だけは確信していた。
これからどうしたものかと思案に暮れつつ周囲を見渡していると、瞬く光の数々に何故か目を引く光があった。
他の光達と比べて、何が違うという訳ではないのだけれど、どうしてか心惹かれる。
気になった光の瞬く様を暫しの間見比べて、やがて僕は決断を下した。
立ち止まっていても何も変わらないし、変えられない。
だから僕達は歩き出す。
たとえどんな結果が待っていたとしても、この選択は確かに俺達の意思なのだと胸を張る為に……
……
…………
………………
俺は光を目指して飛び続けていく。
そうして飛び続けると、胸の内に懐かしいという感情が湧き上がる。
その湧き上がる懐かしさに、あの光こそが自分達の在るべき場所だと確信していく。
だからだろうか、果てしなく広がる闇の中で、僕は瞬く幾多の光の正体を理解した。
闇に浮かぶは世界の輝き、瞬くのは命の光……
それこそが俺達の生まれた世界で、僕達は在るべき場所へと還る……
ここでは、距離の概念は物理的に意味を成さない。
その事を理解した時、俺は目指す光の直ぐ目の前にまでたどり着いていた。
目の前の光──人一人通り抜けられそうな大きさの次元の裂け目──
「この輝きが世界の……」
「なるほどな、戻って来たという事か……」
「行ってどうなるかは分からないけれど?」
「だとしても、何の問題もないな……」
決意と共に一歩を踏み出したその時、突如として時空を揺るがす衝撃が轟き渡った。
荒れ狂う奔流に翻弄される一枚の木の葉のように、突如として襲い来る強大な力の渦にその身を飲み込まれそうになる。
激しくぶつかり合う力に押し潰されないように、咄嗟にその力を受け流し、逸らし捌き機先を制して受け止める。
次々と雪崩れ込んでくる巨大な力は無理に受け止めず、流れを制して誘い導き宥め透かして落ち着けていく。
行き場なく暴れる力には方向性を与えて誘導し、それはやがて円環を成して形とし枠に捕らえてその全体を掴んでいった。
いつしか力は一つの大きなまとまりと化してその存在を落ち着かせ、器となって揺蕩う力をこの身に抱き留めていた。
かき抱いた存在の隅々にまでその意を伝え、全てを受け入れる。
荒れ狂う力の暴威が収まったそこには、ただ一人の男が佇むのみであった……
荒れ狂う力を鎮めて呑み込んだ結果、その存在、魂の器は大きく拡大していた。
目の前には小さな光──世界の向こう側へと通じる次元の裂け目──が見える。
「危うく呑まれてしまうところだったけど」
「これでは、光の向こう側へ行くことができないか……」
俺は、巨大な力を飲み込んだ自身の大きさにため息が出ていた。
「何とか力を抑えてみるしかないな」
「なら、やってみよう。……臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!」
僕は、裂帛の気合を込めて印を結び、徐々に意識を集中させていく。
「四方八方に御柱を建て奉りて、分御霊を捧げ奉りて御社と成さしめ給え。祓いには荒ぶる神のとまらねば、留まり置かぬ魂の鎮めこそ倶に封じたまえ。十二将封神儀」
俺達を中心にした十二方位に熱を感じさせないぼんやりとした光が灯る。
ゆらゆらと揺れる灯りに、僕達を中心とした光の筋が伸びて結びつく。
輝く珠の様な巨大な塊が光の筋を此方から彼方へ通り過ぎていき、彼方に揺れる灯りと一つになって一際強く輝きを放ったかと思うと、その大きさをギュッと縮ませていく。
やがて収縮した光珠はその輝きを揺らめかせ、一つまた一つと、俺達に向かって飛び込んできた。
一つ、二つ、三つ、四つ……光珠をその身の内に受ける度に、吐き気を催すような眩暈と悍ましさが沸き上がるのをグッとこらえる。
六つ、七つ、九つ、十……魂魄の芯から貫きその身を縛る様な言葉にならない激痛に、思わず苦痛の呻きが漏れる。
最後……全ての光珠をその身の内に納めて封の印を結べば、僕達の身から溢れんばかりの勢いだった力の渦はその勢いを完全に失い、辺りは静かに揺蕩う凪の様に静寂と落ち着き取り戻していた。
「何とか、上手く行った様だね?」
「これで向こう側に行けるか……随分と寄り道をしてしまった感はあるが、ひとまずは行ってみるか?」
「元よりその心算だしね」
「なる様にしかならん」
そうして、俺達は目の前に空いた光の穴をそっと身を屈めて潜り抜けていった。
光の回廊のその向こうに強く惹かれる何かを感じ、その感覚の命じるままにその魂の行先を委ねて……




