プロローグ後編③
フレデリックがそのまま部屋へと飛び込むと、荒れ果てた部屋の様子が一目で見て取れる。
「大丈夫か!一体、何があった?」
「閣下?!」
産婆や手伝いの侍女達が中央のベッドに覆い被さり、そんな彼女達を守るため、出産の立ち合いに呼んだ司祭が吹き荒ぶ嵐に立ち向かっていた。
彼女達の眼前には、産着に包まれた赤子がベビーベッドに寝かせられている。
赤子が泣き声を上げると強烈な力の奔流が吹き上がり、部屋の中を縦横無尽に蹂躙していく。
その度に、司祭の展開する防御障壁がビシビシと嫌な音を立てて軋みを上げる。
唸りを上げる力の嵐は、フレデリックにも次々と襲いかかってきた。
吹き飛ばされまいとするフレデリックの体はビリビリと震え、ピシリと頬に熱を感じる。
「これは魔力爆散?いや、闘気爆散か!」
頬に滲む血を拭い、最早一刻の猶予も無い事に気付く。
この惨状を目の当たりにすれば、どれ程の霊力を吹き出したのかは考えるまでもなかった。
むしろ、まだ赤子が生きて泣いている事の方が驚愕に値する事なのだ。
フレデリックは、意を決して一歩を踏み出した。
「閣下?危険です!お下がりくだ──」
「案ずるな!……ここが切所、愛する者の為ならば考えるのは時間の無駄だ!!」
司祭の声を手で制し、彼女を下がらせたフレデリックは一息に赤子の元へ駆け寄っていく。
吹き荒れる暴威が、フレデリックを引き裂かんと荒れ狂う。
「いけません、閣下!」
「偉大なる魔力の力よ、其は天空高く聳える黒鉄の巨城なり、迫り来る敵の尽くを退ける力となりて我等を守護せん、効果強化魔技、黒鉄城塞」
赤子を抱きしめるフレデリックを中心に、不可視の力場が荒れ狂う力を押さえ込んでいく。
行き場を塞がれた力が力場の中で渦巻き、フレデリックを打ち据え切り裂き血飛沫を上げる。
破れた扉の向こうから、遅ればせながらアランが駆け込んできた。
「アランッ!罪科の鎖を持て!!」
「直ぐに!」
フレデリックの言葉に、アランは室内を一瞥すると踵を返して衛士詰所へと駆け出して行った。
……
…………
………………
スヤスヤと穏やかな寝息をたてる赤子の頬をそっと撫で、フレデリックは静かに愛する妻へと声を掛けていた。
「キャサリン、良く頑張った。ありがとう……」
「貴方……」
「心配はいらない。後の事は、全て任せておきなさい」
指先に触れる冷たい鎖の感触に、フレデリックは小さく眉を潜めていた。
その時、二人の背後からトテトテと小さな足音が駆け寄って来た。
「父様!赤ちゃんに酷いことはやめて!!」
「どうしたのだ、ランドルフ?」
「赤ちゃんがかわいそう……父様、やめて!」
足元にしがみつく息子の頭を優しく撫でると、フレデリックは膝を着いて息子の瞳に溜まった涙をハンカチでそっと拭って頷いた。
「分かっている。この子は必ず守る。決して酷いことなどしないから、大丈夫だ」
「父様、本当?約束だよ?」
「あぁ、約束だ」
コンコンと小さくノックの音が鳴り、扉の側に控えているメイドがそっと扉を開いて向こうを伺う。
「ご主人様、アランが参りました」
フレデリックが頷くと、メイドがスッと扉を開いてアランが部屋へと入って来る。
「失礼いたします。ご主人様、アルフレッド様がご到着なさいました」
「そうか、分かった。ならば例の部屋へ案内してくれ。直に見て頂いた方が良かろう」
一礼して辞するアランを見届けたフレデリックは、再び息子を抱きしめた。
そうして息子が落ち着きつつある事を確かめると、御付きのメイドに後事を任せて自身も部屋を後にしたのだった。
……
…………
………………
領主の呼び出しに応じて館に出向いたアルフレッドは、アランの案内で応接室から移動していた。
歩きながら居住館の様子を伺えば、館の中は何時もと違う微かな緊張感に包まれている様に思われる。
子が生まれたと聞いたが、一体何があったというのか。
先を行くアランの後姿を見遣り、向かっているのが寝室のある区画である事には気付いていた。
館に出向いた時に通された部屋が居住館であった事から、公務の相談では無い事は分かる。
ならば、早速生まれたばかりの赤子を紹介してくれるのであろうか?
しかし、それならばわざわざ内密に呼び出すことはあるまい。
館に漂う微かな緊張感に、アルフレッドは知らずその手の杖を握り直していた。
やがて、アルフレッドはアランに伴われて部屋の一つにたどり着いた。
扉の前に立つメイドがアランに一つ頷くと、ゆっくりと扉を開いて二人を招き入れる。
一礼するメイドに礼を返して部屋へと足を踏み入れたアルフレッドは、室内を見渡しながらアランに声をかけた。
「アラン殿?」
「こちらに御座います」
声に振り返ったアルフレッドは、その光景に目を細めた。
アランの指し示す先、ポッカリと開いた扉の跡を潜って、隣の部屋へと慎重に足を踏み入れる。
「ようこそお越し下さいました、老師……御足労をお掛けしてしまい、申し訳ありません」
「これは、一体……」
アルフレッドは周囲を一瞥して、ゆっくりと声の主──フレデリックへと歩み寄って疑問を問い掛けた。
調度品が片付けられた殺風景な室内は、一見しただけで何かあったと物語る有り様だ。
磨き上げられていた床は割れて捲れ上がり、白く美しかった壁面には大小幾つものひび割れが走る。
すっかり見晴らしの良くなった壁際からは、外の景色が一望できた。
「子が生まれました。男の子です」
「うむ、それはめでたい。先ずはお祝い申し上げておく」
アルフレッドは鷹揚に頷いて目で先を促していく。
フレデリックも頷き返して、その目線を室内へと移す。
視線の先が示すのは、荒れ果てた部屋の有り様……
「子が生まれた部屋です。……闘気爆散……。今は押さえ込んでありますが、壁を吹き飛ばす威力です」
「ッ!赤子の容態……は、聞くまでも無いか。今はどうやって?」
「止むを得ず、罪科の鎖を……」
フレデリックの険しい顔に、その苦悩を読み取ることは造作もない事だった。
アルフレッドは手元の杖を握り直して、彼の言わんとする所を察して頷く。
「それで、儂か。これの事だな?」
フレデリックは掲げられた杖にチラリと目をやるだけで、アルフレッドに静かに頷いて見せる。
「彼の御仁は既に鬼籍に入っておられるが、工房を継いだ者がおる故、そちらに問題は無かろう。だが、良いのか?サマーベイスンの小倅に借りを作る事になるやもしれんぞ?」
「その程度の事、愛する我が子の為ならば如何程の事がありましょうか」
「そうか。儂は来週には一度王都に行く。その時に、儂から陛下に奏上しよう。陛下のお言葉もあれば、あの小倅とて煩くは言えまい」
「よろしいのですか?……いえ、申し訳ありません。よろしくお願い致します」
深々と首を垂れるフレデリックに、アルフレッドは朗らかに笑って見せる。
「ハッハッハ!初代様から頂いた恩義を思えば大した事では無い。先代にも頼まれておるしな……それでは、儂にも件の赤子を紹介してくれんかな?キャサリン殿にも御挨拶したい」
「勿論ですとも!」
フレデリックが手を指し示せば、扉口に控えていたアランは静かに進み出で頭を垂れた。
「それではアルフレッド様、御案内致します」




