第六十二話・決勝戦②
ガーンズバック先生による試合開始の号令がかかっても、アレックスとムイラスの二人はすぐには動かなかった。
アレックスとムイラス、二人にはそれぞれ思う所があって直ぐには動かないのだ。
ムイラスの場合、アレックスと剣を交えるにあたって、自身の限界まで絶技を使用する事が不可欠であると考えていた。
それは準決勝戦でのアレックスとマーガレットの試合を見ても明らかだ。
マーガレットは、アレックスとの試合において戦技の闘気解放のみならず限界突破まで使った。
仮にアレックスとの試合に勝利しても、次の試合――決勝戦――で戦えなくなるリスクを冒してまでだ。
にもかかわらず、マーガレットは試合に負けた。
その試合を観戦していたムイラスは、自身の実力を正しく認識している。
ムイラスは、武術大会の始まった当初より優勝するのは自分だと周囲に公言して憚らなかった。
しかし、実の所、ムイラスとマーガレットの剣の腕前は実力伯仲と言ってもよい。
そのマーガレット相手に、アレックスは余力を残して勝利して見せた。
故に、ムイラスはアレックスを自分達を上回る強者であるとして認めている。
しかし、だからと言って素直に負けを認めるほどにムイラスは諦めが良い方ではなかった。
武術大会においては、明らかに殺傷目的ではない絶技であればその使用は認められている。
しかし、試合の開始前には『纏』までは良いが『練』や『変』の使用は認められていない。
だからこそ、ムイラスは試合が始まってから限界まで気を高めるために『練』に集中しているのだ。
「ハァァァッ!テェイリャァァァァ!!」
ムイラスが気合の声を上げると、全身を駆け巡り練り上げられた気が一気に噴き上がる。
精神を集中し気を練り上げるムイラスの様子に、アレックスは静かにただ真直ぐにムイラスを見つめていた。
アレックスとの戦いを前に気を練り上げるムイラスに対して、アレックスはさてどうしたものかと考える。
正直に言えば、絶技を使うべく『練』に集中しているムイラスの姿は、アレックスからしてみれば隙だらけだと言ってもよかった。
(ふむ、まだまだ気を練るのに時間をかけ過ぎですね)
アレックスとしては、ムイラスが気を練り上げるのを待つ事も無く堂々と踏み込んで一撃でも喰らわせてやれば、それで片を付ける事も出来るかもしれなかった。
しかし、アレックスがすぐには動かない理由は二つある。
その一つが、ムイラスとアレックスの間合いの差である。
ムイラスを見つめるアレックスの目線は、正面よりやや上を見上げる形になっていた。
それと言うのも、二人の体格差が原因だ。
ムイラスの体格は同年代の生徒達の中でも肩幅も広く大柄で、その身長も190cmを軽く超える。
これに対して、アレックスの体格は同年代の生徒達と比較しても特に小柄で、決して優れているとはいえなかった。
身長にしても、120cmをやっと超える程度でしかないのだ。
これが、戦いの上でどういった影響を及ぼすのかと言えば明白だった。
二人の体格差は、そのまま二人の間合いの広さの違いとなって表れる。
さらに、二人の持つ木剣の種類の違いによる間合いの差もあった。
アレックスの持つ木剣は標準的な――それでもアレックスの体格からすると大きい――片手直剣。
それに対して、ムイラスの持つ木剣は刀身の長さも長い両手剣だ。
そのため、アレックスはムイラスに対して体格面だけでなく木剣の長さで言っても総合的に間合いが短く不利な立場にあった。
そのため、一見すれば隙だらけにも見えるムイラスに対して、アレックスが正直に突っ込んでいった場合にどうなるのか。
アレックスがムイラスを自身の間合いに捉えるよりも先に、その踏み込みに反応したムイラスが先制の一撃を打ち込んでくる可能性が捨てきれなかった。
もちろん、先に打たれたからと言って、素直に一撃喰らう程にはアレックスも鈍くはない。
ムイラスの反応を見越して、それに対処するくらいの事は出来るだろうという自信はあった。
それでも、アレックスは動かずにムイラスの動きを待った。
それは、もう一つの理由による。
昼休みの時の事だ。
食堂で昼食を食べるアレックス達の周りで、同じく昼食を食べながら雑談を交わす生徒や一般の観客達の話題の大半はもちろん武術大会の事だった。
その中で聞こえてきたのが、今年の武術大会に出場する六年生を始めとした上級生の実力を疑う声だった。
曰く、たかが一年生が武術大会の決勝戦に出るなんて、今年の武術大会は一体どうなっているのか。
曰く、今年の武術大会に出場している上級生、特に六年生の実力ときたら不甲斐ない。
曰く、武術大会に出場している先輩達は、武術の成績上位組と言っても実は大した実力が無いのではないか。
(私の実力が疑われる分には、結果で実力を示せば良いだけなのですが……。私と対戦した上級生の実力にまで疑問を持たれるというのは、どう対処したら良いのでしょうかね?)
アレックスは、これまでの対戦においては相手と数合と打ち合う事も無くあっさりと勝利を収めてきていた。
例外は、準決勝戦のマーガレットを相手にした試合くらいである。
そのため、武術の成績が上位の組に在籍しているある程度の実力がある生徒や見る目のある観客ならば、アレックスの力量についてはある程度納得しているだろう。
しかし、そうではない者達、特に武術を習い始めて日も浅い様な下級生には、相手の実力を見抜くだけの観察眼を持てと言う方が酷な話なのだ。
実際、下級生の中には武術大会に参加している上級生の実力を疑う声が多い。
もちろん、それはアレックスの責任ではない。
しかし、今回の武術大会の結果を通して上級生の実力を疑う声が広まれば、それは学園の秩序という観点からするとよろしくない。
正直、生徒会に属するアレックスの立場からしてみても、そういう状況は好ましくないのだった。
そう言った事情もあって、アレックスが昼食を終えて第一体育館へ戻って来た時には、そういう状況を憂慮する学園側――メッセンジャー役はガーンズバック先生だった――や生徒会長であるアルアレアロからもそれとなく忠告を受けていた。
要するに、勝っても構わないが勝ち方を考えろという事だ。
(周囲の観客達に対戦相手の実力を周知させつつ勝利しなければいけません。手を抜くわけにはいきませんが、丁度良く手加減するのが難しいですね……)
そこまで考えて、アレックスは小さく溜息を吐く。
『兵は拙速を聞くも、未だ巧の久しきを賭ざるなり』と言う言葉もある。
ムイラスの準備の整わない今、アレックスが仕掛ければ勝つのは容易だった。
しかし、それではムイラスの実力が試合を見る者に伝わらない。
かといって、ムイラスが準備万端に整えるのを待てば、アレックスの実力でも勝利するのは簡単ではなかった。
本当なら、速攻を仕掛けて勝ってしまえればアレックスとしては楽なのだが……。
(この選択が宋襄の仁とならぬ様に、気を引き締めてかからねばなりませんね)
意を決したアレックスは、首元に手を当てると小さく合言葉を口ずさむ。
「解放」
首元に添えた手から気と魔力を黒薔薇の首飾りに流し込む。
すると、首飾りの黒薔薇を模した飾りの花弁がゆっくりと閉じていった。
それと同時に、アレックスの気と魔力を封じていた黒薔薇の首飾りの機能が停止する。
気と魔力の循環を抑制していた軛が無くなった事で、アレックスの全身を気と魔力が淀みなく駆け巡る。
常人のそれとは桁の違う力の奔流に、アレックスは解放感を感じていた。
(さて、ムイラス先輩の実力を受け止めてみせて、その上で勝利する。大勢の観客の見守る中で試合をする事といい、まるでプロレスの様ではありますが……。まずは先輩のお手並み拝見と行きましょうか)
先手はムイラスに譲る。
そう決めたアレックスは、油断にならない程度にリラックスしつつムイラスの動きを待った。
そして、それ程の間を置かずに気を練り上げたムイラスに動きがあった。
「さぁ、行くぜ?スプリングフィールド!」
気合の声を上げるムイラスの体からは、アレックスがそれまで対戦してきた生徒達とは比較にならない力強い気が溢れていた。
(いよいよだな)
アレックスとムイラスによる武術大会決勝戦の審判役を務めるガーンズバック先生は、ムイラスの様子を見て考える。
(ムイラスの奴は、全力全開だな。さて、スプリングフィールド君はどう出るか……)
ガーンズバック先生の見る限り、アレックスに気負いは感じられない。
学園の授業を通して二人の実力を知るガーンズバック先生としては、アレックスが負けるとは思っていなかった。
しかし、事情があるにせよアレックスはムイラスの準備が整うまで待ったのだ。
(教師としては不謹慎かもしれんが……、この試合がどうなるかは中々に興味深いな)
場内に緊張が走り、それまで歓声を上げていた観客達が静まり返った。
そうして、ムイラスが動く。
いよいよ、武術大会決勝戦の戦いの火蓋が切って落とされたのだ。




