第四十八話・夏の季節祭の片隅で
大陸統一歴2317年、7月中小月、夏の季節祭
ローランディア選王国、王都セントラル
フェルネス教団神殿併設診療所にて――
「お次の方、どうぞ!」
診察室から診療所の待合室に顔を出したアレックスは、多くの人が診察を待っている待合室を見回した。
そうして診察を受けて処置を終えた患者を送り出しながら、次の患者を誘導するべく声を上げていく。
今日は夏の季節祭の日であり、王都セントラルの各神殿――人間を守護する七柱の神々をそれぞれ奉る七つの教団――では夏の訪れと人々の無病息災を願ってお祭りが開かれている。
王都セントラルの各地でも様々な催し物が開かれており、王都見物の観光客だけでなく王都在住の市民もこの時はとばかりに浮かれ騒いでいた。
そうなると当然ながら事件や事故も多くなり、それに比して診療所を訪れる患者――祭り見物に出てきて怪我をした者――も多くなる。
診療所としてはありがたくない事に、今年の夏の季節祭でも診療所は大忙しであった。
アレックスの姿は、そんな忙しない診療所にあった。
そもそも、アレックスはフェルネス教団に所属する在家の神聖術士でもある。
定期的に、教団での奉仕活動の一環として神聖術士として働いているのだ。
それもあって、今年も夏の季節祭には診療所の手伝いをしていた。
アレックスは、慣れた様子で診察待ちの患者を確認していく。
「カニンガム司祭!次の患者さんをお通ししますよ?」
そうして、順番待ちの患者の確認を終えたアレックスは、診察室の奥で果実水を飲みながら一息ついているカニンガム司祭に声を掛けた。
「あぁ、そうだな。頼むよ」
そう言って、カニンガム司祭は診察室の椅子に腰掛ける。
アレックスと助手の修道士に支えられながら、次の患者の男性が診察室へと入ってくる。
患者の頭部には包帯がまかれ、包帯のまかれた右腕には添え木が当てられていた。
「大丈夫かい?どうしたのかね?」
椅子に座った患者を前に、カニンガム司祭の問診が始まる。
事情を聴いたカニンガム司祭は、患部の状態を確かめながら痛みに顔を顰める患者に語り掛けていた。
「応急処置は悪くないな。うまく手当てしてある。頭の傷はただのたんこぶだから、大した事は無い。しかし、右腕は骨折しているな。その腕では当分仕事は無理だろう」
全治二か月といった所かと、カニンガム司祭は結論付けた。
それを聞いた患者が、必死な表情で訴えかけてくる。
「そんなっ!先生、あっしは明日から大事な仕事が入っているんです!悠長に怪我の治るのを待つなんて事は出来ませんよ!なんとかなりませんかね?」
それを聞いたカニンガム司祭はしかめっ面を浮かべる。
確かに、何とかする方法はある。
単純に、治癒系の神聖術で直してしまえばよいのだ。
しかし、神聖術を行使すると言っても、ただではない。
術を使えば術者の霊力と魔力を相応に消耗するし、それ相応の料金――教団へのお布施――も必要となる。
他にも、魔法薬を使うという方法もある。
治癒系の魔法薬でも等級の高い物であれば、骨折を治す事はそれほど難しくはない。
ただ難点を言うとするならば、それは値が張るという点だった。
どちらにしろ、それなりの経済力が無ければ無理な話だ。
「お前さんに治療費がパッと払えるのかい?単純な打ち身や切り傷とは違って、骨折を治すとなるとそんなに安くはないぞ?」
カニンガム司祭は、患者の右腕の添え木を当て直すと助手から包帯を受け取って固定していく。
「……お金なら何とかします!先生!どうか直してやっちゃくれませんか?」
「なら、代金の準備が出来るのを待ってやるから、家の者に連絡しなさい。金がかかると言っても大それた額じゃないんだ。今月の残りの家計は苦しくなるかもしれんが、二か月全く働けなくなるよりはましだろう?」
それを聞いた患者は、がっくりと項垂れる。
「そんなぁ~!家に連絡って言ったって、あっしは独り者ですぜ?」
「だったら、仕事場の親方か町の世話役さんに相談するんだな。お前さんにそれなりの信用があるなら、それくらいは用立ててもらえるだろう?」
すると、診察室に年老いた男性が一人入って来た。
「診察中に失礼します、先生」
診察室に入って来た老人は、患者の男性の住む町内の世話役だった。
男性が怪我をして診療所に運び込まれたと聞いて、その様子を見に来ていたのだ。
カニンガム司祭は、世話役に患者の男性の現状を掻い摘んで説明する。
すると、世話役は大きく頷いて患者の男性の肩をポンポンと叩くとカニンガム司祭に向き直って言った。
「先生。こいつはおっちょこちょいのお人よしですが、腕の立つ職人で信用のおける奴です。治療のお代は私が立て替えますから、どうぞ治療をお願いします」
「そうか。まぁ、そう言う事なら……」
頭を下げる世話役の言葉に、カニンガム司祭は頷きを返す。
それを見た患者の男性も、お願いしますと頭を下げた。
「それじゃぁ、治療を進めるとして……、治療が終ったら無理はせずに今日一日は安静にしているんだぞ。いいか?……そうしたら、スプリングフィールド君、頼めるかな?」
診察室の隅で様子を見ていたアレックスに、カニンガム司祭が声を掛けてきた。
「はい、カニンガム司祭」
アレックスが進み出ると、患者の男性が怪訝そうな表情を浮かべてカニンガム司祭と世話役の方を振り返る。
しかし、アレックスの事を知っている世話役は、大丈夫だと言って患者の男性の肩を叩く。
「それでは、治療してしまいますね」
そう言って、アレックスは患者の男性に歩み寄る。
男性に近寄りながら、アレックスは首元に手を添えて小さく開放と合言葉を口にする。
そして、患者の男性の横に立つと、患部の右腕に手を添えて祈りの言葉を唱えていく。
「法と秩序の神フェルネスよ、慈悲深き御手にて癒しを与えたまえ、彼の者をその苦しみから救い出したまえ、神聖術、高速再生」
患者の男性の右腕に添えたアレックスの掌から、淡く揺らめく光の渦が沸き上がる。
掌に灯った光が、スゥッと患者の男性の患部に吸い込まれる様に消えていく。
「おぉ!腕の痛いのが消えていく!腕が軽くなったみたいだ……」
アレックスは、フゥッと息を吐くと顔を上げた。
それを見たカニンガム司祭が、患者の男性の肩を叩いて声を掛ける。
「さぁ、お前さん、これで治療は終わったぞ。だが、骨が完全につながるのに半日は掛かるんだから、帰っても無理はせずに今日一日は安静にしておくんだぞ。その腕の添え木を外すのは、明日の朝になってからだからな」
気を付けて帰れよと、カニンガム司祭が患者の男性に声を掛ける。
治療を終えた患者の男性は、何度も礼を言いながら世話役に付き添われて診察室を後にした。
「それでは、カニンガム司祭。次の患者をお通ししても大丈夫ですか?」
患者と世話役の二人を見送ったアレックスは、カニンガム司祭を振り返ると問い掛けた。
カニンガム司祭は、アレックスの問いに頷いて見せる。
それを見たアレックスは、診察室から待合室に次の患者を呼びに出る。
次の患者を呼ぶアレックスの声を聴きながら、カニンガム司祭は前の患者が残していった包帯をグルグルと纏めると傍で助手を務めている修道士に手渡す。
「君はこいつを片付けておいてくれ」
包帯を受け取った修道士は、畏まりましたと言って診察室を後にする。
すると、修道士が出ていくのと入れ替わる様にして、アレックスが次の患者を診察室に案内してきたのだった。
それからしばらくの間、入れ代わり立ち代わり訪れる患者達の診察を続けながら、カニンガム司祭は考える。
スプリングフィールド君が来てからの四年、診療所での治療は随分と楽になったように感じられる。
実際、さっきの患者だって、カニンガム司祭が神聖術を行使するのであれば決して軽い負担ではない。
特に今日の様な祝祭日となると、お祭りに浮かれた市民の怪我は大小様々に増える。
いつ緊急で重篤な患者がやって来るか分からないここでは、万が一に備えた余力は常に残しておきたいのだ。
王都セントラルの神殿と言えども神聖術士の数に余裕があるわけでもなく、魔法薬だって万一への備えを考えれば気軽に使える物でもない。
そのため、命の危機に直面していない患者の場合には、神聖術や魔法薬と言った超常の手段に頼らずに通常の医療や薬で済ます事も多いのだ。
それが、スプリングフィールド君が来てからは神聖術を使った治療も出し惜しみ無く出来る日が増えた。
結果、入院患者の数が減って診療所の運営体制に余裕が出るようになってきたのだった。
「さぁ、午前中の診療も一段落ついたようだし、昼にするかな?」
日が中天にかかる頃合い。
朝からあれだけ大勢いた患者もいなくなり、助手の修道士から報告を受けたカニンガム司祭は午前の診療を終えようかと腰を上げる。
「スプリングフィールド君。午前の診療はこれで終わりとするから、お昼を食べたら上がって良いよ」
「はい、カニンガム司祭。……ありがとうございます」
カニンガム司祭が声を掛けると、診察台のシーツを直していたアレックスはその手を止めて振り返った。
「今年も、山車の引き回しやパレードなんかは無事に終わったようだ。多少の怪我人は出たが、死人が出なくてホッとしたよ」
そう言って、カニンガム司祭はアレックスと連れ立って診療所を出る。
そして、後の事を当番の修道士に任せて神殿の食堂へと向かう。
「今年も、午後はお友達と一緒に夏の季節祭を見て回るんだろ?午前中は各教団の神殿の祭儀やなんかがメインだが、午後からは本格的に旅芸人の出し物なんかが始まるからな。楽しんでくると良い」
私も小さい頃は良く出店巡りをしたもんだと、カニンガム司祭は上機嫌で笑う。
今年は、祭りで死人どころか珍しく重傷者も出なかった事が理由だろう。
その後、神殿の食堂で他の修道士達に混ざって昼食を取ったアレックスは、神殿まで迎えに来たレオン達と合流すると街へと繰り出した。
そうして日の傾き始める頃まで、通りに並ぶ出店を冷かしたり珍しい旅芸人の芸を観覧したりして楽しいひと時を過ごしたのだった。




