プロローグ中編⑤
生徒会室は何時もの様に静かに落ち着いており、今日は特にこれといった用事も残ってはいなかった。
一樹は簡単な残務処理を済ませて、万葉と生徒会室を片付けていく。
「……。かずくん、今日はどうしたの?」
「ん?」
万葉の言葉を受けて、一樹は手元の書類を整理する手を止める。
「まぁ、もうすぐ僕も居なくなるしね。きちんと片付けておかないと、後輩達が困らないようにね?」
「そっか、そうだよね。じゃぁ、パパッと片付けちゃおう?」
「あぁ、時間が取れたら、会場に行くまでちょっと歩こうか」
「う〜ん、それってデート?」
「もちろん」
一樹を揶揄うつもりが逆に正面から返されて、万葉の顔は見る間に赤くなってしまう。
視線を上げると、万葉に向き合い優しく微笑む一樹と目が合う。
さして年の変わらない一樹が纏うその大人びた余裕の態度に、万葉としては一樹の事をズルいなと思う。
万葉は気恥ずかしさとともに感じる嬉しさに、こんな時間がずっと続けばいいのにと思わずにはいられないのだった。
生徒会室で残った仕事を片付けるのに、二人掛でやればさして時間はかからなかった。
一樹は約束通り万葉とデートするために、競技場前まで行くバスを使わず、少し歩く事になる電車を選んでいた。
競技場の近くには住宅街と隣接した商店街があり、競技場から駅まで繋がるそこは人通りも多く賑わっている。
万葉と並んで歩き、通りの店を冷やかしがてらに見て回る。
一頻りウィンドウショッピングを楽しんだ万葉に、一樹はそろそろ行こうかと声を掛けていた。
商店街を抜けて直ぐ、目の前の道を挟んで競技場が見える。
交差点の向かい側にも、信号待ちの人達が立ち止まっているのが見て取れる。
競技場横の公園にでも行くのか、近くの保育園児達が向かいの信号で列を作っていた。
前後に立つ保育士達が、園児達に声を掛けてまわり、手を上げて元気に返事を返す子供達の様子は、実に微笑ましいものだ。
一樹は、そんな平和な日常の光景に眩しさを感じながら、子供達の様子を見るとはなしに眺めていた。
一樹が信号待ちをしていると、黄色信号にも関わらず一台の大型トラックがブレーキも掛けずに交差点に突っ込んで来た。
信号はもはや赤に変わり、トラックの通行は到底間に合う筈もない。
一樹と同じく信号待ちをしていた大人達は、それに気付いて迷惑そうな顔をしながらも立ち止まる。
「ダメッ!危ない!!」
一樹の向かい側から、保育士の悲鳴にも似た叫びが上がる。
トラックに気付いた保育士が、必死の表情で腕を伸ばしていた。
信号が青に変わったのを見た園児の一人が、手を挙げて歩道に飛び出していたのだ。
保育士の言葉を守っただけの園児には、周囲の大人達の様に信号無視のトラックを見て危ないから止まらないといけない等と判断が出来るはずも無い。
その幼い男の子は、ただ素直に保育士の言葉を守っただけ、信号が青に変わったのを見て歩道を渡り始めただけなのだから……
保育士のただならぬ声に、驚いた男の子が歩道の上に立ち止まる。
猛スピードで交差点に突っ込むトラックは、全く速度を落とす気配が無い。
誰もが諦めと絶望の声を上げる中、一樹は瞬時に男の子に向けて飛び出していく。
「●▲■×#%¥&(間に合え!)」
瞬間、走り出した脚は力強く大地を蹴って、歯牙の距離を一瞬にして駆け抜ける。
トラックとの間に割って入り棒立ちになった男の子を抱え上げ、歩道に手を伸ばす保育士に向かって思いっきり放り投げた。
その頃、ウィンドウショッピングに夢中になっていた万葉は、一樹に少し遅れて交差点にやって来ていた。
一樹の元に合流しようと近づくと、突然一樹が歩道に向けて飛び出した。
その一樹の様子を訝しむ間もなく、人垣の向こうから何かがぶつかる様な酷く鈍くて重い音が鳴る。
交差点から悲鳴と怒号が飛び交う。
少し遅れて、通りの向こうからも硬く大きな物がぶつかり合う様な轟音が響いてきた。
そのただならぬ雰囲気から、あってはならない何かがあったのだと悟る。
「……かずくん?…………かずくん!!」
万葉は弾かれた様に駆け出すと、人混みを必死に掻き分けて交差点に飛び出した。
人混みを抜けて路上に出ると、地面に倒れ伏す一樹の姿が目に映る。
駆け寄り助け起こそうとして、血塗れの姿に一瞬言葉を失った。
「かずくん?!今、助けるから!!」
一樹の胸に手を当てた、その万葉の手を、しかし一樹はぐっと握り締めた。
掴む一樹の手の力と冷たさに、息を飲む。
「万葉……ダメだ」
「でも!かずくん……」
「こ……もは……?」
「あぁ、大丈夫……あの子は大丈夫だから……」
血を吐く一樹から、次第に命が失われていく。
一樹の命が、その腕の中で少しずつ消え行く様を感じながら、万葉はただそれを見続ける他にない己の無力さに歯噛みするしかなかった。
誰かが救急車を呼ぶ声がする。
すぐ側の競技場に詰めていた救急隊員が、血相を変えて駆け付けて来るのが見えた。
万葉には、その様子がとても遠くの出来事の様に感じられた……
……
…………
………………
全身を襲う激痛と、止まる事無く流れ出る血の感触を感じる。
次第に失われていく五感に、一樹は己の状況を悟っていた。
最後に聞こえた万葉の言葉に、安堵の息を吐く。
命を失う感覚に死を悟ると共に、今の状況に恐怖よりも腑に落ちる気持ちになる。
不意に、何かが頬にポタリと落ちる感触があった。
万葉を泣かせてしまうなんて、僕とした事がとんだ失敗だ……
あぁ、全く……
また、女を残して逝くなんて、俺って奴は……
そうして、全ては闇に呑まれて行ったのだった……




