第三十五話・来客
大陸統一歴2317年、5月下小月五日目
ローランディア選王国、王都セントラル
王立アウレアウロラ学園学術第一組の教室にて――
4月の決闘騒ぎから一月余りが経過していた。
その間、学園では決闘騒ぎの話題が絶えることは無かった。
そんな話題も落ち着きを取り戻して、五月も終わりが近付いてきた頃だ。
午後の授業が終わった学術第一組の教室に、学園の事務員がアレックスを訪ねてきたのである。
放課後の教室の騒めきが大きくなる。
特段の事情が無い限り、基本的に事務員が教室を訪れる事は無い。
それ故に、アレックスに何かあったのかと教室中の生徒達の興味を引いたのだ。
そんな中、アレックスに声を掛けてきた事務員はアレックスに来客がある事を告げてくる。
「来客ですか?分かりました。どちらに?」
来客がどこで待っているかと問うアレックス。
それに対して、事務員は来客は既に学生寮で待っていると告げる。
事務棟の応接室ではない事に疑問を持ったアレックスではあったが、一先ずは学生寮へと向かう事にする。
来客は午後の授業中に訪問していたというのだ。
ならば、放課後も長々と待たせるわけにはいかないだろう。
「すみませんが、ヴァレリーさん、シェリーさん、リリーさん。私は先に学生寮に戻っていますね」
アレックスは、すぐそばで事務員との遣り取りを見守っていたヴァレリー達に声を掛ける。
「分かったよ、アレックス君。レオンには僕から言っておくよ。僕達は商店街に寄って行くから、また後でね」
「アレックスさん、それでは後程……」
「買い物が終ったらいつもの様に剣の鍛練をするんだから、アレックス君もお客さんの相手が終ったらよろしくお願いね」
三者三様に別れのあいさつを交わすと、アレックスは一人学生寮へ向かって歩き出した。
長くも無い学生寮への道を歩きながら、アレックスは来客について考える。
とは言え、これと言ってアレックスには来客についての心当たりがなかった。
特に外部との用事があるわけでもなければ、面会の約束があるわけでもないのだ。
一体、来客とは誰だろうか。
アレックスは、そう思いながらも学生寮への道を急いだ。
教室のある講義棟区画を出て食堂や商店街からなる食堂区画を抜けると、アレックス達の生活する学生寮区画に入る。
学生寮区画は一学年で三棟を使っており、三棟の並んだ列が十列で学生寮区画を形成している。
そして、それらは食堂区画を半円形に囲む様に放射状に配置されている。
高等部アウレア第一学年用の学生寮の一番手前に、学術第一組の生徒達が住む第一学年学生寮第一棟がある。
その向こうに、第二組から第六組の使う第二棟、第七組から第十一組の使う第三棟と並んでいるのだった。
アレックスは、自分の住んでいる高等部アウレア第一学年学生寮第一棟へと入っていく。
アレックスは、授業終わりからすぐに学生寮へと帰って来た。
そのため、学生寮にはまだ他の学生達の姿はない。
アレックスは学生寮の玄関ロビーを抜けてラウンジへと行く。
すると、そこには三人の小柄な人影があった。
その三人がアレックスへの来客であろうと当たりを付けると、アレックスは三人に歩み寄っていく。
アレックスが近寄ると、その気配に気付いた三人が振り返った。
アレックスは、三人の顔を見ると少しばかり驚いたように声を掛ける。
「マスターソンさん達でしたか!突然の来客と言うから、一体誰だろうかと思っていましたよ」
「ハッハッハッ、驚かせちまった様で悪かったね、アレクサンダー坊ちゃん」
三人を代表する様に長男のガルドが言葉を返す。
陽気に声を上げるガルドに対して、次男のドルドが難しい顔をして話しかけた。
「だから言ったじゃないか、兄さん。先触れもなしに訪問するなんて失礼だって」
「うむ、礼儀」
ドルドの言葉に、三男のムルドも頷いた。
二人に非難されて、ガルドは豊かな顎髭を扱きながらムッとした表情を浮かべる。
「むぅ、驚かせるからサプライズになるんじゃねぇかよ」
ガルドの言葉に、アレックスは小首を傾げて問い掛ける。
「サプライズですか?いったい何があったんですか?」
アレックスが問いかけると、ガルドはニヤリと笑って足元に置いていた大きな袋をポンポンと叩いた。
「アレクサンダー坊ちゃんにお届け物だよ。ご注文の品が出来上がったんで持ってきたのさ」
「そうだったんですか。それは良かったです」
ガルドの今にも自慢話でも始めそうなうきうきした表情に、アレックスの期待も否が応でも高まっていく。
「自分で言うのも何だが、なかなか良い仕上がりだぜ。こいつなら坊ちゃんも気にいるだろうさ」
「そうですか。早速見せてもらっても?」
「おぅ!もちろんだとも」
そうして、いよいよ卓上に注文の品を並べようかとガルドが席を立ったところで、食堂の入り口から声を掛けてくる人がいた。
「お前さん達、お茶をもらってきたよ!」
アレックス達が振り向けば、三人のドワーフ女性が盆に茶器を乗せて地数いてくるところだった。
「おや、坊ちゃんじゃないかい。元気にしてたかい?」
「久しぶりだねぇ、坊ちゃん。ちょっと見ないうちに見違えたかねぇ」
「ご機嫌よう、坊ちゃん。今回もまたうちの旦那衆がお世話になるよ」
三人は、アレックスの姿を認めると三者三様に挨拶の言葉を告げてきた。
「ジョアンナさん、ヨハンナさん、マドンナさん、お久しぶりです。お陰様で、元気にしていますよ」
アレックスも、三人に挨拶の言葉を返す。
すると、ジョアンナが茶器を卓上に置きながら、アレックスに語り掛けてきた。
「そいつは良かった。ご注文の品を見せるのは、これからなんだね。坊ちゃん、今回の商品はうちの旦那衆が張り切って作った逸品だから、その出来上がりには期待してくれて良いよ」
「それは楽しみですね」
アレックスは、ジョアンナの言葉に笑顔を浮かべて答えた。
ジョアンナ達も、上機嫌でお茶を注いで茶器を各々の前に配していく。
アレックスの前にも、しっかりとお茶が配されていた。
ジョアンナがお茶を配すると、ヨハンナがその横からお茶菓子を配っていく。
「坊ちゃんが食する様な上等の物じゃないくてうちらの手作りだけれど、良かったらどうぞ」
アレックスの前に差し出されたのは、程良い小麦色がきれいな小振りなクッキーだ。
「ドワーフの方々が物作りにかける情熱というものは良く知っていますよ。そうでなくとも、女将さん方の作る料理は評判が良いと耳にしていますしね」
「あらあら、嬉しい事を言ってくれるねぇ」
アレックスがそう言うと、ジョアンナ達三人は嬉しそうに顔を綻ばせた。
そこに、ガルドが少し不機嫌そうな声音で割り込んでくる。
「おい、お茶菓子の話はその辺でいいだろう?さぁさぁ、坊ちゃん、俺達の作った品を見ておくれよ!」
ガルドがそう言うと、それを合図にドルドとムルドがテーブルの脇に置いてある袋――大きなものでも収納できる魔法の袋だ――から大小の木箱を幾つか取り出した。
「ちょっとアンタ!そんな木箱のままテーブルの上に置くんじゃないよ!」
「ウッ、分かってるよ!」
ジョアンナに注意されて一瞬詰まったガルドだったが、気を取り直して手にした細長い木箱の蓋を開けると中から品物を取り出した。
ガルドの取り出したそれは、見事な装飾の施された鞘に収まった大小二振りの剣だった。
「こいつが、坊ちゃんからの注文で作った剣だ。確かめてくれ」
アレックスは、ガルドから二振りの剣の一方を受け取る。
その剣は、鞘に薔薇を模した意匠が施されており、鍔は薔薇の葉を模った造りをしている。
柄頭にも、黒い宝石で鞘と同じく薔薇を模した意匠が施してあった。
「これは薔薇ですか?」
アレックスの疑問に、ガルドはニヤリと笑顔を浮かべた。
「まぁな。坊ちゃんを表現するのなら、薔薇の花だろ?なんたって『黒薔薇の君』だしな!」
「自分で名乗った事など無いのですけれどね……」
そう言いつつ、アレックスは受け取った剣を鞘から抜き放つ。
その剣は、アレックスの注文した通りの細剣だった。
その刀身は決闘用の細剣とは違って少々太めの造りになっており、突くための鋭い切っ先の他に刀身には切るための刃がついている。
アレックスは、抜き放った剣を掲げて眺める。
そうしてよくよく眺めてみれば、刀身が仄かに輝いて見える。
強い魔力を内包する魔術武具によくみられる特徴でもある。
「二つ名がつくなんて名誉な事じゃぁねぇか!」
「まぁ、それが傭兵や冒険者ならそうなのでしょうね……」
細剣を鞘に納めたアレックスは、続いて差し出された小剣を手に取る。
こちらの小剣も細剣と同じく意匠が施されており、柄頭には細剣と同じく黒い宝石で薔薇の飾りがついていた。
小剣を鞘から抜き放ってみれば、刀身の背がギザギザとした櫛形になっているのが目に留まる。
こちらの剣も注文通りのソードブレーカーだった。
細剣と同じく、この剣も強い魔力を持つ魔術武具特有の仄かな輝きが感じられる。
「なんだ、坊ちゃん。お気に召さなかったかい?」
「いえ、そんな事はありませんよ。思っていた以上に良い剣ですね」
「まぁな。気合を入れた甲斐があるってもんよ。その剣にはなぁ……」
誇らしげなガルドが得意満面に二振りの剣についての講釈を始めようとした所で、ドルドがガルドを押し退ける様にしてアレックスの前に顔を突き出してきた。
「さぁさぁ、坊ちゃん。こっちの防具も確かめてみてもらえるかな」
「こっちにも薔薇ですか?」
アレックスがドルドに手を引かれてテーブルを離れると、いつの間に用意されていたのか鎧を掛けるマネキンが用意されていた。
マネキンにはムルドの手によって既に鎧一式がかけられており、その見事な造りは傍目で見ただけでも良く分かる。
鎧の胸甲や肩当、手甲と脚甲には、表面に精緻な意匠で薔薇があしらわれており、しっかりと磨かれて妖しい魔力の輝きを放っていた。
腰鎧になる部分には、アレックスの渡した魔術道具の布が宛がわれているのだが、その縁にも薔薇をモチーフとした意匠が縫い込まれている。
「そうだね。やっぱり、スプリングフィールド選公爵家の坊ちゃんの物となるとね。装飾のモチーフにするのに、薔薇がぴったりだろうって話になったんだよ」
「うむ。坊ちゃんの事を表すのにちょうど良い……」
ドルドがそう言うと、その後ろでムルドが静かに頷いていた。
「本当に、意図的に薔薇を掲げているわけではないのですけどね……」
「とは言え、坊ちゃんの身に着けている黒薔薇の首飾りは有名だからね」
「うむ。スプリングフィールドで黒薔薇と言えば坊ちゃんの事……」
アレックスが苦笑を浮かべると、ドルドもあいまいに笑顔を浮かべる。
その後ろで、またもムルドは静かに頷いていた。
アレックスがマネキンに近寄ると、ドルドが隣に立って声を掛けてきた。
「そうしたら、坊ちゃん、試着をしてみるかい?」
「そうですね」
ドルドの提案にアレックスが頷くと、三人が目を合わせて頷いた。
「それじゃぁ、坊ちゃん。鎧の試着ついでに、こっちの剣の試し切りもやってみないかい?」
「それはそうですね。試して見たいです。でも、準備はどうするんですか?」
アレックスが疑問を投げかけると、ガルドは豪快に笑って見せる。
「ハッハッハッ、そいつは問題ねぇよ。こういう事もあろうかと、試し切り用の丸太やなんかも持って来てあるからな。実は、もう中庭を使う許可も取ってある」
なるほどと、アレックスは相槌を打つ。
それを見たガルドは、それじゃ早速と席を立った。
「さぁ、ドルド、ムルド、行くぞ!ジョアンナ、ヨハンナ、マドンナも手伝ってくれ」
中庭に行こうと歩き出すガルドの背に向けて、ドルド達が了承の意を返す。
そうして、アレックス達は中庭へと移動していったのだった。




