気まずい空気
「……ただいま、」
お爺ちゃんが入院する病院から戻って来たお母さんは、いつもと様子が違っていた。
「おかえり……、なんか、あった、の?」
お母さんはお爺ちゃんと折り合いが悪かった。夏休みに帰省しても互いに、ぶすっと、仏頂づらで、私はなんとなく居心地悪く感じていた。
「……うん、ちょっと、ね、」
お母さんはそう言った。私は、なんとなく気まずい空気を感じ取った。私達の間に言葉では言い表せない虚無感が漂い始めた。お母さんは、何も言わずに私の横を通り過ぎていき、ダイニングにある椅子に腰掛け、祈るような姿勢で静かに泣いた。
お母さんは、口では何も語らなかった。だけど、暗く俯いた顔や辛気臭く丸まった背中、それに死んだ目をした表情、声を殺して泣く姿から、なんとなくだけど感じ取ることが出来た。その時、私は、……あっ、お爺ちゃん、死んだんだ、と、思った。予感は的中した。
翌日、両親と共に新幹線でお爺ちゃん家に向かった。家に着くと、親戚が集まっていた。お婆ちゃんに案内されて向かった和室の中央には布団が敷いてあり、お爺ちゃんの遺体が安置されていた。ふさぁ、と、顔を覆っている白絹が捲れる。黄色く濁った目は、カッと見開いていた。肌は蝋かプラスチックに見え、まるで、精巧な蝋人形みたいだった。私は祖父の遺体を見て、ああ、死ぬってこういう事なのか、と思った。魂が抜けた抜け殻のように思え、深い虚無感と恐怖に体が押し潰されそうだった。お母さんは酷く落ち込んでいて、お父さんが心配そうな顔で宥めていた。白絹が顔に掛けられる。両親とお婆ちゃんが部屋から出ていくと、私は、部屋の隅に座った。まるでお爺ちゃんが呼吸しているかのように顔を覆う白絹が微かに動いているように見えた。気がつけば、私は泣いていた。
それから、通夜が終わり、斎場から火葬場に向かい、読経の声が響く中、お爺ちゃんの遺体は荼毘に付された。私達は、待合室で昼食を取ったあと、アナウンスに従い、指定された部屋に向かった。部屋の真ん中、銀色の台の上に白い骨が置かれていた。ぎっしりと花が詰められ、重かった棺は、すっかり消えていた。物質的に確かに存在していたお爺ちゃんの肉体はその存在と共に消失していた。僧侶と職員の説明を聞きながら、私は、ああ、なんで無機質な部屋なんだろう、と思った。そのあと、箸でお爺ちゃんの骨を骨壷の中に納めると、バスに乗って斎場へと向かっていった。お母さんは、錦で包まれた骨壷を抱きながら終始、俯いていた。その姿があまりに痛々しく、私は、喉元まで出かかった気の利いた言葉を、ぐっ、と飲み込んで、ふいっと、窓の外に目を向けた。空は、お母さんの気持ちと同じで、暗く、どんよりとしていた。〈終〉