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箱入り息子はサイコパス  作者: 広川ナオ
第1章 箱入り息子とFラン女子高生
9/43

08 契約

 人生というのは何事も習慣化されているのが一番だ。


 習慣とは心理学用語で、『反復することで後天的に習得し、少ない努力でも繰り返すことのできる固定化された行動』のことを表す。

 この()()()()()()()というところが重要なポイントだ。

 長時間の学習や運動という辛い行為でも、習慣になれば苦ではなくなる。出掛けるときに着ていく服も、毎日の食事のメニューも、パターン化してしまえばいちいち悩んだりする必要はない。そういう日常に潜む小さな苦悩が減るだけでも、人生はずっと快適になるものだ。


 高校生活が始まって約半月が経過したこの頃、新しいライフスタイルも概ね習慣化されるようになった。

 朝7時に起床して朝食を取り、身支度を整えて8時には家を出る。学校へは足と電車を使って約30分。学校生活にもすっかり慣れたものだ。授業中はとにかく先生の話を聞く。休み時間はクラスの友人と過ごす。やはり日本トップクラスの名門校だけあって、興味深い思考や発想を持っている人間が周囲に多いのはありがたい。入学する以前は別に高校などどこでも良いと思っていたが、そういう意味ではこの学校を選んだのは正解だった。 

 部活には入らなかったので、放課後は特に予定がない限りは大学に足を運んでいる。いつも午後6時半頃に帰宅し、すぐにトレーニングルームで筋トレをする。時間はだいたい30分。そのあと軽くシャワーを浴びてから夕食を取るのが、僕の夕方のルーチンだ。


 もちろん毎日がこのとおりの生活になるわけではない。日毎に予定が入ることもあるから、そういう日はスケジュールをずらして柔軟に対応する。


 ただし一つだけルールを決めている。それは、決められた時間以外は絶対に間食を取らないということだ。

 一説によると、食のリズムというのは睡眠と同等か、それ以上に生活リズムの調整に寄与するものとされている。つまり食のリズムが狂うだけで全体の生活リズムに多大な影響を及ぼしてしまうということである。だから僕は食事の時刻はきっちりと決めている。朝昼晩の三食はもちろん、午後の完食も4時間目の5時間目の授業の合間に取るようにしている。


 それゆえ店内の時計が午後6時を過ぎた現在、喫茶店のテーブル席に向かう僕の手元にはコーヒーのカップが一つ置かれるだけだった。

 一方、僕の対面に座るエリカさんの前にはミルクティーとミルフィーユが運ばれた。彼女は「いただきまーす」と他の客にも聞かせるかのような声で言ってから、スイーツの皿にフォークを突き立てて口に運んだ。


「う〜ん、やっぱりここのミルフィーユは最高だなぁ」


 心の、いや胃袋の底から幸せそうな顔でそんなことを言っている。スイーツを注文していない僕への当てつけ、というわけではなさそうだ。無論、仮に悪意があったとしても、そんな攻撃、僕には効かないが。


 ——なんてことを肚の中で考えながら、僕も『いただきます』と言ってコーヒーに手をつける。


「君、コーヒーを飲むときにもいちいち『いただきます』って言うの?」


 口の横にクリームを付けながら尋ねてくるエリカさんに、僕はやれやれと思いながら答える。


「当然でしょう。食前の挨拶とは頂戴する命やそれを調理してくれた人たちへの感謝を示す行為なのですから」

「ふーん、さすがイイところのお坊ちゃんはお行儀が良いですこと!」


 いけ好かない相槌を打ちながらミルクティーのほうも堪能したエリカさんは、グラスを置いて僕の目をまっすぐに見つめながら尋ねてきた。


「それで、あたしのプロデューサーになってくれる気にはなった?」

「……」


 僕は彼女の詰問に答える前にコーヒーのグラスを口に運んだ。


 そう、今日僕が学校帰りに駅の近くの喫茶店でセーラー服姿のエリカさんとこうして向かい合っているのは、この質問に答えるためである。


 3日前、僕はなぜか自宅に遊びに来たエリカさんから「あたしのプロデューサーに任命します!」と宣告された。どうやら彼女は僕のマーケティングの知識に一目惚れしたらしい。仮にも日本経済の中核を担う天下御免の特大企業、《天王グループ》の時期総帥を不埒にもプロデューサーに仕立て上げようとは、世が世なら「無礼者!」とその場で切り捨てられてもおかしくない。


 もちろん僕は首を縦には振らなかった。

 しかし横に振ることもしなかった。


 本音を言うと、あの任命を受けた時、僕の心は揺らいでいた。


 無論、僕は【リカリカ】というウィーチューバーにもエリカさん本体にも興味はない。

 だが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という営みそのものには、大いに興味があった。巨大企業の経営者の跡取りとして若いうちにこういうことを経験しておくのは良いことだと思うし、なにより実際に自分の手でコンテンツを運営するというのは楽しそうだ。


 それに【リカリカ】はコンテンツとしてなかなか優秀な素質を持っている。外見はアイドル顔負けで申し分ないし、人柄も僕とはちょっと合わないが、一般的な大衆にはとてもよくマッチしていると僕なりに分析している。箱入り息子である自分の感性など当てにはならないかもしれないが、現状すでに彼女のファンが一定数いるのもその証拠だ。


 となると問題なのはコンテンツとしての【リカリカ】ではなく、人としてのエリカさんだ。

 僕がどれほど働いても、彼女にさして熱意がなければビジネスの成果は実らない。エリカさんという人間次第で、僕が費やす時間の対価が決まる。


 ならば、まずは見極めなくてはならない。

 彼女と組むことが僕にとって有益になるのか、はたまた損失になるのか。


「返事をお返しする前に、いくらかお話ししたいことがあります」


 この面会は僕にとってはいわば採用面接になる。

 勿論そんなことを知らないエリカさんは、ミルフィーユをまた一口啄ばみながら「どうぞ」と軽々しく返答した。


「ではまず質問ですが、あなたはなぜ配信活動を始めたのですか?」


 まず動機を聞き出すことで相手の熱意や本気度を推し量るのは採用面接の基本だ。もちろんこれは就活ではないのでそれほどしっかりしたものを期待していた訳ではなかったが、彼女は意外にもさらりと答えてくれた。


「あたしね、アイドルになりたいの」

「アイドル、ですか?」


 答えをさらに深掘りするために問い返す。


「うん。てゆーか中学の頃に一度オーディションも受けたことあるんだけど、その時はあと一歩ってところで落ちちゃってさあ」


 たしかに彼女は外見だけならアイドル顔負けだ。オーディションで惜しいところまで行ったという話は信頼できる。


「それで何が足りなかったんだろうって考えたときに、やっぱり〝個性〟かなって。それで配信を始めてみたの! ほら、最近はタレントが個人でウィーチューブ活動するって話も多いじゃん?」


 なるほど……個性を磨くために配信活動を始めた、と。

 紙はないので、代わりに頭の中のメモ用紙にそう書き記しておく。


「わかりました。では次に、あなたは最終的にどのようなウィーチューバーになりたいと考えていますか?」

「どのような? どのようなかあ……」


 彼女はテーブルに頬杖をついて天井を見ながら考えたが、今度はすぐには答えが出せないようだった。


「聴き方を変えましょう。あなたのウィーチューバーとしての目標は何ですか?」

「目標ねえ……人気者になることかな!」

「人気者というと、具体的には?」

「具体的?」

「例えば『チャンネル登録者数が〇〇人』とか」

「うーん、あんまりそういうのは考えてないわねー」

「そうですか」


 今の問答だけでも、彼女のウィーチューブ活動がいかに見切り発車的なものであるかがよく分かる。ここまで杜撰(ずさん)な考え方で配信を始めて、1年余りでチャンネル登録者数9000人を超えているのだから、むしろ彼女の人を惹きつける力と行動力のほうを高く評価すべきなのかもしれない。


「目標というのは大事ですよ。将来的なゴールが定まっていてこそ、そこに至る過程に必要なものが見えてきます。目標がないのなら、早いうちに決めたほうがいいです」

「ふむふむ、なるほどぉ」 

「それでは僕がプロデューサーとして就任する場合の話ですが」

「えっ!? プロデューサーやってくれるの!?」

「……()()プロデューサーに就任した場合の話ですが、これまでの【リカリカ】の活動にいくつか改善を加えたいと思います」

「おおっ、なんか本格的じゃん!」


 期待を膨らませてくるエリカさんに、鞄の中から今日のために用意してきたA4サイズの資料を取り出して見せる。


「こちらですが、まず上の二つは前に説明したものと重なります」


 資料に書いてある『⑴配信日時の固定化』と『⑵取り扱うコンテンツの工夫』という見出しをボールペンでトントンと指し示す。それぞれの詳細は資料を読めば分かることなので、口での説明は省いた。


「それで三つ目。【リカリカ】の投稿動画はこれまでライブでの配信のみでしたが、今後は編集した動画も投稿していきます」


 僕は『⑶編集動画を投稿する』という見出しをボールペンで叩きながら説明した。


「編集動画っていうのは、よく他のウィーチューバーがやってるみたいにテロップを出したり、効果音を入れたりするやつ?」

「そのとおりです」

「えー、でもあれってめっちゃ大変なんでしょ? そもそも動画の時間を短くするために長い時間を費やすのって不経済だと思うのよねー、あたし」


 これは意外だ。この人にも不経済などという概念があったとは。

 つまらないことに感心しつつ、僕は論理的に彼女の考えを正した。


「たしかに動画を作る側からしたらそうですが、視聴する側からすると逆です。特にまだ【リカリカ】を知らない視聴者にとっては、毎回1時間以上の動画では長すぎて視聴しようという気になれないでしょう。ですから新規のファンを増やすには、数分という短い時間で【リカリカ】の魅力を最大限に伝えられるようなコンテンツが必要なのです」


 説明すると、エリカさんは「ふむふむ」と相槌を打ってから、しばらく黙って資料に目を落としていた。どうやら内容を理解するまでに少し時間が掛かるらしい。少々焦れったいが、相手を待つということも取引においては大切なテクニックだ。

 2分ほど経過してから、彼女は顔を上げた。脳のエネルギーを消費したからか、すぐさまミルフィーユを口に入れて頰を弛ませながら言う。


「オッケー、だいたい理解できたわ。でも編集なんて出来るかなあ。あたし、そういうの苦手だし」

「ご心配なく。動画の編集は僕がやります」

「えっ、マジで!? いいの!?」


 僕は改めて首を縦に振った。実はこの3日間、僕は少しだけ動画編集について独自に勉強していた。必要な機器はすでに所持しているし、動画編集ソフトの使い方も僕ならすぐに覚えられるだろう。あとは実際に動画をどのようにデザインし演出するかだが、そこは巨大企業の経営者の跡取りとしての腕の見せどころだ。


「ほんとに!? ありがとおおお!」


 エリカさんは声を弾ませながらテーブルに身を乗り出し、両手でボールペンを持つ僕の右手をがっしりと掴んで乱暴に握手をしてきた。その間、僕は彼女の細長い指の先端にある爪にうっすらとネイルが施されていることに気を取られていた。


「えー……僕から提案する当面の改善点は以上ですが、いかがでしょうか?」

「うん、もうばっちり! 全部君の言うとおりにするよ!」

「ありがとうございます」


 そこまで熱烈に肯定されるとは思ってなかったが、素直に受け入れてもらえたのは僕にとっても好都合だ。


「ってことは、あたしのプロデューサー、やってくれるってことでいいのよね!?」


 小動物のようにくっきりとした彼女の両目から強い圧が放たれる。

 真剣な眼差し、緊張した唇。

 けれど、口の横には相変わらずクリームがついている。


 その光景に、不覚にも僕は少し笑ってしまったかもしれない。


「——わかりました、お引き受けしましょう」

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