06 フ○ック
「それで、今から何をして遊ぶのですか?」
「そうそう! コレよ、コレ」
二度目の問いかけに、緑川さんは今度こそ正しく反応してくれた。
彼女は膝の上のポーチから取り出したカードケースを僕に見せびらかすように両手で持った。
「じゃじゃーん! ナンジャイモンジャイ〜」
「ナンジャイ、モンジャイ?」
「あれ、コーダイ知らないの? なら教えてあげる。ちょっとそこ座って」
緑川さんが部屋の中央の床を指差すので、僕は何もない床の上に正座した。彼女も椅子から立ち上がり、僕の前でどっしりと胡坐をかいた。
そして彼女は奇妙なモンスターのようなイラストが描かれたケースからカードの束を取り出し、それを裏向きにしたまま僕たちの間の床に置いた。
「まずは先攻の人が山札の一番上のカードを表向きにする」
彼女は裏返しになっている山札の一番上のカードを摘み、それを表にして山札の隣に置いた。カードには水色の太った恐竜のような気色悪いモンスターが描かれていた。
「こうやってめくったカードが初めて出たやつだったら、そのカードに名前をつけてあげるの。例えば《コーダイ》とか」
「それは悪意ですか?」
「気のせいよ。で、今度は後攻の君の番」
促されるまま、僕は山札の一番上のカードをめくった。今度はブサイクな人面が描かれたピンク色の花のイラストだ。
「これも初めてのカードね。だからコーダイが好きに名前つけていいよ」
「では《ミドリカワサン》で」
「ちょっと、それは嫌がらせ?」
「いいえ、気のせいだと思います」
彼女はうぐぐと小さく唸っているが、僕としてはそれなりにユーモラスなやり取りができて満足だった。なんだか初めて彼女と息の合う対話ができた気がする。
「わかったわ。この子の名前は《ミドリカワサン》でいいけど、でもあたしのことは名前で呼んでちょうだい。苗字で呼ばれるのはあんまり好きじゃないの」
「そうなのですか? 《緑川》とは奥ゆかしい響きがあって良い家名だと思いますが」
「そうだけど、あたしが求めているイメージとは違うのよね、それ」
それはさすがに考え過ぎな気もするが、確かに名前というのは少なからず持ち主の印象を操作する働きを持つものだ。だからこそ父は僕に《皇帝》という威厳のありそうな名前をつけたのだろうし、彼女は《リカリカ》というキャッチーな名前でウィーチューバー活動をしているのだろう。そう考えると、彼女の自身の呼び名に対するこだわりも安易に軽視してはならないか。
「了承しました。ではエリカさん、あなたの番です」
僕が大人しく従ってくれたことに満足したのか、エリカさんは笑みを浮かべながら山札に手を伸ばした。しかし彼女は先ほどのように一番上のカードをめくるのではなく、山札を丸ごと手にとって眺めながら、そこから1枚のカードを選び抜いた。
「じゃあ今度はもし一度登場したことのあるカードが出た場合だけど」
彼女が選んでめくったカードに描かれていたのは、最初に登場した太った水色の恐竜、つまり《コーダイ》のイラストだった。
「この場合、カードにはすでに名前が付いているはずだから、その名前を叫ぶの。《コーダイ》! みたいな感じで」
彼女の張りのある声が、空っぽの部屋によく響いた。
「先に名前を言えたほうが、それまで場に出ていたカードを総取りできる」
そう言って彼女は表向きになっていた3枚のカードを自分の手元に引き寄せた。
「なるほど、つまりそれまでに出てきたカードの名前は、すべて記憶しておく必要があるのですね」
「そういうこと。最終的によりたくさんのカードを取ったほうが勝ちっていうルール。オーケーかしら?」
「問題ありません」
記憶力と脳の瞬発力が試されるゲームか。期待していたよりも面白そうだ。
「よし、じゃあさっそく本番行ってみよう!」
緑川さんは元気よく言いながら、カードをすべて山札に戻して裏向きのままシャッフルしてから、スタートのポジションに置いた。
「先行・後攻はじゃんけんで決めよっか」
「えっ、じゃんけんって……」
「行くよ! 最初はグー! じゃんけん、ホイ!」
彼女はチョキを出した。僕は中指を立てていた。
「……なにそれ? ファ◯クってこと?」
「いいえ、違います」
すぐに手を引っ込め、弁解する。
「すみません。じゃんけんというものをやったことがなくて、咄嗟に手を作れませんでした」
「はあ!? じゃんけんをやったことない!?」
「ええ、まあ……」
「そんなことあるぅ!? 小学生の頃とか、嫌でもやらされなかった!?」
まるで空前絶後の事態に遭遇したかのように身を乗り出して詰問してくる彼女に、僕はありのままの事実を答えた。
「僕は小中学校に通ったことがないのですよ」
「えっ、どういうこと!?」
「幼少の頃から極度の虚弱体質でして。つい先月まで、ずっと病院で暮らしていました」
「マジ!? それなら勉強は? 友達はどうしてたの?」
矢継ぎ早に飛んでくる彼女の質問にも、そのままのことを答えた。
「勉強は家に講師の方が来てくれました。友人はいません。外に出ることも滅多にありませんでしたし」
「ひえー、それってまさに箱入り娘ってやつじゃん! いや、君の場合は《箱入り息子》なのかな?」
彼女はムンクの『叫び』のように頬を両手で挟みながら顔面を大きく開いた。
「よくそんな生活耐えられたわね! あたしなら3日で退屈死するわー」
「まあ昔からでしたし……それに自由な時間は好きなだけ本を読むことができましたから」
「あー、それであんな図書館みたいな書斎が出来ちゃったわけねー」
彼女はどうやら1週間前に僕の書斎を見たときのことを思い出しながら、感慨深そうに頷いた。しかし、すぐに大きな目を開きながら顔を上げ、
「よし、この話はもういいや。じゃんけんは君の反則負けってことで、あたしが先攻ね」
そう言って唐突にゲームを始めた。
1枚目にめくられたカードは、輪郭が尖ったアメーバのような黄色い生命体のイラストだ。
「う〜ん、この子はねぇ……」
彼女は少しだけ顎に手を当てて考えてから、なにか手応えがあったように頷いて言った。
「よし、決めた! この子は《ツン》!」
「ツン?」
「そう、《ツン》」
「なるほど、西郷隆盛が連れていたという愛犬の名前ですか」
「はあ? なにアイケンって。あたしはただこの子がツンツン尖っていたから《ツン》って名前にしただけだし」
「え……あ、はい。そうでしたか」
拍子抜けしていた僕に、エリカさんは「どうぞ」と言って手番を促してくる。僕が2枚目としてめくったカードは、リハーサルの時にも出てきたピンクの花、つまり《ミドリカワサン》だ。
ここで先ほどと同じ名前にしては相手にも簡単に記憶されてしまう。なので僕はあらかじめ用意していた名前をカードに与えることにした。
「では、このカードは《アイリッシュソフトコーテッドウィートンテリア》で」
「えっ、ちょっと待って。アイリ……なんて言った?」
「《アイリッシュソフトコーテッドウィートンテリア》です」
「はあ? なにそれ、どこの国の言葉?」
「アイルランド原産の、世界一長い犬の名前ですよ。ちょうど犬つながりで覚えやすいかと思ったので」
「なに言ってんの! そんなのこっちは一文字も覚えられないわよ!」
「もちろんあなたには覚えにくく、僕だけが覚えやすい言葉を選ばせていただきました」
「なによそれー、ズルい!」
「ズルいもなにも、そういう戦略ゲームでしょう、これは」
「えー、違うよォ! これはそんな頭脳を競うみたいなゲームじゃないの! もっと可愛い名前とかアホな名前をつけてギャハハワハハと笑うゲームなの!」
「そうなのですか?」
「そうなの! 絶対そうなの!」
なんだそれ。僕のほうこそ「えー」と言わせていただきたい。
どうやら僕と彼女とではゲームに求めるものが異なるらしい。僕は頭脳をフルに使って己の知的好奇心を刺激するようなゲームが好きだが、彼女はもっとシンプルに楽しい、面白いといった愉快な感覚を味わうためにゲームをするのだろう。このように価値観の相容れない相手とは、本来ゲームなどするべきではないと思う。
しかし、それは社会とて同じだ。様々な価値観を持った人間が、同じ空間を共有しながら暮らしている。ゆえにそうした中でトラブルが起きないように、社会では様々なルールというものが存在する。ならばこのような事態でもその理に倣えばいい。
「分かりました。確かにこれだと次に同じカードが出たとき、仮に僕が適当な名前をコールしたとしてもあなたには判定する術がない。ですから制限を設けましょう」
「制限?」
「はい、名前をつける際は特定のジャンルの中から選ぶことにするのです。例えばジャンルを動物と定めた場合は《イヌ》や《ネコ》といったように」
「ほほう、なるほどなるほど」
「ではエリカさん、お好きなジャンルをどうぞ」
「あたしが選んでいいの?」
「はい、エリカさんが得意な分野で構いません」
「あたしが得意な分野かあ……ウィーチューバーとか?」
「えっと……すみません。それだと僕がほとんど名前を付けられないので、もっと一般的なやつでお願いします」
「えー、他だとアイドルとか化粧品とか……」
「……もう結構です。名前はすべてエリカさんが付けてください。僕は覚えるだけでいいので」
「え、いいの? それだとあたしがめっちゃ有利にならない?」
「問題ありません。それでも僕が勝ちますから」
「ムキー、むかつく! 絶対ボコボコにしてやるんだから!」
こうしてかなり特殊なルールの下でゲームは再開された。
エリカさんは僕の知らないウィーチューバーや化粧品らしき名称を容赦なく出してきたが、記憶分野にかけてはIQ180以上の能力を持つ僕には、たとえ知らない文字列だろうと暗記することは造作もなかった。むしろ記憶を想起するスピードの差で、僕は彼女にカードを1枚も拾わせることなく得点を重ねていった。
終盤になってヤケになった彼女は「う」から始まる排泄物を表す幼児語や、もはや遠回しに説明することすら躊躇われるような下劣極まりないワードを投げ込んできたので、そういうのは温情のつもりで取らせてやった。しかしそれでも序盤で開いた僕との差を覆すことはできず、ゲームは僕の大勝で幕を下ろした。
「もう、何なの君! 強すぎ! クソゲーすぎてやってられんわ!」
彼女は床の上に大の字になって倒れた。もはや完全に心が折れている様子だった。いや、心が折れる前に分からないものだろうか。日本屈指のエリート校に首席合格する僕に、記憶力勝負で敵うはずがないと。
「僕はまあまあ楽しかったですよ」
素直に感想を述べてやると、彼女は「くっそー」と露骨に悔しがりながら上体を起こした。
「せっかく君とボドゲで遊んでいるところを配信しようと思ったのに、これじゃあ使えないわね」
「え……今なんと?」
落胆する彼女がどさくさに紛れてとんでもないことを呟いたのを、僕は聞き逃さなかった。