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箱入り息子はサイコパス  作者: 広川ナオ
第1章 箱入り息子とFラン女子高生
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05 Fラン女子高生

 僕にとって人生初となる学生生活——


 その最初の1週間が過ぎた土曜日、僕は朝から自宅の別棟に設けられたトレーニングルームで汗を流していた。


 筋力トレーニングはいい。健康的な生活習慣を持続するのに運動は欠かせないし、筋肉に刺激を与えることで脳が活性化するということを科学的に実証した研究もある。以前の極度な虚弱体質が改善されたのも体を鍛えたおかげだ。筋トレは人生をより豊かなものにするための万能薬みたいなものだ。

 

 ゆえに僕は高校生活が始まってからも、平日は夕食の前に、土日はこうして朝8時過ぎから、自宅のジムで一日30分から1時間程度の筋力トレーニングを行うことを習慣にしている。


 60kgのバーベルを使ったベンチプレスで胸筋を痛めつけてから、洗面台の水を一口含んでいると、入り口横にあるインターホンからチャイムが鳴った。どうやら来客があったらしい。いつものようにリビングにあるインターホンで北林さんが対応してくれるだろうと思い、僕はそのままトレーニングに戻ろうとした。


 しかし、程なくして内線電話のコールが鳴った。何事だろうと思いながらインターホンの受話器を取ると、


「失礼します、お坊っちゃま。ただいま緑川さんという方がお見えになったのですが……」


 北林さんは以前と同じように訝しげな口調で言った。

 対する僕は今さら疑念を抱くことはなかったが、代わりに溜め息が出そうになった。


 わかりました、と返事をして受話器を置き、やれやれと思いながら母家に戻って玄関の扉を開けると、


「やっ! おはようコーダイ!」


 緑川さんは朝日のような健康的なスマイルを浮かべて玄関の前に立っていた。服装は1週間前と変わらず、Tシャツにジャージという簡素な部屋着だ。道を一本横切るだけだから、外出だとも思ってないのだろうか。向かって10メートル以内の距離にあるとはいえ、一応は他人の家だということを意識して、訪ねるのならばせめてもう少し相応しい身なりをして来てほしいものだ。


「おはようございます。どうかしましたか、こんな朝から」


 肩から提げたポーチ以外に特に目立った荷物のない緑川さんにひとまず尋ねるが、


「君こそどうしたの? 随分と汗をかいているようだけど」


 彼女はこちらの質問には答えず、逆に自分が気になったことを尋ねてきた。相変わらず人の話を聞かずに、自分の思いどおりにばかり会話を進めようとする人だ。


 だがここは変な意地は張らず、素直に彼女の質問に答えてやることにする。


「いまウエイトトレーニングをしているところです」

「ウエイトトレーニング? それってなんか重たい棒みたいなのを担いでスクワットとかするやつ?」

「はい、そういうやつです」


 本当はスクワット以外にも色々とやるのだが、彼女の知識を深めてやる義理もないので適当に頷いておく。 


 だが彼女は、僕が彼女のことを適当にあしらおうとしていることなど微塵も疑ってないというようなキラキラとした眼差しでグイグイと迫ってきた。


「マジ? すごっ! コーダイの家ってそんなこともできるんだ! もうなんでもアリじゃん! もしやプールとか映画館とかもあるんじゃないの?」

「それはないです。で、ご用向きは何でしょう? まだトレーニングの途中なので、なるべく手短に願います」

「ああ、そうそう! 今日はコーダイと一緒にゲームして遊びたいなーと思って」


 そう言って緑川さんはニコニコしながら両手でキラキラしたピンク色のポーチを持ち上げてみせた。どうやらその中に入っているのは遊び道具らしい。


「僕とですか。それはまた何故です?」


 普通の人間は一度会っただけの赤の他人の家に、遊びに訪ねることなどしないだろう。いくら俗世に疎い僕でも、これが些か突飛に過ぎる行動だということくらいは分かる。なにか腑に落ちる理由があるのだろうと思い、お断りする前にそれを確かめておこうと考えたのだが……


「別に理由なんてないよ? 一人でいるのが退屈だったから、コーダイでも誘おうと思ったの」

「一人でいるのが退屈……?」

「うん、だって今日は友達と遊ぶ約束してないし、こんな休みの朝から配信したって見に来てくれる人いないんだもん」

「……」


 彼女の感性が僕には理解できなかった。

 一人でいる時間が退屈だなんて、僕にはあり得ない。トレーニング、学問、昔から趣味でやっているソフトウェア開発など、やりたいこと、やるべきことはいくらでもある。一人で過ごす時間など倍に増えたってまだ足りないと感じるくらいなのに、その貴重な時間をこの人は持て余しているというのか。そうだとしたら、それは金銭をドブに捨てるのに等しい愚行だ。そんなことに付き合わされるのは御免である。


「僕が相手でなくてはいけないのですか?」

「うん、いけない! 君じゃなきゃダメなの! もし断ったら、このあいだ君があたしの家を覗いてたこと、警察に言うから!」


 なんだその無茶苦茶な脅迫は。そんなことをしたって僕が罪に問われるわけがないだろう。


 ……しかし、これが意外に厄介だ。この人は考えが浅はかなくせに行動力だけは一人前にあるらしい。加えて相手の感情に訴える力も強い。もし例の件を警察や他人に話されると、犯罪者に仕立てられることはないだろうが、巨大企業グループの跡取りとしての僕の経歴に泥がつくことになるかもしれない。


「……わかりました」


 不承不承ながら、彼女の誘いを受けることにした。元からゲーム自体は嫌いではないので、遊んでみれば案外楽しいかもしれない。そう自分を納得させた。


「ですがこれからトレーニングの続きと、その後シャワーを浴びたいので、30分後に改めて来ていただけますか?」

「え、今からトレーニングするの? 見たい見たい!」

「……やっぱりシャワーだけにするので、中に入ってお待ちください」


 えー、なんでー、と不平を垂れ流す緑川さんをまず2階のフリールームに移動させ、自分は5分ほどでシャワーを済ませて合流した。


「お待たせしました。それで、何をして遊ぶのですか?」


 濡れた髪をタオルで拭き取りながら尋ねると、勝手に僕のワーキング椅子に座っていた緑川さんは手元のスマホから視線を上げて、


「ねえ、君っていま何歳?」


 またもなぜか僕の質問とは噛み合わないことを尋ね返してきた。まったく、対話とは言葉のキャッチボールだというのに、この人にはこちらの投げたボールを捕る意思が見られない。それどころか往往にしてこちらが全力で走って捕りに行かねばならないようなひどいワイルドピッチを投げ込んでくる。だから彼女との会話はため息が出るほど疲れるのだ。


「今月まで15歳です」

「今月で15歳……ってことは、えっと……いまは中3?」

「違います。この春から高校生です」

「あれ? ちょっと待って……あ、そっか。来月に16になるってことだからもう高1か」


 やはり計算が苦手らしい。悩みが解決して嬉しかったのか、彼女は笑顔で手を叩いて鳴らした。


「へぇ、意外! あたしと1個違いなんだ! てっきりもっと歳下だと思ってた!」


 彼女の驚きは何も心外なことではなかった。自分が年齢に比べて幼く見えてしまうという自覚は僕にもある。成長期を迎えるのが極端に遅かったせいで顔つきには子供っぽさが残っているし、身長も女性の緑川さんとほとんど変わらないくらいなのだから、中学生と思われても仕方がないだろう。


「でもよく見ると体は結構しっかりしてるわよね。やっぱ筋トレしてるからかな? まあ下のほうはまだ全然みたいだけど……」


 僕の胴体から少し下へと移動した緑川さんの視線が、再び僕の目の高さに戻ってくる。


「それで君、高校はどこなの?」

「秀央学館です」

「しゅうおう……って、ええっ!? あのバカみたいに頭いいところ!?」


 随分と不可解な日本語を使うものだ。バカなのに頭がいいとは。


 まあ彼女の主観はどうでもいい。バカとか賢いとか、そんなのは個人の価値観でしかない。僕が入学した高校が偏差値70オーバーを誇る全国有数の進学校であること、これだけが確かに存在する事実だ。


「ふえぇ……君、めちゃくちゃ頭いいのね」

「そういうあなたは、どこの高校に通っているのですか?」

「あたしは……いや、答えたくない!」

「僕に答えさせたのに、あなたは答えてくれないのですか?」

「う……分かったわよ。西南高校ってトコ。どーせ優等生の君は知らないだろうけど」

「知っていますよ。あの偏差値38の学校ですよね」

「知ってるんかいっ! てゆーか悪かったわね、Fラン高校で!」

「いえ、悪くなどありませんよ。自分にあった学校を選ぶのは良いことだと思います」


 受験で変に背伸びをして自分に不釣り合いな学校を選ぶと、色々とうまくいかないことが起きて、かえって人生を不幸にしてしまう恐れがある。だから自分の能力に見合った学び舎を選ぶことは賢いことだ。


 そのように彼女を評価したつもりなのに、


「ふんっ、どーせあたしはFラン女子高生ですよ!」


 彼女は鼻息を荒立ててそっぽを向いてしまった。この人はどうして憤っているのだろう。心理学に精通している僕にも、彼女の言動は往往にして理解できない。あたかも小学生の頃——正確には小学生の年齢だった頃、車椅子に乗って一度だけ訪れたことのある動物園でニホンザルにいきなりキーキーと鳴き喚かれた時のことを思い出す。


 なるほど、そうか。分かった。彼女のことはサルだと思えばいいのだ。そうすれば彼女がどれほど理解不能な行為に及んでも納得できる。サルが相手ならば少しくらい会話が噛み合わなくたって仕方ない。


 僕はそのように自己解決し、彼女の不機嫌を受け入れることに成功したのだった。


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