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箱入り息子はサイコパス  作者: 広川ナオ
第1章 箱入り息子とFラン女子高生
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04 箱入り息子

 一般財団法人 天王(あもう)京都総合病院——


 それが僕の生まれ育った生家の名前である。


 施設名に《天王》という名を冠していることから分かるとおり、その病院を経営しているのは、我が一族が所有している《天王財閥》の財団法人である。


 天王財閥は我が国屈指の巨大企業グループだ。グループには子会社を含めて千を超える企業が所属しており、世界各地、あらゆる業界に進出している。現在は一族の現主人である天王将(あもう しょう)が総帥を勤めており、その跡取りが息子である僕、天王皇帝(あもう こうだい)だ。


 しかし幼少の頃の僕は、日常生活にさえ障害を来すほどの極度の虚弱体質だった。筋力が足りないせいで殆ど走ることもできず、熱帯地域の観葉植物みたいに気温20℃前後の環境でないとすぐに体調を崩してしまう。長く体を起こしていることも困難だったので、1日の半分以上を、幼い体にはあたかもキングサイズのような大きさのベッドの上で過ごした。


 結局、分娩室で産声を上げてから15年もの間、僕はずっと病棟という社会の中心にありながら隔絶された環境の中で育ってきた。学校には一度も通ったことがないし、当然、友達など作った経験もない。


 ただ学校に通ったことがないからといって、何も教養を培ってないわけではなかった。


 天王家の長男とは、将来我が国の経済を背負って立つことを期待された人間だ。

 そんな御曹司に英才教育を施すための工面に抜かりはなかった。一流の講師が毎日のように僕の病室を訪れ、いつか社会に出るにあたって必要な教養を授けてくれた。訪ねてくる者がいない代わりに、好きなだけ読むことのできた古今東西の書物が僕の親友だった。生まれ持っての知能指数が高かったおかげか、学校の勉強は教科書をパラパラとめくっているだけで容易く頭に入ったので、大学レベルの法学、経済学、心理学などの諸々の分野を独学で習得した。


 ゆえに今さら学校になど行かずとも、父の後継者になるために必要な素養を、僕は十分に満たしているはずだった。


 しかし父は、遅くに迎えた成長期によって徐々に虚弱体質を克服していった僕を高校に通わせた。

 

 書物を通して取り入れた知識だけでは意味がない。知識は経験を伴って初めて武器になる。それが父の意向だった。


 おそらくそれは真理なのだろう。料理のド素人が一流シェフの考案したレシピを頭に叩き込んだからといって、即座に三つ星級の味が実現できるようにはなるまい。他でもない僕自身も、この年頃になって初めて一人で買い物をした時やバスに乗った時には色々と要領を得ずに戸惑うこともあった。何事も実用できるようになるには、ただ知識だけを得るのではなく、それを実践することが不可欠なのだ。


 かくして父の勧めで、僕は全国でも屈指のエリート私立校である秀央学館を受験し、首席で合格した。


 


 それから進学のために初めて生まれ育った京都の病棟を出て、都内に引っ越してきてから1週間ほど経過した、4月6日の昼下がり。


 僕はこの春から在籍する秀央学館——ではなく、それと敷地を並べる日本有数の名門私立、秀央大学の学生食堂にいた。


 4人がけのテーブルに一人で座ってサンドイッチとサラダとヨーグルトを食べ、食後のブレイクタイムに音楽プレーヤーで適当な音楽でも聞きながら気軽にドイツ語の単語帳を眺めていると、


「よお、コーダイじゃん」


 ちょうど横を通り過ぎようとした長身痩躯の若者が、いかにも人当たりの良さそうな清々しい笑みを浮かべながら僕に声をかけてきた。僕は単語帳をテーブルに置き、ヒーリングミュージックが流れていたイヤホンを耳から外して、その青年に挨拶を返した。


「こんにちは、三成(みつなり)さん。今から昼食ですか?」

「ああ、今日の午後イチは空きコマなんでね」


 どんぶりの乗った盆を持った青年が笑うと、その後ろにいた明るい髪の女性が、


「三成さん。その子、知り合いですか?」


 と、砕けた口調で青年に尋ねた。青年は一度その女子学生と、もうひとり、隣にいた金髪の男子学生のほうを振り返った。


「ああ、君らにも紹介するよ。彼は天王皇帝くん。まだ高校生だけど、今年からうちのゼミに入ることになったんだ」


 青年が僕の身の上を明かしてくれたので、僕は立ち上がって無言で頭を下げるだけの挨拶に留めた。


「コーダイにも。この二人は俺の後輩の岡鼠姫(おか ねずき)と、川瀬怜斗(かわせ れいと)。二人とも商学部の3年で、うちのゼミ生だ」


 青年の紹介に合わせて、二人の男女は「どーも」「よろしくー」と軽い調子で挨拶してきた。外見も中身も、いかにも流行りが好きそうな最近の若者という印象だ。僕とは育ちも文化も相異なるのだろうが、青年と同じゼミ生ということなので、ここは折り目高に挨拶を返しておく。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 如何せん、今後僕は彼らの後輩になるわけだから。


 今日から高校生になったばかりの僕がなぜ大学のキャンパスにいるかというと、ここで教授を務めている長村修(おさむら おさむ)という先生のゼミに所属するからだ。


 父が大学時代に長村教授と同期だったようで、その所縁で息子の僕を紹介してくれたのだ。もちろん正式な学生として在籍するわけではない。日本にも飛び級という制度がないわけではないが、残念ながらこの大学はそういった制度を認めていなかった。

 しかし、外部生でも認可を受ければ大学の資料やデータベースにはアクセスできるので、学業をしていく上ではさしたる問題はない。なのでこれからは高校よりも大学での研究活動をメインにしていくつもりだ。


 ちなみに今僕に話しかけてきた青年とはすでに面識があった。先日ゼミの教授である長村先生のところへ挨拶をしに行ったときに一度顔を合わせた。名前は徳川三成(とくがわ みつなり)。現在は修士課程の2年生で、同じく長村ゼミに所属している。ちなみに生まれは関ヶ原ではない、というのは彼自身が言ったジョークだ。


 その三成さんに相席して良いかと尋ねられたので、僕は快く頷いて彼らと4人掛けの卓を囲んだ。


「そういえばコーダイ、今日の午前中は入学式だったんだよな」


 向かいの席に座る三成さんから掛けられた言葉を肯定すると、僕の隣で淡白な冷やしうどんを食べていた岡さんが化粧っ気のある目を丸くした。


「なあに? 天王くんってまだ高校1年生なの?」


 彼女がやたらと顔を迫らせてくるので、僕は背筋を立てるフリをして距離を取りながら「はい」と答えた。


「へー、それなのにもうウチのゼミに入ってるんだ! すごいね! しかもドイツ語なんて勉強しちゃってるし」

「これは遊びみたいなものですよ」


 そう言いつつ、僕はテーブルの端に寄せていた単語帳をカバンの中に戻した。この程度のことで感激されてもリアクションに困るだけだ。


「それでわざわざウチの研究室に入るってことは、もう何を研究するかとか決めてんの?」


 続いて問いかけてきたのは斜向かいに座る川瀬さんだった。


「いいえ、まだ具体的には。皆さんは、何を研究されているんですか?」

「いや、まあ俺ら卒論は来年だし、まだ研究ってほどのことはしてねーけど……」


 同じ趣旨の質問を返したのに、川瀬さんは歯切れの悪い切り出しで答え始めた。見た目通りというべきか、どうやらそれほど学業に熱心なタイプの学生ではないらしい。


 まあ世間では大学卒業というのは社会に出るための通過儀礼みたいなものだと考えられている節があるし、好きでもないなら本気で取り組む必要はない。手を抜いても構わない事柄に対して手を抜くという生き方は、僕も概ね賛成だ。


「今は一応、こいつと一緒に国際金融の勉強をしてるよ」


 川瀬さんはそう言って向かいに座る岡さんを親指で指した。岡さんもニコニコしながら相槌を打っている。わざわざ〝一緒に〟などと言うあたり、二人は特別な間柄なのかもしれない。


 他人の恋愛関係に心底興味のない僕は、この中で一番馬が合いそうな相手に話を振った。


「三成さんはたしかデジタルマーケティングが専門だとおっしゃっていましたね」

「ああ、よく覚えてたな」


 先日教授の元へ挨拶しに行った時に、ちらりと小耳に挟んだ話だった。


「一口にデジタルマーケティングといっても、現代の情報社会では様々な形がありますよね。

 三成さんは具体的にどんなことを研究なさっているのですか?」

「そうだなー、まあ色々やってるけど、最近のテーマはやっぱり〝ウィーチューブ〟だな」

「ウィーチューブ、ですか?」


 ウィーチューブ……

 その単語に関することでつい最近やたらと印象に残る出来事があったせいか、思いがけず語気を強めて反応してしまった。


「ああ、修論もそれで進めていくつもりさ。ひょっとしてコーダイも興味あるのかい?」

「いいえ、別に……その手の娯楽とはあまり縁がなかったので」


 ああいった動画共有サービスとは、個人が自分の遊びや趣味、特技を披露したりするのに使われるものだろう。現在巷で流行っているSNSの動画版といった印象がある。SNSに関してもそうだが、僕はそうやって他人の娯楽を一方的に観察することには基本的に興味がない。人との関係は双方向のコミュニケーションがあって初めて趣深く、利になるものだと考えているからだ。


「はいはーい、俺は詳しいッスよ、ウィーチューブ!」


 わざわざ挙手までするお調子者の金髪男子学生に、三成さんは「お前はただ観ているだけだろ」と兄貴らしい突っ込みをしてから僕のほうを向いた。


「まあそういう娯楽っぽい要素が強いのも確かだけど、ビジネスにおいても今やウィーチューブは世界最大級の市場だよ。動画を使ったコンテンツを配信したり、商品を宣伝したり。ネットさえ繋がっていればどこでも観られるし、考え様によってはテレビよりもフレキシブルで大衆ビジネスに向いているとも言える」

「へえ、そうなのですか」


 僕は三成さんの話に素直に聞き入っていた。彼の話は客観的事実と自らの考察が程よくブレンドされていて、聞き手としてもたいへん興味をそそられる。彼とは知的で利のある会話が楽しめそうだ。やはり交流を持つべき相手はこういう人物に限る。


「まあ意識高そうなこと言って、結局俺も好きな実況者のゲーム配信とかばっかり観てるんだけどな」


 彼は自身の話に自虐的なオチをつけて後輩たちを愉快に笑わせ、その朗らかな眼差しをそのまま僕に向けてきた。


「コーダイも試しに観てみたらいいさ。さっき勉強してたドイツ語も、検索すればいくらでも講座みたいな動画が出てくると思うから」


 三成さんの勧めに、僕は首を縦に振った。


 彼の話し方が巧妙だったおかげでもあるが、この時の会話が、僕がウィーチューブという昨今世間で大人気の動画共有サービスに遅れながら興味を持つきっかけになった。

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