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箱入り息子はサイコパス  作者: 広川ナオ
第1章 箱入り息子とFラン女子高生
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01 突撃少女

 それは僕が高校進学のため東京都杉並区に引っ越してから3日目の出来事だった。


 入学前に野暮用を済ませるためにキャンパスのある新宿まで出掛けた、その帰り道。


 自宅の前の通りを下っていると、道の反対側からガラガラと大胆に窓を開く音が聞こえた。別に何を思ったわけでもなく、僕はただ音に釣られてそちらに顔を上げた。


 すると同時に、向かいの家の2階の開いた窓から住人らしき女性が顔を出した。


 なんだか奇妙な格好をした女性だ。家の中だというのに、動物をデザインしたようなマスクとカチューシャを着けている。あれは猫に扮しているつもりなのだろうか。


 その女性はヘンテコなコスチュームを身につけたまま、ぬくぬくとした午後の日差しに向かって気持ちよさそうに体を伸ばした。


 あまりにも奇怪な光景に、僕は迂闊にも足を止めて見入ってしまった。人間を見ているという感覚はなく、ただ珍しいものを見つけたという興味に意識を捉われていた。


 直後、その女性の視線がこちらを向いた。そして道の真ん中に突っ立っている僕を視認するや否や、本物の猫のように大きな瞳がギョッと音のするくらいの勢いでさらに大きく見開かれた。


 おっと、これはいけない。他人の家を余所から眺めるくらいなら何も問題はないが、あまりジロジロと見つめていると場合によっては軽犯罪法に抵触する恐れがある。気をつけなくては。


 僕は何事もなかったように視線を水平に戻し、反対側にある自宅の正門を潜った。


 最新鋭の静脈認証式のドアを解錠し、玄関で脱いだ靴をきちんと整えて下駄箱に仕舞う。


 だがその時、ピンポーンとインターホンの鳴る音が家の中に響いた。


 振り返ってみると、先ほど閉めたばかりの玄関扉の向こうに人影が見えた。


 誰だろうと思いつつも、僕はそれを無視し、廊下を進んだ。すぐに奥の洗面室から家政婦の北林さんが姿を現した。


「あら、お坊っちゃま、お帰りなさい」

「ただいま、北林さん」


 僕の母親より少し若いくらいの年齢である北林さんは、僕に早口で挨拶とお辞儀をしてから「すみません」と言って僕の前を横切ってインターホンのあるリビングへと向かった。基本的に来客があった時は、このように家政婦の北林さんが対応してくれることになっている。


 来客のことは北林さんに任せ、僕は洗面室で手洗いとうがいを済ませてから2階の自室に上がろうとした。しかし階段に向かおうとする僕を、インターホンの受話器を持った北林さんが神妙な面持ちで呼び止めてきた。


「あの……お坊っちゃま。たった今、お坊っちゃまのお知り合いという方がお見えになったのですが……」

「知り合い? 僕の?」


 不審がる北林さんに、僕も疑問で返してしまった。


「ええ、当人がそうおっしゃるものでして……」


 僕がこの街に引っ越して来てからまだ3日だ。入学式は来週だから高校の学友はいないし、それ以前の知り合いには僕に無断で会いに来るような人はいないはずである。ゆえに僕も自分の知り合いを名乗るような人物にはまったく心当たりがなかった。

 

 とはいえ、来客の顔も名前も確かめずに門前払いするのはどうだろうか。ひょっとしたら僕が思い出せないというだけで、本当にちゃんとした知り合いなのかもしれない。とりあえず顔くらいは確認しておいたほうが無難だろう。


「わかりました。北林さんは下がってください」


 心配そうな眼差しをしながらも小さく一礼し、リビングへと戻っていく北林さんを見届けてから、僕はひとりで玄関へと向かい、ゆっくりと扉を開いた。


 すると目の前には、無地のTシャツとジャージのズボンを身につけ、長く明るい色の髪をボサボサに乱した若い女性が、呼吸を荒くしながら只ならぬ形相で立っていた。


「やっと出てきたわね、あんた……」


 只ならぬのは形相だけではなかった。いきなり仇にでも出くわしたかのような一声に、僕としたことが挨拶という初歩的な礼儀すらも失念し、つい尋ねてしまった。


「えっと……どちら様ですか?」


 僕は記憶力にはそれなりの自信があるし、これまでに出会った人間の数も少ないので、その気になれば知り合いを一人ひとり指折り数え上げていくこともできる。そんな僕の脳内データベースの中に、こんな野蛮な女性は確実に含まれていなかった。


「はあ? なに言ってんの? あんた、さっきあたしのこと見てたじゃん!」


 はて、さっきとは……ああ、ひょっとして向かいの家の窓から顔を覗かせていた、あの猫耳マスクの人か。

 言われてみれば、目元と髪の感じが似ているような気がする。


「はあ……たしかに見ましたけど、あなた、先ほどは僕の知り合いだと言ったそうですね」

「そうよ! あたしはあんたの顔を覚えてたし、あんたもあたしの顔は覚えてたんでしょ? それならもう互いに知り合ってるじゃない!」


 なんという極論だ。確かに知り合いという言葉の定義は曖昧だし、互いに何かひとつの要素でも認識し合っていたならば、それはもう〝知り合い〟と呼べるかもしない。

 だが、あのとき僕はこの人の顔をはっきりと見たわけではない。マスクにメイクに猫耳と、あれだけ大胆な変装をしていれば、こちらからしたら素顔など分かったものではない。この人はその点に考えが至ってないのだろうか。


 ……まあそんなことはどうでもいいか。


 〝知り合い〟かどうかはさて置いて、僕とこの女性がまったくの無関係でないということだけは一応了承してやることにした。


「わかりました。それで、僕に何の用ですか?」


 早めにお引き取り願おうと手短に用向きを尋ねると、女性はジャージのポケットからキラキラにデコレーションされたスマホを取り出し、出し抜けに僕の眼前へと突きつけてきた。


「用もなにも、あんた、あたしの正体を見たのよね? ならあたしもあんたの弱みを握ってやるわ!」


 正体? なんのことだ。

 あの時のヘンテコマスクが、彼女にとって何か重要な秘密なのだろうか。


 ――なんてことを考えているうちに、女性は僕の横をすり抜けて勝手に家に上がろうとしていた。


「誰も入っていいと言っていませんが?」


 通り道を塞いでやると、彼女は互いの鼻先が当たってしまいそうなほどの至近距離から睨みつけてきた。


「なによ? あんた、さっきあたしの部屋を覗いてたわよね? ピッチピチの女子高生の部屋を!」

「覗いたわけではありません。自分の家に帰ろうとしていたところで窓を開ける音が聞こえたので、気になって見たら偶然あなたと目が合っただけです」

「帰ろうとしてたぁ? その割にはあんた、さっきあたしの家の前で思いっきり立ち止まってたじゃない!」


 ……やれやれ、迷惑な隣人だ。何がなんでも僕に責任を追求したいらしい。

 まあ仮に警察に通報されても僕が犯罪者扱いされることはないだろうが、こんなつまらない問題に時間を割かれるのも馬鹿馬鹿しい。それなら今日のところは彼女に僕の部屋を見せてやり、満足して帰ってもらったほうが合理的か。


「分かりました。ただし5分だけです」


 条件を突きつけてやると、彼女は「望むところよ!」と啖呵を切って我が新居に踏み込んできた。




 この土壇場劇こそが、僕と彼女――緑川エリカとの初めての出会いだった。

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