12 いきなり〝そいつ〟呼ばわりですか?
翌週の土曜日、僕はエリカさんとの約束どおり、西南高校の《卯月祭》に足を運んだ。
4月のうちに文化祭とは随分と時期が早いと思っていたが、どうやらこの学校には学祭というものが年に二度あるらしい。本物の文化祭はうちの高校と同じく10月に催されるらしく、今日行われている《卯月祭》というのは、入学したばかりの新入生を歓迎するという意味合いも含んでいるそうだ。
宴もたけなわとなる昼下がりに《卯月祭》と書かれた校門を通った僕は、早くもわちゃわちゃとした空間に、熱気に当てられたような気怠さを感じていた。
ただの歓迎祭というわりにしっかりと準備されている出店の周りでは、制服をだらしなく着こなした同年代の男女数名のグループが傍若無人とばかりに大きな声で談笑している。近く体育館では吹奏楽部がアンサンブルをしているらしいが、それ以上に衆人の馬鹿騒ぎのほうがやかましく聞こえてくる。
まったく何なのだ、ここは。どこも彼処もギャーギャーワーワーと騒がしすぎる。高校の学園祭を訪れたつもりが、間違えて動物園のサル山にでも迷い込んでしまったのか。
このような落ち着かない場所、一刻も早く立ち去りたかったが、あいにく今はそういうわけにもいかない。僕は今からエリカさんの教室で営まれている食堂へ行き、タピオカジュースなるものを一杯注文する約束をしている。人との契約は破ってはいけない。他人に信用を預けた以上、それを故意に損なうのは悪の所行だ。
それに彼女が言っていた〝社会勉強〟というのも満更方便ではない。僕は天王家の嫡男として、将来は巨大企業グループを率いていくことを求められている。そうなれば当然ここにいるような人たちをターゲットとした仕事をする機会も訪れるだろう。商業においてターゲットのニーズを正しく分析するには、様々な人間の嗜好、習慣、感性がしっかりと理解できるようでなくてはならない。いかに自分と文化が違う人間であっても、その人たちの文化や価値観に触れることは、経営者の跡取りとして避けられない修行なのだ。
だからエリカさんの教室に向かう道中、僕は積極的に周囲を観察した。たとえ嫌いなことであっても、ちゃんと目的を持って積極的に取り組もうとする志があれば苦にはならないものだ。
程なくして彼女に指示されていたとおり2階の端の教室に到着し、《タピオカドリンク店》と書かれた看板の立つ入り口の手前から中を覗いていると、
「あっ、コーダイだ!」
制服のワイシャツに花柄の黄色いエプロンを身につけたエリカさんが、僕を見かけて近寄ってきた。
「いらっしゃい! 来てくれてありがとう!」
「いいえ、約束ですから」
「相変わらずつれないなあ。まあいいや、こっちこっち!」
一応ここはお店で、エリカさんは店員で、僕は来客のはずなのだが、彼女はあたかも友達を連れ歩くように僕の腕を引っ張りながら店内に引き込んだ。喫茶店っぽく装飾された教室の窓側のテーブル席に座らされ、目の前に黒い物体が混入したドリンクの写真がいくつか掲載されたメニュー表が差し出される。
「ご注文は何にしますかあ?」
ようやく店員らしい言葉遣いで尋ねてきたエリカさんに、僕はメニュー表を手に取りながら聞き返す。
「こういうのはあまり馴染みがないのですけど、何かオススメはありますか?」
「あらホント? そうねー……ならシンプルにキャラメルミルクなんかがいいかも」
「では、それをお願いします」
「かしこまりました、ご主人様!」
ここはどういうコンセプトの喫茶店なのだろう、という疑問を僕に植え付けたエリカさんは、メニュー表を下げて教室前方の調理カウンターに戻ろうとした。
だがそこで、白いワイシャツを着た男子生徒が後ろから彼女を呼び止めた。
「おい、緑川。そいつ誰だ?」
あまり機嫌がよくないのか、その男子の心なしか尖った声音が僕の耳にも届いた。
「ああ、宮沢。えっと、この子はそのォ……」
こういうこともあろうかと、僕との関係を知人に尋ねられた時は従兄弟だと説明してほしいと事前にエリカさんには伝えておいたのだが、どうやら慌てたせいで思考がパニックになってしまっているらしい。仕方ないから助け舟を出してやろうかと思ったが、その前に、僕は彼女の前にいる茶髪のクラスメイトに対して言ってやらなければならないことがあった。
「初対面の客をいきなり〝そいつ〟呼ばわりですか?」
無作法を指摘してやると、宮沢と呼ばれたその男子生徒は「えっ」と目を丸くしながら席に座る僕を見下ろしていた。
なんだ、その「えっ」というのは。僕の指摘が正しいと思うなら素直に受け止めるべきだし、間違っていると思うなら反論すればいい。なのに、なぜこの人はそのどちらを取るでもなく、戸惑うような態度を見せるのだ。まさか指摘されたこと自体に疑問を抱いているというのか。
無言のまま視線をあちこちへ泳がせる彼をしばし観察していると、
「あーあー、ごめんごめん! この子、あたしの従兄弟なんだ!」
エリカさんが僕たちの間に割って入り、同級生のほうを見ながら愛嬌を振りまくように言った。それから僕の腕を再び掴み、「ちょっと出よ」と小声で言って僕を席から立たせた。
「ごめん宮沢! あたし、今からこの子に学校を案内してくるから、少しの間シフト代わって!」
「え……ああ、別に構わねーけど」
惚けたような声で頷いたクラスメイトに彼女はもう一度「ごめんね!」と言って、僕を連れて教室を出た。
教室の前のロッカーにエプロンを仕舞い、ベージュの学生服の上着を羽織ったエリカさんと、僕は並んで校内を歩き始めた。
「はあー、ヒヤヒヤしたあ」
「何を狼狽えているのですか?」
「さっきのことよ! いきなりあんなこと言い出すんだもん! 君ってやっぱりサイコパスだよね!」
「僕はただ彼の無作法を指摘しただけです。僕は気にしませんが、他の客にあのような態度を取っていては、あなたの店の評判に傷がつくでしょう」
「そうかもしれないけどさあ、だからってもうちょっと言い方ってもんが……」
そこでエリカさんは言いかけていた言葉を止めた。どうやらここで会話を続けても、また水掛け論になることを学んだらしい。彼女が主張を取り下げるなら、僕からも何も言い返すことはない。
「それより、店の仕事は良かったのですか? 先ほどはあの男子生徒にシフトを押し付けていたように見えましたが」
「え……あー、いいのいいの。あいつ、あたしのこと好きだから」
「好き、というと?」
「あたし、あいつに告られたことあるのよ」
告られたというのは、いわゆる求愛のことだろうか。
「その言い方だと、あなたは彼の求愛を断ったのですか?」
「まあね。別にあいつのこと嫌いじゃないし、なんなら付き合っても良かったくらいだけど」
「アイドルとしてのプロ意識、というやつですか?」
「それもあるけど、本当に心の底から付き合いたいって思える相手とじゃなきゃ、なんか違うかなーって気がしてさ」
「それはそうでしょうね」
珍しくエリカさんの意見に僕は同意する。
とはいえ告白は拒んだくせに、相手の恋愛感情だけを利用して仕事を押し付けるとは、とんだ悪女ではないか。まあエリカさんと彼との仲がどうなろうと僕の知ったことではないが。
「コーダイは? カノジョとかいないの?」
「いませんし、作る予定もありません」
僕にはいずれ天王家の跡取りとして相応の女性との見合い話が舞い込んでくるだろう。その中から、人生のパートナーとして相応しい、自分に合った女性を探せばいい。高校時代の恋愛なんて子どもの水遊びと同じで、ただの娯楽でしかないのだから。
「やっぱり、そうだと思ったわ」
ただその言い方はちょっと失礼ではないだろうか。
「ふふ、それならあたしと一緒に歩いていても安心ね」
別に僕のほうは誰に見られようが一向に問題ないし、そもそもこのような場所で顔見知りに出会すはずもないのだが、詮無いことは言わずに彼女の笑みに対して「はい」とだけ頷いた。




