魔女は手強い女と出会う
夜、帰宅したアロイスは、ユースディアのもとへとやってくる。
「ディア、ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
その言葉を聞いたアロイスは、ひとり感激する。
「妻に迎えられるというのは、すばらしいものですね」
「はいはい」
そのまま長椅子に座るものだと思っていたが、アロイスはユースディアの前に片膝をつく。そして、深々と頭を垂れた。
「な、なんなの、突然!?」
「ありがとうございました」
「何が?」
「昼間、呪いの発作が起きて、すぐさまスクロールを使わせて戴きました。即座に、呪いを封じることができたのです」
「ああ、そのことね」
無事、スクロールは効果を発揮したようだ。
「毎日毎日、いつ呪いの発作が現れるか、どれだけの時間続くか、不安な日々を過ごしていました。仕事の途中で突然現れるので、職場の仲間にも迷惑をかけていると、気がかりでもあったのです。しかし、その悩みもディアが作ったスクロールが解決してくれました」
敬意の印として、指先に口づけをさせてくれと乞われる。
「まあ、好きにしたら」
「ありがとうございます」
アロイスは恭しくユースディアの手を取り、指先にそっと口づけした。
その瞬間、胸がきゅっと締めつけられるような、不思議な感覚を味わう。
それはロマンス小説でヒロインがヒーローに対して、胸をときめかせている場面に感じるようなものであった。
このままではいけないと思い、ユースディアはすぐさま手を引き抜く。
アロイスは蜂蜜のように甘い微笑みを浮かべていた。
彼が長椅子に腰かけると、ユースディアも平常心を取り戻した。顔のいい男は、傍にいると不整脈を発生させる存在なのだろう。非常に危険だ。なるべく離れておかなければと、自らに言い聞かせるユースディアであった。
「今日も、フェルマー卿はやってきたのですか?」
「ええ。王女様からの、贈り物を持ってね」
ちなみに、王女への手紙は侍女に書かせた。返礼品も、ついでに頼んでおく。午後には、王女が住まう王宮に届けられたという。
貴人への手紙の書き方なんて知らない。見当違いの手紙でも送ったら、喜んで責め立ててくるに決まっている。どうしようか考えていたら、ロマンス小説の女主人が侍女に代筆を頼むシーンを思い出した。それに倣い、頼んでみたのだ。侍女は快く引き受けてくれた。失礼にならない内容の手紙やお返しを送ってくれたことだろう。
「王女殿下が、贈り物を……。いったい、何を賜ったのですか?」
「それは――」
ここでアロイスに大ネズミの死骸が贈られたと報告したら、抗議してくれるだろう。
しかし、貰った大ネズミの死骸は、ユースディアにとって非常に有用な品であった。この先貰えるならば、喜んで受け取るだろう。そのため、アロイスに正確な情報は告げなかった。
「非常にすばらしい品を、いただいたわ」
「そう、でしたか」
アロイスはそれ以上追求しなかった。ユースディアはリリィがやってきたことを報告する。
「リリィ……困った娘です」
「次回からは、喧嘩をふっかけてくることもなくなると思うわ」
「どうしてですか?」
「ムクムクをたいそう気に入った様子だったの。私なんて、眼中になかったわ」
「そう、だったのですね」
アロイスは丁寧に、ムクムクにも謝罪していた。こういうところが、律儀な男なのである。
「あとは、義姉ですね。今日、やってくると思っていたのですが」
「家庭招待会の日だったから、他の家に訪問していたんじゃない?」
「ああ、なるほど」
近日中には姿を現すだろう。おそらく、アロイスを取り巻く女性の中で、テレージアに続く強力な相手だ。絶対に、隙を見せてはいけない。
「義姉には、息子がいるのですが――」
ヨハンという、天真爛漫な六歳の少年らしい。兄レオンの幼少期にそっくりで、あの厳格なテレージアも彼ばかりは溺愛しているという。
「あの子は、心優しい子です。もし会う機会があれば、仲良くしていただけると、嬉しいです」
「子ども、あまり得意じゃないんだけれど」
「すみません、無理を言いました」
アロイスがわかりやすくしょんぼりするので、言葉を付け加える。
「別に、嫌いなわけじゃないの。何を話していいのか、わからないだけで」
「そうでしたか。ヨハンはお喋りなので、話し相手になっていただけると、嬉しいです」
「ええ。気が向いたら、相手をしてあげるわ」
「ありがとうございます」
ここで、アロイスと別れる。「おやすみなさい」という言葉に、ユースディアは照れながら「おやすみなさい」と返したのだった。
◇◇◇
朝の恒例となった、オスカー訪問の時間となる。
本日も、包装された贈り物を持って現れた。
「毎日贈り物を賜るなんて、なんだか悪いわ」
「これは、王女様のお気持ちだ。受け取らないと、不敬になるぞ」
「はいはい。ありがとうございました」
今日はずっしりと重い。気合いの入った何かが、詰め込まれているのだろう。いったい何を用意してくれたのか、楽しみである。
「じゃあ、これにて解散」
「おい、日に日に、対応が雑になっていないか?」
「礼儀を知らないもので。よろしかったら、この贈り物を、一緒に見る?」
「断る!」
オスカーは立ち上がり、「覚えていろよ」と叫んで、部屋から去って行った。
静かになった部屋で、王女からの贈り物を開封する。ムクムクは贈り物が恐ろしいのか、今日もクッションの下に隠れていた。
リボンを取り、丁寧になされた包装を剥ぐ。蓋を開いたら、箱の中にびっしりと土が詰まっていた。
「え、何これ。土?」
『ご、ご主人、土の中に、何か入っているのでは?』
「ああ、なるほど」
ティースプーンで掘り返すと、ミミズがひょっこり顔を覗かせる。
「やだ、ミミズじゃない」
一匹や二匹どころではない。土の中にぎっしりと、ミミズが入っていたのだ。
「ここまで集めるの、大変だったはずよ。森の中でも、これだけのミミズを探すのは、大変だもの」
ありがたく、いただくことにした。
というのも、闇魔法にはミミズを使って発動させる魔法があるのだ。
驚くなかれ。生きたミミズで魔法陣を作るのだ。うごうご動くミミズで魔法陣を形作るのは、至極難しい。なぜ、このような闇魔法を作ったのか、かつての魔法使いに聞いてみたい。
オスカーが無事撤退したので、今日こそ二度寝をしよう。そう思っていたのに、侍女から最低最悪の報告を耳にする。
「フリーダ様が、いらっしゃったようです」
アロイスの義姉――フリーダ。ここ数日、もっとも警戒していた相手だ。
正直者なので、顔が引きつってしまう。侍女はそれに対して反応せず、「いかがなさいますか?」と尋ねてきた。
会わないわけにはいかないだろう。
もしかしたら、リリィのように小動物が好きかもしれない。連れて行こうと思ったが、どこを探しても見つからなかった。
「ムクムク、出てきなさい! 一緒に行くわよ!」
『嫌ですう。絶対、怖いですもん!』
どこからともなく、声が聞こえた。絶対怖い。その点には、激しく同意である。
仕方がないので、ムクムクは私室に置いて、フリーダが待つ客間を目指した。
一歩、一歩と、足取りが重たい。アロイスに心を寄せるフリーダは、いったいどんな人物なのか。
現在、三十歳で、夫を亡くしたばかり。喪中であるにもかかわらず、アロイスに色目を使っているという。そのため、公爵家最強の女テレージアに家を追い出された。離れを与えているので、血も涙もない悪魔というわけではないのだろう。
アロイスに色目を使っていたということは、彼の妻の座を狙っていたのだろう。とんでもない策略家である。
ちなみに、ヨハンは乳母と侍女に任せて、夜な夜な遊び回っているという話も耳にした。
聞いた話をまとめると、フリーダという女性は自分さえよければそれでいいという考えのもとに動いているように思える。
と、これまでさまざまな話を聞いていたが、どれも他人から聞いた話である。ユースディアは話半分に聞いており、フリーダという人物がどうであるかは自分で見て、話して判断するつもりであった。
実際に会ったフリーダは――豪奢な深紅の髪に、切れ長の瞳、勝ち気な口元に、胸が大きく開いたドレスをまとった、想像通りの派手な美人であった。
今年で三十だと聞いたが、二十五歳のユースディアとさほど変わらない外見をしている。
フリーダはユースディアを、嘲り笑うような表情で見た。
「あんたが、アロイスをたぶらかした、どこの誰かもわからない女だね」
「ええ、そうよ」
思いがけない返答だったのだろう。フリーダは片眉をピンと上げ、鋭い目でユースディアを見つめる。
目と目が合った瞬間、緊張が走る。
まだ、多くの言葉を交わしていないが、互いに、「この女とは打ち解けることは不可能だ」と確信する。こういうときに働く、女の勘は確かなのだ。
ピリピリと、空気が震える。部屋の端で紅茶の用意をしていたメイドは、ガクブルと震えていた。
聞いていた噂話のほとんどは、真実だったのだろう。フリーダは、強い感情を隠そうとしない。真っ向から、悪意をぶつけてくるタイプの悪女なのだ。
フリーダは不躾な視線を、ユースディアにこれでもかと浴びせていた。アロイスの心を射止めた女が、どんなスペックを有しているのか、調べているのだろう。正直に言えば、不快である。
「あんた、そんなところに突っ立ってないで、座ったら?」
まるで、女主人のような口ぶりで、ユースディアに椅子を勧めた。このまま座るのは癪なので、ユースディアは腕を組んでフリーダを見下ろす。
「ふふ。礼儀を知らないようだね。このあたしが座れ、と命令したんだよ」
「私はあなたを見下ろしたいから、このままでいるわ。そういう気分なの」
堂々と答えると、フリーダは顔を歪ませる。勝った、と心の中で思った。
「まあ、いいわ。好きにしな」
「ねえ、せっかくだから、自己紹介しましょうよ。私は、“アロイスの妻”の、ディアよ」
わざと、アロイスの妻、という言葉は強調させておいた。途端に、フリーダが悔しそうな表情を浮かべる。
「あたしは、フリーダ。夫が死んでからは、このあたしが朝も昼も夜も、アロイスを支えていたんだ」
フリーダは逆に、夜の支えを強調していた。馬鹿馬鹿しい張り合いをしてしまった、とユースディアは内心反省する。
「今日は、あんたに提案があって」
「何かしら?」
フリーダは従えていた侍女に、視線で合図する。テーブルの上に、旅行鞄が置かれた。
このままこれを持って出ていけと言いたいのか。
開かれた鞄には、みっちりと紙幣が詰め込まれていた。
「あんたにこれをあげるから、アロイスと今すぐ離縁してちょうだい」
「まあ、すてきな提案!」
思わず、率直な感想を口にしてしまった。すると、フリーダが勝ち誇ったように言う。
「やっぱり、あんたは財産目当てでアロイスと結婚したんだね!」
「逆に聞くけれど、貴族の結婚に打算以外の目的があるわけ?」
貴族にとっての結婚とは、愛が伴うものではない。家と家の繋がりを強くするという、政治的な意味合いが大きいのだ。
ユースディアの質問に、フリーダは何も答えられなかった。親指の爪を噛み、ジロリとユースディアを睨みつけている。
瞳の奥に滾るギラギラしたものは、ユースディアの中にもある。
ユースディアとフリーダは、根本的な性質がよく似ているのだろう。
ただ、執着するものがそれぞれ異なっていた。
フリーダは、アロイスの気を引くことに命をかけているようだった。その目的が愛なのか、それとも公爵家の財産なのかは謎である。
一方で、ユースディアは金稼ぎに命をかけている。愛なんて、信じていない。困った時に助けてくれるのは、人の優しさではなく金なのだ。
「ねえ、フリーダ。私達、相性が最悪だわ。もう、関わらないほうがいいと思うの」
「だったら、あんたがここを出て行きなよ!」
フリーダは鞄の中の紙幣の束を掴んで、ユースディアに投げつけた。
ハラハラと、雪降るように紙幣が舞う。
最低最悪の行為であったが、ユースディアは悪い気はしなかった。なんせ、ぶつかったのは大好きな金である。
札束だったら、頬を叩かれてもいいと思うタイプなのだ。
「いったい、あんたは何を考えているっていうの? 心底、気味が悪い」
「それはフリーダ、お互い様でしょう? まったく同じ言葉を、お返しするわ」
ユースディアの言葉に何も返さず、フリーダは立ち上がる。そのまま、挨拶もなしに出て行った。
侍女が、ユースディアの周囲に散らばっていた紙幣を回収し、鞄に詰めて持ち去った。
なんとなく、投げつけられた紙幣は貰ってもいいのかも、なんて考えていた。だが、現実は厳しいものであった。