魔女は王女から贈り物を賜る
アロイスは忙しい日々を過ごしているようだ。帰宅したのは、日付が変わるような時間帯である。
それまで帰りを待ち構えていたユースディアを前に、アロイスは申し訳なさそうに謝罪してきた。
「すみません。まさか、ディアが待っているとは思わずに」
「気にしないで。もともと夜型人間だから」
夜にしか魔法が使えない魔女は、昼間に眠り夜の活動に重きを置いている。むしろ、ユースディアにとっては、これから一日が始まるという勢いであった。
「あなたの帰りを待っていたのは、これを渡すためよ」
王女からの手紙を見たアロイスは、目を極限まで見開いて驚いているようだった。
「なぜ、これをディアが?」
「王女様の騎士、フェルマー卿が私からあなたに渡すように、持ってきたのよ」
「なんてことを!」
アロイスはユースディアの前に片膝をつき、「お手数おかけしました」と言って頭を垂れる。
「ちょっと、そこまでしなくてもいいわよ」
「しかし、私宛の手紙をわざわざディアに渡すなど、過ぎた行動です」
王女はアロイスと結婚したユースディアに嫉妬し、牽制の意味を込めて騎士に命じたのかもしれない。王女は今年で十七歳だと聞いていたが、やっていることはいっちょ前に女である。
「おそらく明日も、同じように訪問するかもしれません」
出勤時間をずらし、オスカーに注意するという。けれど、ユースディアは必要ないと言い切った。
「別にいいわ。騎士の相手くらい、できるから」
「しかし」
「あなたは、王太子にお仕えする身なのでしょう? 家の事情で、仕事を空けるなんて、あってはならないことよ」
「それは、確かにそうですが」
納得いかない、という文字が顔に書いてあるような気がした。アロイスのせいで、ユースディアに迷惑がかかると思っているのだろう。
「私は、あなたに守られるお姫様じゃないの。言わせてもらうけれど、最初から立場は対等よ。どちらが強いからとか、弱いからとか、そういうのはなくて、困ったことがあれば、助け合うの。それを、わかっていないようね」
「ディア……!」
アロイスの瞳に、きらりと光が宿った。
「私が、妻という存在について、勘違いしておりました。夫婦の立場は対等――なんて、すばらしい言葉なのでしょうか!」
これまでアロイスは、妻とは夫なる存在が守らなければならない存在だと考えていたようだ。
「ディア……あなたという存在が、とても、尊い」
「おおげさね」
これまで、アロイスと対等な立場となる存在がいなかったのかもしれない。これからは、ユースディアがいる。彼の命が尽きる瞬間まで、隣に立ち続けよう。それが、ユースディアにできる唯一のことである。
「女性関係で、ご迷惑をおかけしますが」
「いいわ。あまり、気にしないでちょうだい。これでも、無駄に二十年以上生きているわけではないから」
ふと思う。現在、アロイスはいくつなのか、と。二十代半ばから、後半くらいだろうとユースディアは思っていたが実年齢は知らない。自らの年齢を言ったついでに、質問してみた。
「そういえばあなた、いくつなの?」
「私ですか? 二十三になります」
ヒッ! と悲鳴を上げそうになったが、喉から出る寸前で呑み込んだ。
落ち着いているので、ユースディアよりも年上だと思い込んでいた。まさかの、年下である。
「意外と、若かったのね」
「よく言われます」
ユースディアの実年齢について触れない辺り、アロイスは実に紳士的な男だと思った。
女性の年齢については、センシティブな問題なのだ。
◇◇◇
朝になれば、日が昇る。
今日も侍女達から美しいドレスを着せられ、鏡の前でしばし感激するという時間を過ごす。
そのあとは、王女付きの騎士オスカーを迎えた。
本日は手紙の他に、贈り物もあった。
「これらは、王女様から公爵夫人へ、結婚祝いだ」
「ふうん」
丁寧に包装され、リボンまで結ばれていた。夫婦への贈り物ではなく、ユースディアにという点から、怪しさしか感じない。
「ありがとう。夜、夫が戻ってきたら、一緒に開封させていただくわ」
「ま、待て。それは、公爵夫人に贈った品だ! 頼むから、一人で、開封しろ」
「どうしようかしら」
アロイスと一緒にと言ったら、オスカーはあきらかにあわてふためいていた。確実に、ろくでもない贈り物なのだろう。
通常、贈り主本人からもらった品はその場で包みを開き、直接感想と感謝の気持ちを述べる。第三者が運んできた場合は、その場で包みを開かないのが礼儀だ。
もしも、ユースディアが知らずにここで開封したとしても、礼儀を知らない女として糾弾できる。贈り物作戦は、巧妙に仕組まれた嫌がらせであった。
ただ、そんな嫌がらせも、穴がある。それは、アロイスと共に開封すること。気づいていなかったのだろう。オスカーは大いに慌てていた。
「王女様が、公爵夫人のために選ばれた品だ。ひとりでお楽しめ」
「わかったわ」
そんな返事をすると、明らかに安堵していた。もっと、腹芸が得意な騎士を寄越してこいと思うユースディアであった。
「帰るぞ!」
「ええ、ご苦労様」
そそくさと、オスカーは帰っていく。誰もいなくなった客間で、ユースディアは王女からの贈り物を開封した。
これまで隠れていたムクムクがひょっこり顔を出し、ガクブル震えながら問いかける。
『ご主人、開封しないで、捨てましょうよお。なんか、その箱から異臭がしますう』
「王女様からの贈り物を、確認しないわけにはいかないでしょうが」
『ひえええええ』
蓋を開くと、大ネズミの死骸が入っていた。ユースディアは平然と見つめていたが、ムクムクは悲鳴を上げた。
『んぎゃあああああ!』
「もう、うるさいわね」
想像通りの、贈り物である。悲鳴をあげるムクムクをよそに、ユースディアはほくそ笑む。
「助かったわ。王都では、ネズミの死骸なんて、手に入らないと思っていたの」
『やっぱり、そういう反応だと思っていました』
ムクムクは箱の中身が見えない位置まで下がり、がっくりとうな垂れている。
ユースディアにとって、ネズミの死骸は闇魔法の素材なのだ。
血肉を使って行う魔法は、基本的にネズミやヘビを使って行われる。人の血肉を使って行われるという認識は、大いに間違っている。一部の、悪い闇魔法使いだけがやっている残虐極まりない行為だったのだ。
「ヘビとか、虫とか、コウモリとかもいただけるかしら? 市場には売ってなさそうだし、毎日いろいろ用意してくれると嬉しいのだけれど」
『バリエーションを期待しないでくださいいいい~~!』
思いがけない贈り物に、ユースディアはひとりホクホクしていた。
◇◇◇
オスカーの相手で疲れたので、二度寝でもしようか。そんなことを考えているユースディアのもとに、テレージアがやってきた。
次から次へと、うんざりしてしまう。
「王女様から、贈り物を賜ったようね」
「ええ、まあ」
円卓の上にある箱を、ちらりと横目で見る。公爵家の情報伝達力は、爆速のようだ。
テレージアは贈り物を気にしている。ここで、ユースディアにいたずら心が芽生えた。
「贈り物、見ますか?」
大ネズミの死骸を前にしたら、どんな反応を見せるのか。悲鳴をあげるか、失神するかの二択だろうが、どちらでもいいので見てみたい。そんなことを考えるユースディアである。
だが、返答は想像していなかったものだった。
「けっこうよ。それよりも、感謝の気持ちをお手紙にして、なるべく早い時間に送るのよ。もちろん、お返しを添えるのも忘れずに」
どうやら、お小言を言いにきただけのようだった。贈り物も見ないというので、テレージアの反応もわからずじまいである。
しかし、王女の贈り物が大ネズミの死骸というのは、信じないかもしれない。逆に、テレージアへの嫌がらせだと思われる可能性もある。見せなくて正解だったのだろう。
話はこれで終わりだと思いきや、そうではなかった。
「今日は、“家庭招待会”の日なの」
「家庭招待会!?」
それは、一日家を開放し、客を招き入れるイベントである。ロマンス小説でおなじみの行事が、公爵家で行われるというのだ。
簡単に言えばただの茶会だが、内容は複雑である。
家庭招待会で行われる女性陣の社交は、楽しくお喋りする場ではない。相手を見極め、付き合う者を厳選する大事な時間なのだ。
家庭招待会には緻密なマナーがあり、滞在は十五分から二十分まで。他に訪問客がやってきたら、自ら立ち去るのだ。迎える女主人が名残惜しそうな表情を浮かべても、長居してはいけない。まだいてほしいという空気を感じたら、それは再訪してもよいという合図になる。
また、装いにもルールがある。まず、家に入ったら、襟巻きや肩掛けは取る必要があるものの、帽子は被ったままでいい。帽子を取るとここに長居しますよという意味になり、礼儀を違えることとなるのだ。
他にもさまざまな決まりがある家庭招待会は、女主人の腕の見せどころでもあった。おいしい菓子に、香り豊かな紅茶でもてなすのはもちろんのこと、ウィットに富んだ会話で訪問客を楽しませるのも大事なのだ。
これから、ロマンス小説の中で繰り広げられているような、女性陣の腹芸は行われる。ユースディアはドキドキしてしまった。
「あなたは、参加しなくてもいいわ」
「え?」
「招待客の前に現れないように、言いにきたのよ」
テレージアはそれだけ言って、ユースディアの返事も聞かずに出て行った。
シーンと静まり返った部屋で、テレージアがきてから隠れていたムクムクがぼそりと呟く。
『どぎついご夫人ですねえ』
「そうかしら?」
ユースディアは生まれや育ちを、他人に喋るつもりはない。となれば、質問を受けたさいに何も言えず、顰蹙を買うだろう。
この場合、非難されるのは、ユースディアみたいな得体の知れない娘を参加させたテレージアなのだ。
『ってことは、保身のためだったんですかねえ』
「それも違うと思うわ」
貴婦人とは、生まれながら完全となる存在である。一朝一夕で、仕上がるわけがない。
つまり、いくら美しいドレスを着ていても、ユースディアは貴婦人ではない。
貴婦人が集まる会に参加したら、貴婦人のまがいものであるとバレてしまうのだ。その場合、大いに恥をかくのは、ユースディアである。
「家庭招待会に参加しなくてもいいと言ったのは、あの人の、ほんのちょっとだけある優しさだと思うの」
『そうだったんですねえ。しかし、わかりやすく言ってくれたらいいものの』
「その点が、彼女にとっての厳しさなのかもしれないわ」
周囲は敵ばかりだと思っていたが、そうでない者もいる。
テレージアは思っていたほど、悪い人ではない。ユースディアは少しだけ、気分が軽くなった。
今度こそ眠ろう。そう思っていたのに、ユースディアの部屋の扉を叩く者が現れる。
コンコンコンコンと四回叩いたので、ユースディアは「入っています」と返事をした。
「ちょっと、それ、どういう意味ですの!?」
聞いたことのある声だった。ユースディアは盛大なため息をつき、扉を開く。
廊下に立っていたのは、キャラメル色の巻き毛が自慢の、アンバーの瞳の美少女。レーニッシュ侯爵家のリリィ――アロイスを愛する女性のひとりである。
「なんの用なの?」
「あなたとアロイス様の結婚に対する、抗議をしにきましたの!」
「そういうの、受け付けていないんで」
断りを入れて、扉を閉めようとした。が、閉まる前にリリィは部屋に入ってきた。
「どうして、勝手に閉めますの!?」
「あなたが、招かざる客だったからよ。それにここ、私の部屋だし。どうしようが、自由でしょう?」
「なっ!?」
リリィは死体でも見つけたような、白目を剥いた驚き方をする。
「申し訳ないけれど、あなたと話すことなんて、何もないわ」
「わたくしはありますわ!」
「しつこいわね。あなたなんて、リスとでも遊んでいればいいわ」
ユースディアはそう言って、長椅子のクッションのかげに隠れていたムクムクをつかみ取る。それを、リリィへと差し出したのだ。
「きゃあ!!」
リリィは大きな瞳を、さらに見開く。続けて発した言葉は、ユースディアが想像もしていないものであった。
「黒いリス! なんて可愛らしいの!」
リリィはユースディアが差し出したムクムクを胸に抱き、頬ずりしはじめた。
「毛並みも美しいわ! まるで、上質なベルベットのよう!」
瞳を輝かせ、ムクムクを胸に抱いたままくるくる回り始める。
「このリス、どちらのお店で購入しましたの?」
「いや、買ったリスではないのよ」
「では、森で出会いましたの?」
「まあ、そんなところ」
正確に言えば、森に罠を張って捕まえたのだ。伝統的な、罠猟である。
「わたくしも、黒リスのお友達が、ほしいですわ」
「そう言われても……」
ムクムクは妖精である。ただの黒リスではない。
リリィはよほど気に入ったのか。他の黒リスを紹介してくれと訴える。
ユースディアは森の妖精から恐れられていた。探しても、姿を現さないだろう。
ムクムクはドジだったので、ユースディアに捕まってしまったのだ。
「紹介は無理よ」
「だったら、この子とお友達になってもよろしい?」
「友達? ムクムクと?」
「あら、ムクムクというのね。わたくしは、レーニッシュ侯爵家のリリィよ」
自己紹介に対し、ムクムクは「どうも」と言わんばかりに会釈していた。
「あら、挨拶ができますのね。とっても良い子ですわ。ムクムク、これから、よろしくお願いいたしますわね」
リリィが手を差し出したら、ムクムクは指先をきゅっと握る。その様子に、リリィはたいそうメロメロになっていた。
ムクムクと仲良くなり、しばし遊んで満足したのか、リリィはユースディアの部屋から去っていく。
いなくなってから、王女からの贈り物をリリィに自慢すればよかったと思うユースディアであった。