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守銭奴魔女ですが、あまあま旦那様にほだされそうです  作者: 江本マシメサ
第二章 沼池の魔女は、美貌の男と結婚する
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魔女は美貌の男の母と対峙する

 アロイスは四頭立ての馬車で、王都からここまで来ていたようだ。

 森では徒歩だったようだが、ピクニックのようで楽しかったという。

 一応、ユースディアが住む森はフォレ・ウルフの森と呼ばれ、夜は活発になる。村人でさえ、昼間でも近寄りたくないとぼやくほどだ。そんな森を、ピクニック気分で歩いていたとは。ユースディアと結婚を望んだことといい、血の契約をためらうことなく持ち出した件といい、大物だとしみじみ思ってしまう。

 そんなアロイスと共に、ユースディアは王都を目指す。

 荷物は鞄一つだけ。これまで貯めた財産と着替え、ちょっとした魔法道具と素材、それから先代との思い出が詰まった覚え書きが一冊あるばかりだ。

 従者のひとりでも連れてきているのかと思いきや、御者がふたりいるばかりであった。

 身の回りのことは自分でできるので、不要らしい。

 アロイスは丁寧に、ムクムクにまで馬車の席を勧めていた。一晩共に過ごしたからか、ユースディアよりも打ち解けているように感じる。

 剣の柄をコンコンと二回天井へ打ち付けると、馬車は走り始めた。


「王都にたどり着いてすぐは、しばしバタバタするかもしれません。なるべく、早い段階でゆっくり過ごせるよう、環境を整えさせるよう命じますが」


 平民の、しかも魔女を妻に連れて帰ったとなれば、とんでもない騒ぎになるだろう。アロイスはユースディアをありとあらゆるものから守ると誓った。だが、完全に守るというのは、困難だろう。

 心を強く持たないといけない。たった半年の我慢で、遊んで暮らせるようになるのだ。

 手に入るのは財産だけではない。領地にある別荘も、譲ってくれるという。

 アロイスに想いを寄せる貴族令嬢にいじわるを言われるかもしれない。けれど、小娘の考えつくことだ。この、沼池の魔女であるユースディアが恐れるに足る行為など働かないだろう。


「何か、他にご要望があれば、可能な限り叶えますので」


 要望と聞いて、すぐにピンとくる。すぐさま、アロイスに告げた。


「貴族がやっているような、盛大な結婚式はしたくないわ」


 先代が貸してくれたロマンス小説のラストは、かならず大勢の人々に囲まれて結婚式を執り行うシーンがある。あのように、見知らぬ人々の前でさらし者にされるなど、まっぴらごめんだ。


「承知いたしました。では、次に立ち寄った街で、神父様から祝福を受けましょう」

「いいの?」

「ええ。私も、大勢の人の前に立つのは苦手ですので」


 アロイスは眉尻を下げ、憂いの表情で言う。美貌のせいで、これまでさまざまな苦労をしたのだろう。美しいというのは、罪なのだ。

 そんなわけで、ユースディアとアロイスの結婚は、誰もいない礼拝堂でしんみりと行われる。

 天使のようなアロイスと、悪魔のような黒衣のユースディアの結婚は異質なのだろう。誓いの言葉を読み上げる神父の表情が、若干引きつっていた。

 ユースディアは気にしたら負けだと思い、明後日の方向を向いた。

 祭壇の前に立った神父が、お決まりの言葉を問いかけてくる。


「えー……汝、病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しきときも、隣に立つ者を妻とし、愛し、敬い、慈しむことを、誓いますか?」

「誓います」


 アロイスは迷うことなく、神父の言葉に誓った。

 一方で、ユースディアといえばというと――。


「あー……汝、病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しきときも、隣に立つ者を夫とし、愛し、敬い、慈しむことを、誓いますか?」

「……」


 本当に、この男と結婚していいのか。

 ユースディアは礼拝堂の祭壇の前に立ってなお、自問していた。

 返事がないので、神父はもう一度誓いの言葉を読み上げる。


「んー……汝、病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しきときも、隣に立つ者を夫とし、愛し、敬い、慈しむことを、誓いますか?」


 もう少しだけ、考える時間がほしい。そんなことを考えていたら、アロイスから肩をポンと叩かれる。


「ディアさん、誓いますよね?」

「あっ――はい」


 アロイスの美貌が眼前に迫り、思考はどこかへと飛んで行ってしまった。反射的に、返事をしてしまう。

 最後に誓いの口づけをするのだが、ユースディアは「それは省略!」と叫ぶ。

 神父は困った表情をしていたが、アロイスが「省略でお願いします」と重ねて言ったので、希望通り誓いの口づけはなしの方向で進む。


「えー、では、はい。儀式を、続けますね」


 神父は両手を掲げつつ、誰もいない礼拝堂で宣言した。


「今、この瞬間に、お二人は夫婦として認められました! おめでとうございます!」

「ありがとうございます」


 アロイスが感謝の気持ちを述べたのと同時に、ユースディアはハッと我に返った。

 結婚を断る最後の瞬間だったのに、アロイスの美貌に押し負けて承諾してしまったのだ。

 ユースディアはひとり、頭を抱え込んでしまった。


 ◇◇◇


 人妻となったユースディアは、王都にたどり着いてしまう。

 どこまでも石畳が敷き詰められた街は、多くの人々が行き来していた。


「すごい人ね」

「今は社交期なので、人が多いのです」


 社交期というのは雪降る季節から初夏まで続く、貴族が社交を行う期間である。地方に領土を持つ貴族が王都のタウンハウスに住まいを移し、夜会や舞踏会に参加するという。


「我が公爵家は代々王族に仕えておりますので、王都にある家が本邸となります」

「そうなのね」


 地方にある領地は、避暑や保養目的で足を運ぶらしい。最近では、従兄に管理を任せ、ほとんど足を運んでいないという。


「具合を悪くしているっていう母親は、領地で療養しなかったの?」

「ええ。おそらくですが、本当に具合が悪いというわけでなく、なかなか結婚しない私への抗議の意味があるのかと」

「それは大変ね」


 アロイスの母親は、一筋縄ではいかない人物なのだろう。これから会うのが、憂鬱になってしまった。


「母は昔ながらの人間で、その、少々口うるさいかもしれません。根は、悪い人ではないので」

「……」


 不安しかない。

 ロマンスものの定番で、姑にいじわるをされて枕を涙で濡らすヒロインを思い出してしまった。

 そういう場合、たいてい夫となった男は、母親大好きマザコン。何かトラブルが起きても、ヒロインを助けてはくれないのだ。

 アロイスが、母親に声を荒らげて注意する様子なんて想像できない。ユースディアがいびられても、にこにこしていそうだ。

 まだ見ぬ結婚生活だが、不安しかなかった。

 王都の街は、華やかである。女性は美しく色鮮やかなドレスをまとい、楽しそうに歩いていた。男性は皺一つないフロックコートを纏い、手にはステッキを持って優雅に闊歩している。

 ぼんやり窓の外を眺めていたら、突然景色が止まった。馬車が停止したようである。

 乗り寄せられたのは、ショーケースに深紅のドレスが飾られた店だ。


「ここで、ディアの服を揃えましょう」


 祝福をされてから、アロイスはユースディアを「ディア」と呼び捨てるようになった。なんとなく、気恥ずかしくなる。本当に結婚したのだと、実感してしまった。

 店内に入ると、店員達はアロイスを見て頬を染めた。だが、次なる瞬間には、全身黒衣のユースディアに気づいてギョッとする。


「あの、その、いらっしゃいませ」


 引きつった表情で、店員は会釈した。魔女たる証である黒衣の装いは、王都では奇抜過ぎるのだろう。

 アロイスの母親の具合を、これ以上悪くしないためにも、ドレスは必要なのだろう。ユースディアは大人しく従うばかりだ。

 というのは建前で、ロマンス小説の挿絵にあるようなドレスに憧れがあった。内心ワクワクしつつ、陳列されたドレスを見つめる。

 店内には、トルソーに着せた美しいドレスが陳列されていた。奥のテーブルに置かれた、山のように積み上がった箱は予約分のドレスなのか。

 極彩色の羽がついた帽子や、田園風景が描かれた扇など、ドレス以外に小物も扱っているようだった。


「本日は、何をお探しでしょうか?」

「妻のドレスを、いくつか選んでいただけますか?」

「承知いたしました」


 社交期に合わせて、既製品のドレスを大量に入荷しているらしい。女性の平均よりも上背のあるユースディアに合うドレスも、数着あった。

 他に、帽子や髪飾り、靴にいたるまで、一式を揃えてくれた。


「では、ドレスの着付けと、髪結い、化粧をお願いできますか?」

「かしこまりました」


 ムクムクは預かってくれるらしい。ユースディアの腕にしがみついていたムクムクを、優しく引き剥がして肩に乗せていた。

 ユースディアの黒衣と同化していたので、従業員は黒リスを見て驚いていた。


「では、またあとで」


 アロイスは笑みを浮かべつつ、「近くにある喫茶店で待っていますので、どうかごゆっくり」と耳元で囁いてから出て行った。

 突然の耳打ちに照れていると、店員達がすさまじい剣幕で問いかけてくる。


「奥様! 旦那様は、王太子にお仕えしている、アロイス様ではありませんか!?」

「そうだけれど」

「け、結婚を、されたのですね」

「ええ、まあ……」


 その場に蹲る者、涙を流す者、頭を抱える者と、さまざまに反応する。

 なんでも、アロイスは“社交界の氷砂糖”と呼ばれていたようだ。


「こ、氷砂糖?」


 なんだ、それは。と言う言葉を、ユースディアはごくんと呑み込んだ。


「蜂蜜のように甘い容貌なのに、周囲には氷のように冷たいんです。そのギャップが、たまらないって、社交界で噂になっておりまして」

「へ、へえ」


 これまで甘い対応をされるばかりで、氷のような態度は一度もなかった。イマイチピンとこない二つ名である。

 ユースディアは魔女なので、愛想よく接したのだろうか。よくわからない。


「アロイス様に、冷たい目で見つめられたいっていう女性が、大勢いるのですよ」


 社交界の女性だけではなく、街の女性陣からも絶大な人気を博していたようだ。

 三年前、王太子の結婚式のパレードで、白馬に跨がった姿が人々を魅了したと。

 独身主義者という噂話もあったようで、店員達はこのように衝撃を受けて泣き崩れているとのこと。


「ほら、みなさん。何をしているのですか。口ではなく、手を動かしてください」


 貫禄のある店員が手をパンパンと叩き、ユースディアにドレスを着せるよう促す。


「で、では、奥様、奥の部屋へどうぞ」

「ええ」


 他人に肌を見せるのは抵抗があるが、従うほかない。

 体の一部のように馴染んでいた頭巾も、外されてしまう。


「まあ! なんて艶やかで、サラサラとした美しい髪でしょう!」

「でも、短いわね」

「編み込みにして、後頭部に髪飾りを付けたら、それっぽく見えるわよ」

「それもそうね」


 まずは服を脱がされ、ドレス用の矯正下着を身に纏う。ロマンス小説でよく見る、コルセットと呼ばれる鯨の骨が入った下着だ。


「奥様、驚くほど、痩せておりますね」

「普段、どのような食生活を?」


 雑草を中心にんでいたとは、とても言えない。


「コルセットは、そこまで締めなくてもいいわね」

「そうね」


 コルセットをぎゅうぎゅうに締められる、おなじみのシーンは味わえないようだ。

 続いて、このままの恰好で化粧を行うようだ。

 これまでは先代から習った、自作の化粧品を愛用していた。市販品を使うのは、初めてである。

 薔薇の香料が入った白粉は、うっとりするほどいい香りだった。パレットに置かれた口紅も、色鮮やか。


「少々目元が鋭いので、アイラインを下に流して、優しい目元を作りますね」


 化粧の技術で、顔の印象もやわらかくできるらしい。魔女らしくはないものの、悪くないとユースディアは鏡を前に思った。


「では、次はドレスに着替えていただきます」


 ここで、問題が浮上した。


「よいしょ、よいしょ、と。なかなか、上がらないわね」

「胸の辺りが、ぱつんぱつんになっているわ」

「このままだと、背中のボタンがしまらないわよ」


 胸が大きく、既製品のドレスが入らないと。急遽、胸を潰してドレスをまとうこととなった。

 着替えが済んだら、髪結いが行われる。

 先ほど話していたように、髪を編み込んで後頭部はリボンで留める。さすれば、短い髪も気にならない。

 全身を映す姿見に映ったユースディアは、貴婦人のようだった。


「これが、私!?」


 ユースディアはお決まりの台詞で感嘆してしまった。信じがたい気持ちで、姿見を覗き込む。

 永久に消えないのではと思っていたクマも、化粧できれいさっぱり消えていた。

 いつも鏡に映っていた、野暮ったい女の姿はない。


「あの、ありがとう!」


 身支度をしてくれた従業員を振り返り、感謝の気持ちを伝える。すると、彼女らも笑顔になった。

 気分よく店を出ようとしたところで、店内に客がいることに気づく。キャラメル色の髪を縦に巻いた、アンバーの瞳が印象的な、十二、三歳くらいの美しい少女である。黒を基調としたドレスを纏っていた。これが王都の流行なのだろうか。 

 目が合った瞬間、探るような視線を向けられた。


「ごきげんよう」


 ロマンス小説でよく見る、貴族のお嬢様の挨拶をしてくれた。ユースディアも同じように、膝を軽く折って応じる。

 少女は近くにいた従業員に、質問していた。


「こちらのご夫人は、どなたですの?」

「アスカニア公爵の、奥方ですよ」

「は!?」


 信じがたい、という表情で少女はユースディアを見る。


「アロイス様が結婚って、嘘ですわ!!」

「いえ、アロイス様のほうから、あの奥方が妻だ、と」

「そんな……!」


 彼女も、アロイスに想いを寄せる者のひとりだったのだろう。この先も、こういう場面があるのかもしれない。だいたい、こういうときは堂々としていればいいのだ。下手したてに出たり、へりくだった態度を取ったりしていたら、相手に舐められるのだ。ユースディアが昔読んだロマンス小説にそう書いてあった。


「あなた、アロイス様をたぶらかしたのでしょう?」

「何のこと? 心当たりがまったくないわ」

「あの御方は天使みたいだから、騙されてしまわれたの!」


 その件に関しては、頷きそうになる。アロイスは天真爛漫を擬人化したような、穢れを知らぬ男であった。


「あなたなんて、テレージア様に追い出されて終わりですわ」

「テレージア様?」

「アロイス様の、お母様ですわよ」


 現在、寝込んでいるというアロイスの母は、ある戦歴があったらしい。


「テレージア様は、嫁いびりが得意ですのよ!」

「へえ……」


 なんとか返事をしたものの、白目を剥きそうになった。嫁いびりが得意な姑とこれから同居するなんて、気が遠くなりそうになる。

 少女曰く、公爵家には亡くなったアロイスの兄の嫁フリーダも同居していた。以前からテレージアとフリーダは不仲であった。だが、その仲はアロイスの兄の死により加速する。

 テレージアは夫が亡くなって傷心だったフリーダを、徹底的に排除したのだという。本邸から追い出し、屋敷の裏手にある離れに住むように仕向けたようだ。


「あなたも、テレージア様に追い出されないように、気を付けてくださいまし」


 そんないじわるを言うので、ユースディアは反射的に言葉を返した。


「忠告、親切にありがとう」


 少女は悔しそうに顔を歪め、踵を返す。背中を向けつつ「ごきげんよう!」と言って店から去って行った。

 勝った、という認識でいいのか。はーーと深いため息をつく。


「ねえ、さっきのお嬢様は、どこのどなた?」

「レーニッシュ侯爵家のお嬢様です」

「そう、ありがとう」


 アロイスの実家の内情に詳しいことから、親しい付き合いをしている家の娘なのだろう。きっと、彼女との縁は今日が最初で最後ではない。対応は正解だったのか。今は、わからない。


「奥様、アロイス様は向かいにある喫茶店“コマドリ”でお待ちです」

「ありがとう」


 きっとドレスや帽子の支払いの手続きはアロイスがしてくれたのだろう。貴族は金を持ち歩かず、家のほうに請求するのだと、ロマンス小説で読んだことがあった。

 金を払わずに店を出る行為は、なんだかドキドキする。

 カランと扉にぶら下がった鐘が鳴り、パタンと音を立てて閉じる。一歩、外に出ても、従業員は「金を払え!」と言って追いかけてはこなかった。

 ホッと安堵したのもつかの間のこと。肩にムクムクを乗せたアロイスが、小走りでこちらにやってきた。


「お待たせしました!」


 待たせていたのは、ユースディアである。おかしな男だと、笑ってしまった。


「おきれいです」


 ドレスのことかと思い、そうだろうと誇らしげな気持ちでドレスの裾を摘んだ。


「黒衣の装いをするディアも、すてきでしたが」


 その一言で、きれいという言葉がユースディアを褒めたのだろうということに気づいてしまった。盛大に照れてしまったのは、言うまでもない。

 馬車に乗り込み、公爵邸を目指す。

 アロイスはムクムクを肩に乗せたままだが、いいのか。何も言わないので、放っておく。


「そういえば、レーニッシュ侯爵家のお嬢様に会ったわ」

「ああ、リリィですか」


 妹のように、可愛がっているらしい。遠い血縁関係にあり、幼少期から付き合いがあるようだ。


「生意気盛りで、ディアに失礼なことを言いませんでした?」

「まあ、いろいろと」


 アロイスはしょんぼりしながら、「リリィが申し訳ありませんでした」と本人に代わって謝罪する。


「別に、正直にいろいろ言うのは構わないわよ」


 逆に、表面上は友好的に接するのに、裏では悪口を言うタイプのほうがユースディアは苦手だ。

 個人的に、悪口は本人の前で言うのが大正義だとユースディアは思っている。

 そこまで気にしていないので、今回に限っては本人に注意しなくていいと言っておく。

 そんな会話をしているうちに、公爵邸に到着したようだ。貴族の慎ましいタウンハウスが並ぶ中に、カントリーハウスかと見まがうほどの大きな屋敷が見えてきた。


「あちらが、実家です」

「は、はあ」


 青い屋根に純白のレンガが積まれた、豪壮そうごんな屋敷である。街中に建つ屋敷であるが、噴水や温室のある広い庭に囲まれていた。

 とんでもない屋敷の規模に呆然としているうちに、玄関前に到着する。

 先にアロイスが降りて、ユースディアに手を貸してくれた。

 森から王都に来るまでに何度もしてもらったが、何回されても慣れずにドギマギしてしまう。

 使用人の手によって、扉が開かれた。


「旦那様、お帰りなさいませ」


 家令らしき初老の男性は、恭しく頭を下げる。ずらりと並んだ他の使用人も、続く。

 もっと不躾な視線を浴びるかと思っていたのに、誰もユースディアを見ようとしない。

 ついでに言えば、アロイスの肩に黒いリスが鎮座しているが、それすら気にしていなかった。

 これが教育の行き届いた使用人なのかと、感心してしまった。


「大奥様が、お待ちです」

「ああ、わかった」 


 アロイスは大きな街で、早馬を打って家に手紙を届けていたらしい。当然ながら、ユースディアとの結婚についても書いているのだろう。

 ドキドキしながら、アロイスのあとに続く。

 先が見えないほど長い廊下には、ふかふかの赤絨毯が敷かれている。継ぎ目が見えないのだが、どうやって作っているのか。気になってしまった。

 壁には肖像画や、剣、盾などが飾られている。代々、騎士として王家に仕えている家系だという話を聞いていた。先祖は揃って、厳つい顔である。アロイスのような柔和な青年はいないようだった。もしや、母親似なのか。そんなことを考えながら歩いていると、アロイスが振り返る。


「ディア、手を」

「手?」


 手が差し伸べられた。なんのことかわからず、犬がお手をするように指先を重ねる。 


「どうして、手を取るの?」

「この先、厳しい戦いになりそうなので」

「ここって、戦場なの?」

「そうかもしれませんね」


 たどり着いたのは、公爵家の女主人が待つ部屋。ついに、扉が開かれる。


「あら、アロイス。ずいぶんと遅かったわね」


 アロイスの母テレージアは、威厳たっぷりの様子で迎えてくれた。

 ふくよかな体に、深緑のドレスがよく似合っている。孔雀の羽根扇を手に持ち、鋭く厳しい視線をユースディアに向けていた。敵意が、これでもかと突き刺さる。

 聞かずともわかる。テレージアがこの結婚を、よく思っていないということが。


「さて、そちらの女性を、紹介していただこうかしら?」

「妻の、ディアです」


 ピリッと、空気がわかりやすく変わった。場を、テレージアが支配しているからだろう。


「どこのどなたなの?」

「それは、言えません」

「アロイス、冗談はよしてちょうだい。旅先で出会った、身上もわからない女性を娶るなんて、ありえないわ」

「私は、彼女に運命を感じました。母親とはいえ、私達の結婚に物申すのは、許しません」

「なんですって?」


 今度は、アロイスを渾身の眼力で睨みつける。アロイスは肝が据わっているのだろう。一切動じていなかった。さすが、王太子付きの騎士と言うべきなのか。普段のやわらかい雰囲気から想像できないほど、強い覇気はきをまとっている。ユースディアを守るという誓いは、本当に実行してくれるようだ。


「もしも、気に入らないというのであれば、母上がここを出て行ってください」

「あなた、母親になんてことを言うの!?」

「互いの精神衛生上、そうしたほうがいいと思ったのですが」


 バチン、バチンと親子の間に火花が散っていた。こんなに迫力のある本気の親子喧嘩は、ロマンス小説でも読んだ記憶はない。


「そもそも、病気は治ったの? 今回の旅は、それが目的だったのでしょう?」

「病気ではありません。“呪い”です」

「あなたはまた、そんなことを言って!」


 どうやら、テレージアはアロイスの呪いを、病気だと思っているようだ。それも無理はないだろう。魔法の知識は、一般的には広く知れ渡っていないから。呪いによる苦しみも、病気の発作か何かだと捉えているのかもしれない。


「母上も、医者の話を聞いていたでしょう。病気ではない、と」

「そんなの、デタラメよ! 体の不調の原因なんて、病気に決まっているじゃない!」

「話になりませんね。母上、一度、領地で保養されたらいかがですか? 王都にいるから、心が安まらないのです」

「違うわ! 私は、あなたを思って、言っているの」

「すべて、的外れなのですよ」


 親子喧嘩を前に、ユースディアはどうしたものかと考える。

 てっきり、テレージアに嫁いびりされるのをアロイスは見て見ぬ振りをする日々が始まると思っていた。ロマンス小説のヒロイン気分に浸れるかもと思いつつやってきたのだが、親子が不仲という想像もしていない状況だったのだ。


「母上、しばし冷静になってから、話をしましょう」

「何を言っているの? 私は冷静よ」

「そういうところが、冷静ではないのですよ」


 ここで、アロイスは話を切り上げる。無言で立ち上がり、ユースディアに手を差し伸べた。

 ひとまず、この場から撤退したほうがいいのだろう。アロイスの手を取り、部屋を辞す。


「ちょっと、待ちなさい! 話は、終わっていないわ!」


 アロイスはテレージアの訴えを無視し、自らの私室へと案内する。

 廊下を歩く間、ユースディアはアロイスの横顔をチラリと盗み見た。端整な顔立ちに、怒りが滲んでいるように思える。

 これまで、年若い青年にしては落ち着いていると感じていた。しかし、彼にも負の感情は存在し、上手く処理できずに自身の中で持て余しているのだろう。

 アロイスの私室は、白で統一された宗教画で描かれる天界のようだった。生活感がまったくないが、ひとまず長椅子に腰を下ろす。その向かいに、アロイスは座った。


「母が、失礼しました」

「大丈夫。というか、私に対してはほとんど何も言ってなかったし」


 テレージアがユースディアについて何か言おうとするたびに、アロイスが制していたのだ。発言もまともにできなかったので、テレージアは余計に苛立っているように見えた。


「母親とは、ずっとあんな感じなの?」

「そう、ですね。仲がよかった時代は、なかったように思います」


 それも無理はないだろう。子育ては乳母が行い、教育は教師が務める。それが、貴族の家庭では一般的である。裕福で厳格な家庭ほど、母親との接点は少なくなるのだ。

 アロイスは騎士になるため、十三歳のときから家を出ていたという。余計に、母親に対する情は薄いのだろう。


「一応、母親として、尊敬し、大切にしようとは思っているのですが、あの通り、私の一挙一動に文句を付けたがるお年頃のようで」


 テレージアの小言をそういう年頃だと片づけるアロイスの発言に、ユースディアは笑ってしまう。


「真面目な話だと思って聞いているのに、笑わせないでちょうだい」

「すみません、笑わせるつもりはまったくなかったのですが」


 アロイスの表情が柔らかくなったので、ユースディアは内心ホッとする。母親と対峙していたときのようなアロイスは、あまり見たくないと思った。


「家令に頼んで、母とディアが顔を合わせないようにと命じておきますので」

「それは助かるけれど――」

「けれど?」

「あなたは、それでいいの?」

「いい、とは?」

「母親に認められていない妻を娶るという状況よ」

「構わないですよ。ディアのすばらしさは、私だけわかっていれば、それで十分です」


 大真面目に言われ、ユースディアは照れてしまう。が、すぐに真顔になるよう努めた。流されてはいけない。相手の思うつぼとなる。そう自らにそう言い聞かせつつ。


「とにかく、母上との接触は極力避けるようにしますし、それ以外にも、あなたに接触する者がいたら、すぐに報告してください」

「わかったわ。まあ、リリィくらいならば、暇つぶしに相手をしてやってもいいけれど」

「リリィは――まあ、可愛いものかもしれません」

「他に、可愛くないのがいるの?」


 アロイスは遠い目をする。思い当たる人物がいるのだろう。


「ひとり目は、第七王女エリーゼ殿下です。なぜか私を気に入り、毎日恋文を送ってきます」


 ひとり目から、とんでもない相手である。ユースディアは「うわぁ、面倒そうな相手……」というのを、口から出る寸前でごくりと呑み込んだ。

 なんでも、エリーゼ王女の護衛騎士が、毎日恋文を届けてくれるらしい。アロイスは結婚したので、恋文も届かなくなる可能性はある。


「ふたり目は?」

「兄レオンの妻だった義姉あね、フリーダです」


 六年前に結婚し、レオンとの間に男児を産んだ。しかし、レオンが亡くなり、悲しみにくれる――わけではなかった。

 開き直ったフリーダは、ターゲットをアロイスに変えたのだ。

 レオンの喪が明けていないにもかかわらず、色目を使ってきたのだという。

 とんでもなく強かで、計算高い女性なのだろう。


「当時、あまり家には帰っていませんでしたし、そのうち飽きるだろうと考えていました。しかし、気がついたら、母が義姉を家から追い出していました」

「なるほど。そういう事情だったのね」

「どうかしたのですか?」

「リリィから、あなたの母親は、嫁いびりをする酷い女性だって聞いていたの」


 フリーダがアロイスに言い寄っていたのならば、悪いのはテレージアではない。フリーダのほうだ。


「以上、リリィを含めて、三名の女性に、その……」

「言い寄られているというわけね」


 気の毒だと思ったのと同時に、ふと気づく。アロイスが結婚を決意したのは、言い寄る女性の堤防として利用しようとしたのではないかと。

 先ほどの母親への態度から推測するに、見た目通りの天使のような男ではないのだろう。それどころか、ユースディアを利用しようと考える腹黒い面があるのかもしれない。

 アロイスに対して警戒が緩む瞬間があったが、これ以上、弱みを見せないようにしなければならないだろう。でないと、いつかユースディアも足を掬われてしまう。


「ディア、どうかしましたか?」

「いいえ、なんでもないわ」


 ひとまず、今はアロイス側に付き、何かあったら守ってもらわなければならない。面倒であるが、それも半年の我慢だろう。


「必要な品は、ありますか?」

「とりあえず、お金をちょうだい」

「わかりました。家令に用意させますので」


 相変わらず、アロイスの金払いはピカイチであった。

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