魔女は美貌の男としぶしぶ契約を結ぶ
アロイスと静かに朝食を食べる。
窓からは、太陽の光がこれでもかと差し込んでいた。昨日の暴風雪が、嘘のようだった。
「それにしても、今日は天気がいいですね。清々しい朝です」
「そうね」
太陽光を背後から浴びるアロイスは、とてつもなく美しい。まるで、後光が差した大天使のようだった。
「宗教画か!」
「はい?」
「なんでもないわ」
宗教画に描かれていそうな美貌の男と共に、朝食を食べる。
「ディアさん、傷薬、ありがとうございました。おかげさまで、完治しました」
「そう、よかったわね」
アロイスの美貌は財産である。傷つけることは、あってはならないのだ。
「このようにすばらしい薬をいただけるのであれば、皆、あなたを深く信頼し、森に通い詰めていたのでしょうね」
「どうだか」
村人とユースディアの関係は、双方に利益を生じるから続いていた。それだけである。
「情なんて、なかったわよ」
「しかし、噂では、どうしても金の工面ができないときは、野菜と交換で薬をもらった、などという話も聞きましたが」
「そ、その時は、野菜がほしかったのよ! どうせ、お金をもらっても、野菜を買うだけだし、お金をもらったのも同然だったわ」
なんでもアロイスは、村で工事をしている作業者からユースディアについていろいろ話を聞いていたらしい。
作業者は森に棲む魔女を恐れていたようだが、村人から「あそこの魔女さんは親切な人だよ。まったく怖くない」などという説明を受けていたようだ。
ユースディアは明後日の方向を見る。
これまで村人に対し、沼池の魔女は世にも残酷で恐ろしい存在、という印象を与えているつもりだった。
それが失敗していたという事実を、今この瞬間に知ってしまう。
半ば放心状態のまま、朝食を食べ終えた。
昨日の晩と同じく、アロイスはユースディアに感謝の言葉と金を忘れなかった。
そして、別れの時間がやってくる。
今後、二度とこのレベルの美貌の男には出会えないだろう。ユースディアはこれで最後だと思い、遠慮なく見つめる。
「――を、考えて、いただけたでしょうか?」
顔に見とれるあまり、話をまったく聞いていなかった。なんだって? と耳に手を当てて聞き返す。
「私との結婚を、考えていただけたかなと、思いまして」
「あー。なんか、言っていたわね」
まさか本気だと思わなかったので、聞き流していたのだ。
「ここで長い時間を過ごさせていただきまして、改めてディアさんを妻に迎えたいと思いました」
アロイスの瞳は、光り輝いていた。自棄っぱちになって、ユースディアを妻に迎えようとしているようには見えない。
「あなた、公爵様でしょう? 魔女を一族に加えたら、大変な騒ぎになるわよ」
「そんなことありません。我が家は魔法使いの家系です。魔法に心得がある者は、歓迎されるかと」
「それが、闇魔法使いでも?」
「闇魔法の、何が問題なのでしょうか?」
「いや、いろいろあるでしょうよ」
闇魔法の始祖の汚名は、歴史を研究する者の努力によって払拭された。けれど、闇魔法を悪用していた者の悪評は、いまだ根強く残っている。
闇魔法の評判は、現代においても悪いままというのが現状だった。
「光でも、闇でも、魔法は魔法です。属性など、特に気にしておりません」
キッパリと、アロイスは断言した。
彼の言葉は、何度も何度も、ユースディアの心にある澱を洗い流してくれる。
美しい、湖のような心を持っているのだろう。
しかしながら、ユースディア自身は泥の池でしか生きられない魚のようなものだ。美しい湖の中では、呼吸すらままならないだろう。まさしく、生きる世界が違うというやつだ。
「ディアさん。あなたは、私みたいな者とは、結婚できないのでしょうか?」
「なんでそうなるのよ」
逆だ。アロイスが、ユースディアみたいな女とは結婚できない男なのだろう。どこまで心が澄み切っているのか。ユースディアは頭を抱え込んでしまう。
「そもそも、どうして今まで独身だったの?」
「兄が死ぬまでは、結婚を考えておりませんでした」
「どうして?」
「これでも王太子付きの騎士でありますので、近づく者は私を利用しようと目論む者ばかりでした。結婚も、おのずと政治色が濃くなってしまう」
公平な立場である王太子付きであり続けるには、派閥に所属する者の娘を娶るわけにはいかなかったという。
「兄が生きているころは、家族もその姿勢に賛成しておりました。しかし、爵位を継いだあとはそうとはいかず……」
日々、結婚しろと責められる毎日を送っていたらしい。けれど、王太子付きの騎士である以上、結婚相手は慎重に選ぶ必要があった。
「そんな中で、私の呪いが発覚したのですから、母は寝込んでしまって……」
「それはお気の毒に」
「ディアさんを連れ帰ったら、元気になるかもしれません」
「いや、止めを刺す可能性が大なんだけれど……」
「そんなことないですよ。母は、もう誰でもいいから、結婚してくれと言うくらいでしたが」
「いや、誰でもいいっていうのに、魔女は含まれていないと思うけれど……」
じっと、アロイスを見る。実に曇りのない純粋な笑みを浮かべつつ、ユースディアを見つめていた。冗談を言っているようには見えない。本気で、結婚を申し込んでいるのだ。
昨日の夕方から今日の朝までアロイスと過ごして思ったのは、彼は実に紳士で好青年であるということ。穏やかな性格で、ユースディアを女だからと見下さない。闇魔法を使う魔女であるにもかかわらず、尊敬していると言った。
結婚しても、妻としての役割は果たさなくていい。公爵家は、兄の子どもが継ぐ予定らしい。
半年後、彼が呪いで亡くなったら、ユースディアが遊んでくらせるほどの財産をくれるという。
奇跡のような条件である。
ただ、ここまで聞いても、ユースディアはいまだ警戒の念を緩めなかった。
「しかし、条件がよすぎて、本当に怪しいわね」
「では、血の契約をしましょう」
アロイスはナイフを取り出し、迷うことなく手のひらを切りつけた。
赤い切り傷が走り、血が珠のようにぽつぽつと浮かんでくる。
「私は、あなたを、絶対に裏切りません」
誓いを口にしたあと、ユースディアがアロイスの血を舐めたら、契約は完了される。
傷は思っていた以上に深かったようだ。滲んだ血が、涙を流すようにツーと流れていく。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
ユースディアは未だ、結婚を迷っていた。
これまで暮らした住み処を、森を、あっさり捨てられるわけがないのだ。ここでもう、金稼ぎができなくなったとしても。
雪降る晩に捨てられ、かじかむ手にはーはーと息を吹きかけるしかない記憶が残るユースディアにとって、ここは楽園といってもよかった。
一歩下がり、アロイスを見る。
吸い込まれそうなくらい強い目を、ユースディアに向けていた。
「ありとあらゆるものから、あなたを守ります。だから――私と、結婚してください」
血が、手から滴り落ちそうになっていた。
ユースディアは駆けよって、アロイス手の平に唇を寄せ、血をペロリと舐める。その瞬間、パチンと、音が鳴る。
アロイスの手のひらに、魔法陣が刻まれた。
「これで、契約は完了ですね」
アロイスはこれまで見せた中で、一番美しい微笑みを浮かべている。
ユースディアは契約主となったのに、なぜか底なし沼に沈められたような気になってしまった。
――道を、誤ってしまったか?
天国にいる先代へ問いかけたが、当然ながら答えは聞こえてこなかった。