魔女は美貌の男と朝を迎える
倒木のせいで、台所も酷い状態である。しかし、食品は地面を掘り込んで作った保存庫に隙間なく詰めていた。どれも、無事である。
棚に並べていた素焼きの食器は、床に落ちて割れている。
今日は特別に、棚の奥にしまっていた銀器で、アロイスをもてなすことにした。
はてさて、何を作ろうか。ユースディアは腰に手をあて、考える。
二度も助けてもらった以上、予定していた雑草のフルコースを出すわけにはいかない。
ユースディアは、ここぞというときに食べようと思っていた食材に手を付ける。
干し肉を水に浸してやわらかくしたものを使ったスープに、魚の塩漬けグラタン。それから、久しぶりにパンを焼いた。
成人男性がどれだけ食べるかわからないので、いつもよりたくさんパンを焼いておく。
料理を持って居間に戻ると、棚が倒れて散乱状態となった部屋は、きれいになっていた。アロイスが片付けたのだろう。
「あ、すみません。勝手に掃除をしてしまって」
「全部、あなたが?」
「ええ」
何もできないお坊ちゃんかと思っていたが、意外とあれやこれやと働いてくれる。
なんでも、見習い騎士時代に、一通りの雑用はこなすらしい。先輩騎士に仕え、世話をするうちにいろいろ生きる術を習得するようだ。
「掃除や洗濯はもちろんのこと。野営時の炊事や、簡易的な厠を掘ることもします」
「騎士って、意外と大変なのね」
アロイスはそれ以上答えずに、にっこりと微笑む。そして、ユースディアが持っていたパンのかごを受け取り、テーブルに置いてくれた。
「おいしそうなパンですね」
「都会のパンみたいに、ふわふわではないけれど」
「とんでもない。ごちそうですよ」
ユースディアは実に十年ぶりに、誰かと共に食卓を囲む。
魔石灯の灯りが、アロイスを照らす。部屋が明るくなるよう改良を重ねた光が、アロイスの美貌をこれでもかと際立たせていた。
暗い魔石灯を使えばよかったと、ユースディアは後悔する。さすがの彼女も、光り輝く美貌を前に食事が進むほど、図太いわけではなかった。
贅沢な食事を毎日食べているアロイスにとって、ユースディアの手料理なんて粗食だろう。それなのに、文句のひとつも言わずにきれいに食べてくれた。
「心のこもった料理を、ありがとうございました」
「ごめんなさいね、こんな物しか用意できなくて」
これまでは月に一度、村の御用聞きが食材を用意してくれた。しかし、今はもう、姿を現すことはない。それゆえに、ユースディアの食生活は貧相になる一方だったのだ。
今晩の食事も、普段雑草を食べているユースディアからしたらかなりのごちそうである。
「どうか、謙遜なさらないでください。どの料理にも、私をもてなす温かい気持ちが、溶け込んでいました。そのすべてが、ごちそうです」
きっと、ユースディアが雑草をただ煮込んだだけのスープでも、同様の言葉を口にするのだろう。この辺は育ちというよりも、アロイス自身の人間力の違いなのか。
アロイスの光り輝く微笑みを前に、ユースディアは「うわ、眩しっ」と目を細めるばかりであった。
森は暗闇に包まれたが、そんな状況でも、アロイスは出て行こうとした。
ユースディアは信じられない気持ちで、彼を引き留める。
「だから、この時間に外に出たら、魔物に殺されるって言っているでしょうが!」
腕を引いて止めようとしたが、びくともしない。細身の優男にしか見えないが、意外と筋肉質なのだろうか。とにかく、力任せに引き留めるのは無理だった。
「ディアさん」
「な、何よ」
「あなたは、他の男性にも、このように親切にするのでしょうか?」
「するわけないでしょう? あなたみたいな究極のお人好しが、吹雪の森で迷った挙げ句、魔物に食い殺されたりしたら、寝覚めが悪くなるだけよ」
もしも訪問したのが中年男性でも、アロイスと同じく究極のお人好しであれば、一晩泊めていただろう。顔がいいとか、育ちがよく金を持っているからとか、他意はまったくない。
「お人好しなのは、ディアさんのほうですよ」
「私はお人好しなんかじゃないわ。誰もが恐れる、沼池の魔女よ」
胸を張って答えたが、アロイスはポカンとした表情でユースディアを見るばかりであった。
「っていうか、あなた、私のことを誰から聞いたのよ」
「乳母からです。困ったときは、辺境の森に棲む、沼池の魔女を頼ればいいと。代々、善き魔女がいて、力を貸してくれるはずだ、というお話を幼い頃に聞いたことがありまして」
その話を頼りに、アロイスはこの地を訪れたようだ。
「ひとつ修正するけれど、沼池の魔女は、善き魔女ではないわ」
そんな噂話が伝わっていたとは、心外である。
「しかし、村の工事をしていた者達の話では、沼池の魔女は配慮が行き届いた、善人であると」
「なんて噂話が流れているのよ……」
思わず、頭を抱え込んでしまう。
古くから、魔女は恐れられ、人から一歩引いた場所で世の中を静観している神秘的な存在だ。それなのに沼池の魔女のイメージは、近所に住む親切なおばさん魔女である。
どうしてこうなったのか。天国にいる先代に問いかけても、答えてはくれない。
かつて、凍え死ぬような北の大地で、ユースディアは親に捨てられた。
幼いころよりガリガリで、体力がなく、農作業も一人前にできなかったからだ。
食い扶持すら稼げない娘は家においてもらえず、あっさり捨てられた。
そんなユースディアに、先代は手を差し伸べてくれたのだ。
たしかに、先代はお人好しで、善き魔女だったのかもしれない。
けれど、ユースディアは違う。
金が大好きなごうつくばり者で、困っている村人にも、等しく金をせびっていた。
人の善さだけは、先代から継承できなかったのだろう。
そう思っていたが、アロイスは異なる見方をしていた。
「乳母が話していたとおり、ディアさんは優しくて、心が温かい、善き魔女でした」
「は!?」
今日一日で、さんざん金をむしり取られた自覚はないのか。信じがたい気持ちになる。
振り絞って出た言葉は、「あなた、疲れているのよ」だった。
「いろいろ言っていないで、もう休みなさい。布団は、先代が使っていた古いものしかないけれど」
ユースディアの申し出に、アロイスは深々と頭を下げる。
「お言葉に甘えて、一晩、ここに泊まらせていただきます。見張りに、巨大トカゲを置いていてもいいので」
「……」
巨大トカゲなんて、恐ろしくて使役できるわけないだろう。見張りには、ムクムクを置いておく。
ひとまず、アロイスと別れ、二階へ駆け上がる。
風呂に入り、心を落ち着かせることにした。
二階にある風呂は、沼池の魔女の自慢であった。
なめらかな磁器の浴槽に、火と水の魔石を使って湯を沸かす。春に作った花の入浴剤を入れて、足先からゆっくりと湯に浸かった。
「あ~~~~……」
温かい湯が、疲れた体に沁み渡る。風呂は、ユースディアにとって唯一の楽しみであった。
ただ、このように湯に浸かるのは、週に一度あればいいほうである。魔石は無限にあるわけではない。そのため、普段は桶に湯を張って、ちびちびと体を洗う程度なのだ。
今日はアロイスがやってきたので、とびきり疲れていた。このまま寝台へ潜り込んだら、泥のように眠れるだろう。
ふと、寝室の状態を思い出す。布団には割れたガラスや木の枝がこれでもかと刺さっていた。すぐに布団へ飛び込んで、眠れるような状態ではない。
「最悪」
風呂上がりに、もうひと仕事しなければいけないようだ。
◇◇◇
翌朝――ユースディアは外から聞こえる小鳥のさえずりで目を覚ます。
『ここの枯れ魔女、昨日、男を連れ込んだらしいわ』
『やっと女に目覚めたのかしら。潤っているといいわねえ』
『それはどうかしら? 金にがめつい枯れ魔女だから、価値のない体に金銭を要求したりして』
『やだー!』
窓を開いて「誰が枯れ魔女じゃい!!」と怒りたかった。だが、あいにく窓には板が当てられて、釘が打ち込まれていた。
ひとまず、お喋りな小鳥は板をどんどん叩いて追い払う。
昨晩はぐっすり眠ったので、目覚めはまあまあいい。しかし、一階にアロイスがいるのを思い出して、途端に憂鬱になった。
「はあ」
ため息をひとつ零し、何もかも現実だと受け止め、身支度を始める。
風呂場に設置した洗面所で、自らの顔を覗き込む。
目の下に、くっきりあるくまは、どれだけ肌の手入れをしても消えやしない。毎日夜更かししているので、一生このままなのだろう。闇魔法使いらしい特徴である。
くまの上にある瞳は、湿った場所に生える苔のような緑色をしていた。これも、相変わらず。子どものときは新緑のようにきれいだ、なんて言われていた。家族に捨てられた瞬間に、新緑色の瞳も濁ってしまったのかもしれない。
首筋にかかる程度に切りそろえられた黒い髪だけは、ツヤツヤである。
魔法使いは長い髪を自慢とする。というのも、髪は魔力の通り道なのだ。大地と髪が近づくことにより、多くの魔力を自身に引き入れることを可能とする。
闇魔法使いは、それを必要としない。魔力は、夜になれば豊富にあり、それを取り込めるから。
長い髪は手入れが大変なので、いつもこの長さに揃えている。
顔を洗い、歯を磨いて、自慢の黒髪には丁寧に櫛を入れた。寝間着代わりの古いローブを脱ぎ捨て、冬用のローブを着込む。
深々と頭巾を被ったら、身支度は調った。
本日二度目のため息を零してから、一階へと降りる。
「おはようございます」
アロイスは、日の出よりも明るい笑顔で挨拶してきた。
「朝から目が潰れる」
ユースディアの発言に、小首を傾げていた。それすら、様になるのだから、神はこの見目麗しい青年に、二物も三物も祝福を与えたのだなとしみじみ思ってしまった。
「あの、身支度を行うために、台所の水を少々いただいてしまいました。代金はお支払いします」
差し出された銀貨を、ユースディアは受け取った。別に、少しであれば無償で使ってよかったのだが、くれる金はありがたくいただく。
青年の美貌は、風呂に入らずとも輝いていた。が、よくよく見たら、アロイスの顎に切り傷が入っていた。
「顎、どうしたの?」
「ナイフで髭を剃っていたら、うっかり切ってしまいまして」
見目のいい男は髭なんて生えないだろうと思ったが、何も生えていなければナイフなんて当てないだろう。不思議な生き物の生態だと考えながら、昨日割れた瓶の山から、軟膏を拾い上げる。
瓶にヒビが入っているだけで、中身は無事だ。
「これ、傷薬よ。使ったら?」
「おいくらなのでしょうか?」
「いいわよ、そんなの。床に落としてしまったから、どうせ売り物にはならないわ」
アロイスの手に傷薬を押しつけ、ユースディアは台所を目指す。
ムクムクが木の実を囓っていたので、昨晩の様子を聞き出した。
「あの人、どうだった?」
『めちゃくちゃ礼儀正しかったですよお。リス相手に、頭を下げておやすみなさいとか言ってましたもん』
「そう」
小動物の前では侮って、態度を変える者もいる。しかしアロイスは、ムクムクにも敬意を示すような態度だったらしい。
『ご主人、結婚話を、受けたらどうですか?』
「は!? なんで私が、あの男と結婚しなければならないのよ」
『だって、もうここに村人はやってこないですし、家は今にも崩壊しそうですし』
ムクムクの言葉はド正論である。しかし、長年ひとりでやってきたという、ユースディアの矜持が結婚を許さなかったのだ。
『このまま、ひとりで朽ちていくのですかあ?』
「ええ。そうなるのが、沼池の魔女に相応しいでしょう?」
『かわいそう! ご主人、かわいそうですう!』
「うるさいわね、毛むくじゃら! それ以上無駄口を叩いたら、リス団子にして、おいしい鍋にするわよ!」
『ひえええええ!』
ユースディアのドスの利いた脅しに、ムクムクがガクブル震えながら物陰に隠れていた。
木の実を忘れていると差し出しても、『太らせて、食べる気なんですかあ!?』という悲壮感漂う声が返ってくる。
「あなた雑食だから、すこぶるまずそうだわ。リス団子にする価値すらないわよ」
『それはそれで、酷いですう~~!』
よくわからない、ムクムクの心情であった。