魔女は愛を語る
ついに、フリーダ捕獲作戦の実行日となった。ヨハンは使用人に扮した騎士隊の者が囲み、厳重な警備をしている。とうの本人はもちろん仰々しい護衛に気づいておらず、「今日は知らないお顔の使用人が多いですね」などと話していた。
テレージアは今日一日、ヨハンと離れるつもりはないという。
ユースディアは出勤準備をするアロイスのもとを訪ねる。
「ディア、おはようございます」
着替えをしている最中だったようだが、笑顔で迎えてくれた。窓から太陽の光が差し込み、アロイスの美貌はこれでもかと輝く。
ユースディアは従僕から、最後に巻こうとしていたアスコット・タイを受け取る。目線で「私がやる」と伝えると、従僕は一礼して部屋から去って行った。
扉が閉まり、足音が遠ざかっているのを確認すると、アロイスに傍にある一人掛けの椅子に座るよう命じた。ユースディアは上から見下ろしながら、タイを結んであげる。
「ありがとうございます」
アロイスの顔を覗き込んだが、緊張している様子は感じられない。いつも通りの彼である。ユースディアは羨ましく思ってしまった。
「アロイス。今日で、最後にするわよ」
「もちろん、そのつもりです」
フリーダが指示するオスカー救出作戦は、太陽が沈んだあとに実行される予定だ。まだ、太陽昇ったばかり。長い一日になりそうだ。
ユースディアは胸元から、スクロールを取り出す。最後の一枚だと思って、昨晩作っていたのだ。
「なんだか、すてきな場所から出てきましたね」
「仕方がないでしょう? ドレスって、ポケットがないのよ」
こういうとき、魔女の黒衣だったら……などと考えてしまう。
アロイスは受け取ったスクロールの匂いをかいでいた。
「インクと、ディアの匂いがします」
「ちょっと! そういうの、やめて!」
取り上げようと手を伸ばしたが、空振りする。
「ディア、私はこれがないと、大変なんです」
「あなたが変なことをするからよ!」
胸元に収納せず、そのまま手で持ってくればよかったと後悔する。
「なんだか、使うのがもったいないですね」
「しようもないことを言っていないで、呪いが発動したら使いなさいよ!」
アロイスは笑顔を返すばかりであった。
用事は済んだので、部屋に帰ろう。踵を返そうとした瞬間、アロイスはユースディアを呼び止める。
「ディア」
「何よ――きゃあ!」
アロイスは突然、ユースディアの腰を引き寄せて膝の上に座らせる。ぬいぐるみを抱くようにぎゅっと抱きしめられ、首筋に唇が押し当てられた。
ゾワリと、肌が粟立つ。こういう日に限って、襟ぐりが開いた服を選んでしまうのだ。
当然、ユースディアは抗議する。
「ちょっ、こういうことをするために、来たんじゃないわよ」
「違ったのですか?」
「違うわよ! スクロールを、渡しに来ただけ!」
ズボンや上着に皺ができると訴えても、気にしないと返されてしまった。
「私が気にするのよ」
膝から退こうとしたが、アロイスは離そうとしない。
「ディア、しばらく、このままで」
今日は、大変な一日になるだろう。だから、アロイスはこうやって気分を鎮めているのかもしれない。ユースディアはまったく、気が収まらなかったが。
五分後、やっと解放してくれる。
「すみません。今日一日分のディアを摂取しておりました」
「そういうことだと思っていたわ」
アロイスは朝から、気力を大いに削いでくれた。けれどそれも、アロイスが頑張るため。必要な犠牲だったのだろう。
椅子に腰掛けたまま、アロイスは曇りのない笑顔を見せる。そして、とんでもないことを口にしたのだ。
「ユースディア、私はあなたを、心から愛しております」
全身が沸騰するかと思った。それくらいの、ありえない熱量が籠もった言葉だったのだ。
突然の告白に、ユースディアはその場に座り込む。アロイスは立ち上がり、ユースディアを支えてくれた。
「ディア、大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないでしょうが!」
朝から特大の衝撃を投下してくれた。立ち上がろうと思っても、力が入らない。
「なんで、今言うの!?」
「美しい薔薇庭園とか、星空のしたとか、そういうロマンチックなところがよかったのですか?」
「そういうのは望んでいないけれど、朝の忙しい時間に、サラッと言う言葉ではないでしょう?」
「サラッと、愛をお伝えしたかったのです。いつ、失ってしまうかもわからない、命ですので」
言い終えてから、しばし視線を宙に浮かせ「いや、違うな」と独りごちる。
「命はいつ失うかわからないので、愛の言葉をもって、あなたをここに引き留めたいと思ったのかもしれません」
愛は鎖なのだろう。ユースディアは身をもって痛感する。
「私が死んでも、ディアの中に盛大な未練を残していただきたいなと」
「怖いことを言わないで」
「怖いというのは、私が死ぬことですか? それとも、未練についてですか?」
「どっちもよ!」
呪いが発動するまでの期間が迫り、アロイスを感傷的にさせているのだろう。どこか、発言がいつもより後ろ向きだ。
「あなたは死なない。死なせはしない。絶対よ!」
「ええ」
「死を口にするのも、禁止!」
「はい」
「それから――」
言う前に、口を唇で塞がれてしまった。
火山のように沸騰していた思考は一瞬で消え去り、美しい花々が咲き誇る春のようになってしまう。
本当に、危険な男だ。
ユースディアはアロイスについて、改めて思ったのだった。
◇◇◇
夕方まで、ユースディアは家族と過ごした。
ヨハンやテレージアと一緒に庭を散策して薬草を摘み、午後からは薬草クッキーを作った。
おやつの時間が過ぎたあとは、絵本を読んでヨハンを昼寝させる。
そのあとは、テレージアとロマンス小説について語り倒した。
楽しい時間だった。あっという間に過ぎていく。
太陽は沈み、夜となった。
ヨハンはテレージアの部屋で休む。いつも使っている寝所には、ヨハンと同じ大きさのぬいぐるみが横たわっていた。
そこにヨハンがいるかのように、ユースディアはぬいぐるみに語りかけた。
「ヨハン、おやすみなさい。いい夢を」
今宵は満月。月光が、窓から部屋に差し込む。明るい夜だった。
フリーダは闇魔法使いの安息日を、作戦実行の日に選んだようだ。
ふーーと、深く息を吐き出す。落ち着け、落ち着けと言い聞かせたが、いっこうに落ち着かない。
アロイスは帰宅していない。今頃、フリーダの手の者に救出されたオスカーを尾行しているはずだ。
当然、オスカーは信用していない。
裏切り防止のためにいくつかの闇魔法をかけてある。もしもこちら側の作戦について密告したら、喉が焼き切れるような呪いに近い魔法である。作戦を成功に導くためだ。その辺、ぬかりはない。 窓の近くに、人の気配を感じた。ユースディアは気づかぬ振りをして、部屋を出る。
ついに、作戦が始まろうとしていた。ユースディアはドレスを脱ぎ、沼池の魔女の黒衣をまとった。
ガラスの割れる音が鳴り響く。すぐに、侍女が駆けつけた。
事情を知らない侍女は、絶叫する。
「ヨハン坊ちゃまが! ヨハン坊ちゃまが誰かに、連れて行かれました!」
想定していたよりも、派手な始まりである。予定では、一時間に一度の見回りのときに気づく予定だったが。
オスカーはぬいぐるみのヨハンをシーツに包み、飛び出していったようだ。
ユースディアは外に飛び出し、オスカーのあとを追う。
厩番に馬を用意させ、跨がった。
庭には騎士が大勢配置されている。庭師に扮した騎士に、オスカーがどちらへ向かったか尋ねた。
「屋敷の裏口から、夜市のほうへ向かう通りに向かっていきました」
「ありがとう」
これも、作戦通りである。夜市は深夜まで人でごった返している。人込みに紛れて、逃げるつもりなのだろう。
落ち合う先は、人が集まる時計塔広場。貴族御用達の劇場があり、夜公演が終わったあとはたくさんの人で溢れる。それを狙っているのだ。
途中途中で、潜伏している騎士隊の者達が、ユースディアを誘導してくれる。アロイスは、オスカーにつかず離れずの距離でいるらしい。
馬から下りて、夜市へ足を踏み入れた。
異国の珍しい料理を売る店には、長蛇の列ができていた。嬉しそうに、串焼き肉を頬張る男女の姿もある。夜市は若者のデートスポットらしい。
色鮮やかな飴や、虹色のわたあめなど、子どもが喜びそうな食べ物も売られていた。早い時間であれば、ヨハンを連れて行ってもいいかもしれない。そんなことを考えつつ、人と人の間を縫うように進んでいった。
やっとのことで、時計塔広場にたどり着く。すぐに変装した騎士が接近し、ある方向を指し示した。そこには、大きなシーツの包みを抱いたオスカーの姿がある。キョロキョロと、周囲を見回しているようだった。その背後に、アロイスらしき男性の姿がある。目立たない灰色の外套をまとい、頭巾を深く被っている。完全に、周囲の景色に溶け込んでいた。
時計塔の鐘が鳴る。同時に、夜公演を見終えた客が、劇場から出てくる。
一瞬にして、時計塔広場は荒波のような人込みの中に呑み込まれた。オスカーの姿も、どこにいるのかわからなくなる。
「――来ました」
いつの間にか傍にいた女性騎士が、ユースディアの耳元で囁いた。
ついに、フリーダがオスカーに接触したようだ。
今、どういう状況なのか。人が途切れることなく行き交っているので、様子はいっさいわからない。接近も、難しいだろう。急流の川を、横切るようなものだから。
人が通り過ぎたあと、ようやくユースディアにも状況が見えた。
オスカーは変装した騎士達に取り押さえられ、フリーダはアロイスが腕を掴んでいた。
ようやく、終わる。
周囲にいた騎士と共に、アロイスのもとへと向かった。
フリーダが、何かを叫んでいる。誰かに、助けを求めているようだった。
「異端審問局、見なさい! あたしを陥れた、闇魔法使いがやってきたよ!」
フリーダはユースディアに指差し、叫んだ。
異端審問局――かつては闇魔法使いを取り締まる組織だったが、現在は宗教関係や魔法信仰の集団を取り締まる任に就いている。
フリーダの呼びかけに応えるように、異端審問局の黒い制服をまとった者達がゾロゾロと出てきた。
「あの女、ディアは、アロイスに死の呪いをかけた闇魔法使いなんだ!」
「それは、調査しなければならない」
古の時代から行われてきた、闇魔法使いの審判を行うという。
「それってもしかして、水に一時間以上顔を浸けて、生きていたら闇魔法使い。死んでいたら闇魔法使いではないっていう、馬鹿げた方法で行う調査のこと?」
「そうだ」
異端審問局の局員がユースディアに手を伸ばした。もちろん、簡単に捕まるつもりはない。ひらりと躱し、アロイスのもとへと駆け寄った。
「あなたは、何を言っているのですか!? 私は、ディアに会う前から、呪われていました」
「闇魔法使いであることは、否定しないんだね?」
「別に、悪いことはしていないので」
フリーダは嬉しそうに高笑いし、異端審問局を振り返って叫んだ。
「聞いた? 彼女、闇魔法使いですって! 一緒に、アロイスも取り調べたらいい!」
異端審問局が動く。騎士隊も応じたが、数が多い。
傭兵を数名雇っているだろうと想像していたが、異端審問局が中隊を率いていたのだ。小隊で構成された騎士隊では、応戦できない。
異端審問局が襲いかかってくる。アロイスはフリーダから手を離し、ユースディアを守るように背中に隠し、剣を引き抜いた。
フリーダはオスカーのほうへ駆け寄る。オスカーもまた、異端審問局によって救出されていた。
ふたりの中にある愛は本物だったのか。そう思ったが――違った。
「ちょっと!! これ、ぬいぐるみじゃない!!」
フリーダの目的はオスカーではなく、ヨハンだったようだ。作戦を遂行できなかったオスカーを、フリーダは詰る。
「バカじゃないの? どうして、ぬいぐるみなんか――まさか、あんた、あたしを裏切ったっていうの!?」
オスカーには闇魔法がかかっている。そのため、言い訳すらできない。
「もう、いい。逃げるよ!」
このままでは、フリーダに逃げられてしまう。どうすればいいのか。そう思った瞬間、凜とした声が聞こえた。
「全軍、市民を避難させ、フリーダとフェルマー卿、それから騎士隊の活動を阻む異端審問局を捕らえよ!!」
王女が、親衛隊を率いてやってきた。
「王女殿下……!」
一瞬、王女と目が合う。大丈夫だと、微笑みを浮かべていたような気がした。
あっという間に、異端審問局は捕らえられ、広場から姿を消した。
残ったのは、騎士隊に囲まれたフリーダとオスカーのみ。
「なんてことを、してくれたんだよ!」
「フリーダ、それはこちらの台詞よ」
ギッと、フリーダはユースディアを睨む。
「あんたのせいで、計画が台無しだよ! この、偽闇魔法使い!」
「は?」
「自分は闇魔法使いって名乗って、アロイスの気を引いたんだろう? あんたの姑息な手口なんて、わかっているんだから!」
「いやいや、待って。あなた、私がいた森まで行って、闇魔法使いかどうか、調べに行ったんでしょう? 結界を確認したって、話を聞いたわ」
「結界は闇魔法で間違いなかったけれど、百年前に展開されたものだった。あんたはただ、森の奥地に住む、ただの女だったのよ」
まさか、アロイスの気を引くために自称闇魔法使いを名乗った女扱いをされていたとは。ユースディアは額を押さえ、「はー」とため息をつく。
「自称闇魔法使いに、呪いの罪をなすりつけるなんて、最低ね」
「当たり前だよ! あたしが先に目をつけた男を、あんたが横取りするから!」
フリーダは「ヨハンさえいれば……!」と悔しそうにしていた。
「ねえ、フリーダ。あなたの目的は、公爵家の財産だったの?」
「当たり前だ! でも、こういう状況になってしまえば、計画も破綻してしまった。あんたのせいでね!」
フリーダはそう叫んだ瞬間、突然魔法を展開させる。
魔法陣を見て、ユースディアはハッとなった。
「あれは、“両想いの杭”!?」
愛するものに向かって、胸から杭が突き出し、互いの心臓を打ち破るという闇魔法である。
魔法の発動は、愛だ。愛がないと、発動されない。とんでもない闇魔法である。
「ふたりとも、まとめて死にな!!」
「もう、いい加減にして」
ユースディアは手ぶらでやってきたわけではなかった。スクロールを取り出し、破って魔法を発動させる。
それは、“反転魔法”だ。
フリーダが発動させた“両想いの杭”をそのまま返す。
「ぎゃああああああああ!!!!!」
フリーダは悲鳴を上げる。オスカーの胸から出た杭が、心臓を突き破ったのだ。
一方で、フリーダの胸から杭は出ていない。
「フリーダ……! 嘘だろう? 俺を、愛していなかったのか?」
「あ、当たり前、でしょう?」
「俺は、人生だけでなく、財産も捧げてきたのに……!」
フリーダは血を吐き、にやりと笑いながら言葉を返した。
「あんたは、いい、金蔓、だったわ!」
フリーダは息も絶え絶えに言葉を続ける。
「あたしは、これから、贅沢な暮らしを、するの。見目のいい男を侍らせて、誰もが、羨む――」
そのまま、フリーダは誰からも支えられることなく倒れた。騎士隊の隊員が駆け寄るも、息絶えているという。
「愛は、一方的な思いや、お金では、絶対に、手に、入らないの。フリーダ、本当バカね」
やはり、ユースディアとフリーダは似ている存在だったのだ。
ただ、ユースディアは途中で気づいた。金で、何もかも手に入るわけではないと。
「可哀想な人」
自分もこうなっていたかもしれないのだ。ユースディアは体をぶるりと震わせる。
「ディア……」
「アロイス。そういえば、呪いは!?」
アロイスの額に、黒い魔法陣が浮かび上がり、弾けて消えた。
ユースディアは目を眇めてアロイスを見る。呪いの靄が、なくなっていた。
「ねえ、呪いが!!」
「消えた……?」
フリーダが死に、アロイスは呪いから解放された。
“人を呪わば穴二つ”、という異国の言葉がある。フリーダはまさしく、その通りの結末を迎えてしまったようだ。
フリーダの死をもって、事件は解決する。
後味の悪い最期だった。始まりが殺意ある感情からだったので、仕方がない。
ユースディアはそう思いながら、フリーダの亡骸に背中を向けた。
◇◇◇
時計塔広場で起こった事件は、大々的に報じられた。
アロイスの愛を得るために、悪い闇魔法使いと善い闇魔法使いの戦いが繰り広げられていたと、一面にでかでかと載っていた。
事件の経緯が、かなり詳細に書かれている。
闇魔法の正しい知識を広げるために、アロイスが取材に応じたのだ。
新聞には、ユースディアの表沙汰になっていなかった献身も、少々誇張されつつ書かれていた。
そのおかげか、闇魔法使いであるというのに、差別的な目で見られることはなかった。それどころか、ロマンス小説のようだという声が集まっているという。
事実、アロイスはロマンス小説のヒーローのように美しい上に心優しく、勇敢だった。
しばらく事件関係で奔走していたようだが、一ヶ月も経てば落ち着く。
だが、すべての問題が解決したわけではない。
死んでしまったフリーダについて、ヨハンにどう説明すべきか。公爵家の面々は頭を悩ませる。
母親の死は、ヨハンの心に影を落とすだろう。今、真実を伝えるべきではないと強く主張しているのは、テレージアであった。
逆に、本当のことを伝えるべきであると主張するのはアロイス。
ユースディアはふたりの主張の間に挟まれてしまった。
じっくり話し合った結果、フリーダの死のみを伝えることとなった。
新聞でフリーダの実名は報道されていない。きっと、ヨハンが母親の罪について知ることは永遠にないだろう。
アロイスがフリーダの死を告げたところ、ヨハンは静かに涙した。
ユースディアは小さく震えるヨハンの体を、ぎゅっと抱きしめる。
フリーダのように、ヨハンを孤独にさせない。どうか、彼の人生に光が満ちていますように。
闇の中で生きるユースディアであったが、このときばかりは光を願ってしまった。
その後、ヨハンはテレージアの養子となり、アロイスの弟となる。
これまで通り、公爵家の面々が溺愛したのは言うまでもない。
◇◇◇
アロイスとユースディアの中にあった契約は、呪いが解かれたのと同時に終了となった。
それは、アロイスが死んだら、ユースディアに財産が転がり込んでくるというものである。
そのあとにアロイスが勝手に作った遺言書ごと、破棄したのだ。
ユースディアの監視のもと、新たな遺言書が作られる。それは、アロイスが死んだあと爵位の継承権の第一位はヨハン、第二位はアロイスの子ども、第三位は叔父というもの。
ユースディアはアロイスが座る椅子の肘置きに腰掛け、書いた遺言書を確認し、大丈夫だと頷いた。
その瞬間、アロイスはユースディアを引き寄せ、膝の上に座らせる。
ユースディアは抵抗せず、その状態を受け入れつつ話を続ける。
「血の契約は、まあ、そのままでいいわね」
アロイスがユースディアに誓ったのは、「あなたを、絶対に裏切りません」というもの。
「こんなこともあろうかと、ディアに触れませんとか、愛しませんという内容は入れなかったんですよね」
「あのとき、そこまで目論んでいたのは怖いとしか言いようがないわ」
ここでふと気づく。将来、アロイスが愛人を迎えた瞬間、息絶えてしまうのでは、と。血の契約とは、そういうものだ。契約から外れた行動を取ると、途端に命を刈り取る。
「あなた、この先私なんかを正式な妻として迎えたら、愛人を作れないわよ」
「なぜ、ディアがいるのに、愛人を迎える必要があるのですか?」
「だって、男は浮気をする生き物でしょう?」
「そういう愚かな個体が多いだけでは?」
「あなたは、違うと?」
アロイスは深々と頷く。自分を浮気する男の仲間に加えないでほしいと、切実に訴えていた。
ユースディアを抱き上げて立ち上がった。長椅子のほうへと移動し、ゆっくりと下ろす。アロイス自身も、隣に座った。
見つめ合う状態となり、アロイスは真剣に思いの丈をぶつけてくる。
「私が欲しいのは、今も昔も、あなたひとりだけです。ディアのほうこそ、他の男性を好きになったときは――」
「ときは?」
アロイスは笑顔だが、底知れぬ圧を感じた。じわりと、額に汗が滲む。蛇に睨まれた蛙状態と言えばいいのか。
「私以外の男性に気が向かないよう、寝室に閉じ込めてしまうかもしれません」
「怖いから、そういう状態になったら、いっそのこと殺してちょうだい」
「私に、ディアが殺せるわけがないでしょう」
背筋が凍る思いをこれでもかと味わったので、この話は止めよう。ユースディアは提案する。
「では、何をお話ししましょう」
「これからのこと?」
「そうですね。具体的には、遺言書に書いた、爵位の継承権第二位について、お話ししたいですね」
「継承権第二位って、子どものこと?」
「はい」
満面の笑みを浮かべ、アロイスは頷いた。
「言っておくけれど、私が子どもを産める体かどうか、わからないわよ」
「私だって同じです。子種がないかもしれない。あまり知られておりませんが、子どもができない原因は、男女ともにあるのですよ」
「そうなのね」
「だから、もしも子どもができなくても、諦めずに生涯の目標とすべきなんです」
「ちょっと、ワケがわからないことを言っているわよ」
「ずっと我慢していたんです。ワケがわからないことのひとつやふたつ、言ってしまうのは不思議でもなんでもありません」
アロイスはこれまで、紳士だった。キスだって、誓いをしたとき以外はしていない。
きっと、自分の感情は後回しにして、ユースディアを大事にしてくれていたのだろう。
呪いは解けた。事件も、解決した。拒絶する理由は、ひとつもない。
これからは、アロイスの気持ちに応えるべきなのだろう。
だって、ユースディアも同じ気持ちなのだから。
「あなた、本当に、私でいいの? 呪いが解けて喜ぶあまり、視野が狭くなっているんじゃない?」
「ディアがいいのですよ。あなた以外、妻となる女性はこの世に存在しないのです」
アロイスの熱すぎる視線を受けながら、どうしてここまで気に入られてしまったのか考える。
生活費を焼いて、アロイスを助けたことがきっかけだった。あのとき、沼池の魔女らしく彼を放っていたら、今の運命はまったく異なるものになっていたに違いない。
アロイスの手を取っていなかったユースディアは、きっと今頃森の住み家で、何度も読んだロマンス小説しか楽しみがない生活を送っていただろう。
それもいい。けれど、アロイスがいる人生は、もっといいもののように思えてならない。
じっと見つめるアロイスの瞳に、不安が陰ったような気がした。ユースディアは仕方がないとばかりに、素直な気持ちを口にする。
「私、あなたのこと、嫌いじゃないわ」
「それって、けっこう好き、という意味ですか?」
「どこをどう聞いたら、そうなるのよ」
「かなり前向きなんです」
「本当に?」
自分の中にある感情は、他人から見たらまったく見えない。察してくれなどというのは、愚の骨頂である。
だから、自らの発言を修正した。
「嫌いじゃない、というのは間違いだったわ」
膝にあったアロイスの手をぎゅっと握り、耳元で囁いた。
「アロイスが、大好き」
アロイスは瞠目したのちに、幸せそうに目を細める。その表情を見ていたら、ユースディアまで心が満たされた。
永遠の愛を誓い、愛ある口づけを交わす。
それから、ユースディアは闇魔法をよい方向へと導く活動に情熱を注いだ。
闇魔法から、月光術という名に変え、血肉を対価としない魔法のみを、弟子に伝えていった。
それ以外では、王女の薬学の研究を助け、多くの命を救う薬を開発した。
テレージアとの関係も良好だった。
ユースディアの勧めでテレージアは自分でもロマンス小説を書くようになり、五十五歳でデビューを果たす。初版三千部から始まった本は、百万部のヒットとなった。
今では複数の出版社から本を出す、売れっ子ロマンス小説作家となっている。
アマーリエ姫は王太子に輿入れし、王太子妃となった。相変わらず社交は苦手だが、苦手なりに頑張っている模様。
リリィはそんな王太子妃を、影ながら支えていた。
オスカーは罪を償い、釈放されたあとは――驚くべきことに、王女の親衛隊へ戻った。
王女自ら、復職するように命じたのだ。
オスカーは騎士として、真面目に働くようになる。
彼は、救われたのだ。
夫婦は結婚三年目の春に、子どもに恵まれる。
アロイス似の美貌を持って生まれた女の子であった。
ユースディアに似て皮肉屋なところもあったが、根は素直で公爵家の面々に愛される。
ヨハンは初めての従妹にメロメロになり、次第に愛するようになった。
そんなふたりが婚約を交わし、幸せな中で結婚したというのは、また別のお話。
ユースディアとアロイスは喧嘩することもあったが、仲直りは比較的早い。
いつもいつでも仲睦まじい夫婦として、社交界で名を馳せていた。
そんなワケで、アロイスとユースディアの物語は、ハッピーエンドで終わるのだった。




