魔女は誓う
それから数日もの間、ユースディアは療養する。
その間、ヨハンやリリィが見舞いにきてくれた。王女や姫からも、ユースディアを心配する手紙と見舞いの品が届いた。
フリーダの不在について、ヨハンには旅行だと伝えているらしい。以前から、黙って数日家を空けることがあったためにさほど気にしていないようだ。その辺は、ホッとしたと言うべきか。
罪もない子どもを悲しませてはいけない。これは、公爵家にいるすべての大人が思うことであった。
三日後――ユースディアは完全復活した。
王女には「しばらく安静にしておきます」という手紙を送り、フリーダ捜しに集中する。
ひとまず、ひとりで動かないように言われているので、アロイスの帰宅を待つ。
彼もまた、フリーダを捜索するために、早めに仕事を切り上げてくるようだ。
「ただいま戻りました」
アロイスが笑顔で帰宅する。ユースディアの傍に寄り、頬に口づけする。ここ最近は、ずっとこの調子である。ユースディアは別に嫌ではなかったので、好きにさせておいた。
「今日、フェルマー卿の取り調べに参加したんです」
事件から一週間、オスカーは沈黙を続けていた。しかし、アロイスが取り調べを行った結果、フリーダとの関与を認めたのだという。
「どうやら、フェルマー卿と義姉は、兄と結婚する前から恋仲にあったようです」
「最低ね」
フリーダの計画ではレオンの子を産み、殺して財産を手にしたあと、オスカーと結婚する気だったらしい。
事故は、闇魔法を使って起こしたものであった。車輪に魔法を仕掛け、月明かりの下に出たら発動されるようにしていたらしい。
月夜の晩に出かけたレオンは、馬車の事故に呑まれ、命を落とした。
証拠となる馬車は、すでに処分してしまったらしい。
これで、フリーダは公爵家の財産のすべてを得ることができる。と、喜んでいたのもつかの間のこと。想定外の事態となる。
レオンは遺産相続人を息子であるヨハンではなく、弟であるアロイスにしていたのだ。爵位の継承も同じく。
遺言状に書かれていたために、死後初めて公開されたようだ。
フリーダはてっきり、レオンが死んだら何もかも手に入ると思い込んでいたらしい。
「ディアは、私が死んだあとに殺すつもりだったようです」
計画が早まったのは、探偵の出現がきっかけだった。
事件の三日前に探偵と面会しているという情報を、フリーダの侍女が掴んでオスカーに連絡したらしい。
「フェルマー卿は私が探偵に依頼したと、勘違いしていたようね」
「本当に、申し訳なかったなと。私のせいで、ディアを危険に晒しました。探偵との接触は、避けるべきだったのかもしれません」
「でもまあ、こうしてフェルマー卿を捕まえられたわけだし」
ユースディアが闇魔法使いであるというのは、わざわざユースディアの家までフリーダと共に何者かが確認に行ったらしい。
結界のせいで家に入れなかったが、展開されていた術式から、闇魔法使いであるという情報を得たという。
「この辺の情報は、私に同行した御者から買い取ったそうです」
主人の情報を売る使用人が、公爵家には数名紛れ込んでいたようだ。フリーダとオスカーの協力者を洗い出すために、ユースディアが作った自白ワインを使ったという。
結果、十名ほどの協力者がいたということが判明する。
「フェルマー卿の取り調べも、自白ワインを使ったほうが早かったですね。ものすごく、大変でした」
「どうやって吐き出させたのよ」
「内緒です」
とんでもなく恐ろしいことをしたのだろうが、詳しく聞く気にはならなかった。
「昨晩、フェルマー卿を救出する計画を、手に入れました」
「それって、フリーダがフェルマー卿を助けに行くってこと?」
「いえ、おそらくですが、金で雇った者を派遣するのでしょう」
そこには、オスカーの救出以外の作戦も書かれていた。
「ヨハンを連れ戻すという計画です」
「公爵邸に忍び込んで、誘拐させるってこと?」
「ええ」
作戦が実行される前に、把握できてよかった。ユースディアは心から安堵する。
「これを利用して、義姉を炙り出す計画が立てられました。ディアにも、協力していただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「もちろんよ!」
フリーダの暗躍など、二度と許してはならない。捕まえて罪を償ってもらわなければ死したレオンの魂も安らかにならないだろう。
「作戦は、こちらの息がかかったフェルマー卿を一旦逃がし、公爵邸でヨハンに見立てたぬいぐるみを誘拐させます。そのあと、フリーダと落ち合ったところを捕まえる――というものです」
ユースディアの仕事は、フリーダへ呪いの解呪を促す、というもの。
「闇魔法使いには、闇魔法使いを。基本ね」
「ええ」
「上手くいくかわからないけれど、やってみるわ」
「お願いします」
計画の予定は一週間後らしい。それまで警戒を怠らず、打倒フリーダを目指す。
「一週間、休みをいただきました。可能な限り、ディアやヨハンと過ごしたいです」
「そうね」
アロイスの呪いが発動されるまで、あと十日。時間は残されていない。
もしも、というのは考えないようにする。でないと、あまりにも辛いことだから。
◇◇◇
公爵邸に、王女と姫が訪問する。ユースディアを心配し、訪問してきたようだ。
姫の侍女であるリリィも、一緒にやってきている。
「ディア様、お元気そうで、何よりです」
姫は瞳を潤ませながら、ユースディアの快方を喜んでいた。
「ディア、あなたがいないと、研究が滞ってならないわ。早く復帰なさい」
王女も王女なりに、心配していたようだ。本当に迷惑に思っていたら、こうして訪問していないだろう。
「それにしても、申し訳なかったわね」
オスカーが起こした事件に、王女は心を痛めている様子だった。
「もっと私が周囲を気にして、誰が信用に足る人物かと見極めておく必要があった」
王女はユースディアに頭を下げる。悪かった、と。
「王女様、お顔を上げてください」
「私の騎士だった。無関係とはとても言えない。完全な、監督不足だろう」
オスカーは金を積んで王女の騎士となった。歴史ある家の娘であるフリーダと一緒になりたかったので、必死だったのだろう。
「私も、研究費の金欲しさに、奴を受け入れてしまった。恥ずべきことだろう」
ここで、姫が小首を傾げながら質問する。
「エリーゼ様、研究というのは?」
「薬草学だ。今、腰痛を治す軟膏湿布の治験が終わって販売先を探しているところなのだが」
誰に話しても、腰痛と無縁だと言われて契約を断られてしまったという。
「あの、王女殿下、どなたに売り込んだのですか?」
「リツア薬局と、ハルマーク薬堂のふたつだ」
ユースディアは額に手を当てて、はーーとため息をつく。
「な、なんだ、そのため息は!?」
「リツア薬局と、ハルマーク薬堂。どちらも貴族御用達の商店ですよ」
「そうだが?」
そこでの売れ筋は、睡眠覚醒剤である。夜遊びをした貴族が、翌日もシャッキリと活動できるよう促す薬である。
「そのふたつは、売れ筋商品が一般的な薬局とはかけ離れております」
王女と一緒にポカンとしていた姫だったが、どうすればいいのか気づいたのだろう。
「エリーゼ様、貴族は腰痛になりませんわ。腰痛で苦しんでいるのは、労働者階級の方々かと」
「あ――ああ! そうか!」
軟膏湿布は労働者階級に向けて販売したら、飛ぶように売れるだろう。
ユースディアが森に住んでいたときにも、腰痛が酷いので薬がほしいと訴える者は結構多かった。
「街にある薬局を中心に、営業してみるか」
「待ってください」
「なんだ?」
「営業は、王女殿下ではなく、他の者がしたほうがいいかと」
人には向き、不向きというものがある。王女は薬学において天才的な才能があるのかもしれないが、それを他の部門に期待してはいけない。
「私が作った物だ。責任を持って、見届けたい」
「王女殿下が直接訪問したら、薬局の者も驚いて、商品の本質を見て戴けないかと」
「むう……そうか。今一度、考えてみよう」
ここで、茶会は解散となる。賑やかな一行は、このあと街で人気の喫茶店に行くらしい。
平和なものだと思いつつ、ユースディアは見送ったのだった。
午後からは、ヨハンと過ごす。最近リリィが来ないので、寂しい思いをしているようだ。
母フリーダについて触れないのは、彼なりに気を使っているのか。六歳の子どもだというのに、酷く達観しているところがある。
今日はムクムクを描くため、画材がテーブルに広げられた。
モデルとなったムクムクは、木の実を持ったまま動かないよう命じられる。ヨハンは真剣な眼差しで、見るたびにポーズが変わるムクムクを描いていた。
「できました!」
「あら、上手じゃない」
「えへへ」
ユースディアは額装し、食堂に飾るよう侍女に命じておいた。
「夕食のとき、ヨハンの絵が飾られているから、驚くはずよ」
「楽しみです」
にっこり微笑むヨハンの頭を、ユースディアは優しく撫でる。どこか、寂しそうに見えたので、そのまま傍に引き寄せてぎゅっと抱きしめた。
「本当に、可愛い子」
フリーダはどうして、素直で可愛いヨハンに愛情をかけないのか。考えていると、だんだん腹立たしくなる。
「最近、ぼくは、幸せです」
「え?」
「お祖母様がいて、アロイス叔父さまがいて、ディア様がいて、たまに、リリィさまがやってきて――以前よりも、ぼくの周りは、ずっと賑やかになりました。こういう毎日が、続けばいいなと、思っています」
「ヨハン……」
彼の幸せな日常に、フリーダはいなかった。それでいい。ユースディアはそう思いながら、ヨハンを抱きしめていた。
夕方になると、アロイスと茶を飲む時間となる。並んで座りつつ飲むのがお決まりだ。
砂糖をたっぷり入れた甘ったるいミルクティーを、ユースディアはちびちび飲む。疲れているからだろうか。普段ならば顔を顰めるレベルの甘さなのに、おいしく感じる。
窓から夕日が差し込み、一日が終わる色をユースディアはじっと眺めていた。
「ディア、今日は、王女殿下と姫様がいらっしゃったようですね」
「嵐と春が一気に訪れたようだったわ」
ユースディアの物言いに、アロイスは笑みを深めた。
現在、アロイスはフリーダについて調査しているという。すると、実家である伯爵家が闇魔法使いの系譜であることが明らかとなった。
実家の地下からは、所持が禁じられている魔法書が大量に見つかったらしい。
「こういう事件があるから、闇魔法のイメージは悪くなるのよ」
「ええ。闇魔法について、皆が皆、知らないというのも大きいでしょうね」
魔法使いにも、悪人は大勢いた。けれど、それに関しての認識は低いままだ。
「そもそも闇魔法、という名前がよくないのかもしれませんね」
「たしかに。闇があるから、魔法が使えるわけではないのに」
「月光術とか、そういう名前はいかがでしょう?」
「普通にいいわね」
アロイスは思いがけない提案をする。それは、闇魔法について理解を深めるサロンを開いたらどうか、というものであった。
「あなたね、自分の妻が闇魔法使いなんて、世間に知られたらとんでもないことになるわよ」
「私は、事件が解決したら、包み隠さず公表するつもりです。もちろん、ディアがよければ、ですけれど」
「本気?」
「もちろん。今後、ディアが闇魔法使いであることを隠して、居心地悪く生きるような世の中であってはいけないと考えています」
「アロイス……」
闇魔法が正しく理解される世の中にする。そんな働きは、これまでの歴史において一度もなかった。理解してもらうためには、かなりの労力がかかるだろう。
「まあ、その前に、呪いを解かなければいけないのですが」
「そうね」
もうすぐ、アロイスの呪いが発動される。フリーダの工作のために、半年後に命が奪われるという構造になっていた。その間、アロイスは苦しみ続けてきた。絶対に、許せるものではない。
「つい先日、遺言書を、用意しました」
「なんでよ」
「何があるかわからない世の中ですので」
通常であれば、爵位を継ぐのと同時に用意するらしい。アロイスはバタバタするあまり、作成が遅くなってしまったようだ。
「王太子殿下にお願いして、公爵家の爵位はディアが継ぐようにお願いしました」
「は?」
「後見人は、国王陛下です」
「ちょっと待って! どうしてそういうことになっているのよ! 何もかも、ありえないわ!」
全財産はほしいが、爵位はいらない。そう主張しても、遺言書は受理されてしまったと。
「心配しないでください。執務関係は困らないよう、信用している従兄に頼んでいますから。ディアが公爵になったさいには、ふんぞり返って贅沢な暮らしをすればいいだけになっています」
「至れり尽くせりじゃない! いやいや、そうじゃなくて!」
そんなものは望んでいない。ほんのちょっと、遊んで暮らせるほどの金がほしかっただけだ。
「もう、今となっては、意味がないものなのよ」
「意味がない、とは?」
アロイスは首を傾げる。隙だらけの頬を引っ叩きたくなったが、奥歯をギリッと噛みしめて耐えた。
「この家に、あなたがいないと、意味がないの! それだけ!」
もしも、アロイスが死んだら、ユースディアは何もかも放棄して家を出て行くつもりだ。
しばらく、ヨハンやテレージアを励ますために残るかもしれない。それでも、長居はしないと決めている。
ユースディアがここにいる理由はただひとつ。アロイスがいるからだ。
今日は少しだけ思いを伝えてみようと思い、素直な気持ちを口にしてみた。アロイスはハッと目を見開き、確認するように問いかける。
「ディア、それは、本当ですか?」
「私がこれまで、あなたに嘘を吐いたことがあった?」
「ないです。一度も、ない」
アロイスはユースディアのほうを向いて、頬にそっと触れる。
頬に触れた指先が熱いので、顔が火照ってしまうのだろう。ユースディアはそう思い込んでいた。
「必要としていただけるなんて、嬉しいです」
「あなたなんて、必要としている人だらけよ」
「そんなこと――」
「あるから」
ユースディアはアロイスのことを、発言のどこまでが本気かわからない、うさんくさい男だと思っていた。
けれど、本当の彼は、孤独で、自らを見てもらえずに苦しみ、誰にも期待しないで生きることを決めた寂しそうな男性だった。
ユースディアに出会ってから、変わったという。少しずつ、周囲に自分を示していった。他人に甘えることも覚えたら、人生がずっと楽になったという。すべては、ユースディアのおかげだとも。
「ディア、呪いが解けても、私の妻でいてくれますか?」
まっすぐな目で、乞われる。こんな熱い眼差しでユースディアを見つめるのは、アロイスしかいないだろう。
「あなたが、望むのであれば」
アロイスは囁くような小さな声で、「誓いを」と耳元で囁いた。
ユースディアは瞼を閉じる。
ふたりの中で交わされた誓いは、唇によって封じられた。
約束は永遠のものとなる。




