魔女は闇魔法を使う
国王の生誕祭は、大いに盛り上がっているようだ。道行く人達は、露天で売っている食べ物をおいしそうに頬張っていた。
夜の花火が楽しみだとか、パレードが素敵だったとか、さまざまな会話がユースディアの耳に届く。
皆が安全に国王の生誕祭を楽しめるよう、アロイスは奔走していたのだ。話を聞いていると、誇らしい気持ちになる。
一度足を止めて、王城を振り返った。
天を衝くようにそびえ立つ城――そこに、アロイスがいる。
ふいに、胸が、ぎゅっと締めつけられた。
ユースディアは、アロイスの財産目的で結婚した。けれど、一緒に過ごすうちに、アロイス自体も欲しくなったのだ。
沼池の魔女はごうつくばりで、欲張りなのだ。
歴代、そういう性質の者が技術を引き継いでいるので、仕方がない話である。
もしも、夜宴にアロイスを呪った者がいるならば、捕まえて殴り飛ばしてやる。ユースディアはそう、心に決めていた。
時間が経つにつれて、通りに人が増えていく。誰も、黒衣のユースディアなんて気にしない。各々、祭りを楽しんでいるようだった。
今宵は満月。地上に魔力が満ちるとき。
一歩、一歩と進むうちに、緊張感が高まっていく。
足早に進んでいたのに、途中で声をかけられてしまった。
「お姉さん、国王陛下の生誕祭を記念した、夜明灯はいかがかな?」
露天の店主が掲げたのは、紙で作られた王家の紋章入りのランタンであった。
中には粗悪品の魔石が入っており、周囲をほんのりと照らしている。おそらく、一晩保つか保たないかくらいの品質だろう。
この先、暗くなるかもしれない。ユースディアは店主にコインを渡し、夜明灯を受け取った。
それから、人と人の間を縫うようにして、下町のほうへと進んでいく。
月明かりが、思いのほか路地を明るく照らしていた。
体が、いつもより軽い。長年馴染んでいる自身の中に刻まれている闇魔法の呪文が、活性化されているからだろう。普段から感じる倦怠感が嘘のようだった。
闇魔法使いの夜宴とは、いったい何が行われているのだろうか。怪しさだけは満点である。
一時間後――ようやくたどり着いた。
「ここね」
独り言を呟きつつ、窓から中の様子を覗き込む。何やらぼんやりと灯りが見えるものの、周囲の状況はいまいちわからない。人の気配もないように思える。
国王の生誕祭に乗じたいたずらだったのか。そんなことを考えていると、扉がギイ……と不気味な音を立てて開いた。
「――ッ!!」
思いがけない物を見て、悲鳴を上げそうになった。
扉の内側には血で描いた魔法陣が描かれていて、中心にナイフに刺さったヘビがぶらさがっていたのだ。まだ生きているようで、尾がゆらゆらと動いている。
これは、扉を自動で開け閉めする趣味の悪い闇魔法であった。ユースディアはナイフを取り出して、ヘビを断つ。すぐに息絶え、動かなくなった。
「最悪」
ここで、本物の闇魔法使いが関わっているものだとわかってしまった。
いったい、誰が仕掛けたものなのか。腹立たしく思いつつ、建物の中へと足を踏み入れた。
夜明灯で室内を照らしつつ、先へと進む。ただの民家のようだが、埃っぽくて生活感はまるでない。足下には火が灯った蝋燭が置かれた髑髏が、不気味な様子で並んでいた。
髑髏のある方向へ進むよう、促しているのだろう。
会場となった家には地下部屋があった。髑髏は、階段にもポツポツと置かれてあった。
ユースディアは警戒しつつ進んでいく。
階段を下りた先でやっと、人の気配を感じる。通路を進んだ先に、おそらく十名以上の人々がいるだろう。
胸はバクバク。やたら喉が渇いていた。
ここから先に進んだら、きっとあとには戻れないのだろう。
息を大きく吸い込んで――吐く。大丈夫、大丈夫と言い聞かせても、落ち着かない。それどころか、不安な気持ちはふくらんでいくばかりだ。
それでも、行くしかない。アロイスの呪いを解くヒントがあるかもしれないからだ。
コツン、コツンと、靴の踵の音が鳴り響く。
扉の前までやってきたユースディアは、思いっきり蹴り開けた。
古くなっている扉だったのだろう。蝶番は外れ、あっさり倒れる。
扉の向こう側には、鳥に似た仮面を被った黒衣の闇魔法使いがいた。ユースディアが扉を蹴って開けるとは想像もしていなかったからか、うろたえているように見えた。
ざまあみろと、内心思う。
部屋は、四方を囲むように髑髏の蝋燭が並べられただけの、薄暗い空間であった。中心には祭壇が置かれ、背の高い男が血で赤く染めた髑髏を手に持った状態でユースディアを見つめていた。
「あなた達ね、国王陛下の生誕祭に、何をしているのよ」
ユースディアの問いかけに、答える者はいない。
祭壇に接近すると、周囲にいた闇魔法使いはユースディアに道を譲る。そのまま部屋の外へ出て行った。
部屋には、ユースディアと男がふたりきりになる。
「ねえ、呪いをかけたのは、あなたなの?」
証拠はないのに、責めるようにユースディアは問いかけた。仮面を付けているので、相手がどのような表情をしているかはわからない。けれど、何か憎しみのような感情が、ユースディアに向けられているような気がしてならないのだ。
「それとも、誰かに依頼されたのかしら? 早く、言ったほうがいいわよ。私を敵に回したら、大変なことになるんだから」
思っていた以上に、口が堅い。
いったい何の目的で、ユースディアを呼び出したのか。
「ねえ――」
そう声をかけた瞬間、急に男が動く。祭壇にかけてあった布をユースディアに投げつけ、体当たりしてきた。
「ぐっ!?」
想定以上の衝撃に、奥歯を噛みしめる。ユースディアの体は宙を舞い、床に叩きつけられたあともぐるぐると転がって壁にぶつかる。
視界の端で、髑髏と蝋燭がバラバラに飛び交っていた。黒衣に火が移らなくてよかったと安堵したのもほんの数秒のこと。
みぞおちが、信じられないくらい熱いのに気づいた。何かの魔法か。そう思って触れたら、ぬるりとした液体状のものに触れた。
「――え?」
それが何か、理解するのに数秒かかった。熱の正体に気づいた瞬間、鋭い痛みに襲われる。
よく熟れた桃から、汁が滴り落ちるようだとユースディアは他人ごとのように思う。
血がこれ以上滴らないよう、拳を握って押さえた。
ぶつかっただけだと思っていたが、どうやら鋭利な何かで刺されていたようだ。
頭上より、「ハア、ハア」という荒い息づかいが聞こえた。顔を上げると、手には真っ赤に染まったナイフを握った男がいた。
仮面の奥にある瞳と、視線が交わる。どこかで見た記憶のある目だった。
「俺の周囲を、こそこそ嗅ぎ回りやがって!!」
どこかで聞いた声である。そう思ったのと同時に、男は手にしていた血まみれのナイフを再び振り上げた。
出血のせいか、上手く体が動かない。ユースディアは歯を食いしばり、衝撃に備えた。
「ぎゃあっ!!」
悲鳴はユースディアのものではなく、男のものだった。
ナイフを握る手に、ムクムクが噛みついていた。
臆病なムクムクが、勇気を振り絞ってユースディアを助けてくれたのだ。胸がジンと震えるのと同時に、ユースディアは反撃を試みる。
「まったく、ふざけたことをしてくれたわね」
傷口から手を離す。血が、ドクドクと傷口から湧き出てきた。ユースディアは指先で血を掬い取り、魔法陣を描いた。
「これが、正真正銘の、“闇魔法”よ!!」
血で真っ赤になった手のひらを、魔法陣の上に叩きつけた。
「クソ、クソ! この、リスめ!!」
『ううううううう!!』
男が手を大きく振りかぶった瞬間、ムクムクの体は宙を舞った。石の床の上に叩きつけられ、動かなくなる。
「ふん! 人間様を噛みつくから、そうなるんだ。因果応報だっ――!」
男は立ち止まり、口の端からツーと血を滴らせる。
「は?」
腹部を押さえ、糸が切れた操り人形のように膝を突いた。
「な、な、なんだ、こ、これは!?」
男は、腹部から手を離す。すると、手のひらが真っ赤に染まっていた。
「なっ、う、うわあああああああ!!!!」
血が、噴水のように噴き出てきた。男は床の上に転がり、ジタバタと暴れる。
「クソ、魔女!! 俺に、何をしたんだ!?」
「反転魔法、よ」
ユースディアはのっそりと立ち上がり、男の問いかけに答える。
視界が、ぐらりと揺れた。怪我は塞がったが、失った血は取り戻せない。すこぶる気分は悪かったが、男に悟られないよう毅然とした態度でいるよう努めた。
「反転、魔法、だと? な、なんだ、それは!?」
「受けた傷を、相手にそのまま返す闇魔法よ。あなたの言葉を借りるならば、因果応報、ね」
「ば、化け物!!」
「何が化け物よ。人のことをナイフで突き刺しておいて。あなたのほうが、よほど化け物のように思えるわ」
「う、うるさい!!」
ユースディアはため息を吐きつつ、床に転がっているムクムクを抱き上げた。
気まずそうな表情なムクムクと、目が合う。
『ご主人、その、大丈夫ですか?』
「おかげさまでね」
『よ、よかったですう』
ユースディアは安堵の息を吐くムクムクをポケットに入れ、床の上でのたうち回る男の仮面を引き剥いだ。
「や、止めろ!」
「何が止めろ、よ」
男の顔を見て、ユースディアは「やっぱり」と呆れたように呟く。
「フェルマー卿、あなた、自分が何をしたのか、わかっているの?」
「う、うるさい」
「あなたは――闇魔法の使い手ではないわね」
もしも闇魔法に精通していたら、ユースディアを刺すなどという愚かな行為は働かなかっただろう。
闇魔法は血肉を使って行う魔法がある。その中でも、受けたダメージを相手に返す反転の呪術は、闇魔法を代表するようなものだ。
「誰かに頼まれたの?」
「……」
「早く答えないと、出血多量で死んでしまうわよ」
「……さい」
「ん?」
「うるさい!!」
オスカーが叫んだのと同時に、先ほど部屋から出て行った黒衣の者達が戻ってきた。
「お、おい、お前ら、この、この女を、殺せ!!」
金で雇った者なのか。ユースディアはチッと舌打ちする。
反転の魔法は多勢に対して発動するのは不可能に近い。黒衣の者達は、十名以上いる。
もう一つ、血を使った攻撃魔法があるが、先ほど刺されて血を失ったばかりである。これ以上血を失ったら、ユースディアも危機的な状況に追い込まれてしまう。
だんだんと、視界が歪んできた。奥歯を食いしばった。
「フェルマー卿……。私を殺したら、夫が、黙って、いないわ」
「口が減らない女だな。おい、この女を殺した者には、追加で金貨十枚払うぞ!!」
オスカーがそう叫んだ瞬間、ユースディアは腰ベルトのナイフを引き抜いた。
血を、肉を、捧げよう。
闇魔法の恐ろしさを、今こそ知らしめてやる。
そんな気分で、ユースディアはオスカーと対峙していた。
「殺せ!!」
「誰が、誰を、殺す、と?」
落ち着いているのに、どこか激しく燃えるような声が聞こえる。
よくよく知っている声を耳にしたユースディアは、その場にぺたんと膝をつく。
「お、お前は――アロイス・フォン・アスカニア!?」
オスカーの言葉に反応せず、アロイスはユースディアのもとへ駆け寄った。
「ディア!!」
抱きしめようと触れた瞬間、血で濡れた部分に触れたのだろう。ギョッとしていた。
「ディア、怪我を!?」
「大丈夫。私は、平気。それよりも――」
黒衣の者達を警戒したほうがいい。そう言おうとした瞬間、バタバタと大勢の者が押し寄せる足音が聞こえた。
「抵抗する気がない者は、壁際に立って両手を頭の後ろに回せ!!」
騎士隊が、駆けつけたようだ。黒衣の者達は大人しく、壁際に寄っていた。
「ディア、もう、心配はいりません」
「ええ、そう――」
言い切らないうちに、ユースディアの意識はぷつりと切れる。
目の前が、真っ暗になった。




