魔女はあえてひっかかる
夜――アロイスが帰宅する。今日も遅かったが、ユースディアは寝ずに待っていたのだ。
「すみません、遅くなって」
「いえ、いいわ。ごめんなさいね。疲れているときに」
「ディアの顔を見たら、元気が出ました」
「はいはい」
無駄な会話をしている暇はない。すぐにでも、本題へ移る。
「今日は、王女殿下のもとに挨拶に行く日でしたね」
「ええ」
「どうでしたか?」
「どうもこうも、大変な話を聞いてしまったわ」
ネタばらしは本人に伝えてもいいということで、ユースディアはアロイスに王女から聞いた話をそのまま伝えた。
「――というわけで、あなたはいいように利用されていたみたいよ」
「そう、だったのですね。まさか、そんな事情があったとは」
「一応、あなたに悪いと思っているのですって」
アロイスは遠い目で、明後日の方向を見つめていた。きっと、これまでいろいろあったのだろう。ユースディアはその辺の事情を、やんわりと察した。
「その辺のお話は、今度会ったときに改めて聞いておきます」
「そうね。それがいいわ」
ひとまず、王女はアロイスを呪った人物ではないことが確認できた。
よかったといっていいのか、悪いのか。アロイスは深い深いため息を吐いている。
「調査は、ふりだしに戻ってしまったわけですね」
「ええ」
それに関連して、オスカーについて不可解な点を報告する。
「前に、王女殿下が大ネズミの死骸や、ミミズ、ヘビを贈ってきた、という話はしていたわよね?」
「ええ。王女殿下は、いったいどういうつもりで贈っていたのでしょうか?」
「それが、贈り主は王女殿下ではなかったらしいの」
「いったい、誰が?」
「フェルマー卿に、品物を用意するように命じていたのよ」
今言えるのは、オスカーが怪しいという点だけ。
「たしかに。彼の実家は商売をしているので、そういう品も調達しやすいのでしょうね」
さらに、リリィの目撃情報も添えておく。
「フェルマー卿は、フリーダと街に出かけていたらしいの」
「また、妙な組み合わせですね」
「本当に」
家に出入りしているうちに出会ったのか。それとも、以前からの知り合いだったのか。
実家が商家である以上、誰と一緒にいても不思議ではない。
「ひとまず、フェルマー卿について調べてみましょう。すぐにでも、探偵に依頼します」
「お願いね」
胸が、ザワザワと落ち着かない気持ちになる。王女が犯人に間違いないと思い込んでいたからだろうか。
「ディア、大丈夫ですよ」
「なんで、あなたが私を励ますのよ」
逆に、ユースディアがアロイスを励まさなければならないところである。ユースディアの倍以上、アロイスは不安に思っているはずだ。命に関わる呪いである。
ふたりが出会ったころは、呪いの発動は半年後だった。それから三ヶ月経ち、残りのアロイスの寿命は三ヶ月となっている。
「なんだか、嬉しくて」
「は?」
「ディアが、悲しんでいるのが」
「なんで、人が悲しんでいるのが嬉しいのよ。あなた、おかしいわよ」
「そうですね。おかしい、のかもしれません。でも、嬉しいのです。これまでの人生の中で、私のことをこんなにも考えて、行動を起こしてくれる人なんて、ディアくらいだなと思ったら、悲しみや不安よりも、嬉しさがこみ上げてくるのです。なんと言いますか、我が人生、悔いなしと表現すればいいのか」
「何が我が人生悔いなしよ!」
悲しみの感情はどこへ行ったのか。アロイスの斜め上の思考を聞いていたら、ユースディアはだんだん腹が立ってくる。
「こうなったら、さっさと呪いを解いて、あなたを死ぬほど困らせてやるわ」
「楽しみにしています」
いつか、アロイスをぎゃふんと言わせてやる。それが、ユースディアの目標となった。
◇◇◇
王女の侍女として働く日々は続く。もう、彼女が闇魔法使いではないとわかった今、侍女をする必要はまったくない。けれど、辞退なんぞできないので、渋々通っている。
「ディア、今すぐスイート・アリソンとミスルトウ、ブルーベル、スプリング・ビューティーを温室から採ってきてほしい」
「承知いたしました」
薬草や毒草に詳しいユースディアは、侍女というより王女の助手と化している。代わりに、テレージアが侍女の仕事を行っていた。
王女付きの侍女は、主張の少ない控えめな女性が多い。そのため、集団をまとめる者がいなかったのだ。テレージアの統率のおかげで、仕事の効率はぐっと上がったともっぱらの評判だ。
「これで、いいですか?」
「完璧だ。そなたは最高の助手だな!」
「助手ではなく、侍女です」
どうしてこうなったのか。ユースディアはひとり、頭を抱え込む。
「王女殿下、国王陛下の生誕祭のリハーサルには、行かれないのですか?」
「身代わりを参加させている。明日も、彼女を参加させるから、問題ない」
問題は大ありだろう。だが、ユースディアは物申していい身分ではない。ただただ、命じられたとおりに動くしかない。
「あ、そろそろアマーリエ姫が来る時間かもしれん」
「はい?」
「茶を飲む約束をしていたのだ」
姫はありったけの勇気を出し、王女に直接連絡したようだ。仲良くしてほしいと、申し出たらしい。
以降、姫と王女は頻繁に茶を飲む関係となった。姫の侍女に選ばれたリリィを連れ、王女の離宮へ週に一度は遊びにやってきている。
「アマーリエ姫がいらっしゃるという情報は、初めて聞いたのですが」
「言い忘れていたな」
ユースディアは回れ右をして、厨房へ走った。至急、姫を迎えるための茶と菓子の用意を頼む。
侍女にも報告して、大急ぎで準備することとなった。
やってきた姫は、楽しそうに王女と過ごしていた。
なんとか間に合ったので、侍女一同胸をなで下ろしている。
古株の侍女に聞いたところ、当日に急遽必要な用事を言うことはこれまでもあったらしい。
それを聞いて黙っているユースディアではなかった。姫が帰ってすぐ、こういうことは困ると抗議した。
抗議の結果、王女に届いた手紙は、すべてテレージアが管理するようになった。
◇◇◇
国王陛下の生誕祭の当日となった。アロイスは日の出前に出勤していったらしい。彼にとって、忙しい一日が始まるのだろう。
国内、国外問わず貴賓が集まり、街は祭り、王宮はパーティーが開催される。
朝から昼まで国王の生誕を祝し、教会で祝福が読まれる。
昼間には、宮廷前の広場が開放され、露台から国王を中心とする王族が国民の前に姿を現すのだ。
昼過ぎからは、親衛隊を中心とした騎馬パレードが行われる。国民に人気の行事らしい。
国王の生誕祭のために、アロイスは忙しくしていた。今日でそれも終わるとなると、ご苦労様と労いたい気分になる。
本日のユースディアは休み。夕方からある夜会の時間まで、ゆっくりする予定だ。
テレージアは王女の傍に侍るため、張り切ってでかけた。朝から教会の祝福を聞きに行くらしい。王女が眠らないよう、目を光らせていくようだ。
午前中はアロイスのためにスクロールを作り、午後からはどうしようか。考えているところにムクムクが、もう一通の手紙を執務机に持ってきてくれる。
『これ、ご主人にお手紙です』
「ありがとう」
ユースディア宛ての手紙は、十通以上あった。王女の侍女になってからというもの、茶会の招待が届くようになったのだ。面倒だと思いつつも、テレージアの勧める相手とは会うようにしている。
ひとまず、知り合いの返信を優先して開封する。差出人を確認していたら、古代文字を発見してギョッとする。
古代文字は現代では常用されておらず、主に魔法を使う呪文や魔法書にのみ使われていた。
もちろん、王都にも、故郷にも、魔法使いの知り合いなんていない。
差出人には、驚くべき言葉が書き綴られていた。
「闇を愛する者よりって――何よ、これ!」
闇を愛する者というのは、闇魔法使いを示す隠語である。その昔、迫害されていた闇魔法使いは、異端審問局に発見されないよう、そう名乗っていたのだ。
いったい、誰がこんなものを送ってきたのか。手紙を前に、怒りがジワジワとこみあげてくる。
まさか、アロイスを呪った者からの手紙なのか。どくん、どくんと、胸が妙な感じに鼓動する。 この手紙自体、罠かもしれない。大理石の床に白墨で魔法陣を描く。そこに、自身の魔力を流し込んだ。
もしも、封筒に闇魔法がかけられていたら、魔法陣が反応するだろう。
魔法陣の上に、手紙を置いた。何も起きない。どうやら悪質な魔法はかかっていない、ただの手紙のようだ。
若干憤りながら、手紙を開封する。中には、一枚のカードが入っていた。
差出人と同じく、古代文字で書かれていた。
「今宵、闇魔法を愛する者の集会を行います――ですって!?」
今晩は満月。闇魔法の力がもっとも活性化される夜である。
かつて、闇魔法使いは満月の晩に夜宴を開いていた、という話は先代から聞いていた。当時は、魔力が満ちて闇魔法が難なく使えるため、安息日とも呼ばれていたようだ。
『ご主人、なんなんですか、それは?』
「わからないわよ」
どこであるかは、書いていない。と思いきや、カードを裏返すと、魔法陣が浮かび上がって地図が脳裏に浮かんでくる。
薄暗い、路地裏。住宅街を抜け、歓楽街を通り過ぎ、空き家が並んだ通りが見えた。
「これは、王都の下町!?」
『どうかしたんですか?』
「頭の中に、夜宴がある場所が、見えたのよ」
『それはそれは。手が込んだ招待状ですね』
現状、アロイスを呪った者の尻尾は掴んでいない。調査は難航していたのだ。
アロイスに残された期間は、残り僅かだ。この集まりで、何か手がかりが掴めるならば参加したい。
「けれど、これは罠なんでしょうね」
『で、ですねえ』
現代に、闇魔法の使い手が集会が開けるほど残っているわけがない。いたとしても、ユースディアや先代のように、森の奥地に隠れ住んでいただろう。
「最大の疑問は、どうやって私が闇魔法使いだと知ったか、ね」
『ええ』
ユースディアが闇魔法使いだということは、アロイスしか知らないはずである。
アロイスに沼池の魔女について教えた乳母はとっくの昔に退職していて、地方で暮らしていると聞いていた。アロイスが結婚したことすら、知らないだろう。
「他に、心当たりなんていないんだけれど。王女殿下の潔白は確実で、リリィは魔法の魔の字すら知らないし。あとは――」
『そういえばご主人。フェルマー卿の調査は、どうなったんですか?』
ムクムクの問いかけを聞いて、ユースディアは「あ!」と声をあげる。怪しい奴が、ひとり残っていた。
「調査の結果は、まだ出ていないわ。三日前の話だけれど」
国王の生誕祭が近づくにつれて、アロイスは家に帰れなくなったのだ。一応、探偵から連絡がきたらユースディアにも報告するように家令に命じていた。
三日前に探偵がやってきたので、ユースディアが応じたのだ。
望んでいた情報はなく、引き続き調査中であるという結果しか得られなかった。
「王女殿下はフェルマー卿を傍に置かないから、普段の彼が何をしているのか、まったく把握していないのよね」
王女の侍女を務めている間、オスカーとは一度も顔を合わせなかった。傍付きの騎士にでも、話を聞いておけばよかったと後悔する。
『ご主人、どうしますか?』
一度、アロイスに相談したほうがいいだろう。けれど、機会は今回ばかりかもしれない。
危険だとわかってはいたものの、もしかしたらアロイスを呪った者と会えるかもしれない。そんな思いが、ユースディアを駆り立てる。
闇魔法使い同士は、争わないだろう。それに、ユースディアには奥の手があった。もしも何かあったときは、それを使って乗り切るつもりだ。
覚悟を決めて、ムクムクの前で宣言する。
「行くわ!」
『ほ、本気ですかあ!?』
「本気よ。せっかく招待されたんですもの」
現状、アロイスを呪った闇魔法使いについて情報が集まらず、やきもきしていたのだ。
『危険ですよお。一回、アロイス様に、ご相談されてからのほうが、よいかと』
「あの人を、闇魔法使い達に関わらせたくないの。闇魔法使いの問題は、闇魔法使いが解決するのが筋ってものよ」
『しかし――』
「いいわ、ムクムク。あなたは、ここに残っていなさい」
『え!?』
ムクムクの戦闘能力は皆無なので、連れて行っても仕方がない。もしもユースディアが帰らなかったら、リリィに引き取ってもらいなさいと、言っておく。
『そんな、ご主人! 見捨てないでくださいよお』
「見捨てるんじゃないわよ。臆病なあなたを想って、言っただけなんだから」
『たしかに臆病ですけれど、いたらほんのちょっとでも、役立つかもしれませんよ』
「でも、怖いんでしょう?」
『怖いですけれど、ご主人がいなくなるほうが、もっと、怖いです』
「ムクムク……」
ビクビクしながらも、勇気を示したムクムクを抱き上げる。リリィに手入れしてもらった毛並みは、ピカピカであった。
つぶらな瞳をユースディアに向けていた。これまでにないくらい、キリッとしているように見える。
「わかったわ。一緒に行きましょう」
『はい!』
出発する前に、アロイスに宛てた手紙を書く。
朝までに戻らない場合は、下町の赤い屋根の家にいるから探してほしい、と。
闇魔法に関連したものなので、魔法に精通している者の同行があったほうがいいことを付け加えておく。
これが、最後の手紙になるかもしれない。素直な気持ちを、書いておくべきか。ユースディアは考える。
これまで一度も、アロイスに対する気持ちを口にしていなかった。一度くらいは、伝えてもいいのだろうか。
しかし、ユースディアがもしも生きて帰らなければ、アロイスへ向けた好意が枷となるかもしれない。
首を横に振り、ペン先に付けたインクは拭き取った。
書いた手紙を、家令へと託した。アロイスが帰ってきたら渡しておくように、頼んでおく。
「お義母様にも何か手紙を残しておきたいけれど、時間がないわね」
代わりに、テレージアの侍女へ伝言を残しておく。暇ができたら、アロイスと森の家に行ってロマンス小説を回収してきてほしいと。家の鍵も、一緒に預けておいた。
沼池の魔女の正装である黒衣をまとい、ポケットにムクムクを忍ばせる。魔法を使う媒介となる腕輪も、久しぶりにはめた。
ユースディアがこれから何をするのか、侍女にはわからないのだろう。珍しく戸惑っているように見える侍女達に、ユースディアは声をかけた。
「ちょっと、これから出かけてくるわ。同行は必要ないから」
普段、表情筋のひとつも動かさない侍女達が揃って眉尻を下げ、明らかに困惑している。
「すぐに戻ってくるわ」
生きていたらだけれど。そんな言葉は、喉から出る前に呑み込んだ。
公爵邸から下町まで、徒歩一時間である。歩いて行ったら、ほどよい時間になるだろう。
ひとりで出かけないほうがいいと、家令はユースディアを引き留めた。しかし、向かう先は闇魔法使いの夜宴である。心得のない者を同行させる気はさらさらなかった。
大丈夫だからと言い、ユースディアは公爵邸を出る。




