魔女はしぶしぶ美貌の男を家に招く
アロイスは真剣な面持ちで、ユースディアに結婚を申し込む。
「結婚してください!」
「いや、結婚って。自分が何を言っているのか、わかっているの?」
アロイスは深々と頷く。
「あなたの心の優しさと美しい涙に、胸を打たれてしまったのです」
倒れたときに頭でも打ったのか。背後に回り込んで外傷がないか確認したが、特に出血なども見られなかった。
「あなた、本当に大丈夫? きちんと、私が見えている?」
「はい。驚きました。魔法使い様は、意外とお若いのですね」
ローブの奥にある顔を、覗き込まれてしまった。ユースディアはすぐさま、背後に跳んで後退する。
八歳の時に先代に拾われ、他人に顔を見られないように暮らしてから早くも十七年。
二十五歳となったユースディアは、初めて年若い青年に顔を見られてしまったのだ。
これまで感じたことのない、羞恥心がジワジワ胸に迫る。
ユースディアの動揺を余所に、アロイスは結婚に関する利点について説明を始めた。
「私と結婚すれば、死んだあとの私財はすべてあなたの物になるよう、手配をしておきましょう。たった半年、私の妻になるだけで、手に入ります」
「意味がわからないわ。私と結婚して、あなたになんの得があるのよ」
「死ぬときくらいは、優しい人に看取られたいのです。どうか、お願いできないでしょうか?」
悪い話ではないだろう。どうせこの先魔女として生活が成り立たず、食い詰め者になるだろう。
苦労するよりも、半年間我慢して、大金を得るほうがいいのではないか。
幸い、アロイスは呪いを解かなくてもいいと言っている。が、こんなに上手い話などあるのだろうか。ユースディアは、つい疑ってしまった。
「私の死後、生活する家が必要とあれば、領地の別荘を差し上げましょう」
条件が、あまりにもよすぎる。何か、裏の目的があるのだろう。情で絆して呪いを解かせるとか、魔法を使って商売させるとか。
ユースディアはストレートに、疑問をぶつけてみた。
「何か、企んでいるんじゃないわよね?」
「いいえ、まったく。なんでしたら、血の契約をしても、かまいません」
血の契約というのは、破ったら命を奪われる、呪いに近いものである。
「あなた、なんで血の呪いなんか知っているのよ?」
「我が家はかつて、魔法使いの家系だったのです。地下にある魔法書で、昔読んだことがありまして」
「ま、魔法書ですって!?」
魔法使いの粛清が行われていた時代に、魔法書のほとんどは焼かれてしまった。その後、伝わった魔法のほとんどが口伝である。
「あなたの家、魔法書が残っているの?」
「ええ。その昔、国家魔法使いをしていたようで、貴重な魔法書などを保管する役割を担っていたのです」
アロイスの家には貴重な魔法書があるということになる。
「もちろん、私の妻になっていただけたら、好きなだけ読んでいただけたらなと」
それは、あまりにも魅力的な条件である。
「他にも、望む条件があれば、付け加えて結構ですよ」
「だったら、私に手出しは厳禁、呪いは頼んでも解かない、という条件でもいいの?」
アロイスは「それだけでいいのですか?」と問いかけてきた。
「あとは、衣食住の保証……とか」
「それは条件に挙げずとも、保証するつもりでした」
アロイスは言う。社交界の付き合いには巻き込まないし、必要な品があれば買い集めてもいい。
「使い魔のリスは、連れて行ってもいいの?」
「もちろんです」
使い魔のリス、ムクムクにも木の実食べ放題という待遇が言い渡された。
今まで木の陰に隠れていたムクムクが、『ご主人、あの人と結婚すべきですよお!』などと叫んでいる。調子がいいリスであった。
結婚について、即決即断できるものではない。この美貌の男が、これまで結婚相手に困るわけがないだろう。呪いの件を除いても、何かワケアリな可能性がある。
愛想がよく見えるが、実は酒癖が悪いとか。
誰もが見蕩れるような美貌は、とんでもない化粧の技術によって作られているとか。
はたまた、彼は詐欺師で、ユースディアを騙そうとしているのか。
そんなことを考えているうちに、雪の勢いが強くなった。十分と経たずに、吹雪になるだろう。
ユースディアはアロイスを振り返って言った。
「ねえ。家の中に入るには、入場料を取るけれど、どうする?」
アロイスは表情を曇らせる。まさか、金を持っていないというのか。ユースディアはすぐさま、彼の身なりを確認する。外套のボタンを一つでも売れば、いい金になりそうだった。
この雪と風では、森を抜けるのも困難だろう。そう思い、提案を持ちかけてみる。
「お金を持っていないのならば、持ち物と引き換えでもいいけれど」
「あ、いえ、金を持っていないわけではなく……」
「だったら、もったいぶらずに出しなさいよ」
世の中は金で回っている。その厳しさを、ユースディアは教えているようなものなのだ。と、自分のごうつくばりっぷりを、心の中で正当化する。
ただ、アロイスは金を惜しんでいるわけではなかった。
「あの、ここには、おひとりで住んでいるのですよね?」
「そうだけれど」
アロイスは目を伏せ、「やっぱり」と言う。
「何よ。気になることがあるのならば、はっきり言いなさい」
「女性が独りで住んでいる家に、お邪魔するわけにはいかないのです」
「は?」
「これでも、男ですので」
「わかっているわよ」
アロイスが家に入らない理由は、ひとつしか思い浮かばない。
「何、あなた、紳士ぶっているって言うの?」
「僭越ながら」
ユースディアは信じられない気持ちになる。自らを、森の奥地に住む沼池の魔女と自称し、村人からは恐れられていた存在であった。このように、一人の女性として扱われたのは、初めてである。
普通の人はどこか、魔女を人ではない何かだと思っている者が多いのだ。
この辺の感覚も、彼が魔法使いの系譜だからなのだろう。
「心配いただかなくても結構よ。あなたが私に手を出そうものならば、契約した巨大トカゲが丸呑みするから」
「巨大トカゲが、家に、いるのですか?」
「いるわけないじゃない。必要なときに、出てくるのよ」
「そうだったのですね」
もちろん、嘘である。トカゲは古くから、魔女の親友とも言われる近しい存在であったが、ユースディアは大の苦手であった。小さいトカゲでも、悲鳴をあげるレベルである。
ユースディアは爬虫類よりも、使い魔であるムクムクのような、ふわふわして、温かい生き物が好みなのだ。
「ご迷惑でないのであれば、お邪魔させていただけると助かります。あの、もちろん入場料も支払いますので」
ユースディアは金払いのいいアロイスを、家の中へと招き入れた。
生活の拠点となる魔女の住み処は、築二百年以上の年季が入った家である。
棚にはびっしりと瓶詰めされた薬草が並び、壁には乾燥させた花が吊り下げられていた。居間に置かれた家具は、四人掛けのテーブルと椅子があるだけ。百年ほど前には四人の魔女が住んでいたようだが、今はユースディア独りである。
そろそろ弟子を迎えなければいけないのだが、魔女業は閑古鳥が鳴いていた。弟子を迎えるのにも、金がかかる。ドが五つほど付いてしまうほどケチなユースディアは、なかなか弟子を迎えるふんぎりがつかないでいたのだ。
しかし、この地での商売はもう成り立たないだろう。
沼池の魔女は森と契約しているため、他の土地でいちから魔女業を営むのは大変困難である。
初代の偉大さを、ひしひし感じるユースディアであった。
ちらりと、アロイスを見る。魔女の部屋が物珍しいのだろう。キョロキョロと辺りを見回していた。
「お茶を飲む? 有料だけれど?」
「いただきます」
商魂たくましいユースディアの提案に嫌な顔一つせず、笑顔で金を差し出してくれた。
本当に、金払いがいい上に、愛想と顔がいい男である。心の中で手と手を合わせ、感謝しつつ台所へと向かった。
客用の紅茶なんて置いていない。あるのは、庭で引き抜いた雑草を炒って作る雑草茶である。
先代は森の薬草から作る香り高い上品な茶をいくつも教えてくれたが、魔法をかけたり、蒸して炒ったりと、工程が面倒なのだ。ユースディアはもっぱら、雑草茶を愛飲している。
摘んで、炒るというシンプルな工程を経て作られた雑草茶は、びっくりするほど渋い。けれど、毎日快便で元気に過ごせる。蜂蜜や砂糖は高級品なので、茶には入れない。そのため、アロイスにもそのままの雑草茶を振る舞う。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
素焼きの歪な茶器で、アロイスは優雅に雑草茶を飲む。あまりの渋さに文句を言うかと思っていたが、にっこり微笑んで「おいしいです」と言うばかりであった。
出されたものは、なんでもおいしく戴く。これが育ちのよさなのだろうか。ユースディアは天然記念物でも見たような気になった。
快便に効果のある茶を飲ませてしまい、若干の罪悪感を覚える。
しかし、見目のいい男は、生涯のうちに一度も厠なんぞには行かないのだろう。そう思っておく。ただ、何かあったら大変なので、厠は外にあると案内しておいた。
空は依然として、厚い雲が覆っている。風は先ほどよりも強くなり、ガタガタと激しい音を鳴らしていた。
そんな中で、アロイスはユースディアに話しかける。
「あなたは魔法使いなので、お名前を聞くのは失礼に値するのでしょうね」
「よくわかっているじゃない」
魔法使いにとって、名前は重要な呪文の一つとなりうる。力の強い者に名前を知られたら、支配される可能性もあるのだ。
「名前の一部でいいので、教えていただけますか?」
アロイスはすでに全名を名乗っている。礼儀として、一部でも名乗ったほうがいい流れだろう。
「ディア、よ」
「ディアさん、ですね。なんだか、美しい響きですね」
ドキンと、胸が高鳴る。ユースディアという名は、先代が名付けたものだ。愛を込めて「ディア」とユースディアを呼んでいたのだ。
こうして名前を呼ばれるのは、十年ぶりである。こそばゆいような、照れくさいような、不思議な気分になってしまった。
雪は次第に激しくなる。この状態では、森を抜けるのは困難だろう。こんな状況で、出て行けというほどユースディアは薄情ではない。
窓の外を眺めていたら、アロイスは恐縮するように言った。
「すみません、長居してしまって」
「別に、いいわ。入場料も、いただいていることだし」
アロイスは立ち上がり、椅子にかけていた外套を羽織る。夜になろうとしているのに、帰る気らしい。
「今出て行ったら、魔物に襲われるわよ」
「これでも、騎士ですので」
アロイスは外套の中に、剣を忍ばせていた。ユースディアの想像通り、騎士だったのだ。
「なぜ、公爵様が騎士をしているのよ」
通常、騎士として身を立てるのは、爵位や多くの財産を継承しない、次男以下の男児である。当主が命をかけて騎士をしなければならない理由は、あまりない。
アロイスは目を伏せ、事情を語る。
「私はもともと、公爵家の二番目の男児として生を受けました。爵位を授かる予定はなかったので、身を立てるために騎士となったのです」
「ということは、爵位を継いだお兄さんが亡くなったってこと?」
「ええ」
父親に続き、兄までも若くして亡くなっているというのは、家系的な呪いなのか。
気になったものの、アロイスと深く関わるつもりはない。追求は、この辺りで止めておいた。
「まあ、何はともあれ、この吹雪では、私でも森で迷ってしまうわ。ここに泊まっていってはいかが?」
「しかし、女性が独りで住んでいる家に、私が泊まるわけにも……」
アロイスはまたしても、紳士であろうとした。森で遭難し、魔物に襲われるかもしれない状況でも、女性が独りで暮らしているのならば甘えるべきではないという考えらしい。
今どき、こういう男は絶滅危惧種なのだろう。おとぎ話に登場する騎士のような、清廉潔白さだ。
ユースディアは逆に、面倒くさい男だと思ってしまう。
「あなたね――」
小言を口にしようとした瞬間、大きな衝撃に襲われた。
ドーン! という天を衝くような音に加えて、魔女の住み処がガタガタと激しく揺れる。
ユースディアの近くに置かれた棚が、ぐらりと傾いた。
「危ないっ!」
「きゃあ!」
強い力で、腕を引かれる。それと同時に、棚が倒れて並べてあった瓶が雨のように床の上に落下していた。
アロイスがユースディアに覆い被さり、衝撃から守ってくれた。
揺れが収まったころ、声がかけられる。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
アロイスがいなければ、ユースディアは今頃棚の下敷きになっていただろう。考えただけで、ゾッとしてしまう。
「その、ありがとう」
「いえ。間に合って、よかったです」
アロイスはユースディアから離れ、立ち上がる。それだけではなく、手を差し伸べてくれた。
さすが、絶滅危惧種の男。何をするにも、スマートである。
いまだ、手が震えていた。その状態で、手を借りるなんて恐ろしい。それに、腰が抜けているような気がする。
このままでは、沼池の魔女の名が廃ってしまう。助けの手はいらないと言おうとしたら、アロイスがユースディアの手をぎゅっと握った。そして、腰を支え、立ち上がらせてくれる。
が、心の準備ができていなかったので、体がふらりと傾く。アロイスはユースディアの肩を抱き、支えてくれた。
絶滅危惧種の男は、なんだかとてもいい香りがする。と、他人の匂いをかいでいる場合ではなかった。いつの間にか、アロイスの胸に抱かれるような体勢となってしまう。このままではいけないと思ったが、いまだに体が上手く動かない。
ムクムクを呼ぼうとした瞬間、体がふわりと浮いた。
アロイスが、ユースディアを横抱きにして持ち上げたのだ。その後、椅子にゆっくりと下ろしてくれた。
何から何まで、恥ずかしいことだらけだ。住み処が揺れたときも、小娘のような貧弱な悲鳴を上げてしまった。顔が羞恥で熱くなる。
「先ほどの衝撃は、なんだったのでしょうか?」
ここで、ユースディアは我に返った。絶滅危惧種の男に、ドキドキしている場合ではない。
代々受け継いだ住み処が、大変な状態になっている。
天井から、パラパラと土が降ってきていた。隙間風とは言えないレベルの風も、二階部分からびゅうびゅうと吹き込んでいる。
住み処にかけられた古い結界も、崩壊しているようだった。
おそらく、外の樹が風で折れ、二階部分を突き破ったのだろう。
裏手に、ひょろりとした高い木が生えていたのだ。風が強い日はこれでもかとしなり、折れるのも時間の問題だと思っていた。
そんな事情を、アロイスにしどろもどろと語る。
「ムクムク、ちょっと、外の様子を見てきてちょうだい」
隠れていた黒リスの使い魔はローブのポケットからひょっこり顔を覗かせ、『了解ですう』と言ってムクムク専用の小さな出入り口から外に出る。
戻ってきたムクムクは、ユースディアの想像通りの報告をしてくれた。
『ご主人! 裏の木が、倒れてました』
「やっぱり、そうだったのね」
額を押さえ、重たいため息を吐く。
「以前から、風が強い日は、イヤな感じにしなっていたのよ」
「なぜ、伐らなかったのですか?」
「森との契約があるのよ」
森の木々は世界樹と繋がっている。ありとあらゆる生き物の、力の源であるのだ。それを傷つけることは、許されていない。
暖炉や竈の火は、すべて魔力を付与させた魔石を使って火をおこすようにしている。木を伐採し、薪を得ることは、魔女にとって禁忌であったのだ。
「なるほど。森との契約ですか。しかし、このままでは危ないですね」
「ええ」
築二百年の家である。細い木でも、崩壊に繋がるだろう。
「二階を見せていただいても?」
一度も、他人が踏み入れるのを許したことのない、私的空間である。普段であれば即答で断ったが、今は緊急事態だ。ユースディアはこくりと頷いた。
すぐさま、二階に案内する。
裏手にある木は、見事にユースディアの寝室の窓を突き破り、寝台だけではなく部屋全体をめちゃくちゃにしていた。
木は二米突ほどあるだろうか。ユースディアの部屋を我が物顔で横断しており、腹立たしい気分になった。
外はいまだ吹雪いているものだから、割れた窓から強い雪と風が吹き荒れている。
半月前に作った真新しいカーテンは、ズタボロになっていた。
「これは、酷いですね」
「最悪だわ」
アロイスは断りを入れてから寝室へと足を踏み入れ、木が突き破った窓の外を覗き込む。
「見事に、折れています」
危惧していたことが、現実となったのだ。ユースディアはがっくりとうな垂れる。
そうこうしている間に、アロイスは木を持ち上げ、外へと押し出そうとしていた。木が動く度に、家はミシ、ミシと嫌な音を立てている。
このまま崩壊するのではと恐怖を覚えたが、アロイスが木を外に押し投げた瞬間に不安は消えてなくなる。部屋は依然としてめちゃくちゃであるものの、木がなくなっただけでも安堵できた。
「窓を塞ぐので、板と工具一式を、貸していただけますか?」
「え、ええ」
ユースディアが板と工具を貸すと、アロイスは慣れた様子で窓を塞いでくれた。その間、ユースディアは部屋に散らばったガラス片や、散った枝などを片付けて回る。
十分とかからずに、寝室は静寂を取り戻した。ただし、寝台の骨組みは折れ、布団にはガラスや枝が突き刺さっていたが。
「これで大丈夫ですね」
ユースディアは消え入りそうな声で、「ありがとう」と言った。アロイスは、偉ぶることもなく、淡い笑顔を返すばかりであった。
「ただ、家は少なからず衝撃を受けているので、心配ですね」
もとより、いつ崩壊しても驚かないような家である。明日、崩れてしまったとしてもなんら不思議ではない。
ここしか居場所がないユースディアにとって、住み処がなくなるというのは、とてつもなく恐ろしいことであった。
ひとまず、寝室から目を背ける。そろそろ、夕食の準備をしなければならないだろう。昼間からずっと外で働いていたので、空腹状態だった。
せめてもの礼を思い、ユースディアは提案する。
「夕食はいかが?」
「はい、支払います」
「お金はいらないわよ。修繕のお礼として、食べていってちょうだい」
「お心遣いに、感謝いたします」
アロイスはどこまでも、礼儀正しい男であった。