魔女は王女に出会う
王女の暮らす、ガラスの温室が多く立ち並ぶ、通称“クリスタル宮”にたどり着く。
庭師が磨いた温室のガラスが、水晶のように輝いているのでそう呼ばれるようになったらしい。
温室で育てられているのは、珍しい草花。魔力が豊富に満ちる森の奥地でしか見ないような、稀少な薬草もある。
闇魔法は他の属性魔法に比べて、草花や薬草を多く用いる。これだけの規模で育てているのは、闇魔法を使うためなのか。ますます、王女が怪しく思えてしまう。
違和感は、魔法について知識のないテレージアも感じているようだ。
「なんだか、不思議な場所ね……。これだけ、隙間なく温室が並んでいる庭も、珍しいわ」
「ええ」
王女の離宮は、おとぎ話に登場するような二本の尖塔が突き出ている白亜の建物であった。
エントランスホールには侍女がいて、王女の待つ部屋へと案内してくれた。
螺旋階段を上った先に、王女の私室があった。
ここを毎日上り下りしている侍女は、息ひとつ切らしていない。普段から体力作りをしていたユースディアは平気だったが、テレージアにはきつかったようだ。途中から、ユースディアが腰を支えていた。
外観は美しかった。だが、内部は冷たい石造りで、だいぶ古めかしい。扉を開くと、ギイと重たい音が鳴った。
長椅子に腰掛けていたのは、王太子と同じく、銀色の髪に群青の瞳を持つ美しい女性。紫色のドレスは派手だが、品よくまとっていた。長い髪は優雅に結い上げている。ぱっちりとした瞳は、自信に溢れていた。真っ赤な口紅を塗った唇が、弧を描く。
「待っていたぞ」
無骨な喋りで、ユースディアとテレージアを歓迎した。
「お辞儀や大げさな声かけは必要ない。そこに座れ」
命じられた通り、ユースディアとテレージアは会釈をしたのちに長椅子に腰掛けた。
「テレージア、久しいな」
「お目にかかれて、光栄に存じます」
「相変わらず、堅い」
そして、王女はユースディアをじっと見つめる。左目を眇めつつ、ふっと淡く微笑んだ。
「そなた、名は?」
「ディア、でございます」
「ふむ、ディア、か。清楚で大人しい女と思っていたが、なかなか芯があるように見える」
「お言葉、嬉しく思います」
「アロイスから、薬草に詳しいと聞いた」
いきなり、核心に迫るような内容を問いかけられた。
「少々、たしなむ程度です」
「謙遜するな。あのアロイスが褒めるくらいだ。そうとう精通しているのだろう」
とりあえず、温室にあった薬草の種類はすべて答えられる程度には詳しい。けれど、それをここで披露するつもりは毛頭なかった。
「私を、怒っているか?」
「私が、王女様を? なぜ、でしょうか?」
「私は、そなたの夫に毎日恋文を送っていた女だ」
「私が来るよりも前から、王女様は夫に恋文を送っていたとお聞きしておりましたので。それについて物申す権利はないと思っております」
「怒りは感じていない、と」
「はい」
しばし、王女と見つめ合う。ピンと、張り詰めるような雰囲気の中、ユースディアは絶対に目をそらしてはいけないと考えていた。
「安心した」
王女の発する緊張感が、プツンと切れた――ように見えた。
そして、明るい笑顔でにこっと微笑んだ。
「そなたらだけに、本当のことを話そうと思う」
王女は立ち上がる。すると、侍女が窓を開いた。
「ここは、私にとっての理想的な楽園だ」
上空から見た温室は、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。まるで、水晶のようである。
「私は幼い頃から、薬草学に興味があった。専門的に習い始めたのは、十歳のときからだったか」
王族が勉強に熱中することなど、許されていなかった。まず、年頃になれば、結婚をしなければならない。
「けれど、結婚をしたら私はこの離宮から出ていかなくてはならなくなる」
それだけは絶対に避けたい。そう考えていた王女は、ある案を思いついたのだという。
「絶対に結婚しないと宣言している男、アロイスとの結婚だ」
彼以外と結婚しない。そう宣言していたのだ。
「もちろん、アロイスと本当に結婚するつもりはない。私は薬学の勉強に専念したいから、彼に恋をしている振りをしていたわけだ」
ちなみに、アロイスと面会するときは、アロイスに恋する身代わりを仕立てていたという。そのため、アロイス自身も、王女の恋を本物だと思い込んでいたようだ。
「どうしてこれらを話す気になったのかと言えば、先日、悲しい事件が起きて――」
それは、王女の親衛隊員の話らしい。親衛隊員の本妻が、愛人をナイフで突き刺したという、傷害事件が起きた、と。
「私はまだまだ、学びたいことがあるからな。そなたが私に嫉妬した挙げ句、ナイフで刺されたらひとたまりもない。アロイスを愛しているわけではないと、弁解しておこうと思った次第だ」
「そう、だったのですね」
王女は闇魔法に傾倒していない。ただの、勉強熱心な薬学オタクだったのだ。アロイスに恋をしていたわけでもなく、結婚しない理由にしていた。
「あの、夫に対する感情は――?」
「堅苦しく、真面目な男だな、としか思っていない」
もっとも疑わしく思っていた王女は、アロイスを呪った張本人ではなかった?
王女を前に、ユースディアはただただ戸惑いを隠せない。
「では、あの、贈り物は――?」
大ネズミの死骸や、ミミズ、ヘビなど、一般的には悪意としか思えない品々を、王女はユースディアに宛てて贈っていたのだ。
「そういえば、フェルマー卿は何を贈り物として持って行っていたのだ?」
「ご存じ、なかったのですか?」
「ああ。奴は大商人の息子だから、贈る品物は任せていたのだ」
オスカーは王女が指示した品物を運んでいるわけではなかったのだ。ぐらりと、視界が歪んだような気がした。
「おい、大丈夫か?」
「あ――申し訳ありません」
「何か、やつが失礼な態度でも取っていたのか?」
「フェルマー卿は、なぜ、王女殿下の護衛に?」
「ああ、あれは、父親に頼み込まれて、渋々受け入れたのだ」
王女はオスカーの実家の商会から、珍しい薬草の種や薬学書を買っていた。
「入手しにくい学術書を頼んだところ、条件として息子であるフェルマー卿を親衛隊に入れるよう、頼んできたのだ」
王女はひと目見て、オスカーに騎士としての適性はないと判断した。そのため、傍付きにはさせずに、庭の見回りなどを命じていたという。
「ただ、具体的な仕事がないとサボる癖があるようだから、そなたに贈り物を届ける仕事を頼んだのだ」
ちなみに、恋文をユースディアに渡す仕事は、命じていなかったという。これまで通り、家令に預けるようにしていたようだ。
「あいつは、何をどう誤解して、妻にアロイスの恋文なんか渡していたのか」
贈り物は、結婚しない理由にアロイスを使うことに対しての「詫び」の気持ちだったらしい。
「家に、帰ったほうがいいな。顔色が悪いぞ」
「申し訳、ありません」
闇魔法について調査するよう、いろいろ考えていた。それなのに、作戦は白紙となってしまう。
お言葉に甘えて、お暇させてもらう。
テレージアにも、ユースディアは具合が悪いように見えたのだろう。何も言わずに、優しく背中を撫でてくれるばかりであった。
公爵邸にたどり着くと、手紙が渡される。それから、リリィの訪問が告げられた。
私室に行くと、ムクムクを胸に抱いたリリィが、目の前に飛び込んできた。
「ねえ、ディア様! 思い出しましたわ!」
「え、何が?」
「この前、フリーダと街を歩いていた男の人のことですわ!」
「ああ、その話」
今は王女のことで頭がいっぱいだった。リリィの話など、正直聞いている暇はない。
そう思っていたが、彼女が発した名にギョッとすることとなった。
「フェルマー卿よ! いつも、公爵邸にやってきて、ディア様に面会していく騎士!」
「フリーダが、フェルマー卿と一緒にいたですって!? 本当に!?」
「え、ええ。間違いないかと」
ここ最近、ほぼ公爵邸に入り浸っているリリィは、フェルマー卿とよくすれ違っていたらしい。
「わたくしには目もくれず、ずんずん大股で歩く姿は癖があるから。間違いないわ」
「そう」
フリーダは、オスカーと並んで街を歩いていた。なぜなのか。
バラバラだった点と線が、繋がるような、繋がらないような。
一度、アロイスと話し合いたい。ここ最近、アロイスは国王生誕祭の警備の関係で、忙しくしているようだ。夜も、日付が変わってもなかなか帰らない日もある。
そういう日は、先に休んでいるのだ。もう、三日もアロイスに会っていない。
「間違っていたら、ごめんなさい。ディア様が気になっていらっしゃるようだったから、一生懸命考えて、思い出しましたの」
「ありがとう、リリィ」
「いえ」
ムクムクを撫でるような気軽さで、リリィの頭を撫でた。すると、目を細めつつ頬を染めている。
「どうぞ、わたくしのことは気にせずに、お手紙を読まれてはいかが?」
「あ――そうね」
姫からの手紙であった。昨日は楽しかったと、また会って話をしたいと書かれていた。
二枚目が、本題だったようだ。
本格的に、侍女を探すらしい。話し相手も兼ねる、同じ年頃の娘がいいという。もしも、適任者がいたら紹介してほしいという。
「アマーリエ姫の侍女兼話し相手、ねえ」
貴族令嬢の知り合いは、リリィしかいない。
「あ、リリィ、いいかも」
「何が、よろしいのかしら?」
「あなた、アマーリエ姫の侍女と話し相手をやってみる気はない?」
「え!? わ、わたくしが?」
「そうよ」
姫も小動物が好きだと言っていた。リリィと気が合いそうだ。
「いい人がいたら、紹介してほしいとアマーリエ姫に言われたの」
「わたくしで、いいのでしょうか?」
「いいと思うけれど、嫌?」
「嫌――ではありませんわ!」
「だったら、まずはリリィのお父様に、話を聞いたほうがいいわね。手紙を書くから、少し待っていてくれるかしら?」
「ええ。よろしくお願いいたします!」
自分の中の縁が、どこに繋がるかわからないものである。本当に、不思議なものだと思う。
リリィはユースディアの書いた手紙を胸に、帰宅していった。




