魔女は義母と分かち合う
姫はぱちぱちと目を瞬かせ、スクロールを見下ろしている。
「あの、この国では、スクロールが普及していますの?」
「いえ、稀少な物です」
「ですよね」
千年以上も前に作られたスクロールが、現代まで残っていて高値で取り引きされることもある。中には、屋敷が買えるほどの金額がついたスクロールもあった。それほど珍しく、稀少なのだ。
「先ほどのスクロールは、闇魔法のスクロールでしたね」
「ええ……。公爵家の秘宝を、いただいたので、その、護身用に、持ち歩いておりました」
「まあ、すてき!」
「しかし、よく、ごぞんじでしたね」
「我が国では、一般的な教養ですわ」
「そう、なのですね」
国によって、魔法文化についての知識は異なる。隣国では多くの魔法使いがいて、魔法の学習にも力を入れているらしい。
「その闇魔法のスクロールは、大変貴重なお品では?」
「そう、ですね」
たった数分の会話で、ユースディアは全身に汗を掻いてしまう。なんとか誤魔化せたようだが、闇魔法のスクロールを持っているというのは、明らかに怪しい。
バレたのが、姫でホッとする。
「では、失礼を」
ごきげんようと行って去ろうとしたのに、姫が「あ!」と声をあげる。
「どうかしましたか?」
「闇魔法といえば――先ほど、闇魔法について話しをする男女を、発見してしまったのです」
「なっ!?」
まさか、姫の口から闇魔法について出てくるとは。
「王太子殿下とお別れしたあと、柱廊から庭に出て気分転換をしようとしていたら、東屋にいた男女が、ヒソヒソと話していました。姿はよく見えなかった上に、話の内容もよくわからなかったのですが」
怪しいとしか思えない。いったい誰だったのか。気になるが、そこまでは確認できなかった。
「そのようなことがあったのですね。ご無事で、何よりです」
「ディア様、大丈夫ですよ。今宵は新月ですので、闇魔法は使えません」
「あ――そう、ですね。姫は、闇魔法について、本当によくご存じですね」
「はい。一般的には邪悪なイメージのある闇魔法ですが、怖いのは一部の悪い魔法使いで、闇魔法自体は恐ろしい話ではないのですよ」
闇魔法についての誤解や偏見がないようで、ユースディアはホッと息をはく。
ただ、闇魔法についてはあまり現代では話題に上がらない。なぜ、姫は正しく理解しているのか。ユースディアは質問してみた。
「闇魔法については、私の国では絵本があるんです。ほとんどの国民はそれを読んでいますので、闇魔法使いについて悪い印象は持っていないのですよ」
その本がこの国で普及されていたら、どんなによかったのか。しみじみと思ってしまう。
ここで、扉が叩かれる。アロイスが、ユースディアを迎えに来たようだ。
「アロイス様、ごめんなさい。長い時間、ディア様を占領してしまって」
「楽しい時間を過ごされたようで、何よりでございます」
姫とは笑顔で別れた。
アロイスとふたり、王宮の廊下を歩く。いまだ、胸が緊張でドキドキと高鳴っていた。
そんな状態の中で、アロイスがさらに追い打ちをかけるようなことを言う。
「ディア、そういえば、王女殿下がいらっしゃっていたのですよ。私に会いにきたと言っていましたが、ディアのことも気にしている様子でした」
「へえ、そうだったの」
「はい。姫のところにいるとご説明したら、だったらいいとおっしゃり、帰っていかれました」
「ふたりの相性は、あまりよくないようね」
「性格は真逆ですからね。姫が光で、王女は――」
「闇?」
そう口にしてから、ユースディアはハッとなる。
「どうかしましたか?」
ここで話せるような内容ではない。アロイスの腕を掴んで別の休憩室へ引っ張っていった。
「ディア?」
ユースディアは、姫から聞いた話を報告する。離宮の庭で、闇魔法について話している者がいたと。アロイスは事の重大さに気づき、サッと表情を陰らせた。
「姫が行き来できる辺りの庭は、一般には開放されていません」
「つまり、王族に近しい者が、闇魔法について話をしていたってこと?」
「そうとしか、考えられませんね」
王女が離宮にきていた。もしかしたら、話していたのは、彼女だという可能性がある。
「もうひとり、協力者がいると」
「もしかしたら、その人物が、闇魔法使いの可能性があるわ」
「そう、ですね」
せっかく姫と楽しい時間を過ごしてきたのに、最後の最後で引っかかるような話を耳にしてしまった。
「ディア、明日からの出仕は、中止したほうがいいのかもしれません」
「なんでよ」
「王女殿下が闇魔法の使い手ならば、ディアも危険な目に遭います」
アロイスの言葉に、はーーと長いため息を返す。
「あなたね、私を、誰だと思っているの?」
「私の、愛しい妻です」
「違うわよ。森の奥地に住む、沼池の魔女よ! 他の闇魔法使いなんて、敵でもないんだから!」
「ディア……!」
アロイスはユースディアをぎゅっと抱きしめる。
「私が呪われていなければ、ディアといつまでも幸せに暮らせるのに。この身が、憎いです」
「でも、あなたが呪われていなければ、私とは出会わなかったでしょう?」
「ええ」
死にまつわる呪いが、ふたりの縁を結んだ。不思議なものである。
「ディアと出会わなかったら、私の人生は暗闇の中にいるままだったのかもしれません。それは、死んでいるもの同然ですね」
呪われたからこそ、人生に光が差し込んだ。アロイスは、ユースディアの耳元でそっと囁く。
「どうか、無理はしないで。何かあったら、絶対に、私に助けを求めてください」
ユースディアはアロイスを守り、アロイスはユースディアを守る。そういう対等な関係で在りたいという。
「わかったわ。無理は、しない」
「神に、誓いますか?」
「ええ、誓うわ」
誓いの言葉は、唇に封じ込めなければならない。
二人の影は、重なった。
◇◇◇
とうとう、王女の侍女として出仕する日を迎えた。妙な緊張感がある。
それは、アロイスを呪った魔法使いと対峙するからか。
それとも、これまで因縁を付けられていた王女に会うからか。
テレージアが王女の離宮まで同行してくれるという。心強い味方と共に、馬車に乗り込んだ。
車内は、シーンと静まり返っている。緊張もあいまって、気まずさしかない。
ユースディアはとっておきの話題を思い出し、テレージアに話しかけてみる。
「そういえば、お義母様。昨日、アロイスに聞いたのだけれど」
「何よ?」
「ロマンス小説が大好きなようで」
質問した瞬間、テレージアは咽せ始める。激しく咳き込んだので、ユースディアは背中を撫でてあげた。
「あの子は、余計なことを……!」
「私も、好きなの」
「え?」
「私を育ててくれた人が、ロマンス小説が大好きで」
「あら、そう、なの?」
「ええ。“川から川へ流れぬ”とか、寝る時間も惜しむほど、夢中になって読んだわ」
「か、“川から川へ流れぬ”ですって!?」
テレージアはクワッと、目を見開いて接近する。そして、早口で作品についてまくし立てた。
川から川へ流れぬ――百年前に発売された伝説ともいえるロマンス小説で、初版の十万部は瞬く間に完売した。しかし、発売から一ヶ月後、発禁本として回収されたらしい。
「当時の王太子と侍女の恋を、赤裸々に書いた作品だったの。王家の名誉に関わるとかで、すべて回収されてしまった稀少な本なのよ」
評判だけが年々語り継がれるような名作だったらしい。
「それを、私より若いあなたが、読んだことがあるですって!?」
「ええ、読んだわ」
「今、その本は!?」
「実家の地下に、あるわ」
一応結界はかけてあるものの、妖精や精霊にいたずらされているかもしれない。保存状況は怪しいものである。
「ご家族に頼んで、送っていただけないの!?」
「あ、私、家族はいないの。亡くなってしまったわ」
「え?」
「育ててくれた人も、本当の家族ではないのよ。ずっと、森の奥にある家で、ひとりで暮らしていたわ」
「そう、だったのね」
この辺の事情を、テレージアにまったく話していなかった。
「あなたは、貴族の娘では、なかったのね」
「そうよ。てっきり、気づいていたと思っていたわ」
テレージアは首を横に振る。
「どこかの当主が、愛人にでも生ませた子だと考えていたのよ。あの子、アロイスがあなたについて、まったく話さないものだから」
「ごめんなさい。貴族の生まれでなくて、ガッカリしたでしょう?」
「いいえ、もう、今となっては関係ないと思っているわ。だって、フリーダなんか歴史ある伯爵家の娘だというのに、あんなに奔放で……!」
フリーダについては、かなり怒っているようだ。
「やっと追い出したと思ったのに、今は堂々と離れに男を連れ込んでいるのよ! はしたない娘だわ!」
「でも、フリーダの本命は、アロイスなのでしょう?」
「いいえ、家に連れ込んでいる男が、本命に決まっているわ!」
「そう、なの。おかしいわね……」
以前も、リリィが街でフリーダが男を連れている様子を発見した。いったい、誰を寵愛しているのか。
「フリーダがアロイスに言い寄っている目的は?」
「家を追い出されたくないのでしょう」
逆に、迷惑行為を働くことで、追放されそうだが。その辺、フリーダが何を考えているかは謎である。何回か話したが、彼女の思っていることなど想像すらできない。
それは、テレージアも同じようだ。フリーダには、相当手を焼いたという。
「大事なのは家柄だと言うけれど、フリーダとのことで疲れてしまったの。家族として暮らすならば、心を重要視したいわ」
貴族失格かもしれないけれど、とテレージアは付け加える。
「あなたがやってきてから、アロイスは雰囲気がやわらかくなったわ。笑顔も、見せてくれるようになった。周囲がどれだけ頑張っても見られなかったものを、ディアさん、あなたは数日とたたずに引き出してくれたの。その点は、感謝するわ」
「まあ、それほどでも」
褒められると、照れてしまう。そんなユースディアを見て、テレージアは初めて微笑んだ。
「ディアさん。今度、あなたが暮らしていた家に行くわ」
「いや、なんにもないところなんだけれど」
「以前アロイスが言っていたの。とても、美しい場所だったと。一回、見て見たいわ」
「でも、最大の目的は“川から川へ流れぬ”でしょう?」
「もちろんよ。他にも、貴重な本があるかもしれないわ」
「たくさんあるから、全部持って帰りましょうよ」
「楽しみにしているわ」
ロマンス小説の効果か。それとも、身に関わることを話したからか。
テレージアとの距離が、ぐっと縮まったような気がした。




