魔女は夫とともに夜会へ挑む
翌日、アロイスとユースディアは、王太子の離宮で開かれる夜会に参加していた。
アロイスは白い正装姿で、周囲の注目をこれでもかと集めている。
隣に立つユースディアは、以前侍女が選んだパールホワイトのドレスで参加する。
値踏みするような、鋭い視線がユースディアに突き刺さっていた。ひとりの令嬢と目が合う。敵対心が、その身からじわじわと浮かんでいるように思えた。これが“オーラ”なのだと、ユースディアは実感する。
ユースディアの緊張が、組んだ腕から伝わったのだろう。アロイスは優しい声で、「大丈夫ですよ、怖がらないで」と声をかけてくれた。
アロイスには見えていないのだろうか。檻に入っていない肉食獣に、囲まれているような状況が。ユースディアは信じがたい気分となった。
女性陣には、ユースディアがアロイスを奪った悪女に見えているのかもしれない。誰一人として、仲良くなれそうにないと思ってしまう。
永遠に、この針のむしろのような状態が続くのではと思っていたが、注目は別の者へと移る。
アロイスが仕える王太子が、姿を現したのだ。会場が、ソワソワと落ち着かないものとなる。
王太子は銀色の髪に、夜明けの青を思わせる瞳を持った美丈夫であった。
ロラン・シャルル・ジェール・シャリエ。アロイスより五つ年下で、社交界で絶大な人気を集めている。
そんな王太子が伴っているのは、婚約中とされる隣国の姫君。アマーリエ・マリアンヌ・フォン・エステルライヒ。
年は十五歳。どこか、あどけなさが残っている。珊瑚のような薄紅の髪に、ぱっちりとしたマリンブルーの瞳は見る者すべてを魅了していた。
美しい男女は、実にお似合いに見える。
王太子はアロイスに気づき、笑顔でやってきた。ユースディアは思わず、「うわ、怖っ!」とアロイスにだけ聞こえる声色で発してしまう。
さすが、王太子と言えばいいのか。遠くから見ても、貫禄がある。
「ディア、大丈夫ですよ。怖くありません」
「いや、怖いでしょう」
アロイスが「大丈夫」と言えば言うほど、恐ろしくなる。
戦々恐々としている間に、王太子とその婚約者がたどり着いてしまった。
「アロイス、本当に来るとは思っていなかったから驚いたぞ。そちらが、噂の伴侶か」
「ええ。妻のディアです」
ユースディアはテレージアから習ったお辞儀をして見せた。顔を上げると、姫と目が合う。にっこり微笑まれてしまった。ユースディアも笑みを返そうと思ったが、普段使わない筋肉なので盛大に引きつってしまった。
「私は、アマーリエと申します。ディア様、仲良くしてくださいね」
ぎゅっと、手を握られる。ユースディアはあまりの情報量の多さに、ひとり目眩を覚えていた。
「黒い髪に、深い森の緑の瞳――ディア様は、とっても神秘的な御方ですね」
ユースディアは森の奥地に住む沼池の魔女である。本物の、現代に生きる神秘なのだ。
どういう反応をしていいのかわからずに困っていると、アロイスが言葉を返す。
「私も、彼女の瞳を見て、強く惹かれたのです」
嘘を言うなと、突っ込みたくなる。アロイスはユースディアがなけなしの金を燃やし、涙する姿に惚れたと話していた。
「わかりますわ。ディア様の瞳は、本当におきれい!」
アロイスは誇らしげな様子で、コクコクと頷いていた。恥ずかしいので過剰な反応は示すなと物申したかったが、王太子と姫がいる手前何も言えない。こういう場では、話しかけられない限り大人しくしていないといけないのだ。
「ディア様は、普段どんなことをなさってい――」
ユースディアに近づこうとした瞬間、姫は足を引っかけて倒れそうになる。それを、目の前にいたユースディアは抱き留めた。
姫は子猫のように小柄だ。一方で、ユースディアは虎のように大柄である。最近、体力を付けなければと魔法書を十冊積んだものを抱え、屈伸運動をしていたのだ。ほどよい筋肉が付いているので、姫ひとり抱き留めるくらい、なんてことはない。
「大丈夫、ですか?」
「あ、ありがとうございます、ディア様」
姫は顔を真っ赤にして、恥ずかしがっていた。珍しく、はしゃいでしまったらしい。
「どうやら、姫は奥方を気に入ったようだな。そうだ。アロイス、伴侶を、姫の侍女にしてはどうだろうか?」
王太子が提案した瞬間、姫は瞳をキラリと輝かせる。が、すぐにアロイスは断りを入れた。
「大変名誉なお申し付けですが、実は、ディアは明日より、エリーゼ殿下の侍女を務めることになっておりまして」
「エリーゼめ。まさか、手を回していたとは」
話を聞いていた姫は、しょんぼりしていた。よほど、ユースディアを気に入っていたのか。個性的な姫君だと、ユースディアは内心思ってしまう。
「ではディア様。あとで、お茶を一緒に飲んでいただけますか?」
「私でよろしければ、喜んで」
「よかった! 楽しみにしております」
王太子と姫は華やかな雰囲気を振りまきつつ、去って行く。
これで一難が去ったわけではなかった。次々と、アロイスと喋るために人が押しかけてきたのだ。
だが、先ほどのような敵対心は感じない。
未来の王妃となる姫が、ユースディアを気に入ったような態度を見せたからだろう。あっさりと、ユースディアを見る目は穏やかなものとなった。姫には感謝しなくてはいけないだろう。
それから二時間ほど、人に囲まれて苦しい時間を過ごした。ほとんど喋っていたのはアロイスであったが、あまりの人込みに酔っていた。
それをアロイスは察してくれたのだろう。ユースディアを会場から連れ出してくれる。
庭を見渡す露台へ続く扉を、給仕係が開いてくれた。しばし、外の風に当たって体の火照りを冷やす。
外は雪が積もっているのでキンと寒いと思いきや、暖房器具が置かれていた。心地よい風が吹き、気分転換になる。
寛げる長椅子も用意されていたので、ありがたく腰掛けた。
アロイスは肘置きに手をかけ、ユースディアの顔を覗き込む。
「ディア、具合はいかがですか」
「ええ、平気よ。でもちょっと疲れたから、ここで休ませてもらうわ」
アロイスは眉尻を下げ、ユースディアの頬に触れる。
「少し、微熱があるのかもしれませんね。すみません、もっと早く気づけばよかったですね」
「充分よ。社交も大事でしょうから」
「ありがとうございます」
アロイスの手が触れた頬が、熱い。会場で受けたものとは異なる熱が、ユースディアの頬を熱くしていた。
「本当に、平気なのですか? 医務室に行きます?」
「いいえ、ここでけっこうよ。っていうか、私、大丈夫だったの?」
「大丈夫、とは?」
「その、ふるまいとか、言動とか、そういうの」
「完璧でしたよ」
アロイスはにっこりと、微笑みながら評価する。
「あなたの判断は、甘いような気がするのだけれど」
「そんなことありません。王太子殿下と姫を前にしても、堂々としている姿は、思わず惚れ直してしまいました」
「よくもまあ、そんな言葉がポンポン出てくるわね」
「本心ですので」
「はいはい」
アロイスも長椅子に腰掛け、空を眺めていた。つられて、ユースディアも空を見上げる。
王都の空は、一番星がキラキラと瞬くばかりであった。あとの星は、空がかすんでいるのかよく見えない。
「ここの空は、寂しいのね」
「ディアの森は、もっと星が出ていました?」
「ええ。見上げたら眩しいと思うくらい、星が輝いていたわ」
「そうだったのですね。私も見ておけばよかったです」
アロイスが来た日は、ちょうど吹雪いていた。空を見上げても、星の一つも見えなかっただろう。
「でも、ディアがいたので、星がいくら輝いていても、気づかなかったでしょうね」
「どういう意味よ」
「あなたのほうが、美しいという意味ですよ」
「だから、なんでそんな言葉が、ほいほい出てくるのよ」
額を押さえ、呆れてしまう。その文才をユースディアの前で発揮せずに、他の部門で活かしてほしい。しみじみ思ってしまう。
「そうだわ。アロイス。あなた、ロマンス小説を書きなさいよ。きっと、ヒットするわ」
「ディアは、ロマンス小説が好きなのですか?」
「先代の沼池の魔女が好きだったの。森の住み処には、たくさんあるわよ」
「そうなのですね。いったいどういった話を、書けばいいのですか?」
「胸がキュンとする、男女の恋を書くのよ」
「たとえば、ディアと私の出会いとか?」
「誰が私小説を書けと言ったのよ」
「そうですよね。私とディアの思い出は、ふたりだけの秘密ですから」
もう、ため息しかでてこない。ユースディアは眉間の皺を揉み、なんとか落ち着いた心を取り戻そうとする。
「ロマンス小説といえば、母も大好きなので、コレクションを見せてもらったらいかがですか?」
「え、そうなの?」
「はい。母はこっそり楽しんでいるようなのですが、書店に行ったら店主から感謝されたことがありまして――」
月に出版される三十点以上ものロマンス小説を、テレージアは注文し、読んでいるらしい。
「母の夜更かしは、たいていロマンス小説を読んでいるのですよ」
「そうなのね。今度、会話に困ったら、話してみるわ」
もしかしたら、公爵家にはとんでもないロマンス小説の書庫があるかもしれない。冷静に言葉を返しつつも、ユースディアの胸は期待でドキドキと高鳴っていた。
「それはそうと、さっき、姫様がお茶会がどうこうと言っていた気がするけれど」
「ああ、そうですね。王族が休むサロンのほうに行ってみますか?」
「ええ」
アロイスが先に立ち上がり、ユースディアへと手を差し伸べてくれる。そっと、指先を重ねて立ち上がった。
顔と顔の距離が、ぐっと近づく。
視線を逸らしたら、空に星が尾を引いて流れる様子が見えた。
それに気を取られていたら、アロイスはユースディアの唇にキスをする。
触れ合ったのは一瞬だけ。
「――なっ、ちょっと!」
「この前、キスをして口紅を剥がしてしまったので、学習しました」
「いや、それを責めているんじゃないわよ! こ、こんなところで」
「ここは、こういうことをするところらしいですよ」
「そ、そうなの!?」
「ええ。外に、見張りの者がいたでしょう?」
「いたわね」
「他人が入ってこられないように、なっているのですよ」
夜会のさい、男女が露台にでるのはそういった目的があると。
振り返って見たら、出入り口は厚いカーテンで覆われている。会場から、露台の様子は見えないようになっていた。
「は、はしたないわ!」
「未婚の男女であればそう思われますが、私達は夫婦ですから」
「ど、どう思われるの?」
「夫婦円満だな、としか思わないでしょう」
アロイスとユースディアが露台に出て行ったのは、多くの人々が目で追っていたような気がする。
恥ずかしくなって、両手で顔を覆った。
「ディアは、可愛いですね」
「か、可愛いわけないでしょうが!」
「ものすごく、可愛いです」
有無を言わさない「可愛い」に、ユースディアは押し黙る。アロイスはそんなユースディアの頬に、本日二回目のキスをした。
「さあ、戻りましょう。姫が、ディアを待っています」
ユースディアが赤面しているのを周囲に悟られないよう、アロイスは足取り早く会場を進んでいく。
王族と関係者のみ入場が許可された扉を通り抜け、姫のサロンの前までやってきた。
「他にも、人がいるのかしら?」
「いえ、姫は滅多に人をここに招かないと、王女殿下がおっしゃっていました」
「そう」
アロイスとはここで一時的にお別れである。
「ではまた、迎えにきますね」
「ええ」
アロイスは名残惜しそうにしながら、去って行く。ひとりにしないでと言いたかったが、腹を括るしかない。
勇気を振り絞って扉を叩き、声をかけた。
「アマーリエ姫、ディアでございます」
扉はすぐに開かれた。ひょっこり顔を出したのは、侍女ではなく姫。ユースディアの顔を見るなり、ぱっと花が綻んだような微笑みを浮かべた。
「ディア様! お待ちしておりました!」
手を引かれ、部屋に誘われる。
水晶のシャンデリアに、白で統一された調度品が美しいシックな部屋であった。
アロイスの言っていた通り、姫と侍女以外部屋にはいない。
「祖国から、茶葉とお菓子を取り寄せましたの。ディア様のお口に合えばいいのですが」
長椅子に座るよう促され、腰を下ろす。姫は隣にぴょこんと座った。
大理石のテーブルには、見たことのない菓子が並べられていた。
「こちらは、占いクッキーと言いまして、中に将来について書かれた紙が入っているんです」
「占いの紙を、食べないように注意しなければいけませんね」
「ええ、そうなんです」
幼少期、姫は占いクッキーを紙ごと食べてしまったらしい。
「周囲は大慌て。呑み込んでしまったものだから、お父様が料理長を呼べと怒ってしまって――」
姫はごくごく普通の愛されて育った娘、といった印象だった。未来の王妃として、育てられた者ではないだろう。
アロイスと話したあと、王太子と共に歩いて行く様子は不安げで、社交も慣れている様子はなかった。どうして王太子は彼女を妃として迎えようとしているのか。疑問に思ったが、こうして話していると姫の魅力がよくわかる。一緒にいると、心がほっこりと温かくなるのだ。
荒波が立つような毎日の中で、王太子は姫に癒やしを求めているのかもしれない。
「それで――あ、ごめんなさい。私ばかり喋ってしまって」
「いいえ。なんだか、私まで幸せな気分になりました」
「だったら、よかったです」
紅茶が冷え切ってしまうほど、話し込んでいたようだ。侍女が、温かい紅茶を淹れ直してくれた。
「私、ディア様に、親近感を覚えてしまって」
「親近感、ですか?」
「ええ。なんだかとんでもない御方と結婚してしまった。ディア様のお顔にも、そう書かれていたように思ってしまったんです」
「確かに、思っておりました」
「でしょう?」
姫も王太子より結婚を申し込まれたときに、同じように思ったのだという。
「私は、王妃教育を受けておりません。だから、このお話はお断りしたんです。けれど――」
王太子は姫を諦めなかった。後日、改めて国に宛てて結婚を打診したらしい。
「本当に、驚きました。でも、それ以上に驚いたのは、父がこの結婚の話を受けると申した瞬間でしょうか」
隣国とは長年、よくない関係が続いていた。緊張状態が続いていると、国自体が疲弊する。この結婚は、双国の平和の架け橋となる。
「そこまで言われてしまえば、結婚を受け入れる他ありませんでした」
姫自身、王太子を心から慕っているらしい。けれど、自分が未来の王妃になることを考えると、夜も眠れなくなるほど不安になるという。
「こうして、夜会に参加しても、皆、私を値踏みするように見るんです。未来の王妃に、相応しい姫か、と。それが、恐ろしくて堪らない」
同じような視線を、ユースディアもこれでもかと浴びてきたばかりだ。姫の気持ちは、痛いほどわかる。
「ディア様は、私を温かな目で見てくださいました。それが、どんなに嬉しかったか」
「王太子殿下とお並びになる様子が、初々しくて、とてもお似合いに思ったのです」
「本当ですか? 嬉しいです!」
それから一時間ほど、姫とユースディアは途切れることなく会話を楽しむ。
姫の話はどれも面白く、ユースディアは珍しく声をあげて笑ってしまった。
こんなにも、愛らしく、楽しい人なのに、社交界の人々に魅力が伝わっていないのはもったいないと思う。
姫は人付き合いが苦手で、おそらく大人数を前にしたら萎縮してしまうタイプなのだろう。
もっと社交界で影響力のある人物と打ち解けたらいいのだが、それも難しいだろう。
「ああ、ディア様が侍女だったら、安心して嫁いできますのに。まさか、エリーゼ姫に先を越されていたとは……」
姫は王女と何度か面会しているらしい。堂々としていて、ハキハキ喋り、思ったことはなんでも言う人だと語っていた。また、社交界の人気者で、常に多くの人々に囲まれていると。
「自分に自信があって、私とは真逆の御方でしたわ。正直に言えば、ちょっと苦手なタイプなんです」
毎日アロイスに恋文を送るような人物だ。姫のように、控えめで楚々とした性格ではないだろうと、ある程度は予測していた。上手くやっていけるのか。ユースディアは若干不安を感じてしまう。
「しかし、ディア様がいるのならば、王女様のところに、遊びに行ってみようかしら」
王女と仲良くなったら、姫を認める者も増えるだろう。いい機会なのかもしれない。
ここで、夜会の終了を知らせる鐘が鳴った。姫はハッとなり、眉尻を下げて謝罪する。
「ごめんなさい。長く引き留めてしまって」
「いえ、楽しい時間でした」
姫はユースディアの手をぎゅっと握り、ふんわりと微笑みかける。
「また今度、ゆっくりお話ししましょう」
「はい。心から、楽しみにしております」
立ち上がった瞬間、ガーターベルトに挟んでいたスクロールを落としてしまう。
「あら、こちらは、スクロールではありませんか?」
姫が拾い上げ、ユースディアに差し出してくれた。
「え、ええ」
アロイスが発作を起こしたときのことを考えて、予備として持ち歩いていたのだ。
最後の最後で失敗した!
ユースディアは脳内で頭を抱える。




