魔女は王女からの手紙にうんざりする
帰宅後、侍女より手紙を受け取る。差出人を見て、ギョッとした。
「エリーゼ・アリス・フォン・ブロンガルドって、王女殿下じゃない!」
いったいどうしてアロイスではなく、ユースディア宛てに王女から手紙が届くのか。
封筒に蝋燭を垂らして押した王家の紋章が、悪魔を封じたもののように思えた。
深く長いため息をついてから、ユースディアは手紙を「えいや!」と気合いを入れて開封した。
そこには、信じられない内容が書かれていた。
国王生誕祭で多忙を極めるため、手を貸して欲しい、と。つまり、ユースディアを侍女として指名したのだ。
おそらく、アロイスを通じて面会の話が届いたのだろう。手っ取り早く会う方法を、王女自ら提示してくれたようだ。
正直、面倒だ。王族の侍女なんて、テレージアレベルの教養と礼儀の神みたいな女性にしか務まらないだろう。
ただ、傍に侍っていればいいわけではない。仕える主人の機微からさまざまなものを察し、世話をしなければならないのだ。
貴族についての知識は、ロマンス小説から。そんなユースディアに、王女の侍女なんて務まるわけがなかった。
まずは、アロイスに相談を持ちかけなければならないだろう。ユースディアは頭を抱え、うんうんと唸っていた。
夜――アロイスが帰ってくる。
「おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
アロイスが隣に腰掛けた瞬間、ユースディアは王女の手紙を渡した。
「これは……!」
「王女殿下からの、ありがたい申し出が書かれたお手紙よ」
アロイスは便せんを広げ、すさまじい速さで手紙を読んでいく。
「正直、お義母様のほうが適任だと思うのだけれど、王女殿下への調査は私にしかできないから、どうしたものかと悩んでいるのよ」
王女について調べる、またとない機会だろう。侍女として傍に侍っていれば、多くの情報が得られる。面会し、短い時間に言葉を交わすよりも、成果があるのはわかりきっていた。
けれど、貴族社会について知識のないユースディアが王女の侍女となり、何か失敗でもしたら公爵家の恥となる。
「難しい問題ね」
「ええ。しかしまあ、基本的にはふるまいなど、問題ないとは思いますが」
「問題大ありよ。私、ドのつく庶民なのよ!? 礼儀を知らない女に、侍女なんて務まるわけがないんだから」
あばたもえくぼ、という異国の言葉をユースディアは思い出す。きっと好意を寄せるあまり、アロイスの目はドの付く節穴になっているのだろう。
「とにかく、このままの状態では、侍女は無理よ」
「ふむ、そうですか」
アロイスは顎に手を添え、考える人の素振りを見せる。
「何か、考えがあるの?」
「はい。しかし、実行するには、ディアに負担がかかります」
「なんなの?」
アロイスは眉間に深い皺を寄せ、きゅっと唇を噛みしめる。いったい、どんな苦行を乗り越えなければならないのか。ユースディアは気になり、アロイスに「早く言いなさい」と肩を揺らしながら急かした。
「――ッ、母に、礼儀作法を、習ってはいかがかな、と」
ユースディアも、アロイスと同じ表情となる。テレージアに礼儀を習うというのは、多大な負担だ。しかし、仮に頼むとしたら、テレージア以上に適任者はいないだろう。
ユースディアは腕を組み、思い悩む。正直、テレージアとの関係は良好とは言えない。普段は使用人達がユースディアとテレージアの情報交換を行い、互いの行動を調整しつつ、顔を合わせないように暮らしているのだ。
ここ最近はフリーダという共通の敵がいたので、なんとかやってきていた。
ユースディアの教育をするとなれば、牙を剥くだろう。
貴族的な振る舞いなんて、一朝一夕で身につくわけがない。長年かけて身に着けたものなのだ。
短期間で仕上がるわけがない。けれど、何もしないよりはいいだろう。
ユースディアはしぶしぶと、アロイスの提案に同意を示す。
「わかったわ。お義母様に、お願いするわ」
「では、今から頼みにいきましょう」
「え、明日でよくない? お義母様だって、眠っているかもしれないし」
「母はだいたい夜更かししているようです。きっと、起きているでしょう。王女殿下は気が長いわけではないので、早ければ早いほうがいい」
「まあ、そうね」
そんなわけで、アロイスと共にテレージアの部屋を訪問することとなった。
テレージアに王女の侍女をするよう、打診があった旨を話す。
「王女殿下から、侍女のご指名があったですって!?」
届いた手紙を読みつつ、テレージアはカッと目を見開く。
「自信がないから、断ろうと思ったのだけれど――」
「何を言っているの!? 王族の侍女になるというのは、最高の誉れなのよ! この私でさえ、指名されたことなどないのに」
テレージアは爪先を噛み、悔しそうにしていた。若干、白目を剥いているようにも見えたので、ユースディアは内心恐ろしく思う。
「ディアが不安だというので、一度母上にふるまいを見て戴こうかなと思いまして」
「なるほど。それが賢明ね」
テレージアは胸をどん! と叩き、「私に任せなさい」と言う。
「前から、ディアさんのことを、惜しいと思っていたのよ」
「お、惜しい?」
「ええ。背筋はピンと伸びているし、歩き方も問題ないけれど、やわらかさが一切ないのよ」
「私の問題って、それだけなの?」
「まあ、細かに気になる点はあるけれど、ざっくり見て、大きく修正しなければならない点はないかと」
これまで貴族らしくないふるまいをしているものだと思っていた。話を聞いてみたら、案外問題ないようである。
現在、ユースディアが身に着けているふるまいは、先代から習ったものだ。
かつて、魔女は貴族相手に商売することがあった。そのため、ふるまいに気を付けるよう、厳しく教育されていた。
なんでも、庶民じみていたら魔女の威厳がなくなるらしい。そのため、背筋はピン伸ばし、明瞭な言葉遣いをするよう叩き込まれていたのだ。
アロイスも基本は問題ないと言っていたが、信じていなかった。テレージアは嘘など言わないだろう。
「意外と、誤魔化せていたのね」
「何か言った?」
「いいえ、なんでも」
しかし、侍女に必要な、主人の機微を感じるというのは、まったく理解していない。その辺の常識を、叩き込んでもらう必要があるだろう。
「では、明日、日の出の時間から、特訓を始めるから、起きてきなさいね」
「ひ、日の出から!?」
「母上、あまりにも早くないですか?」
二人の言葉を聞いたテレージアは、目を鋭く光らせる。
「何を甘えたことを言っているの? 王女様が、お待ちなのよ。三日で、仕上げるわ」
「み、三日!」
「母上――」
「アロイス、あなたは口を挟まずに、黙っていなさい!」
ぴしゃりと言われた言葉に、アロイスは口を噤む。
ユースディアへは、「四日後に、王女殿下のもとへまいります」という手紙を早急に書いておくように命じられた。
「明日も早いので、今すぐ寝なさい。私も、休ませてもらうわ」
そう言って、テレージアはいなくなった。
残されたアロイスとユースディアは、顔を見合わせ苦笑したのだった。
◇◇◇
翌日、日の出よりも早く起床し、身支度をする。
侍女も早起きに付き合わせてしまい、申し訳なく思った。
自分ひとりでしようと考えたものの、これから学ぶのは侍女の仕事。彼女らの動きを見て、学ぼうと思ったのだ。
なんとか日の出までに化粧をし、髪を結い、ドレスをまとった。
急ぎ足で指定されていた部屋に向かったが、すでにテレージアはユースディアを待っていた。
「ディアさん、おはよう」
「お、おはよう、ございます」
まさか、先に起きて待っているとは、まったくの想定外ではあった。
「では、さっそくだけれど、始めるわね」
「よろしくお願いします」
まず、侍女について、基本的なことを教えるという。
「ディアさん。あなたは、侍女がどういう存在か、正しく理解しているかしら?」
「あまり自信はないけれど、身支度を調えてくれたり、高価な品を管理してくれたり、事務を手伝ってくれたり、紅茶を淹れてくれたりする人?」
「その中で、侍女の仕事ではないものがあるわ」
「え!?」
なんだろうか。ユースディアは自らの発言を振り返る。どれも、これまで侍女がしてくれたものばかりであった。
「侍女とは――主人の傍で侍り、手足のように動く存在なのよ。こう言えば、わかるかしら?」
「あ、わかった! 紅茶を入れるのは、侍女の仕事ではない?」
「正解よ」
よく侍女が持ってくるので誤解しがちだが、湯を沸かし紅茶を淹れるのはメイドの仕事である。
「侍女というのは、主人ができることを敢えてするのが仕事なの」
「そう言われたら、わかりやすいかも」
侍女の仕事をするにおいて大事なのは、高い洞察力である。主人が何を思い、何を望んでいるのか。命じられなくとも、気づかなければならないのだ。
「侍女という生き物は、察しの職人なのよ」
たしかに、侍女は言葉を発さずとも、いろいろ動いてくれる。喉が渇いたかと思えば紅茶を用意し、空腹を感じたら菓子を持ってきてくれる。暑ければ窓を開け、寒ければ暖炉に火を入れるようメイドに命じる。
「でも、どうして侍女は主人の望むことを、してくれるのかしら? 洞察力だけでは、わからないはずよ」
侍女の“察し”の能力は、魔法を使っているとしか思えない。その秘密を、テレージアはユースディアに教えてくれた。
「できる侍女は、主人と状態を合わせるのよ」
「状態を、合わせる?」
「ええ」
ドレスの生地や下着の素材が主人と同じだった場合、暑いか、寒いか自らの感覚で気づける。食事や茶のタイミングも、休憩中の侍女が合わせることもできるのだ。それにより、主人と空腹を感じる瞬間がほぼ同じなので、命令を聞かずとも菓子や茶を用意することも可能だ。
「基本的に、侍女はチームなの。ひとりで、ひとりの主人に仕えるなんて絶対に無理」
「つまり、他の侍女と上手くやる能力も、必要ってわけね」
「ええ、そうよ」
協調性が皆無のユースディアに、とても務まるとは思えない。内心、頭を抱える。
「もちろん、瞳や眉の動きで、ピンと察する侍女もいるけれど。そういう人は、二十年、三十年と同じ主人に仕えている者にしか不可能でしょうね」
話を聞くだけでうんざりするユースディアに、テレージアは無茶なことを提案する。
「今、私が何を考えているか、当ててちょうだい」
「えっ、そ、それは……!」
じっと、テレージアを見つめる。
「そんなふうに、主人をジロジロ見たら、怒られるわよ」
できる侍女は、主人の背中から発するオーラで何をしてほしいか感じるという。
「だから、そういうのは無理なんだって!」
「それでも、やるのよ」
ここで気づく。テレージアの声が、わずかに掠れていることに。きっと、喋りすぎてしまったからだろう。
今、何を考えているのか、ピンときた。
「もしかして、喉が渇いている」
「その通りよ」
ユースディアは立ち上がり、すぐさま外で待機しているメイドに紅茶を淹れてくるように命じた。そのさいに、茶葉の種類を指定する。
十分後――紅茶が運ばれてきた。
「マーシュマロウルートの紅茶にしてもらったわ」
「あら、どうして?」
「喉を保護して、痛みを軽減する効果があるの」
「すばらしい心遣いね」
「痛み入ります」
こういう細かな気配りが大事だという。初日から褒められるとは思わなかった。
ユースディアはもとより、薬草の知識が豊富にある。紅茶の指示出しは、なんだか上手くいきそうな気がしてきた。
それから、一日中テレージアと行動を共にし、侍女の心得を習う。
ユースディアが真剣に学ぶ姿勢を見せたら、テレージアはよき教師として応えてくれた。
昨晩は上手くいくとは思えないと思っていたが、案外相性は悪くないように思えた。
二日目は、思いがけないものをユースディアへ手渡す。それは、夜会の招待状であった。
「急だけれど、明日の晩に開催される夜会に、アロイスと参加なさい」
「どうして?」
「王女殿下の侍女になる前に、あなたの顔見せをしておいたほうがいいからよ」
アロイスと結婚し、王女の侍女となる。誰もが羨む状況に、ユースディアはいるという。
中には、ユースディアに対してよくない感情を抱く者もいるだろう。アロイスとの結婚を、認めない者もいるかもしれない。
「夫婦円満であることを、社交界に知らしめる必要があるわ」
「なるほど」
突然、ユースディアが王女の侍女になっても、妬みから上手く仲間の輪に入れない可能性もある。
「夜会でお似合いの夫婦と認められたら、王女の侍女から仲間はずれにされることもないから」
「具体的に、お似合いの夫婦とは?」
「内面から滲み出る幸せのオーラ、かしら?」
また、オーラという、不可視で不可解な単語が出てきた。ユースディアは舌打ちしそうになったが、寸前で呑み込んだ。
「女性は特に何もせすに、男性の隣に堂々と立っているだけでいいのよ」
黙って立っているだけでいいのならば、案外楽なのではないか。ユースディアはそう思ったが、現実は違ったのである。
 




