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守銭奴魔女ですが、あまあま旦那様にほだされそうです  作者: 江本マシメサ
第三章 沼池の魔女は、夫の女性問題にウンザリする

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魔女は決意する

 だんだんと、景色が変わっていく。深い森を抜けた先は、一面銀世界であった。

 眠っていたヨハンも目を覚まし、嬉しそうに窓の外の風景を見ている。

 そんな中で、鹿に似た獣が歩いているのを発見した。


「アロイス叔父さま、見てください! 野生の、馴鹿レインディアがおります!」

「あれは、オスですね」

「どうして、わかるのですか!?」

「オスの馴鹿は、秋から冬にかけて、角が落ちるのです。今のシーズンに角が生えているのは、すべてメスなんですよ。ちなみにメスは春から夏にかけて、角を落とします」

「そうなのですね。でも、どうして男女は別々に、角が落ちるのですか?」

「それは、繁殖に関わることなのです」


 繁殖期を終えたメスの腹には、子どもがいる。馴鹿は角を使って食べ物を探す。そのため子どもに栄養が行き渡るよう、角を使ってオスより優先的に食べ物を得るのだ。

 ヨハンはアロイスの話を、瞳を輝かせながら聞いている。まるで、本当の親子のように見えた。

 ふと、ユースディアは気づく。アロイスが死んだら、ヨハンは悲しむだろうと。


「ディアさま、どうかしたのですか?」

「あ――いいえ、どうもしないわ。見て、湖が、見えてきたわよ」

「わあ!」


 凍った湖が、窓の外に広がっていた。

 湖には、風避けのテントがいくつか立っている。この湖では、アイスフィッシングを商売としており、氷に穴を開けテントを張った状態で貸し出されるのだ。

 アロイスはテントを予約していたようで、待つことなく案内される。


「ねえ、この湖、本当に大丈夫ですの!? 足を踏み入れたら、割れるのではなくって!?」

「リリィ大丈夫よ。氷は厚いから、割れて湖に落ちる心配はないわ」

「どのくらい厚く凍っていますの?」

「さあ?」 


 ヨハンはアロイスと手を繋ぎ、スタスタと湖の上を歩いていた。


「見てみなさいよ。あなたより年下のヨハンは、平然と歩いているわ」

「あ、あの子は、まだ小さいし、体重もそこまで重たくないでしょう?」


 ためらっているうちに、アロイスとヨハンはテントにたどり着いてしまったようだ。じっと、こちらを見ている。


「仕方がないわね」


 ユースディアはそう言って、リリィに手を差し伸べる。


「私の手を掴みなさい。連れて行ってあげるから」


 リリィは渋々、といった感じでユースディアの手を取った。恐る恐るという足取りで、凍った湖へ足を踏み入れる。


「うう……!」

「進むわよ」

「え、ええ」


 リリィはユースディアにしがみつきつつ、一歩、一歩と前に進む。慎重過ぎて、カメのほうが速く歩くのでは? と思うくらいだ。

 やっとのことで、テントにたどり着いた。中に入ると、アロイスとヨハンが手を振ってくれる。


「お待たせ」

「どうぞ、こちらに」


 テントの内部には、椅子が用意されていた。まずは、リリィを座らせる。


「凍った湖にある椅子って、こんなにも落ち着かないものですのね」

「けっこう安定しているけれど? 一回湖の上にいることは忘れて、ゆっくり休んだら?」

「いつ割れるかわからないのに、ゆっくり休めるわけがありませんわ」


 ユースディアとリリィのやりとりを聞いていたアロイスが、笑い始める。つられて、ヨハンも笑った。


「ディア様のせいで、アロイス様とヨハンに、笑われたではありませんか!」

「おかしいのは私じゃないわよ」

「なんですって」


 そんなこんなで、アイスフィッシングが始まる。

 リリィは餌となるミミズを見て、悲鳴を上げていた。


「はいはい。リリィ、あなたはムクムクでも撫でていなさい」

「ううう……!」


 ミミズは友達――とは言わないが、普段から触り慣れているユースディアは平然とミミズを手に取って、針に引っかける。


「はい。ヨハン、どうぞ」

「ありがとうございます」


 ヨハンはアロイスの見本を見たのちに、餌を湖の穴に落とす。

 先に竿がしなったのは、ヨハンだった。


「ヨハン、釣れています」

「わわっ!!」


 大きな魚なのだろう。竿が折れそうなほど、しなっていた。

 アロイスはヨハンを助けず、ただただ見守っている。なるべく手を貸さずに、自分の力だけで釣らせるようにしているのだろう。

 ユースディアやリリィも、固唾を呑んで見守る。


「ぐぐぐ、ぐぐぐぐぐ!!」


 魚が水面から顔を出す。すかさず、アロイスが網を使って掬い取った。それと同時に、ヨハンは竿から手を離し、後ろに転んで尻を打ち付ける。すぐに、ユースディアが傍に寄り体を支えた。


「ヨハン! 見てください。こんなに大きな魚が釣れました」

「ぼくが、釣った魚、ですか?」

「そうですよ」

「ヨハン、すごいわ」

「本当に!」


 皆が口々に褒めると、ヨハンは頬を真っ赤に染めながら微笑む。


「帰ったら、お母さまにも、大きな魚を釣ったと、お話ししようと思います」


 ヨハンの喜びのコメントを聞いた面々は、揃って微妙な表情となる。

 フリーダはヨハンの魚釣りの話なんて、欠片も興味を示さないだろう。

 せっかくヨハンが報告したのに、「ふーん」で片付けそうなフリーダの様子が、鮮明に想像できる。


「みなさん、どうかしたのですか?」

「ヨハンが小さな体で、大きな魚を釣ったことに、ディアとリリィは感激しているのですよ」

「そ、そうだったのですね。その、アロイス叔父さまは、どうお思いになりましたか?」

「誇らしい気持ちでいっぱいです」

「うれしいです!」


 ヨハンはもっともっと魚を釣ると、張り切っている。そんな中で、アロイスに変化があった。


「――ッ!!」


 急に顔色が悪くなり、暑くもないのに額に珠の汗が浮かぶ。

 すぐさま立ち上がり、テントから外へと駆けだしていった。ヨハンは首を傾げ、質問を投げかける。


「アロイス叔父さま、どうかしたのですか?」


 呪いの発作が起こったのだろう。リリィは口元に手を当てて、不安げな表情となった。

 ヨハンの質問には、ユースディアが答える。


「きっと、厠に駆け込んだのよ」

「か、厠に、ですか?」

「ええ。お腹でも、壊したんじゃない?」

「そ、そうなのですね……! アロイス叔父さまは、その、厠に行かないと、思っていました」


 どうやら、ヨハンにとってもアロイスは人外じみた何かだと思われていたようだ。


「アロイスは一応人間だから、厠に行くわよ」

「で、ですよね。どうして、そんなことを思ってしまったのか……!」


 なんとか、誤魔化せたようだ。胸を押さえ、ホッと安堵の息を吐く。

 リリィは両手で顔を覆っている。酷い言い訳をしたものだと、思っているに違いない。

 ただ、発作と言えば、ヨハンは心配するだろう。楽しい行楽気分が、暗く落ち込んでしまう。

 腹痛や尿意であれば、誰にでも起こる生理現象だ。あまり心配する必要はない。

 五分後に、アロイスは戻ってきた。


「アロイス叔父さま、あの、お腹、大丈夫ですか?」

「お腹?」

「はい。ディアさまが、お腹を壊したのだろうと」

「ああ……」


 聡いアロイスは、ヨハンの言葉ですぐに話の流れを理解する。


「おかげさまで、よくなりました」

「よかったです。我慢は、しないでくださいね。痛くなったら、ぼくがお腹を撫でてさしあげます」

「ヨハン……ありがとうございます」


 ユースディアの機転のおかげで、なんとか怪しまれずに済んだようだ。


 二時間ほど釣りを楽しんだ。釣果はアロイスが五匹、ヨハンが七匹、ユースディアが三匹、リリィが一匹と、それぞれ満足の結果に終わった。

 釣った魚は、湖の近くにあるロッジで調理してもらえる。わくわくしながら、料理が仕上がるのを待った。


「はあ、やっと落ち着けますわ」

「リリィさま、湖の上は、すこしだけどきどきしましたね」

「そうでしょう? 平気そうにしていたディア様の気が知れないわ」

「私も怖かったわよ」

「嘘ですわ」


 そんな話をしているうちに、料理が提供される。

 前菜は魚を擂ってテリーヌに仕上げたもの。近くの森で採れたベリーソースの赤が美しい。

 スープは魚をシンプルに味わうコンソメ。

 メインは魚の蒸し焼き。新鮮な魚を、ふっくら上品に仕上げていた。

 口直しの氷菓を食べたあとは、二品目のメイン。魚のソテーが運ばれてくる。濃厚なバターの風味が、淡泊な味わいの白身魚を引き立ててくれる。

 食後の甘味は、リンゴのムースとケーキの三点盛り。ユースディアにとって甘い物は別腹なので、ペロリと食べてしまう。大満足の昼食であった。

 ロッジには、売店があるという。狩猟で得た馴鹿の角や、毛皮が売っているらしい。ヨハンとリリィは、侍女と共に見に行くようだ。

 ユースディアとアロイスは、待合室で紅茶を飲んでしばし休憩する。

 食後にゆっくりくつろげるような部屋が用意されていた。暖炉には火が点され、魔石灯の灯りがマホガニーの調度品をやわらかく照らす。

 運ばれた紅茶は香り高く、一口大の菓子はどれも洗練されたおいしさだ。

 ひといき吐いたところで、アロイスが頭を下げる。


「ディア、いろいろと、ありがとうございました」

「なんのお礼かしら?」

「リリィに呪いについて説明したくだりや、呪いの発作が起きたときに、ヨハンにいろいろお話をしてくれたことへのお礼です」

「ああ、それね」


 呪いの発作が起きたさいの言い訳は、複数考えていたらしい。しかしどれも、不自然なものだったという。


「まさか、腹痛を起こしてロッジの厠に駆け込んだことにされていたとは」

「具合が悪いと心配されるよりは、マシでしょう?」

「ええ。百点満点の言い訳かと」


 会話が途切れたので、ユースディアは窓の景色を見つめる。

 白樺が生える、美しい白の森であった。おどろおどろしい沼池の魔女の森とは異なり、どこか神聖で、静謐せいひつな雰囲気を感じた。


「きれいね」


 ぽつりと、ユースディアは呟く。すると、アロイスは嬉しそうに目を細めた。


「ディアに、ここの美しい景色を見てほしいと、思っていたんです」


 続けて、妙に明るい声で言った。「もう、来年はいないから」と。

 もうすぐ、アロイスは命を落とす。

 その事実は、ユースディアの心にズシンと重たくのしかかった。

 出会ったころは、呪いを受けて気の毒だと思うばかりだった。

 しかし今は、アロイスの呪いをどうにかしたいと思う。

 けれど解呪をすると言っても、ユースディアを危険に晒してしまうからと言って、アロイスは頷かなかった。

 今一度、ユースディアはアロイスに告げる。


「私、あなたの呪いを解くわ」

「なぜ?」


 ユースディアはアロイスの財産目当てで、結婚した。彼が死んだあと、遊んで暮らそうと考えていたのだ。

 けれど、今は違う。ようやく、気づいた。

 別に、アロイスが死ななくても、ユースディアが彼を手玉に取ればいいだけの話。

 アロイスを手にしたら、おまけに財産も転がってくる。沼池の魔女は、極めて欲深く、傲慢なのだ。

 ユースディアはアロイスの財産だけでなく、彼自身も欲しいと思ってしまった。

 じっと、アロイスを見つめる。彼の強固な決意は、揺るぎそうにない。

 ユースディアは彼に接近し、膝の上にあった手に指先を重ねる。


「私の名は、ユースディア、っていうの。家名はないわ」

 ビクリと、アロイスの手が震えた。表情は窺えないが、かすかな動揺を感じ取る。

「魔女の本当の名前を知ってしまった以上、あなたの人生は、自分ひとりのものと思わないことね」

「ですが――」

「あなたは、これから先も、生きるのよ。頑固なお母様と喧嘩して、ヨハンの成長を見守って、奔放な王女様に呆れつつ、時折リリィに優しくして――生きるの」


 アロイスは、まっすぐにユースディアを見つめる。


「ねえ、まだ、人生を諦めたくないでしょう? 今日みたいに楽しいことだって、たくさんあるはずよ」

「私も……そう、思います」

 絞り出すように発せられた一言だったが、紛れもないアロイスの本心だろう。


 彼は、このまま呪いに呑み込まれて死ぬことを、心の奥底では望んでいない。


「ディア……!」

「ユースディア、よ」

「ユースディア」

「そう」

「あなたに、人生を、託してもいいのでしょうか?」

「しかたがないから、面倒を見てあげるわ。だって私達、夫婦ですもの。病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しきときも、隣に立つあなたを夫とし――続きはなんだったかしら?」

「愛し、敬い、慈しむことを、誓いますか?」

「まあ、その辺はいいとして。神父の前で、誓い合ったでしょう?」

「ええ、確かに誓いました」


 今一度、誓いを確かなものにしたい。アロイスはユースディアに許しを乞う。


「何? 血の契約でもしたいわけ? 形が必要ならば、好きにするといいけれど」


 今度は、ユースディアが自身の血を捧げて、アロイスと契約を結ぶ番なのだろう。

 ナイフを持っていたか。ユースディアはアロイスの腰ベルトをじっと見つめる。


「血の契約は、必要ありません」

「だったら、どう誓うのよ」

「口づけを」


 想定外の誓いに、ユースディアはたじろぐ。

 本来の誓いの口づけは、唇と唇を合わせて約束を永遠のものとするのだ。

 急遽きゅうきょ行った結婚式では、ユースディアが拒否したのだ。

 今は、別に断る理由はない。

 アロイスが熱い眼差しを向けている。このままでは、視線でけてしまいそうだ。

 ユースディアは目を閉じる。その瞬間に、唇にやわらかいものが押し当てられた。

 羞恥心と、甘美な気持ちが同時に押し寄せてくる。

 どこで息をすればいいのか。頭の中が真っ白になり、わからなくなる。


「――んっ!」


 酸欠になる前に、アロイスはユースディアから離れた。

 瞼を開くと、とろけそうな微笑みを浮かべるアロイスと目が合った。


「な、何よ!」

「ディアが、可愛いと思いまして」

「可愛いわけないでしょうが!」


 アロイスの唇に、ユースディアの口紅が付着していた。ハンカチを取り出してごしごし拭いていたら、ヨハンとリリィが戻ってくる。


「ただいまもどりました!」

「遅くなりましたわ――あら、アロイス様、どうかなさいましたか?」


 唇を力いっぱい拭いているところを、見られてしまった。

 アロイスはユースディアの持っていたハンカチを自ら手に取り、「唇を切ってしまったんです」などと言い訳をする。

 咄嗟に言い訳したので、女性慣れしているのではとユースディアは怪しむ。

 その視線に気づいたのか、ヨハンとリリィから見えない角度から、ユースディアの手をぎゅっと握ってきた。

 突然の接触に、カーッと顔が熱くなっていくのを感じた。

 これまで一歩引くような態度でいたが、ユースディアと契約したことによりぐっと距離が近づいた気がする。

 本当に、これでよかったのか。

 ユースディアは自問したが、答えは浮かんでこなかった。

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