魔女一行は行楽にでかける
リリィが訪問してきたので、アイスフィッシングに誘ってみた。
「アイスフィッシング、ですって?」
「ええ。アロイスと、ヨハンと行くのだけれど、あなたもどうかしら?」
リリィはすぐに返事をせず、じっとユースディアを見つめている。
「何?」
「わたくし、アロイス様が好きだという話を、あなたにしていたと思うのだけれど?」
「ええ、していたわね」
「どうして、誘ってくれましたの?」
「あなたがいたら、ヨハンが喜ぶと思ったの。それだけよ」
「普通、旦那様に好意を抱いている女なんて、誘いませんわ」
「フリーダは死んでも誘いたくないけれど、あなたは別に」
リリィがアロイスについてああだこうだとユースディアに物申していたのは、屋敷に押しかけた当日だけであった。あとは、ムクムクとたわむれ、ヨハンと遊ぶだけの人と化している。リリィがいたらヨハンが喜ぶし、今はユースディアに対し特に害はないので、誘ったのだ。
「なぜ、アロイスについて何も言わなくなったわけ?」
「それはアロイス様が、我が家に結婚報告をしにきたから」
以前より、リリィの父親はアロイスに対して「娘と結婚してくれないか」と打診を送っていたようだ。正式に断っていたらしいが、アロイスが独身で居続ける限りリリィの父親は諦めていなかった。
「報告にいらしたとき、アロイス様は、幸せそうに微笑んでいらして――」
その様子を目の当たりにしたら、何も言えなくなったという。
「わたくしは今も、アロイス様をお慕いしております。けれど、その気持ちを押しつけるつもりは毛頭ありませんの」
愛する相手が幸せだったら、静かに見守るまで。それが、リリィの愛の形だという。
「ですので、あなたにいろいろ物申さないことにしていましたの」
「ふうん。だったらどうして、公爵邸に通い詰めているのよ」
以前までのリリィは、毎日のように訪問していなかったという。多くても、週に一度くらいの頻度だったと。ユースディアがきてから、連日訪問するようになったらしい。
「それは、ムクムクに会いたいからに決まっているじゃない!」
リリィはクッションに座っていたムクムクを抱き上げ、頬ずりする。
ムクムクもリリィを気に入っているようなので、ユースディアは「お幸せに」と声をかけるばかりであった。
「それで、アイスフィッシングは行くの? それとも行かないの?」
「まあ、あなたがどうしてもと言うのならば、行ってあげなくもないわ」
正直、頭を下げてまで同行してほしいとは思わない。だが、リリィがいたら確実に、ヨハンは喜ぶだろう。
ユースディアは渋々と、リリィに頭を下げて同行を願ったのだった。
◇◇◇
アイスフィッシングをするために、王都から馬車で三時間離れた場所にある湖を目指す。
集合は日の出前。
ヨハンは初めての遠出だという。楽しみなあまり、昨晩はあまり眠らなかったようだ。
「うう……。眠たいけれど、ぜったいに、眠りません」
「馬車の中で眠ればいいじゃない」
「アロイス叔父さまや、リリィさまと、たくさん、たくさんお喋りを、したいんです」
「そうね」
おそらく、馬車が走り始めたらすぐに眠ってしまうだろう。うとうとするヨハンは、アロイスが抱き上げて馬車まで運んでくれた。
リリィはというと、気合いの入ったドレス姿に、毛皮の外套を合わせていた。
先ほどまで集合時間が早すぎると憤っていたが、アロイスに褒められると、満面の笑みを浮かべている。
微笑ましい気持ちで眺めていたら、「勝手にこちらを見ないでいただけます?」と言って、ツンと顔を逸らしていた。
案の定、ヨハンは馬車が動き始めると、アロイスの膝を枕にして眠り始める。
「やっぱりこうなりましたか」
「仕方ありませんわ。昨晩は、眠れなかったようですから」
「三時間の移動なんて退屈だから、眠りながら過ごすのが大正解なのよ」
ムクムクも、リリィの膝で眠り始める。車内は実に平和だった。
「ねえ、アロイス。リリィに、発作について話しておいたほうがいいわよ」
ユースディアの発言に、アロイスはギョッとする。
「アロイス様、発作って、なんですの?」
「いえ、なんでも――」
「死の呪いよ」
リリィはただでさえ大きな瞳を、さらに大きく見開く。
「ディア! 彼女に話すことではありません」
「だったら、呪いの発作が起きたときに、なんて言い訳をするの? 一日一緒に行動する以上、いつ呪いの発作が起きるかわからない状況なの。ヨハンみたいに幼い子は隠せても、リリィは無理よ」
「……」
アロイスは眉間に皺を寄せ、険しい表情でいる。一方で、リリィは信じがたいという感情を、口元を隠して押し殺しているように見えた。
「アロイス。苦しみはね、人に話すことで、少しずつ、少しずつ楽になるのよ。いろんな人に話せるようになったら、それは、あなたの中で苦しみが軽くなった証拠なの。今、話せないのは、苦しみが大きいからなのよ」
ユースディアの言葉を聞いたアロイスの瞳に、光が宿った。胸に、響いたのだろう。
それから、アロイスは呪いについてリリィに話し始める。
リリィは顔を真っ青にさせ、かすかに震えていた。行楽のときに、話す内容ではなかったのかもしれない。けれど、呪いは一日一回発動される。きちんと、話しておく必要があっただろう。
「というわけで、呪いをかけられた私の寿命は半年、というわけです」
「そんな……! アロイス様に呪いをかけた人がいるなんて! いったいどなたが、そんな酷いことをしましたの?」
「わかりません。今のところ、見当もついていないのです」
若くして王太子の騎士となり、公爵位まで得たアロイスを、妬ましく思う者は大勢いる。誰が呪いをかけたのか。途方もない話で、調査する気にもなれないという。
「きっと、闇魔法使いの仕業に違いありませんわ! あの者達は、邪悪な思考を持っているといいますし!」
強く発せられたリリィの言葉に、ユースディアの胸がどくんと震える。
ユースディアへの言葉でないものの、少しだけ傷ついてしまった。
しかし、闇魔法の印象が悪いのも、仕方がない話である。かつて、闇魔法使いは大量虐殺ののちに、残忍な大魔法を使って多くの人々の命を奪った。そのイメージは、なかなか覆らない。
聞き流そうと思っていたが、アロイスは違った。普段よりも厳しい声色で、リリィを咎める。
「リリィ、それでは主語が大きすぎます」
指摘の意味がわからず、リリィはきょとんとしていた。
「あの、アロイス様。主語が大きすぎるというのは、どういうことですの?」
リリィの疑問に対し、アロイスは優しい声で諭す。
「まず、私に呪いをかけたのは、闇魔法に精通している誰かで間違いありません。そこまでは、理解できますね?」
「え、ええ」
問題はそこから先だという。
「闇魔法使いが、すべての悪の原因と決めつけるのは、間違っていると私は思います」
「でも、アロイス様に呪いをかけたのは、闇魔法使いですわ」
「ええ、間違いありません。ですが、悪いのは呪いをかけた本人であって、闇魔法使いではないのです。たとえばの話なのですが、騎士が殺人を犯した場合、誰が悪いのか、答えられますか?」
「殺人を犯した人ですわ」
悪いのは殺害を起こした個人であって、騎士という職務に就く者が悪いわけではない。
けれど、ひとたび闇魔法が絡んだ事件が発生すると、人は闇魔法が悪いと糾弾する。個人の罪を、見ないようにしてしまうのだ。
「私が言いたいことは、理解できますか?」
リリィは気まずそうに、コクリと頷いた。
「悪いのは闇魔法使いではなく、アロイス様を呪った本人、かと」
「そのとおり」
敵対すべき相手をしっかり見据えていないと、思考にブレが生じる。
「範囲があまりにも広いと、ほんの身近にある証拠も、見逃してしまう可能性がありますからね」
「ええ。わたくしが、間違っていました」
リリィは反省の意を示し、今後敵を見誤らないことを決意したようだ。
「あの、ひとつ、質問してもよろしいでしょうか?」
「なんですか?」
「アロイス様は、どうして、闇魔法使いが悪い人ではないと思っていましたの?」
「それは――」
アロイスは懐に入れていたスクロールをリリィに示した。
「これは、呪いの発作を一時的に封じるスクロールです。知り合いの闇魔法使いに、作っていただいた品になります」
「まあ! 闇魔法使いのお知り合いがいらっしゃるのね!」
「ええ」
ユースディアはギョッとする。まさか、話題がユースディア自身になるとは思っていなかったのだ。
アロイスはユースディアの名を出さずに、闇魔法使いについて語る。
「魔法文化が過去よりも廃れた現代において、たった一枚のスクロールがいかに作るのが大変か。説明するのはとても難しいです。宮廷魔法師なんかは、まだ空の星を掴むほうが簡単だと言うくらいで」
「そうでしたのね。でもそれは、アロイス様と闇魔法使いの間で執り行われる、取り引きではありませんの?」
「いいえ。これを私に作ることによって闇魔法使いに生じる益は、これっぽっちもありません」
「ではどうして、スクロールをアロイス様に作ってくれるのでしょう?」
「呪いによって苦しむ私を、気の毒に思っているからでしょう」
アロイスの推測は間違いではない。スクロールを作ってあげるのは、ユースディアが彼に対して憐憫の感情を抱いているからだ。他意はまったくない。
「でも、その闇魔法使いは、どうして呪いを解いてくださいませんの?」
「リリィ、呪いは基本的に、術者しか解けないようになっているのです。もしも、第三者が解呪しようものならば、呪いに取り込まれ、命を落とす場合もあります。それくらい、呪いに関する解呪は危険なのです」
「そう、でしたのね」
「闇魔法使いには、心から感謝しています。これ以上、望むものはありません」
アロイスの言葉に、胸が締めつけられる。
半年後、彼が呪いで命を落とすことを考えると、苦しみに苛まれるのだ。
「闇魔法使いの中には、心が優しくて、お人好しな御方がいらっしゃるのですね」
アロイスはユースディアをちらりと横目で見てから、やわらかく微笑みつつ「そうですね」とリリィに言葉を返していた。




