魔女は手強い女と再戦する
ユースディアの毎日は相変わらずであった。
オスカーが持ってきた嫌がらせシリーズの贈り物を受け取り、時折テレージアにお小言をもらいつつ昼食を食べ、午後からは遊びにやってきたリリィやヨハンの相手をする。
夜はほんのちょっと闇魔法の素材を作り、アロイスに会ってから眠るという感じだ。
王都での暮らしなんてつまらないと思っていたのに、意外と楽しい。
充実した日々を送っていた。
そんな中で、久しぶりにアロイスが早く帰ってくるという。一緒に夕食を食べたいと書かれたカードが、昼間に届けられた。マメなものである。
テレージアは会食に出かけるというので、夫婦水入らずになるというわけだ。
侍女は真っ昼間から、夜に着るドレスや宝飾品を選んでいた。
別に、着飾らなくてもいいのに。そう思ったが、口に出さずに好きなようにやらせておいた。
「奥様、こちらのパウダーブルーのドレスと、パールホワイトのドレス、どちらがよろしいでしょうか?」
パウダーブルーのドレスは、袖がないタイプのドレスで、首元も詰まっており体のラインに沿う形であった。一見して大人っぽい意匠であったが、裏返すと背中がこれでもかと開いていた。意外な場所が、露出しているのである。
パールホワイトのドレスは、レースやリボンが品よく飾られ、スカートはふんわりと広がっている。清楚な印象のドレスであるものの、胸元が大きく開いていた。胸が零れてしまうのでは? と思うほど、布地の範囲が狭い。
背中か、胸か。ユースディアは眉間に皺を寄せて、熟考する。
正直、露出は最小限に抑えたい。けれど、夜のドレスはどこか露出があるのだ。
足首をさらけ出すのは恥ずかしい行為だという認識の中で、胸や背中は問題ないという常識にユースディアは首を傾げてしまった。
どうせ、他のドレスを用意するように命じても、同じようにどこか露出しているのだろう。吟味するだけ、時間の無駄だ。
幸い、ドレスの意匠は好ましい。あとは、背中か胸か、どちらを露出させるかである。
「迷うわね」
以前、侍女から「背中がとてもおきれいです」と褒められたことがあった。磁器のようになめらかだとも。
「背中……背中がマシか」
胸は、うっかり零れてしまいそうで恐ろしい。その点、背中は安心だ。背後を取られない限り、背中を見られることもない。
ユースディアは腹を括る。
「パウダーブルーのドレスにするわ。宝飾品や髪飾りは任せるから」
「かしこまりました」
侍女らは恭しく会釈し、下がっていく。
ドレスを選んだだけだったのに、酷く疲れてしまった。
夕方――約束の二時間前から身支度を開始する。
風呂に入って体を磨かれ、濡れた髪には丁寧に精油が揉み込まれる。
頭のてっぺんから足のつま先まで、くまなくきれいにしてもらった。
化粧を施し、髪を結ってから、パウダーブルーのドレスが着せられた。
背中がスースーしているが、気にしたら負けなのだろう。
「奥様、今日もおきれいです」
「そう。ありがとう」
相変わらず、公爵家の侍女はすばらしい腕前である。長年引きこもっていたユースディアを、洗練された都会の女のように仕上げてくれるのだ。
アロイスは、どう思うだろうか。少しだけ、ドキドキしてしまった。
そんな彼は、約束していた時間にきっちり戻ってきた。
いつもと違い、騎士隊の制服だったのでユースディアは目を見張る。
「すみません。いつもは着替えて帰ってくるのですが、少々仕事が立て込んでしまいまして」
基本的に、アロイスは職場で騎士隊の制服に着替える。そのため、ユースディアは初めてアロイスの制服姿を見たのだ。
金のモール縁取られた詰め襟の制服は、アロイスのために仕立てたのではと思うほどよく似合っている。美貌も、普段の五割増しくらいに感じてしまうほどだ。
本人に似合う服装は大事なのだと、ユースディアはしみじみ思っていた。
「ディア、今宵は、すてきな装いですね」
「侍女が頑張ってくれたのよ」
パウダーブルーのドレスは、ユースディアに驚くほどしっくり馴染んだ。
肌の色や瞳の色を考慮して、侍女が厳選した一着なのだ。似合うのは当たり前なのである。
「では、食堂に行きましょうか」
「そうね」
アロイスはエスコートするために、そっとユースディアの背中に触れる。それは、本日の装いで特別に露出している部分であった。
ユースディアの胸が、ドクンと跳ねる。
アロイスは手袋を嵌めている。直接手が触れたわけではないのに、酷く恥ずかしい気持ちになった。
羞恥を押し隠し、なんでもないように歩くというのは、とても難しい。アロイスの話もまともに理解できぬまま、食堂へとたどり着く。
扉の前にいた給仕係が、気まずげな表情でアロイスをジッと見た。
「どうしたのですか?」
給仕係はアロイスに何かを耳打ちする。アロイスの瞳が、ハッと見開かれた。
「どうしたの?」
ユースディアの質問に、ため息が返される。アロイスが答える前に、扉が開かれた。
ひょっこりと顔を覗かせたのは、フリーダであった。
「ちょっ――!」
「義姉上……」
アロイスは勘弁してくれと言わんばかりの声色だった。
「ふふ。アロイス、お帰りなさい。あたし、ずっとここで、あんたの帰りを、待っていたんだよ」
フリーダはユースディアなどまったく眼中にないようで、潤んだ瞳をアロイスに向けていた。
「義姉上、なぜここに?」
「早く帰ってくるって聞いたから、一緒に食事でもしようかと思ったんだよ」
どこからかアロイスが早く帰宅するという情報が漏れたのだろう。
「義姉上、今日は――」
アロイスの言葉を最後まで聞かずに、フリーダはくるりと踵を返し席につく。そこは、ユースディアのために用意されていた席であった。
「いや、なんていうか、逆にすごいわ、あの人」
「……」
アロイスはフリーダについての不平不満を口にしなかったものの、背中から燃えるような怒りをわき上がらせていた。
「ねえ、ここまで堂々とできるのは、逆に見事よ。そう思わない?」
ユースディアの率直な感想に、アロイスはうんざりしつつ言葉を返す。
「このまま、一緒に食事をすればいいのですか?」
「そうね。それも、面白いかもしれないわ」
「本気ですか?」
「ええ」
そんなわけで、フリーダと三人で食事を取ることにした。
アロイスは用意されていた席に座らず、ユースディアのために新しく用意した席の隣に腰を下ろした。
「ねえ、フリーダ。ヨハンはどうしたのよ」
ユースディアが質問を投げかけたところ、キョトンとした顔を返す。
「ヨハンよ、ヨハン!」
「なんで、ヨハンについて、あたしに聞くんだい?」
「あなたが、母親だからよ」
フリーダはくすくす笑い始める。
「貴族女性は、子育てをしないんだよ。息子が今、どうしているかなんて、知るわけがない」
「子育てしなくても、気に懸けることくらいするでしょうが!」
フリーダは乳母に子育てと教育を頼んでいるというより、ヨハンに対する責任を放棄しているように思えた。
一刻も早く、テレージアがヨハンを養子として迎え入れたほうがいいとユースディアは強く思う。
「それよりあんた、お義母様にあたしとの取り引きについて、密告したね?」
「したけれど、何か?」
「何かじゃないわよ! あのババア――じゃなくて、お義母様は、あたしを世紀の悪女みたいに責め立ててきたんだよ!」
さすが、テレージアである。フリーダを世紀の悪女扱いするなど、センスが最高だ。テレージアは敵対したら厄介な相手だが、味方に引き入れると頼りになる。
ユースディアは勝利に酔いしれていた。
相当、厳しく叱ったのだろう。フリーダはユースディアに対し、激しく憤っているようだった。
そんな彼女の勢いを止めたのは、冷ややかなアロイスの一言である。
「義姉上、ディアとの取り引きというのは、なんですか?」
フリーダはハッとなる。感情に身を任せるあまり、アロイスがいるのも失念したようだ。
アロイスは取り引きについて知っていたが、敢えて聞いたのだろう。容赦ない男である。
「な、なんでもないわ。忘れてちょうだい」
「そうするわ」
ユースディアが尊大に言葉を返すと、フリーダは悔しそうに顔を歪ませていた。
食事をする間、終始フリーダに睨まれていた。けれど、アロイスという最強の盾がある以上、彼女に勝ち目はないのだ。




