魔女は夫に自白ワインを飲ませる
アロイスの態度はさらに軟化したように思える。
不安を吐露した日、ユースディアが励ましたから、心を許すようになったのか。
これまで、アロイスが何を言ってもユースディアは信じなかった。
しかし今は、情熱的な瞳を向け、ユースディアの心を揺さぶるようなことを言うのだ。
アロイスのユースディアに対する好意的な感情に、火が灯ったと言えばわかりやすいのか。
ただ、アロイスは腹芸がトコトン得意なタイプだろう。ユースディアをこの家に引き留める演技である可能性も捨てきれない。
嘘か本当か、見極めたいと思っていたのだが、アロイスの美貌を前にすると、なかなか冷静な判断がつかない。頭がぼんやりして、もう好きにしてと思ってしまうときもあった。
が、すぐに我に返る。
危ない。このままでは、アロイスという名の沼にはまり、抜け出せなくなってしまう。
危機感を覚えたユースディアは、闇魔法を用いてある品を作る決意を固めた。
夜――久しぶりに沼池の魔女の正装である黒衣をまとう。月光が差し込むテーブルに、魔法道具を並べた。
『ご主人、何を作るのです?』
「自白ワインよ」
『な、なんですか、それ』
「グラス一杯飲んだら五分もの間、嘘がつけなくなるワインなの」
このワインをアロイスに飲ませて、本当の気持ちを引き出すのだ。
『な、なぜ、そんなことを?』
「こうでもしないと、私の心がもたないのよ」
現状、ユースディアはアロイスに振り回されている。いちいち発せられる言葉が嘘であるのならば、軽く聞き流せる。半年間、耐えることも可能だ。
『でも、でもでも、本当だったらどうするんですか~?』
「距離を置く」
それから、無言で自白ワインを作る。
まず、白の魔石を砕いて粉末状にし、魔法で作った水に溶かす。これに、自白作用のある薬草を混ぜて、最後に鍋でぐつぐつ煮込んだら自白ワインの完成である。
グラスに注ぐと、真っ黒だった。成功の証である。
「ふふふ……! できたわ!」
『ご主人、毒にしか見えないですよ』
「これはね、空気に触れると、赤くなるのよ」
ユースディアの言う通り、注いだ当初は黒かったが、しだいに赤くなっていく。
それを、ワインの瓶に移し替えたら、完璧だ。侍女にワインを渡し、アロイスが帰ってきたら持ってくるように命じておく。
「私の計画は、完璧よ!」
『なんでだろう。成功する気がしないのは……』
「ムクムク、何か言った!?」
『いいえ~~、何も!』
そうこうしているうちに、アロイスが帰ったという知らせが届く。
ユースディアは部屋で酒を飲んでいた、という状況でアロイスの帰りを待っていた。
もちろん、優雅に酒を飲んでいたのではなく、アロイスが帰ったと聞いて侍女に用意されたものであった。
「珍しいですね。ディアが、酒を飲んでいるなんて」
「私だって、お酒を飲みたくなる日もあるわ」
「いったい、何があったのですか? あなたの心を傷つけるような者が、いたのですか?」
アロイスは立ち上がり、ユースディアの前に迫った。
「いったい誰なのですか? 成敗しますので」
「いやいや、違うってば! 別に、何かがあったわけではないのよ」
ここで、侍女が自白ワインを持ってきた。すばらしいタイミングである。
「あなたも、一杯付き合いなさいよ」
「私は、そこまで強くないのですが」
「いいから、飲みなさい」
自然に、アロイスへ自白ワインを飲ませる流れに導くことに成功した。ユースディアは心の中で、小躍りする。
開いているグラスに自白ワインを注ぎ、アロイスへ差し出した。
「どうぞ。薬草を効かせた、少し変わったワインよ。私のお気に入りなの」
「そうだったのですね。では、一杯だけ」
アロイスは自白ワインを、一気に飲み干した。喉を通り過ぎた瞬間、一瞬だけ小さな魔法陣が浮かび上がる。正しく作用した証だ。
「いい飲みっぷりじゃない。もう一杯いかが?」
「とてもおいしいワインなのですが、明日も仕事ですので」
「そう。ワインは、好きなのね」
「はい」
強くないだけで、ワイン自体は好んでいると。この情報も、嘘偽りないものだろう。
時間がもったいない。ユースディアは核心に触れる質問を投げかける。
「そういえば、結婚について、周囲の人達にいろいろ言われているんじゃないの?」
「いえ、結婚についての質問には、なるべく答えないようにしています」
「ふうん。黙秘をしているってこと?」
「そう、ですね」
「どうして? やっぱり、私との結婚を、後悔しているの?」
「まさか! ディアのことを、他の人に教えたくないからです。独り占めをしたいのですよ」
顔色一つ変えずに、アロイスは言い切った。ユースディアは動揺してしまう。
「独り占めって、別に誰かに言っても減るものじゃないでしょう?」
「減りませんが、ディアに会わせてくれと頼まれるのが、嫌なのです」
「へ、へえ、そう」
自白ワインを飲んでいるので、すべて本当の気持ちである。
アロイスはユースディアを独り占めしたいと考え、他人に会わせる気はさらさらないと。
ユースディアに対するアロイスの好意は本物なのか。そもそも、好意ではなく、それ以上の大きな感情である可能性だってあった。
それを探らなければならないのに、アロイスがいつも以上に熱い眼差しを向けるものだから、ユースディアは酷く落ち着かない気持ちになる。
「ディアと結婚してから、毎日楽しいですし、家で待っていてくれていることを考えると、幸せな気持ちになります。こうして、一緒に過ごす時間も、とても楽しいです。心から、感謝しています」
「あ……えっと、うん」
体全体が熱くなり、ユースディアは手元にあったワインをグラスに注ぎ、一気に飲み干す。
苦みと、強い薬草の風味が口の中に広がった。
ごくんと呑み込んだ瞬間に、これはワインではなく、自白ワインだと気づく。
喉が、カッと焼けるように熱くなった。魔法陣が浮かんだのだろう。
さっそく、自白ワインの効果が発揮される。
「やだ、自白ワインを飲んでしまったわ!!」
「自白ワイン、ですか?」
「ええ、そうよ。一杯飲んだら、五分もの間嘘をつけなくなる、闇魔法のワインなの」
「どうして、そんなものを?」
「あなたの本心を探るために、わざわざ作ったんだから!」
言い終えたあと、ユースディアは両手で口を塞ぐ。しかし、言い終えてしまったので、あまりにも遅い。
アロイスはきょとんとした顔で、ユースディアを見つめていた。
「探りたいと思ったのは、先ほどの、唐突な結婚についての質問ですか?」
「ええ、そうよ」
言いたくないのに、意思に反して勝手に喋ってしまう。初めて作った自白ワインは、効果を最大に発揮するひと品だったわけだ。
アロイスは自白ワインを飲まされ、怒っているだろう。そう思ったのに、なぜか口元を押さえて瞳を潤ませていた。
「な、何よ!」
「自白ワインを私に飲ませて、結婚についてどう思っているか聞き出すディアが、とても愛らしいと思ったのです」
「なっ!!」
アロイスの自白ワインの効果はまだ続いている。そのため、本当にユースディアを愛らしいと思っているのだろう。
「可愛らしい人だと思っていましたが、想像以上でした」
「か、可愛くないでしょうが! 背は王都の女性より高いし、不吉な黒い髪だし、顔もきついでしょう?」
「ディア、可愛いは、見た目ではないのですよ。中身です」
「は!?」
「一度可愛いと思ったら、すべてが可愛いと思ってしまいます」
「ちょっとあなた、何を言っているのよ。冗談も、ほどほどに――」
「自白ワインの効果が続いているので、嘘ではないです。本心ですよ」
「くっ……!」
こんなはずではなかった。アロイスの嘘を引きずりだして、普段の言葉は真に受けないようにしようと考えていたのだ。
アロイスは、嘘をついていない。すべて、本心をユースディアに語っていたのだ。
作戦は大失敗だ。
アロイスの言葉は嘘ではなかった上に、ユースディアまでも自白ワインを飲んでしまった。
どうしてこう、抜けているのか。もう、胸を張って邪悪な沼池の魔女と名乗れない。
「ディア、私の質問にも、答えていただけますか?」
「嫌よ!」
「残念です。私をどう思っているのか、聞きたいと思っていたのですが」
口を塞いだのに、言葉が先に出てしまった。
「あなたのことは嫌いではないわ。でも、よくわからないの」
「わからない?」
「だって、私はあなたのことを、ほとんど知らないもの」
どういう環境で育ち、何を信条として生きてきたのか。
短い時間の中では、わかりようがない。
「そうでしたね」
アロイスは、もう一杯自白ワインを注ぐ。それを、一気に飲み干した。
これから話す内容は、嘘のないものである。そう宣言したかったのだろう。
「少し、話を聞いていただけますか?」
ユースディアが頷くと、アロイスは遠い目をしながら話し始める。
「公爵家の次男として生まれた私は、幼少期より兄と同じ教養や礼儀を叩き込まれました。それが、公爵家のしきたりで、私自身にも期待されているからだと思っていたのです」
しかし――そうではなかった。アロイスは長男レオンの予備だったのだ。
レオンが健康に育ち、正しく教養や礼儀を身に着け、公爵になるに相応しい状態になるやいなや、アロイスの身は騎士隊へと預けられる。
「王族へお仕えするのは、公爵家の次男以下に課せられた慣習でした」
学んだ内容は、騎士隊でも大いに役立った。しかし、予備扱いされていた事実は、アロイスの心にほの暗い影を落とす。
「以降、誰の言葉も、心に響かなくなってしまったのです」
どうせ、アロイス個人としては、誰も見てくれない。皆、公爵家のアロイスとして、愛想よく接しているだけなのだ。
それも、仕方ないと考える。自らは公爵家のアロイスで、間違いないのだから。
家の援助がなければ、騎士でさえ勤まらない。
風のように早く走る馬も、磨かれた剣も、アイロンがかかった制服でさえ、各自で用意しなければならないのだ。
支給品もあるものの、大量生産されている物で、そこまで質のいい品ではない。
貴族に生まれた者として見劣りしない装備を、常に揃える必要があるのだ。
個人では、とても続けられない。
騎士としてありつづけることの難しさを、アロイスはよくよく理解していたのである。
正騎士として叙勲され、王太子つきとなった。
その数年後――兄レオンが事故で亡くなる。アロイスが公爵位を継ぐこととなった。
「公爵家の私と、公爵の私と、周囲の態度はガラリと変わりました。爵位を持っているか、いないかで、人の態度はこうも変わるものかと、呆れを通り越して、逆に感心してしまうほどでした」
常にたくさんの人がいるのに、アロイスは孤独だったという。心の壁は、日に日に厚く、高くなっていく一方だったと。
「これまでの私は、周囲が望むように、誰にも迷惑をかけず、生きてきました」
しかし、至極まっとうに生きてきたアロイスの身を、呪いが襲った。
「呪いだと判断された晩は、ショックでした。しかし、日が経つにつれて、公爵家のことは考えずに、自由に生きてもいいと思ったのです」
乳母の話を思い出し、沼池の魔女を探しに行こうと思ったのも、自由に生きる計画の一環だったという。
「おとぎ話のような話を信じて旅に出るなんて、これまでの私からしたら、考えられないほど無駄な行為でした。しかし、沼池の魔女は存在していたのです」
噂を信じ、森の奥地へと進んだら、古びた家が見えた。その瞬間、アロイスは心が震えたという。
「こんなにワクワクしたのは、いつぶりだったのか。覚えていません。そんな森の家にディア、あなたがいたのです」
闇魔法を自在に使うという魔女は、古くから恐れられてきた。
しかしユースディアは魔女の枠に当てはまらない、お人好しな魔女だったのだ。
「ディアが私を不審な目で見た瞬間、ちょっと嬉しかったんです」
「どういう感情なのよ」
「だって、突然やってきて不審でしかない私を、正しく不審な目で見てくれたので」
「わけがわからないわ」
どこに行っても、アロイスは公爵家という身分を通して見られる。アロイスだと知らなくても、身なりや振る舞いから、貴族であると勘づいてへりくだった態度を取る。
誰も、アロイス個人を見ていない証拠であった。
「あなたも、そうだと思っていました。私が公爵家の者だと名乗れば、態度を改めると」
しかし、ユースディアは違った。公爵と名乗るやいなや、余計に不審な目で見つめてきたのだ。
「あなたは呪いの発作で苦しむ私を前に、大切な生活費と引き換えに、魔法をかけてくれました」
それは、公爵であるアロイスに恩を売ろうと思って行ったものではなかった。苦しんでいるアロイスを見捨てることができず、しぶしぶ行ったものだった。
だから、紙幣を失ったあと、彼女は激しく涙した。その姿から、見返りなど求めていない行動だったのだと気づいたのだという。
「なんていじらしく、お人好しで、心優しい人なのだろうと、思ったのです。あなたと一緒ならば、余生はさぞかし楽しく過ごせるに違いない、と思ったわけです」
アロイスはユースディアから顔を俯かせ、独り言を呟くように話していた。
自分の気持ちを、ユースディアに押しつけるつもりはないと示したいのか。
アロイスは顔を上げ、少し傷ついたような表情でユースディアに訴える。
「今の話は、忘れてください」
これも、アロイスの本心だろう。
胸がじんと、熱くなる。体が、震えた。
それは、アロイスに対する憐憫からなのだろうか。ユースディアにはわからない。
今すぐ駆けよって、抱きしめてあげたい衝動に駆られた。
これまで、アロイスはたくさんの女性に愛されてきたのだろう。けれど、長い間孤独を感じていた。それは、誰も本当のアロイスを愛していなかったからだ。
そんな彼の手を掴んだのは、ユースディアただひとり。
話を聞いているうちに、胸が切なくなる。
アロイスを、助けてあげたい。呪いから、解放してあげたい。
初めて、そんな気持ちに襲われる。
この可哀想な人を、ユースディアは救い、守ってあげたいと強く思った。
そもそも、誰がアロイスを呪ったのか。
呪いについて、話だけでも触れるのは恐ろしい。関わったら、ユースディアにも影響を及ぼす可能性があるからだ。
けれど、今ユースディアが勇気を出さなかったら、アロイスの命は呪いに侵されてしまう。それだけは、絶対に見過ごせない。
「ねえ、誰が、あなたを呪ったの? 心当たりは、ある?」
「恨みは、各方面から買っているでしょう。誰が、というのは、見当もつきません」
「呪われたのは、いつなの?」
「兄が亡くなって、爵位を継いだ辺りです」
「そう」
ユースディアは立ち上がり、アロイスの傍に寄る。隣に腰掛け、膝の上にあった手に触れた。
冷たい手だった。
「行動や言動が、引っかかった人がいるでしょう? 全員、教えて」
「知って、どうするのですか?」
「あなたの呪いを、解くのよ!」
アロイスの蒼穹の瞳が、驚きで見開かれる。ユースディアが呪いを解いてやると提案するなど、夢にも思っていなかったのだろう。
「しかし、解呪は難しいと、以前おっしゃっていましたよね?」
「ええ、難しいわ。でも、相手を特定したら、危険が半分以下になるのよ」
「その方法は?」
「呪いを解けと、蹴ったり殴ったりするの」
「物理的なものでしたか」
「ええ」
アロイスは眉間に深い皺を寄せ、何やら考え込んでいる。
「どうしたのよ?」
「ディアを、私の呪いの騒動に巻き込んでいいものか、今一度考えているのです」
「何よ。依頼をしにきたくせに」
「あのときとは、あなたへの気持ちが、あまりにも違いすぎるんです」
今は、ユースディアを呪いの問題に巻き込みたくない。そういう想いが強いという。
「そんなことを言って、この世に未練がないわけ?」
「未練……」
アロイスは顔を上げ、ユースディアを見つめる。けれど、ぶんぶんと首を横に振り、唇をきゅっと結ぶ。
どうやら、考えを変える気はないらしい。ユースディアはため息をひとつ零し、アロイスへ指摘する。
「あなた、疲れているのよ」
「そうなのかもしれません。こういうときは、眠ったほうがいいのでしょうが、よく眠れなくて」
「だったら、気分転換でもしなさい」
「気分転換、ですか?」
「そうよ。今度、休みの日にどこかに出かけましょう。きれいな景色をボーッと眺めていたら、疲れもふっとぶわ」
「そう、ですね。いいかもしれません」
もうずいぶんと、行楽になど行っていないという。
「だったら、休みは何をしていたのよ」
「爵位を継ぐ前は、稽古をしたり、剣の手入れをしたり。爵位を継いでからは、もっぱら領地の経営に関連した、書類の決裁がありましたので」
「ぜんぜん休んでいないじゃない」
「ですね」
三日後が休日らしい。急ぎの仕事はないというので、出かけることとなった。
「せっかくだから、ヨハンを誘いましょう」
ついでに、リリィに手紙を書いて誘ってみようか。人数が多いほうが楽しいに決まっている。ユースディア自身、行楽に行った記憶などないが、彼女が愛するロマンス小説にそう書いてあったのだ。
「どこか、景色がきれいなところを知っている?」
雪が降り積もる毎日で、行楽シーズンではない。けれど、どこかにあるはずだと思い、質問してみる。
「今だと、アイスフィッシングくらいしかないかと」
「何よ、それ」
「凍った湖に穴を開けて、釣りをするんです」
なんでも、幼少期は家族でよく行っていたらしい。湖の畔にロッジがあり、そこで釣った魚を食べられるそうだ。
「へえ、楽しそうじゃない」
「でしたら、アイスフィッシングに出かけましょう」
「はい」
あっさりと、予定が決まった。




