少年達と“旧校の怪異”
────────キーンコーンカーンコーン……
待ちに待った、本日11回目の鐘の音。
“俺”を含んだ数多の悪ガキ達は目を覚まし、半分寝ぼけながらも立ち上がる。
「気をつけ、礼」
「あーりーがーとーおーごーざーいーまーしーたー……」
女委員長のいかにも真面目な合図の後には、まるでゾンビが呻くような声でお礼が続く。
そんな阿鼻叫喚の中で俺は、後方の二人の同志へと暗号を送る。
(今日は行けそうか?)
俺はパーに広げた右の掌に、左の中指、人差し指を歩かせる。
それを見た、黒髪坊ちゃんヘアーメガネ「キム」は…………
あ、いや。ミサイルブッパしてるどっかのデブとは関係ない。
ちなみに太ってない。痩せてる。
えーっと……
キムも右の掌に、グッドを形取った左手を乗っけた。
どうやら今日は行けるらしい。
キムの左斜め後ろ、「ツカッチ」も同じように合図を送ってきた。
(ちなみにこっちは痩せてないとはいえない)
これは俺達“探検隊”だけの、ヒミツの暗号。
俺とツカッチが“本部”の中で、約1ヶ月もの長い時間をかけて、ようやく編み出した自信作である。
この合図は、“今日は遊べるか?”。
今回とは逆に、遊べない時はバッドを形取った手を乗っけて……
「おーいコージぃー、置いてくぞ〜?」
耳に入ったのは、ちょいと間の抜けたツカッチの声。
ヤッベ。余計な事考えてるうちに、帰りの会終わってた。
ツカッチとキムは荷物を背負って、教室の出入り口付近に立っている。
「おう、今行くー!」
俺はすぐさま席を立ち、机横に引っ掛けたランドセルを持って駆け出した。
────“夕霧少年探検団”、出動だ!
俺は一旦二人と別れ、“装備”を整える為に家へと帰った。
「ただいまー」
「おぅ浩二か、御帰り」
俺が家に入った途端、和室からは爺ちゃんの声が聞こえてきた。
新聞紙のかさむ、独特の音も混じっている。
昼間、家に居るという事は、今日はタクシーの仕事は休みらしい。
うちは二世帯住宅で、両親は共働き。父さんはサラリーマンで、爺ちゃんはタクシー運転手。
まぁ母さんはパート?らしいから、夕方には帰ってくる。
「明美さんがクッキー焼いとったぞー。食卓覗いてみい」
「はーい」
“明美さん”というのは母さんの名前だ。
クッキーを食べる前に、とりあえず、今日の“装備”を整えよう。
俺は階段を駆け上がり、自分の部屋に入っていく。
ランドセルをその辺にほっぽり投げると、棚から赤いリュックサックを引っ張り出した。
次に勉強机の引き出しを開けて、“例のモノ”を探す。
引き出し自体は底行きが広く、普段から何でもかんでもここに入れてしまうが為に、その中身は滅茶苦茶だ。
掻き混ぜるようにその中を漁ると、程なくして探し物は見つかった。
俺は電池が入っている事を確認すると、その“二つ”をリュックに放り込んだ。
リュックの中には、『懐中電灯』と『使い捨てカメラ』。
また、不測の事態に備える為、予備の電池の幾つかを、半ズボンの後ろポケットに滑り込ませた。
備あればなんとやら、だ。
俺は自室を後にすると、再び1階に戻った。
あの音から察するに、爺ちゃんはまだ新聞を読んでいる。
「爺ちゃーん、クッキー持ってくからねー?」
台所から取った容器を開け、テーブルの皿にあるクッキーを数個入れる。
母さんお手製のチョコチップ・クッキーだ。
容器をリュックに入れる際、俺はもう一度、今回の持ち物を指差し確認。
『懐中電灯』、『使い捨てカメラ』、『おやつ』……
────────あ。
忘れるところだった。
“あれ”がない。
俺はもう一度台所へ赴くと、あの“白い粉”を探した。
……違う違う、麻薬とか危ないもんとかそんなんじゃあない。
逆に言えば、“悪霊から俺達を守る秘密兵器”……そう、“塩”だ。
俺は調味料ラックを手に取ると、塩の入った小瓶を丸ごと持っていくことにした。
これだけあれば大丈夫。
オニでもアクマでもなんでも来やがれってんだ。
これにて今回の準備は完了。
俺は胸を張って家を出る。
「爺ちゃん、今日俺日之出山で泊まるって母ちゃんに言っといてねー?」
「お、おう。ところで、今回は何処に行くんだ?」
爺ちゃんからのクエスチョンに、俺は誇らしげに答えて見せた。
「フフフ……旧校舎に隠された……“お宝”を探しに」
◆◆◆
ほどよく雲の浮かんだ五月の晴れ空。
夕立台から自転車で十五分。
我が故郷“夕霧市”から、田舎っぽい町“立出川村”にちょいと食い込む位置に、その山はある。
“日之出山”。
正確な標高は判らないが、山という程高くは無い、所謂高地の森林地帯。
地元の人には、“隠れた桜の名所”とも言われていたけども、もうすっかり山色は緑だ。
傾斜は緩やかとはいっても、やっぱり自転車で登るのは結構体力がいる。
ましてや山道なんていつ整備されたかも判らないぐらいに荒れ放題。
……だからこそ、“本部”を構えるには持って来いの場所なんだけど。
頂上へ続く山道を途中で横切り、悪路を進む事数分。
まぁここに通い続けて約一年、多少はマシになってきた方ではあるけど。
そんなこんなしてるうちに、見えてきた。
我らが『探検団本部』……あのツリーハウスが。
木の下には自転車が二台止まっている。
俺も同じように自転車を止めると、架けられた木製の梯子をつたっていく。
だいたい十メートル程登ったところが頂上だ。
木の幹がハウスを避けるように伸びていて、その間に“本部”が挟まっているような外観だ。
一応ハウスの周りは各半メートル程の足場が作られている。
ドアの前の足場には、糸電話と簡単な呼び鈴が備え付けられている。
俺は慣れた手付きでベルを引き、糸電話に口を当てた。
もし──とだけ言葉を口にすると、今度は直ぐにコップを耳に。
糸電話の相手も『もし』と返してきた。
次いで俺も喋る。
「亀よ」
聞く。喋る、を繰り返す。
これが“探検団式”の、秘密の暗号だ。
繋げると……こうだ。
「もし」『もし』「亀よ」『亀』「さん」
────────YO!
リズムは勿論、最後は息を合わせて元気よく「YO!」というのが成功の秘訣。
このタイミングは真の探検団員同士で無ければ、絶対につかめない……
……と思う。
暗号を言い終えるが早いか、直ぐにドアが開かれた。
南京錠とかんぬきの二重ロック式で、防犯対策は万全だ。
中は二畳半にも満たない小さな空間だが、外設した倉庫をフル活用する事によって、一応の生活性は保たれている。
「遅かったじゃないかぁ、コージぃ」
部屋の真ん中でポテチ広げて、むしゃぶり付いてるのがツカッチ。
肉のはみ出した真っ白のTシャツには、赤いカケラが所々に浮いている。
……ツカッチテメェ、備蓄の“カラポテト”喰いやがったな。
「ようコージ。心の準備も万端かい?」
ツカッチの横、相変わらずのぼっちゃんヘアーメガネがキム。
パンパンのリュックを控えたツカッチと違って、持ち物は小さな紺ポシェットだけに見える。
「まぁ、それなりにはな……っと」
俺は床に座るついで、クッキーの入ったタッパーを中央に置いた。
途端、ツカッチはノールックでクッキーを鷲掴み、口に運んで行った。
「……そいで?キムこそモノの準備は大丈夫なのかよ?」
俺はあのポシェットを横目に捉えながら、やっぱりキムに尋ねてみた。
キムは軽く笑ってみせ、ポシェットの中身を見せ始めた。
「準備って……そもそもビビリすぎだろ?幽霊なんていやしないんだよ、実際。僕には『懐中電灯』と……これで十分さ」
──────聴診器??
それも玩具みたいなプラスチック製じゃなく、病院に置いてあるホンモノそっくり。
一体どこでそんなもの……とも考えたが、確かキムの親戚は子供クリニックのお医者さんだ。普段は割と模範的なアイツだ、なにかと理由やらなんやらつけて、上手い事盗み取ったんだろう。
「何取り出すかと思えばお前……」
「だってそうだろう?ダイヤル式金庫を開けようってんだからさぁ」
「うーん、まぁキムがそう言うなら……」
このやりとりからもわかる通り、今回の目的は、ただ単に旧校舎へ肝試しに行こうなんてモノじゃあない。
旧校舎の二階、校長室に眠る財宝……基、金庫に眠る校長のヘソクリを回収する為の、極秘任務なのだ。
……というのも、俺達が通う“夕霧市立朝顔小学校”は、今年四月から使われ始めた新校舎。
使われなくなった旧校舎……立出川村立朝顔小学校が存在するのだ。
しかし俺達探検団が、なんでこんな“お宝探し”に挑戦する事になったのか。
それは遡ること1週間前……
「ねぇねぇ、ちょっと引き受けてよ団長さん」
登校日の真昼間。俺とツカッチが駄弁ってる最中に……あの女は突然現れた。
あまりに突拍子も無く声を掛けられたもんだから、俺もツカッチもお化けに驚かされたみたいにビックリした。
「うわっ、なんだよお前!?」
「なんだよぉ、おどかすなよぉ」
俺らは口々に文句を垂れたけど、そのおかっぱ頭(亜種)は何一つ気にしない。
それどころか、ちょっと喰い気味で話しかけてきた。
「あのさ、君達“夕立少年探検団”なんでしょ!?」
げ。あんまりバレたくない事柄なのに。
その言葉を聞いた俺とツカッチは顔を見合わせ、ツカッチを代弁して俺が言ってやった。
「……どっから聞いたか知らねぇが、うちは新規入団は……」
「アタシ、新聞クラブの車田恭子!キョーコでいいわ」
話聞いてんのか?
新聞クラブ??
なおもその女……キョーコの話は止まらない。
「でさ、でさ!そんな君達に頼みがあるんだけどさ〜……」
「取り敢えず話を聞けよ!」
俺ら二人ではちょっと手に負えない。
そんな気がした俺は、女子の渦中に埋もれていたキムに応援を頼んだ。
……別に羨ましくなんかはない。全く。
「キム〜、頼むよ〜……俺達じゃああの暴れ馬を止めらんねぇんだ……」
「僕も忙しいんだけどなぁ……あれ?車田さんじゃないか」
流石はキム。一目見ただけで直ぐにわかったようだ。
“好少年キム”の名は伊達じゃない。
「新聞クラブの敏腕ライターさんが、僕達探検団になんの御用かな?あまりこの名を公には口にしたくないんだけれど」
紳士だ。でも男からみるとどこか腹立つのは何故だろう。
俺は沸き立つ正体不明の怒りを必死に押さえながら、会話の経過をただただ見守る。
「やっぱり木村クンは話がわかるわね〜、でね!さっきも言ったけど、ちょっち頼みたい事があってさ〜」
「頼みたい事?」
「そそ。頼みたい事」
冗談じゃない。探検団を便利屋や何かと勘違いしてもらっちゃあ困る。
俺は聞くに耐えかねて口を挟んだ。
「あのなぁ……うちは便利屋や何でも屋じゃないんだぞ?」
「あらそーう?残念ねーアンタたちにはとっておきのネタだと思ったんだけど?」
腹立つ。今すぐブン殴りたい。
今にも飛びかかりそうだった俺を、キムがスッと静止し、続けやがった。
「まぁまぁコージ、まずは聞いてみようじゃないか。それで?」
「うん、それがね……」
「旧校舎の校長室に、校長のヘソクリが眠っている」──────
──────本当に突拍子もない内容だった。
なんでこんな話を信じたのかって?
違う。行かないと探検団の存在を、校内新聞でばら撒くぞ、と脅されたんだ。
「あーあ、なんでこんな事になったんだかねぇ……」
俺は部屋の中で大の字に寝そべり、特大のため息をついた。
ツカッチはカラポテトを食い終わったのか、ゴミをくしゃくしゃと纏めてながら言った。
「まぁ、夜の旧校舎で写真数枚撮ってくれば、一人頭500円報酬としてくれるって言ってたし……というか、これ聞いて引き受けたのコージじゃぁん……」
「コージ、あんまり溜め息を吐くようだと、幸せが口から出て行ってしまうよ?」
うるさい、うるさい、うるさーい!
俺は腹いせに騒ぎ立てた後、再びゴロンと寝っ転がった。
「俺寝るわ……夜になったら起こしてくれ……」
◆◆◆
午後二時。カラスも寝静まった真夜中に、俺はキムの携帯アラームに叩き起こされた。
ちっ、クラシックなんて洒落たもの使いやがって。曲名は知らないけど。
俺は他の二人を揺すって起こし、荷物を纏めて出撃準備に入る。
ツカッチは起きたのか起きてないのか、立ちながら寝ぼけている。
「おかぁさぁん、俺のカラポテトぉ……」
「お前昼間食ったばっかだろ!?」
数分後、探検団は本部を出た。
それぞれキッチリ装備を整え、指差し確認もちゃんと済ませた。
ツカッチが寝ぼけて梯子から落ちそうになった以外は、おおむね状態はバッチリだ。
俺は大きく深呼吸したあと、気持ちを入れ替え発令した。
「キム団員、戸締りは済ましたか?」
「はい団長、きっちり二重ロック、指差し確認しました!」
「ツカッチ団員、小便は済ましたか?」
「はい団長、この身という身から捻り出しました!ちなみに色は黄色……」
「……それは言わんでいい……」
俺は団長だ。
任務に挑む際はいつだって真剣に。
探検は一歩の間違いが命取りなのだ。
俺は団長として、団員達に号令を掛けた。
「夕霧少年探検団、出動ー!!」
「おー!!」
◆◆◆
静まりかえった森を抜けて、夕立市とは真逆の裏側へ。
山の斜面を切り拓いた場所に建てられた、懐かしき二階建ての木造校舎が見えてきた。
──────立出川村立朝顔小学校。
森を抜ければ、学校の裏手……荒れたフェンスの真ん前に出た。
所々には抜け穴のようなものがポツポツ空いていて、間からは真黒に染まった校内の様子が窺えた。
夜の学校はそもそもが怖いが、“旧校舎”という要素が加わる事で未知の怖さを放っていた。
「コージぃ……やっぱり怖えよぉ……」
「馬鹿野郎、ここまで来て帰るバカがいるか!」
出発時は軍隊みたいに掛け声を行なっているが、現場に着くと大抵を忘れているのはいつものことだ。
でも、今回はマジで『怖い』。俺も強がり言って見せたものの、実際行きたくはなかったレベルで。
『恐怖』のせいで、余計に団の士気は低い。
そんな俺らを見兼ねたのか、キムは平然と軽口を叩いて見せた。
「二人とも大丈夫だって、幽霊なんている訳ないでしょ?パパパッとヘソクリ取って帰ろうよ」
「お、おぅ……そうだな……」
俺もツカッチもかろうじて返事をしたが、ほとんど生返事に近かった。
それでもキムはお構いなし。
団長である俺に先行して、フェンスの穴を潜っていく。
ビビっても始まらない。
俺もいい加減覚悟を決めると、恐る恐る……フェンスに引っかからないよう体を屈めて、フェンスの穴を潜り抜けた。
「ま、待ってくれよぉ〜、コージぃ、キムぅ……」
◆◆◆
抜き足、差し足、忍び足。
学校の正面には警備員が配置されているので、裏口からこっそりと。
学校正面から見て北側……一階四年一組の窓の鍵が開いていた。
キョーコの言っていた通りだ。
というか俺達、ここが開いてなかったらバカも良い所だ。
……と、窓を開けながら俺はボヤいていた。
それはともかく、開いた窓に身を滑らせ、ゆっくりゆっくり中へ入る。
闇夜に忍び込むその気分は、まるでハリウッド映画の主役みたいだ。
次いでキムが侵入に成功すると同時に、ドタドタと外から足音が近づいてきた。
「待ってっていったじゃないか〜……」
ツカッチだった。
そのふくよかな体格が災いしたのか、どうやらさっきの穴に苦戦したみたいだ。
既に真っ白……いや、カラポテトのカケラで汚れた白Tは、更に泥と雑草で汚されていた。
「全く……ツカッチ団員、こんなところで躓いているようでは、先が思いやられるぞ?」
「す、すみません団長!」
ガラス越しに団員の敬礼を見届けると、俺とキムはツカッチの侵入に手を貸した。
でも、わざわざ高い窓を昇らせなくとも、横っちょにあるガラスドアを中から開ければ良かった事を、ツカッチが中に入ってから気がついた。
◆◆◆
カチッ。
静まりかえった旧校舎の中には、懐中電灯のスイッチ音だけが小さく響いた。
懐中電灯の光の先は、どこまでも続く暗闇に吸い込まれていく。
防火装置の赤いランプすら無いものだから、懐中電灯の灯り以外は、本当に光源が何もない。
若干、暗所恐怖症の気があるツカッチは、女の子みたいに俺にしがみついている。
「こ、コージぃ……ボタン押して電気つけようよぉ……」
「バカっ、そんな事したら、外の警備員に気づかれちゃうだろ?ところで、俺以外に懐中電灯持ってきた奴はいないのかよ?」
俺はキムとツカッチの顔を順々に照らしてみたが、二人とも首横に振った。
三人固まって進むしかない。
「よぉし……じゃあ、いくぞ〜?」
ひたり。ひたり。ひたり。
何処からか水が漏れているのか、一歩進むたび、水溜りを踏んだみたいに水が跳ねる。
暗闇の中でその音が響くもんだから、ただただ不気味で仕方ない。
俺達が目指すは二階、校長室。
脚元にライトを当てると、足跡をもじったラミネートが貼ってあった。
「ひ、ひえぇ〜!!」
「何驚いてんだ、元からあったろ……」
冗談か否かツカッチがビビったが、これは元からある案内みたいなもの。
この足跡を辿れば、対応する部屋に着くという寸法だ。
俺達も一年の時、図工室に続く足跡を作ったっけ。懐かしい。
ちなみに脚元にある足跡は緑。これは体育館に続く足跡だ。
俺はそのちょっと先を、ライトで照らす。
青色の足跡。ビンゴだ、校長室のヤツだ。
教室の間取りは覚えているけれど、この暗闇の中では方向感覚に自信がなくなる。
足跡はこの暗闇の中で、非常に頼りになる道標だ。
足跡を慎重に辿っていくと、ライトの先には階段が見え始めてきた。
床は水で湿気っている。俺は後の二人に注意を促す。
「ゆっくり、ゆっくりいくぞ……」
一歩、一歩。
踏みしめるように俺たちは進む。
階段の前半を上がり切り、踊り場に到達──────
──────正面、ライトのその先には、歪んだ姿の俺達三人の姿が。
「ギョエェェ〜〜〜!?」
またもツカッチが騒ぎ出した。
というか、騒ぐどころか……倒れた。
卒倒したツカッチをキムが起こすと、俺は流石にため息をついた。
「なぁにびびってんだよ、鏡だよ、鏡。まぁ多少はヒビが入ってて不気味だけどさ」
古い学校に在りがちな、踊り場に設けられた鏡だ。
旧朝顔小の物は特に巨大で、元々は子供が踊り場でぶつからないよう作られたらしい。
……ところで、倒れたツカッチを蘇生せねば。
キムはツカッチのリュックからお菓子を取り出すと、そのままツカッチの鼻の近くにかざした。
するとやっぱり、ツカッチは途端にむくりと起き上がった。
「カぁ〜ラぁ〜ポぉ〜テぇ〜トぉ〜……」
「君はお菓子ゾンビか……」
◆◆◆
道中ですったもんだあったものの、ようやっと二階部分に上り詰めた。
あいも変わらず俺達は先へ進むが、木目が所々腐っているのか、歩くたびに床がギシギシいう。
もうツカッチの泣き言を聞いている余裕はない。
俺は懐中電灯で腐っていなさそうな場所を探して、さっきにも増して注意を払いながら、後の二人を先導する。
そんな集中力を割く作業をしている中、後ろでキムが唐突に喋り出した。
「あのさ……こんなところに来てなんだけど……」
「なんだよ」
何故か勿体ぶったその口調に、俺はちょっとイラッとした。
ふと後ろを見てみると、キムの妙に意地悪な顔がぼうっと浮かんだ。
「あの踊り場の鏡、変な噂を聞いた事があるんだよね……」
……変な噂?
俺とツカッチは恐る恐る、キムの語りに相槌を打つ。
「そう、変な噂……」
キムの言葉とともに、ふうっと冷たい風が通り抜けた。
なんだか気味が悪い。
「夜、丑の刻って言われる、夜一時から三時の間ね……学校に肝試しに来た子供が居たんだって……」
学校に肝試し?何を言う、俺達は“宝探し”だ。
俺はそう、心の中で自分に言い聞かせる。
ツカッチはもう、顔が半ば青くなっていた。
「三人組の子供だったんだけど、一階、二階……と、順々に学校を巡っていった訳さ……体育館、保健室、音楽室に図工室。校長室にも行ったらしい……」
ギシッ、ギシッっという床の音が、キムの話を盛り上げているようだ。
次第に俺も、キムの話に聞き入ってしまう。
「“音楽室の作曲家の目が動く”、“校長室の肖像画が出てくる”、“生きた人体模型”……それが本当かどうかを調べる為に来たんだけど……やっぱり動かなかった。三人組は思った。しょせん学校の七不思議なんて、ただの嘘っぱちだってね」
「なぁんだ、いつものキムじゃんかよ」
そう思ったが早いか、すぐにまた、キムのあの瞳が意地悪そうに見つめてきた。
なんだ、まだ続くのか、これ。
俺はたいそう不機嫌そうに、話の続きを求めた。
「で?どうなったんだよ」
「校長室を調べ終わったから、三人組は階段を降りて帰ろうと思ったんだ。それで、階段に行った。そしたら…………」
ごくり。
俺とツカッチは唾を飲んだ。
そしたら…………?
「……あったんだよ。無いはずの三階が……!そしてその三人組は、興味本位で階段を登っちゃった。そしたら踊り場の鏡から女が……」
──────ウギャアアアアア!!
「うわぁぁぁぁぁぁっ!?」
キムがここぞとばかりに、思いっきり大声で脅かした。
ツカッチはひっくり返りこそしなかったが、丸くなって怯えている。
俺はちょっとチビっ……いや、なんでもない。
それを見たのか見てないのか、キムは嬉しげに笑って見せた。
「ハハハ、嘘、嘘。作り話だよ、こんなの。星川先生に聞いたんだけど、こうもビビるとは思わなかったよ」
「そうだよな、そもそも襲われて死んでたら、こんな噂が伝わってくる道理がないからな。ほら、作り話だってよ、ツカッチ」
星川先生とは、俺達五年二組の担任だ。
髪の長い美人教師で、先生の中でも人気があるらしい。
半泣きになっていたツカッチを、俺は優しくさすってやった。
おぇっ、鼻水ついちゃったよ、汚い。
キムからツカッチがポケットティッシュを受け取ると、廊下中に響くぐらい大きく鼻水をかんだ。
◆◆◆
……キムの怪談話から数分。
細心の注意を払いながら進んだ結果、遂に校長室の真ん前に到着した。
勿論、青色の足跡はここで途切れているが、周囲には他の教室へ通じる足跡が無数にあった。
確か、校長室には鍵はない。
俺はみんなを代表して、そのを引き戸を力任せに開けて見せた。
────ギギギギギィ……!
立て付けが悪くなっているのか、予想以上に開けるのに手間取った。
しかし、これでお宝への道は開かれたのだ。
また、テーブルの上には懐中電灯が残されていた。
ラッキーとばかりに、予備の電池を入れると、問題無くライトが付いた。
「よぉし、手分けして探すぞー!」
「あったぁ、あったよコージぃ!」
早い。
え?早くない?
俺は思わず唖然としてしまった。
お宝探しのワクワクを楽しむ暇もなく、ブツはすぐに見つかってしまった。
……まぁ、見つからないよりはいいか……
俺はそういうものだと心に割り切り、ツカッチのさす懐中電灯の先へ目をやった。
部屋の端っこ、棚の下。タレコミ通りのダイヤル式金庫だ。
多少布で覆い隠されてはいるものの、これで“隠した”とは言い難いレベル。
本当に中身なんて入っているのか?
俺はちょっと乱暴にも、金庫をこじ開けようと試みた。
でも、開かない。
……鍵はガッチリとしまっていた。
「ツカッチ、ライト貸して」
振り返ると、既にキムが聴診器を装備していた。
コイツ、本当にやる気なのか……
でも、残念ながら俺とツカッチには、ダイヤル式金庫を開ける術を知らない。
今はキムに、お宝開帳の是非を任せるしかなかった。
ジリ……
ジリ…………
ジリジリジリ………………
辺りに響く音は、やがてダイヤル金庫特有の、あの音だけになった。
キムはもうかれこれ五分間、あのダイヤルと格闘している。
(ねぇ、コージぃ)
キムの邪魔をしまいと気を使ったのか、横に座るツカッチが小声で俺に話しかけた。
ツカッチの懐中電灯はキムが使っている為に光源からは遠いが、薄ら顔色が悪いことだけはよくわかった。
(どうしたよ、またビビったのか?)
(違うよぉ、ちょっとトイレ行きたくなっちゃって……)
(ったく……俺はついていかないからな?)
俺が懐中電灯を手渡すと、ツカッチは一目散に部屋を出て、廊下を猛ダッシュし始めた。
あのバカ、腐った床が怖くないのか。
このままライト持って逃げるんじゃないか……ふとそんな心配が浮かんだが、もう後の祭りだった。
◆◆◆
校長室を出たら、すぐに足元確認。
緑が体育館、青が校長室……トイレは赤!
やばい、ビックリし過ぎたのか、もう漏れそう。
床なんて気にしてる暇じゃない。
ライトを当て、足跡を辿って。走る、走る、走る!
お尻を抑えながら漏れないように、走る、走る、走る!
ライト確認。足跡は階段に。
階段を登って、走る、走る、走る!
────あっ、鏡だ。
ボクは目線を半分隠す。
見なけりゃ怖くもなんともないよーだ。
階段を登り切った。ライトを照らす。
赤い足跡は一直線だ。
……御丁寧に、トイレだけは灯りがついてる!
(も、も、漏れるぅ〜!)
ボクは半分声に出して、トイレへのラストスパートを開始した。
◆◆◆
ジリ……
ジリジリジリ……
──────────ガコンッ!
ん?
俺の耳には聞き慣れない音が。
次いで届いたのはキムの声だ。
「あ、あ、空いた〜!」
約十五分にもおける、長い長い戦いだった。
俺はキムの凝った肩を揉み、疲れたキムの身体を労う。
「よぉくやったキム団員!……あれ?聴診器は?」
「いや、途中から面倒くさくなって外しちゃった」
とりあえず、中身だ中身。
ツカッチには悪いが、先に拝見させていただこう。
俺とキムは期待に胸を膨らませ、俺が代表して、金庫の奥底にへと手を突っ込んだ。
……?
…………?
紙……?
「ん?なんか、紙製?かな」
「お札とか入ってるんじゃないかな!?」
後ろで待つキムは胸躍らせているものの、この感触は明かにお札のそれじゃない。
少しペタペタした……インクか何かか?
俺は一思いに、その数枚を引き抜いた。
ペラ……こ、これは……!
……しゃ、写真?
「『あっ』」
俺とキムは思わず顔を見合わせた。
取り出した紙にライトを当て、その先にあったものは……星川先生の写真だった。
「ま、まだあるぞ……?」
俺はもう一度手を突っ込むと、まだまだ同じ感触があった。
遂には両手を上手いこと潜り込ませ、中身を全て掻き出した。
「『うわぁ……』」
見れば見る程恥ずかしい。
これは明らかに、校長による星川先生の“隠し撮り写真”だ。
固定カメラなどの手の込んだモノで撮影したモノから、校長室の窓から望遠レンズで撮ったと思しきモノまで。
我々小学生には、いささか早過ぎるシロモノも混じっている。
今も昔も、校長は写真家として知られているが……
「……これ持ち帰ったら、(校長は)星川先生に怒られるじゃ済まされねぇぞ……?」
「封印しよう……」
……俺達は何も見ていない。
その意見で一致した。
キムと俺はそのいかがわしい自作ブロマイドを綺麗に束ね、暗い暗い金庫の底にまとめて置いた。
一枚も散らばっていない事を確認すると、“一生出てきませんように”と念を押し、キムが封印を施した。
あれは宝箱なんかじゃない。
開けてはならないパンドラの箱だった。
「あーあ、野郎にはなんて言えばいいんだか……」
「仕方ないよ、僕から彼女に何とか言っておくよ……」
校長室の真ん中で、すっかり意気消沈に陥っていた……その時だった。
────────ギャアアアアアアアアア!!
「ん!?なんだ、今の!?」
「ツカッチの叫び声だ!」
俺は言うが早いか、即座にライトを持って駆け出した。
校長室を飛び出すと一度立ち止まり、音からツカッチの居場所を探る。
叫び声は……どこからだ?
────────ギャアアアアアアアアア……
叫び声は上だ、ドタドタといった足音も聞こえるから間違いない。
足音は一つだけだが……幽霊なら足音がしないのも当たり前か。
そう自分で合点してる間に、キムも校長室からやっと出てきた。
「コージ、今は君しかライト持ってないんだから、勝手に離れないでくれよ〜」
「ああ、ごめんごめん……」
────────ギャアアアアアアアアア!?
ツカッチ!
俺はまた、キムをも忘れて走り出した。
あの叫び方は、普通じゃない!
腐った床など気にも留めず、一目散に階段を目指す。
後ろから短息が聞こえることから、キムもなんとか着いてきている。
50m程の廊下を走り抜け、階段に躍り出た俺達。
やっぱり上からは、ドタドタドタと足音が響く。
「ツカッチ〜!生きてるか〜!?」
俺とキムはツカッチを呼びながら、階段を駆け上がる。
空気が急に生暖かくなったが、しのごの言ってる場合じゃない。
丁度俺達が踊り場に到達したところで、上の階からはツカッチが、リュックをゆさゆさ揺らして駆け下りてきた。
流石に体力の限界か、踊り場で俺達と合流すると、肩で息をして深呼吸。
「か、勝手に、殺さないでよぉ……」
「ツカッチ!何を見た、上で何を見た!?」
「そ、それより“お宝”はぁ……?」
「あんな盗撮写真なんてもうどうでもいいんだ!」
それを聞いても、ツカッチの頭にはクエスチョンマークしか浮かんでいなかった。
当然といっちゃ当然だけれども。
そんなこんな言いあっていると、今度はキムが喚き出した。
「ふ、二人とも……ちょっといい……?」
見るとキムの顔は真っ青。まるでお化けみたいだ。
気味が悪くなった俺は、恐る恐るキムに訊ねてみる。
「な、だんだよ?この期に及んでまた怪談か……?」
「か、怪談だけにぃ……なんちて?」
ツカッチは渾身のギャグを繰り出したものの、キムの顔色は一向に治らなかった。
それどころか、さっきよりもヤバみを増している。
「そ、そうだよ!階段だよ!なんでこんなところに、階段があるんだい!?」
「『え……?』」
ツカッチの悲鳴が聞こえたのは、俺とキムのいた校長室からは上の階。
……でも、この校舎は二階建て。つまり……
…………三階どころか、この階段は一体……!?
「ツツツツカッチ、なんでさっきお前は叫び声を上げてたんだだだだ!?」
「ええええ!?ボボボボクも二人の悲鳴が聞こえたから走ったんだけどどどどど!?」
ヤバイ、ヤバイ。
ワケわかんないけど、ヤバイ。
いや、“ワケわかんないから”、ヤバイのかもしれない。
段々と頭の中が真っ白になっていくそんな中、続けてツカッチが悲鳴に近い声を上げた。
「コージぃ、キムぅ、あれ、あれ!!」
キムが指差すその先には、何もない。
誰もいない薄暗い廊下が、どこまでも続いているだけだ。
ん?
いや、おかしい。
踊り場の正面には、あの鏡があるはずだ!
あの鏡は俺達を映さず、本来映るべきものじゃない物を映し出すている!
────置イテケェ……
────置イテケェ……!
「キ、キムゥ、脅かしっこなしだぜ!!?」
「僕なにも言ってないよ!!?」
だれか、だれか冗談って言ってくれ!
これじゃあまるで……
────首ヲ置イテケェ!!
薄暗い鏡の中の廊下からは、声の主が姿を現した!
白装束に身を包んだ長髪の女……絵に描いたような本物の幽霊……!?
本物かどうかなんてこの際どうでもういい、まずはここから逃げなければ!
俺もキムもツカッチも、必死に足に力を入れた。
……でもまぁだい動かないよね。
父ちゃん母ちゃんパパママ騒ぐ。しかし脚はテコでも動かない。
そんな俺達を嘲笑うように、女は絶叫しながら鏡越しにどんどん近づいてくる。
(何かないのか、何か!?)
俺はない知恵絞って必死に考えた。
こういう時の為に、何か用意してたような、してないような……!
──────そうだッ
俺は憑かれたようにリュックを漁り、あの赤い小瓶を死に物狂いで探し……
──────置イテケェェェェェェ!
女が遂に鏡から飛び出した、同時に小瓶も見つかった!
俺は蓋を乱雑に開け、女目掛けて“塩の塊”を投げ付けた……!
…………ギャアアアアアアアアア!!!
◆◆◆
あの叫び声は、女の幽霊の叫び声?
それともツカッチか、キムか、まさか……俺……?
また股間の辺りが生暖かい。
これ、俺っぽいか……?
……達…?
君………?
君達……?
目の前で光が揺れている。なんとなく誰かが呼んでいる。
俺はその声に反応し、ふわぁっと大きく背伸びした。
周りをよく確認してみると、ここは階段の終点。
二階の階段を登り切った先で、俺達は気を失っていたようだった。
投げた塩も、あの鏡も。
お化けも踊り場もみんな、無くなっていた。
「君達かい?さっきから悲鳴を上げていたのは。肝試ししたいのは分かるけど、こんなところで眠っちゃったら、お父さんお母さん心配してしまうよ?」
眼を擦ってよーく見ると、目の前には中年ぐらいのおじさん警備員が。
こちらにライトを当てて、心配そうに立っていた。
辺りは少し明るくなっているところから、夜は開けつつあるみたいだ。
多分悲鳴を聞きつけて、怪しく思って見に来てしまったんだろう。
俺はツカッチとキムを叩き起こし、半分泣きながらおじさんに頼み込んだ。
嘘泣きではない。まだアレが忘れられなかったのだ。
「おじさんお願いっ!これ学校や先生には言わないでっ!」
土下座までしたら、流石におじさんに止められた。
顔を上げたら、おじさんは笑っていた。
おじさんもこんな事して遊んだ時期があったよ、そう俺達に言い聞かせると、それ以上は何も言わないでくれた。
◆◆◆
警備の時間も交代になっておじさんが帰る時、おじさんが帰りがけに、自分の車で家に送ってあげようと提案してくれた。
俺達三人ももうヘトヘトで、結局おじさんの好意にあやかることに。
黒いワゴン車の二列目に、俺とキムとツカッチの三人。
おじさんはラジオ番組を聴きながら、鼻歌を歌って運転している。
ツカッチとキムは程なくして寝てしまったので、俺が代わりに道順を教えていた。
でもただ教えているだけじゃつまらないから、ちょっと外の景色を眺めている。
日の出の時間はまだもうちょっと後なのか、辺りはやっぱり薄暗った。
その薄暗い風景の中には、最早因縁ともいってもいい、あの旧校舎も遠目に見える。
そのあと少し時間が経って、ちょうど夕霧市に入るくらいに、おじさんが急に訊ねてきた。
やっぱりあれほど騒いでいたら、何が起きたか気になるのが道理だろう。
黙ってくれると約束してくれたことだし、俺は洗いざらい……いや、パンドラの箱の事以外は全部話した。
……するとおじさんは最後に、奇妙な事を言っていたのだ。
「鏡?あれおかしいな、あそこの鏡は全部新校舎の方に移動したって話だったはずだけど……?」
それから約二週間、旧校舎は取り壊されていた。
……あの謎の幽霊もブロマイドも、二度と俺達の前には現れなかった。