08 スタンドは赤に染まる
土曜日。
今日はN2リーグの第29節。
札幌FCにとってはホームで迎える試合だ。
札幌の戦績は12勝10分け6敗の勝ち点46。
プレーオフ圏内の6位につけ、1部リーグへの自動昇格となる2位以内も射程に捉えている。
このまま勝ち点を積み上げて上位戦線に生き残れるか、大事な試合が続く。
対戦相手はFC松江カメリア。
ここまで勝ち点28の18位と、下位に沈むチーム。
キックオフの時を待つのは選手達だけじゃない。
試合が行われるドームのスタンドには既に、多くの札幌サポーターが詰めかけていた。
――オーオーオーオー
――いけ札幌
――赤と黒の旗のもとに
――勝利のため戦え
――オーオーオーオー
ゴール裏のスタンドを真っ赤に染める札幌サポーターのチャントが鳴り響く。
最前列では応援旗がはためき、サポーター達が飛び跳ね、赤い波がスタンドを揺らす。
――オーオーオーオー
――オーオーオーオー
スタンドからの声は鳴り止むことなく、地鳴りのように反響する。
サポーターは時に、12人目の選手とも言われる。
その声で、熱で、選手達を後押しするからだ。
それをピッチから眺める瞬間は、本当にサッカーをやってて良かったと思える。
そんな試合前の光景を――、僕らは同じスタンドから観ていた。
「中々悪くないだろ。 ウチのサポーター共は」
僕の左隣に座るヒデさんが、僕の耳元に顔を寄せて言う。
「ですね。 壮観です」
「あぁ……、試合出たかったですねぇ……」
僕が素直な感想を述べると、僕の右隣に座る都築さんが悲しげに呟いた。
N2リーグの出場選手枠は、各試合18人まで。
先発としてピッチに立つ11人に加え、ベンチで待機する控え選手が7人。
それ以外のメンバーは、いわゆるベンチ外だ。
ヒデさん、都築さん、そして僕と、残念ながらこの試合はベンチ外だった。
なので、今日はこうしてスタンドからの観戦だ。
チームに合流してまだ日が浅いとはいえ、ベンチ入りメンバーにも選ばれなかったのは、正直悔しい。
戦術の浸透度を懸念されたのか、シンプルに能力を評価されなかったのか……。
僕はスタンドから試合を観るためにココに来たわけじゃないんだ。
誰だって試合に出たい。
その気持ちが無くなったら、サッカー選手なんてやってられない。
場内にアンセムが流れだすと、その音に、サポーター達が声を重ねていく。
――ウィーアーフォクシーズ!
――ウィーアーフォクシーズ!
『お待たせしました――両チーム、選手入場です!』
DJの煽るような声色のアナウンスを合図に、両チームの選手がピッチへと入ってくる。
キャプテンの宮田さんを先頭に、エスコートキッズと呼ばれる子供の手を引く11人。
鮮やかな緑色の芝生を踏みしめ、正面スタンドの方へ向き直る。
そこから見える景色は、どんなに素晴らしいだろうか。
先発の11人に名を連ねたものだけに許される、特別な時間。
――ウィーアーフォクシーズ!
――ウィーアーフォクシーズ!
サポーター達の声は止まない。
そんな彼らに勝利を届ける――それだけが僕たちの仕事で、それだけが僕らサッカー選手の価値を証明する方法だ。
**********
キックオフの時が迫り、両チームの選手がポジションにつく。
ピッチの中央、センターサークルの真ん中で、札幌の選手がその時を待っていた。
審判の笛が鳴る。
同時にボールを自陣へ蹴り出し、一斉に両チームの選手が動き出した。
松江の最前線に立っていた選手が、蹴りだされたボールを追う様に札幌陣地へ足を踏み入れる。
札幌はボールを後方、最終ラインまで下げる。
ボールを受けたセンターバックの選手が、相手陣へ向け大きくボールを蹴りだした。
大きな放物線を描いたボールはハーフラインを優に超え、相手の最終ラインまで飛んだ。
最後方に位置するゴールキーパーが、両手を広げ大きなゼスチャーで前へ、という指示を送る。
それを見ずとも、決まり事かのように他の10人は数歩、前へと踏み出した。
ラインを上げ、前後の間隔を詰めたコンパクトな守備陣形を整える。
「相変わらず、つまんねぇ戦い方だな……」
試合開始早々、ヒデさんがあくびをしながら、そんな事を呟く。
まるで興味を失ったかのように、背もたれにぐでりと身体を預け、静かに右足を左足の上に組んだ。
「まぁ、これでこの順位をキープしているのですから……、仕方ないですよ」
対して都築さんは、すっと両膝の上に両肘をつき、前傾姿勢でピッチに目を向ける。
発言自体は前向きとも取れるが、表情は諦念的だ。
態度は異なるけど、二人ともチームの戦術に良い印象を抱いていないのだろう。
札幌の守備時のフォーメーションは4-4-1-1。
トップの位置には9番を背負うブラジル人のエウケソン。
その一列後ろ、トップ下のポジションには、17番を付ける高梨縁がいる。
前線の二人が相手の出方を伺うように、ボールを持つ相手選手に対してプレッシャーを掛ける。
残りの選手は自陣に留まり、最終ラインに4人、その前に4人と並び【4-4】の守備ブロックを形成していた。
ディフェンスに重心を置き、奪ったボールを速攻に繋げるカウンター戦術。
これが札幌の基本戦術だ。
必然的に、対する松江がボールを持つ時間が長くなる。
松江は、キックオフ時には3-6-1の並びだったが、ゲームが始まってすぐに陣形が変わる。
松江は、可変システムを採用するチーム。
そのシステムの特徴は名前の通り、攻守で大きく形を変えるところにある。
ボールを保持する松江は、ボランチの一人が最終ラインに入り、真ん中でボールを捌く。
すると押し出されるように、左右のセンターバックがワイドに開いた。
さらに、その前に位置する両サイドのウイングバックが、一気にポジションを上げる。
スタンドから見たその配置は、あっという間に4-1-5のフォーメーションに変化した。
ボールを持つ松江が前線を数で押し込む。
対する札幌は整然とした【4-4】のブロックでゴール前のスペースを埋める。
すると松江はさらに、サイドに開いていたセンターバックもが高い位置を取り、攻撃に厚みを加える。
4-1-5だった松江の布陣はさらに攻撃的に、2-3-5へと変化する。
サイドを広く使い、中のスペースをこじ開けようとする松江。
頑なにゴール前に鍵をかけ、粘り強く相手の攻撃を跳ね返す札幌。
松江の波状攻撃に対し、札幌は後手に回っているようにも思えるが、決定機と言えるようなシーンは生まれていない。
目に留まったのは、中盤の底、ボランチのポジションに入っている選手。
チームのキャプテンであり、10番を背負う宮田さんだ。
「宮田さんが効いてますね」
「流石の中間管理力だな」
「何ですか、中間管理力って……」
ヒデさんの謎のワードセンスに呆れながらも、言わんとする事は伝わる。
人数を掛けて攻め入る松江の攻撃に対し、宮田さんは身振り手振りを交えながら味方に指示を出し、自分は穴となりそうなスペースを先回りして埋める。
ボールを保持し圧倒的に攻めているように見える松江だが、実際は有効な仕掛けを繰り出せずチャンスを作り出せていない。
「知っているか? あいつは入団当初、『北の爆撃機』なんて異名のセンターフォワードだったんだぜ」
「え、そうなんですか?」
「おう、今はあんなプレースタイルのクセにな。 その時の名残で背番号も10番よ」
10番は、サッカーでは一般的にエースナンバーと言われる番号。
司令塔タイプの選手や、フォワードの選手が背負う事が多い。
ディフェンシブな選手である宮田さんのような選手が付けるのは、確かに珍しい。
「本人にこだわりが無いのか、変に気が利きすぎる性格のせいか……年々ポジションが下がって、終いにゃセンターバックやってる時もあるからな。 超ウケる」
そう言ってヒデさんは笑う。
「それは……でも、凄いですね」
「えぇ……、彼はとても器用な選手です」
僕の言葉に、都築さんが深く同意を示す。
フォワードだった選手がボランチ、ましてやセンターバックまで務めるというのは、口で言う以上に難しい事だ。
まず目に映る景色がまったく違う。
周りとの関係性が違う。
そもそも求められる役割が違う。
頭で理解していても、それを実行する事はとても難しい。
まして、2部リーグとはいえプロの世界だ。
少なくとも本職のボランチやセンターバックを押しのけて、監督が宮田さんを起用したくなるだけのクオリティを、キャリアの中で示してきたという証でもある。
「くるぞ」
隣でボソリと、ヒデさんが言う。
ゲームが動く。
状況を打開したい松江は、コンパクトに守る札幌のディフェンスを揺さぶるべく、左サイドから大きく逆サイドへサイドチェンジのボールを蹴る。
しかし、このボールが精度を欠いた。
札幌のサイドバックが、そのボールを奪う。
そしてすぐ近くに寄ってきていた宮田さんにパス。
「チャンス!」
僕が叫ぶより早く、宮田さんはボールをトラップし前を向くと、すぐに右足でパスを出す。
その視線の先には、松江の選手がオーバーラップして、ポッカリと空いた右サイドのスペース。
――!
スタンドからの大きな歓声が重なる。
宮田さんが出したグラウンダーの速いパスに、高梨縁が反応していた。
慌てて戻る松江の選手と、一気に攻勢に転じる札幌。
ボールを受けた高梨縁が、そのままドリブルで中へと突っかける。
それに対応すべく、松江のセンターバックが前に出てきた。
その後方へ、縁が迷わずパスを送った。
最前線で機を伺っていた、札幌の9番、エウケソンが走りこんでいたのだ。
半身でボールを受けると、すぐにゴールへと目を向ける。
センターバックが身体を寄せると、ボールを動かし、深い切り返しを見せた。
ディフェンスは必死に食らいつき右足を伸ばす。
その大きく空いた股の間を、エウケソンのシュートが通る。
低く強烈な弾道。
ボールはゴールキーパーの手を霞め、力強くゴールネットを揺らす。
――!
怒号のような歓喜の波がゴール裏の札幌サポーターを中心に生まれる。
ゴールを決めたエウケソンが、誇らしげに両手の人差し指を天に掲げ、そのサポーターの元へと駆け寄っていく。
彼の元にチームメイトが駆け寄り、小さな輪を作る。
エ・ウ・ケ・ソン!
エ・ウ・ケ・ソン!
喜びを爆発させるように、赤と黒のチームフラッグが何本も揺れ、サポーターは歓喜の歌を響かせる。
前半22分、お手本のようなカウンター攻撃から札幌が先制点を決めた。
「よし、寝るわ」
「え?」
そんな中、ヒデさんはだらしなく足を投げ出し、目を閉じだした。
「飽きた。 どーせここからはさらに退屈なドン引きタイムだぞ」
「まだ前半20分ですけど……」
「んじゃ、もし同点になったら起こしてくれ」
そう言って、早速スースーと寝息を立て始める。
「……」
「ははっ、さすがヒデさんですね……」
唖然として、思わず都築さんの方を見ると、都築さんはそう言って引きつった笑顔を浮かべる。
自由過ぎるだろ……このおっさん……。
結局、そこからヒデさんが目を覚ますことはなく。
札幌は前半に上げたこの1点を守りきり、1-0で勝ち点3を手にしたのだった。