愛してないけど恋してる
愛してないけど恋してる。
まあ、珍しくもない感情だ、一クラスメートに向ける感情としてはな。
だけど私は、名字の違う彼と血が繋がっているらしい。らしい、というのは聞いた話だからだが、彼は離婚した母親の方に付いて行った双子の弟なのだと。
私達が赤ちゃんの頃にもう別れた両親だったから、そういう存在がいるとは言われていたけれど……、現実は無情だ。
だけど、私は彼を愛してはいないと思う。
恋と愛が違うのだと言う事は初恋の時に知った、まあ、振られたけど。
これは確かに愛じゃない、でも、恋だ。
たかが、恋だ。
されど、恋だ。
しかし恋は、姉弟だと分かってまで続けるべきものなのか、今の私には判断が付かない。
だって、愛している訳でもないのに。
☆
ピン ポーン
チャイムが鳴る。彼女が来たのだろうか。
ドアを開けると、やはり彼女だった。
「こんにちは悠璃ちゃん」
「うん。こんにちは、愛衣ちゃん」
今この家にやってきた彼女は、霧宮悠璃ちゃんと言って、とてもおかしな話なのだが、私――夕凪愛衣の妹に当たる人かもしれない。
まあ、姉弟の兄妹と言うかなんというか。
「それじゃ、立ち話もなんだしさ。上がってよ」
「おじゃまします」
悠璃ちゃんが靴を脱いで丁寧に並べる。
物凄く丁寧だが、いつもからこうなのではないのだ。
この子、モードの切り替えによって人格がすごい変わるんだよなぁ。今は外用モードの様だけど……。
☆
愛衣ちゃんの家のリビングに足を踏み入れると、夕凪家のお父さんがいた。
この人は、夕凪匠と言って、 私のお兄ちゃんの父親だ。
「こんにちは。匠さん。おじゃましています」
「……君が、悠璃ちゃんか。こんにちは」
匠さんと直接顔を合わせるのは初めてだっただろうか。うん、たぶんそうだったと思う。
「昌吾は、元気かね?」
「ええ、元気にやってます」
まあ、さすがに妹に告白されているとは言えないが、家用モードだったら言っていたかもしれないな。
「ははは、昌吾はずいぶんモてる様だね。色々と安心したが、それに流されないかも心配だな」
……え?
何で、知ってるのだろう? この口調、明らかに私たち二人に向けていた口調であるように思える。
つまり、私たち二人がお兄ちゃんの事が好きだと知っているのである。
……この人相手に外用モードでは逆に失礼にあたるかもしれない。友人用位に切り替えようか。
たいして長くも短くもない自分の髪を扱う。うん、切り替わったっぽい。
「あはは、お義父さんには敵いませんね」
「いやいや、なにとぞ昌吾の事を頼むよ」
「いや、それ妹に言う言葉ではないでしょう」
「ははは、それもそうだな。まあ、良い。ゆっくりして行ってくれ」
「ええ、それで気を抜いて寛がせてもらいますね」
☆
「悠璃ちゃん、もう家用で良いよ」
「そう、それじゃあ遠慮なく」
と言って悠璃ちゃんが無遠慮に体を伸ばす。
確か切り替える時のスイッチが幾つかあって、これもその一つだったと思う。確かさっき髪をいじくっていたのも、それの一つだったはず。
「ふぅ、じゃ、早速本題から入るけど、愛衣姉は兄貴とどこまで行ったの?」
細かい体の動かし方、口調、雰囲気まで変わっているように見える。
いつもの事ながら、
「凄いね。そのスイッチ切り替え。そんなにしなくても大丈夫なんじゃない?」
「ん~、これ? これはねぇ、受験対策とかかな」
「受験対策?」
「そうそう、先生は面接でミスしないように普段から口調を気を付けるように、って言うけどさ、兄貴に対して口調は変えたくない訳よ。だから完全に口調、癖、考え方を切り替えられるようにしてみたの」
「……もう、スパイかなんかになっちゃえば?」
「あはは、スパイかぁ。それも面白そうだね。まあ、この切り替えは父さんと二人暮らししてた頃に母さんと兄貴がやってきたからその時から作り始めてたんだけどね」
一朝一夕で出来る事ではないと言う事か。
いや、でも、本当に漫画の設定みたいな事を簡単にやってのけるな。中三で数検二級、持ってるし。
「それじゃあ、そろそろ本題に入っていい?」
「あ、うん。昌吾君と私の関係、だっけ?」
「ま、どうせ“実は血の繋がっていたクラスメート”以上の何にも成れてないんだろうけどさ」
「な、何を根拠に!」
「兄貴の性格からして、告白されている状態で好きな人はいるかって訊いたらその人を思い浮かべるだろうからね」
あ、なるほど。そういう仕組みか。
……ん? いや、そういう事を訊く状況と言うのはまさか……、
「まさか、悠璃ちゃん。告白しちゃってたりする?」
と訊くとニヤリ、と悠璃ちゃんが口を歪める。
あ、してんな。これ。
「はぁ、妹に告白されるって、昌吾君はどんな生活をしているの?」
「ははは、どんなだろうねぇ~。と言うか、実の姉と義理の妹の両方に好きになられるって、それこそレアだよね」
そう、実の姉。
本当に、ありえないような状況だとは思う。
まさか偶然好きになったクラスメートが実は弟だったなんて、映画かっての。
「ねえ、悠璃ちゃん? ひとつ訊いていい?」
「ん~、別にいいけど、何ぃ?」
「ああ、そのさぁ、愛と恋の違いってなんだと思う?」
「えっとね、それは……、う~ん? なんだろう?」
分からない、か。もしかして質問の意味自体が?
「わたしはその、愛と恋の違いについて自論があるんだけど、言ってもいい?」
「まあ、一向に構わないけど……、あ、そうだ! 一個思い浮かんだ」
「え、そう。じゃあお先にどうぞ」
「いえいえそちらこそ」
「いえいえ」
「いやいや」
「いえいえ」
「いやいや」
って、いつまで続けんの?
まあ、いいや。言わせてもらおう。
「それじゃあ、お先しますけど。私は、
恋は、分かりやすい、異性としての好きってことだと思うんだけど……
愛は、大事な宝物に向ける感情みたいな、そんな感じのもの
……だと、思ってるんだよね。悠璃ちゃんはどう?」
「……な、なるほど。正直……、思っていたのの斜め上の答えだったなぁ。恋の定義が素晴らしいくらいに雑だったし」
あ。
い、いや、まあ。仕方ないのではないかな? それは。ほら、私心理学者とかって訳じゃないし。悠璃ちゃんみたいに天才ってわけでもないし。
うん、仕方なし。
「まあまあ、で。悠璃ちゃんが思いついたってのは?」
「え? あ、うん。私が思いついた愛と恋の違いってのはね、恋が熱だとするのなら愛は、温もり。ってかんじ?」
「熱と、温もり?」
「そう、なんか直感的に思い浮かんだイメージがそれだっただけだけど」
となると、私は今熱に当たる状態なのかな? どうなんだろう。確かに温もりと言うよりは熱に近いものを感じなくもないが、結局私はどうすればいいんだろう。
私は、愛している訳でもない様な弟に対して、恋愛感情をどういう風にすればいいんだろう。
……あ、そういえば、“恋愛”という熟語には恋と愛の両方が入っているのか。熱も、温もりも似た様なものなのだろうか。
でも、異性に向ける好きと大事にするという感覚は全くの別物であると思うし……。
「結局、私はどうすればいいんだろうね」
「うん。諦めれば?」
「…………みゅ?」
「いや、だってそうしてもらったら私としてはライバルが一人消える訳じゃん。ブラコンの私としてはそれ都合がいいことこの上ないんだよ? というか、何? みゅ、って。何か可愛いんだけど、真似していい?」
お、おおう。
身も蓋もない返答が返ってきたな。というか、恥ずかしいから“みゅ”に突っ込まないで欲しいんだが。
もういっそのこと“みゅ”は私の専売特許って事でどうだろう。いや、何言ってんだ?
「でも、今のはあくまで兄貴を愛する悠璃ちゃんのセリフって事で、今から言うのが愛衣姉の妹である私のセリフ」
あ、そういう事か。こういう所は優しいよな、悠璃ちゃんって。
「愛衣姉は諦める必要って、何かあるの?」
「え? そりゃ、双子だし」
「だ か ら、じゃあ確認するけどさ、愛衣姉は兄貴と結婚したいの?」
「ふぇ!?」
ふぇ!?
変な声が出てしまった。作為はない、と信じたい。
で、でも。結婚なんて……。(ポッ) いや、純情かっつの。まあ、そうであると信じたいけど。
「結婚なんて、考えてなかったなぁ。まだ、高校生だし」
「そっか、じゃあ兄貴との恋に何か障害はある? 血が繋がっているから出来ない事は何か……、今一度考えてみたらどう?」
……。
…………。
………………あ。
こういうのを、目から鱗というのだろうか。
つまり悠璃ちゃんが言っているのはこういう事だ。
姉弟であっても出来ないのは結婚であって、恋したって良いんじゃないの? という事。
「……そっか」
「ね。純粋な学生恋愛は法律に縛られないでしょ? たぶん」
「そっか、じゃあ私は昌吾君と付き合っても良いのかな」
「さあね。疑問に思うくらいならやめとけばいいんじゃない? そっちの方が都合いいし」
そっか、良く考えてみれば単純な話だったんだ。
一人の学生がクラスメートに恋をした。告白、しようかな?
たった、それだけの葛藤。血がどうとか義兄妹がどうとか、めんどうくさい事は考える必要が無かったんだ。
男の子と女の子、それだけの関係だったのだから。
でも、だったら、というか、だからこそ、
私はどうすればいいんだろう。
……。
…………う~ん?
「ん? 何か考え込んでるようだけど……、愛衣姉はどうしたいの?」
え? そう言われてみれば、何なんだろう。
好きだからといって、恋しているからといって、何をしたいのだろう。
まあ、ある意味原点回帰の様な、葛藤。当たり前の、悩み。
「はいっ、それじゃあ三秒以内ね。さぁ~ん にぃ~い」
え!? えっと、何をしたいか?
純粋な学生恋愛?
名前を呼び合うような行為?
お互いの温もりを感じる様な事?
思い出を共有する様な贈り物?
おそろいの装飾品で確かめる絆?
一緒に話す友達の様な安心感?
熱烈な感情表現?
「いち!」
「……キス」
自然と、口からその言葉が零れ落ちた。
…………いや、何言ってんだ。
「ま、まって! これは言葉の綾というかなんというか!」
「なぁ~るほど。キスかぁ、愛衣姉もなかなかはっきりしてんじゃん」
「だから違……!」
「いやいや、誰にだって否定したい事はあるよね。うんうん。でも良いんだよ妹には隠さなくて」
何やら悠璃ちゃん的には納得の方向で言っているらしいが、もう、いいか。こんな感じだし、悠璃ちゃんは。
それに、三秒カウントは本音を引き出す効果もあったのかもしれない。実際、正直に言ってしまえばそれがしたい様な、気がする。ま、ファーストではないけれど。
「それで、どうするの?」
「やりたいように、やってみようかな。その、……」
「キスに近づく方向で!」
「……ま、まあ。そういう事になるかな?」
「そっか、じゃあ、頑張れ」
「うん。ありがとう。頑張る」
「それじゃあ、また今度」
玄関のすぐ前で、軽く手を振って悠璃ちゃんを見送る。
「はい、さようなら。また遊びましょうね」
丁寧に、しかし嫌味にならない程度に気を付けながら、悠璃ちゃんがお辞儀をする。
今の悠璃ちゃんは外用だ。
「悠璃ちゃん、家用になって」
「?」
その軽く小首を傾げた仕草はとても可愛いのだが、すぐに無遠慮に体を伸ばして、家用になってくれた。
「悠璃ちゃん、またね」
「おう、またな!」
そういって、姉妹の様な、ただの友人はさよならをした。
またね。と、そう言って。
☆
翌日。
夕凪愛衣こと、私は霧宮昌吾に告白をした。
告白をしたら、在りもしない枷が外れていく様な気分がした。
とても、気分が良かった。
出来たら『恋してないけど愛してる』と『愛してないけど恋してるの』続きに当たる長編を書いてみます。




