空飛ぶ缶詰
あるトンネルを通りかかった時のことだ。
その日は二十五日だというのに会社から銀行口座への給与の振り込みがなく、その金をあてにしていた和田は頭を抱えた。
「奨学金の返済や、カードのローンも抱えてるのに。ああ、同棲している彼女への誕生日も近いんだった。……でも、ひとまずお腹が空いたなあ」
何も口に出来ない休日はひもじさが募るばかりなので、気晴らしに散歩へ。川沿いを休み休み歩いて、公園を抜け、商店街へとウインドウショッピングをするために近くの商店街へと向かう。平日の商店街は揚げ物の匂いが立ちこめていた上に活気があって苦しいばかりなので、途中の横道へと逸れた。
正面に丘をくりぬいたようなトンネルがあり、整備されたその上を車が走っている。トンネルの中を歩いていると、和田は途中に座っていた露天商に声をかけられた。
「お兄さん、お兄さん」
「あ、私ですか」
「そう。缶詰はお好きか」
「ええ。まあ、それなりに」
「じゃあ、丁度良い。これを買わないか、これで最後なんだ」
しわがれた手に持っていたのは細長い何かだった。
「ペンですか、それは」
「ああ、ペンだ。しかしタダ者じゃないペンだ」
「缶詰とどういう関係が?」
露天商がペンの尻を押すと、奇妙に振動を始める。もったいぶって掲げると、黒く円錐を描き始めた。頂点を黄色で塗って、もう一度ペンの尻を押すと振動が止まった。
「なるほど。空中に絵が描けるペンですか。しかし、その程度最近では珍しくありませんね」
和田がそう言って円錐形の絵に触れようとすると、凄いスピードでトンネルを飛んで行った。度肝を抜かれた。尻もちをつき、声を震わせる。
「な、何ですか?あれは。ただの絵が……飛んで行った!」
「だから、タダ者じゃないと言っただろう。もう一度描くぞ。今度は捕まえろ」
「わ、分かりました」
露天商がもう一度黒い円錐形を描き、先端を黄色く塗ってペンの尻を押した瞬間、和田は両手で包みこむように押さえた。外はひんやりと冷たかった
「捕まえました!」
「それが缶詰だ」
「は?え?というと?」
じたばたする円錐の底に缶切りを当てて回していくと、パキッと音がして開き、中には先端までぎっしりと肉が詰まっていた。
「カラスの缶詰だ。美味いぞ」
缶の中身の既に、一口大になっているカラス肉を取り出すと、器用に竹串を取り出して白ネギと交互に挿していく。乱雑に塩を振って炭入りの焼き鳥機に竹串を渡らせると、焼けた良い匂いが辺りに立ち込めた。
「一本どうかね?」
「頂きます」
昨晩からの空腹に、香ばしいタレの香りは耐えられなかった。思い切って一口頬張ると、雑多で複雑な味が脳へ快楽物質を出すように促した。
「今カラスを出したけれど、ちょっとの絵心があればその他の肉も魚も何でもござれ。ただ、素材が入った缶詰しか出てこないがね」
「なるほど」
既に二本食べ終えて満足した和田は、露天商の話に聞き入っていた。
「十万円でどうかな。今なら、缶切もつけるぞ」
十万円か……財布の中身を見てみると、三十八円しか入っていない。
「生憎ですが、財布に僅かしか入ってなくて……」
「カードの分割払いもできるぞ」
「買います」
家に帰って試してみることにした。説明書通りにペンの尻から水道水を入れて、準備をする。
「まずは、何を食べようかなあ。そうだ、チャーハンでも食べよう」
空中に卵と人参と、手乗りサイズの豚を描く。すると、不格好ながらもその通りに現れた。ぶうぶう鳴いて部屋を駆けまわる豚を捕まえて、お腹に缶切を当てると、パキッと音がして開く。中には細切れの豚肉が詰まっていた。
卵や人参も缶切を当てて、中身を取り出す。フライパンに油を敷いてみじん切りにしたニンジンを綺麗なオレンジ色になるように炒める。それから豚肉。油身が加わることで溶けるような、柔らかい肉が完成後の姿を想起させ、食欲を刺激した。それから卵を割って入れ、塩コショウで味付けし、炊いたご飯とかき混ぜると黄金色の卵黄色のチャーハンが器に盛られた。
ピンポンとチャイムが鳴って、ドアを開けると彼女だった。
「ただいまー。ああ、疲れちゃった」
「お帰り。晩御飯丁度出来たよ」
「あ、美味しそう。買い物に行ってくれたの?ありがとね、いただきます」
彼女は美味しそうにご飯を頬張った。
「買い物なんだけどさ、もう行かなくて良いんだ」
「え?どういうこと?」
「これだよ」
和田は彼女にペンを取り出して見せると、彼女はスプーンを取り落とした。
「ど、どうしたの?それ」
「これね、商店街を曲がった先のトンネルにいた、露天商の人から買ったんだ。水を入れるだけでいいんだって」
黒い円錐の先端に黄色を塗ると、動き出して飛んで行った。窓から見える電線に、くちばしの黄色いカラスが沢山並んでこっちを見ている。空にも多くのカラスが群れになって飛んでいた。
「やめて、好奇心は時にとんでもないものを作り出してしまうのよ」
「なんだよ、これがあれば、珍味も食べ放題じゃないか。キャビア丼、フカヒレのスープ、いろいろ試してみようよ。あ、サメは缶詰といえども危険かなぁ」
彼女は溜息をつく。
「なあ、このペンってさ、人間とかも缶詰に出来るのかな?」
彼女は無表情に言葉を返した。
「それが、あなたよ」
彼女は缶切を和田の背中に押し付けると、肌の上を滑らせた。
和田の耳の奥で、パキッという音が聞こえた。