表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

1.吐蕃皇国

   このごろ都で流行るもの。

   西域風の歌曲。

   西域風の装いの女。

   西域産の香。

   そして西域の神の信仰。

   若い者は目新しい文化に興味津々。

   眉を顰める年寄りの視線も気にしない。

   都の中心地では西方産の香を纏った西方風の美女がもてはやされ、

男どもの視線を集める。

   そんな都で今一番の話題の主。

   それは(オウ)の一番の寵妃。

   黄金(きん)色を身に纏う絶世の美姫。

   その名を火晶(カショウ)という。




1.吐蕃皇国


 現在、大陸上は大きく2つの国が権勢を誇っている。西の大国と呼ばれるのがバルジャ王国。そして東の大国と呼ばれるのが吐蕃皇国(トゥバンオウコク)である。そしてこの二つの大国は東西に伸びる交易路によって結ばれていた。

 交易路には大きく3つある。北から「草原の道」、「砂漠の道」、そして「海の道」と呼ばれているもので、そこには常に種々様々な人や物資、そして何よりも情報が行き交っていた。

 東の大国吐蕃は非常に広大な勢力を誇る国であった。東と南は海に面し、西は沙漠と峻険な山脈、北は草原と起伏の激しい山地に接していた。国土は2本の大河とそれらから分岐した支流によって潤され、更に網の目のように張り巡らされた運河が国内主要土地を繋いでいた。おかげで国土は肥沃で、特に東と南の地域は屈指の穀倉地帯として名高く、また水産物の漁獲高も近隣諸国と比較しても群を抜いていた。また北部地域では畜産が、西部では果樹栽培や金工産業が盛んであった。

 吐蕃皇国は、しかし単一の民族や勢力の占める国ではなく、複数の民族や勢力がそれぞれ国という行政単位を担い、それを中央でまとめて一つの「国」という姿を形作る、多民族集合国家であった。それは国としては一見不安定な組織であったが、吐蕃のように領土が広範に渡る国にとっては、最も画期的でかつ効率の良い統治システムなのである。



 国土の中央に位置するのが、首都「大都(ダイト)」が置かれ、吐蕃皇の治める「吐蕃王国」である。内陸に位置しており、高度に発達した水運と陸運の便によって国土各地から物資や情報の集まる、文字通り吐蕃皇国の中心地である。耕作地は少ないが、集中する物資による工産業の盛んな地である。また人種は大陸中から集まっているため多民族的で混血も多いが、中心をなすのは国の名前ともなった吐蕃人である。



 行政単位としてその次に来るのが「公国」であり、吐蕃には3つの公国があった。公国は吐蕃王によって「公」の称号を与えられた者によって治められており、吐蕃では唯一自治が認められていた。また同時に各公は吐蕃皇国の重臣であり、(オウ)の補佐役でもあった。そして各公は年に数回大都に集まって国家の大事を決したり祭礼を行なったりする役割を担っていた。

 皇国の中で最も有名なのが西の沙南(シャナン)公国である。沙南は交易路の一つである「砂漠の道」の東側の終点に当っており、豊富な物資や情報、人種の入り乱れる、吐蕃屈指の富裕な国なのであった。現在の公は姓を(ケイ)、名を(ジュン)という、30代前半の皇国最年少の人物であった。最近父親から公の位を譲られたばかりであったが、その内政能力はまずまずのもので、内外から一目置かれつつある人物である。

 沙南の経済は西との交易と地形を活かした果樹栽培、更に豊富な地下鉱物の発掘・利用によって潤っていた。また国内の治安も繁華な都にしては良いもので、実質吐蕃で二、三位を争う国力を有した国である。言うまでもなく一位は吐蕃王国である。



 公国の次は「県」「(ユウ)」と続く。その他にも「ムラ」などと呼ばれたり単に「集落」と呼ばれたりする集団生活単位が構成されたりもするが、皇国において統治権が認められているのは「邑」までである。しかし「県」以降は自治権は与えられていない。各集団単位ごとに代表者がおり、形式としてその人物がその集団を統治していたが、その統治メンバーには皇国から派遣された官僚が充てられることが義務となっていた。皇国から派遣された官僚はそのまま皇国の意思を反映するもので、その発言には絶大な力があった。つまり間接的に「県」「邑」は皇国に統治されているのである。

 これら「公国」「県」「邑」という小さな国の集合体が「皇国」なのである。

 基本的にこのような方法で吐蕃皇国は国を統治していた。



 これ以外に特筆すべき勢力は、定住地を持たない移動民族である。それは北の草原地帯や南東の海岸地域に多く、その生業によって遊牧民族と呼ばれたり海洋民族と呼ばれたりするが、その中で最も有名なのが「砂漠の民」と呼ばれる一団である。


 砂漠の民はその名の通り沙漠地帯に勢力を有していて、基本的にその地域で生活している。

 遊牧民族や海洋民族との一番の相違点は、特定の生業を持たない集団であるということである。彼らは行商で生計を立てる者、傭兵として身を立てる者、旅芸人として諸国を巡る者と、それぞれの能力に応じてそれぞれがそれぞれの場所で生活をしていた。そんな一見ばらばらな集団であったが、その実彼ら相互の仲間意識は非常に堅固でまた誇り高く、各自が砂漠の民の一員であるということにこの上ないプライドを持っていた。

 砂漠の民は多民族の集団である。元々沙漠地帯は吐蕃や周辺国の勢力範囲に含まれてはいるがその地形や気候の苛酷さのためにどの国の積極的な支配も受けない地で、いわゆる無法地帯(フロンティアー)であった。その地へ様々な事情を抱えた人間が集まって集団を形作ったのが、「砂漠の民」の始まりである。そんな元々ばらばらの人間の集まりである砂漠の民の団結力の元であり、彼らの精神的支柱となるのが族長とそのブレーン集団であり、特に「族長」と「姫」と呼ばれる人物には特別な尊崇が寄せられていた。

 砂漠の民は常に移動を繰り返しており、またそのメンバーの入れ替えも増減も激しい。また沙漠地帯というどの国も手を出しにくい場所にその勢力の中心があるため、彼らの正確な勢力やメンバーは、彼ら自身以外には誰にも把握することが不可能であった。また族長や姫などの主要メンバーの存在は、内外に知られてはいてもその詳細はまったく不明であった。そしてそのような謎の多い点が更に彼らの名を高め、吐蕃や周辺各国の人間にとって「砂漠の民」を一種畏敬の対象として捕えさせ、様々な意味で一目置かせる要因となっているのであった。




 吐蕃王国の首都は同時に吐蕃皇国の首都でもある。そして現在の都は「大都」といった。

 大都は巨大な都である。住民は50万を数え、町の面積も皇国内最大を誇る。否、そうなる予定である。予定、というのは、現在「大都」は建設中であるからである。

 吐蕃の皇位が替わったのは3年前。その翌年、皇は遷都を発表し、都をそれまでの都・江州(コウシュウ)よりも北に遷した。それが現在の「大都」である。

 南北を大河に挟まれた温暖湿潤な穀倉地帯、通称中原(チュウゲン)のまさに中心に位置していた江州に比べ、大都は北の大河沿いの、やや寒冷で乾燥地帯に接する町であった。また中原に属してはいたが、川向こう見晴るかす場所には既に乾燥した赤土の大地が迫っている、いわば穀倉地帯の北限といってもよい場所であった。実際大都は、江州が都であった時代には人口数千の一商業都市にすぎず、さほど開発の手も入っていなかった。

 しかし一方、手付かずの広大な土地のある場所でもあった。また、大河沿いであるために海との交通の利便も良く、北の通商路である草原の道とも一線で繋がっており、大陸貿易の面から見れば、便利な場所に位置してもいた。また国内交通は、先皇の統治時代に完成した運河のお陰でまったく不自由はなかった。

 つまり、暖かく過ごしやすいが、3つの交易路のどれからも離れている江州と比べて、大都は経済の面から言えば有利な土地柄であったのである。現皇はそこに目をつけ、江州を副都とし、大都に都の中心を遷したのだといわれている。


 「大都」の建設のため、皇国内から様々なものが召集された。「公」「県」「邑」にはそれぞれ工事の人手や建築資材、また資金やその他様々な資材の徴収が割り当てられた。

 工事は昼夜を徹して行なわれ、現在ではほぼ「大都」は皇国の都としての体面を保つに相応しい姿を整えていた。都の機能も住民の移住もおおよそ完了しつつあり、大都には活気が溢れていた。今やほんの数年前の北の小都市・大都の面影は既になく、様々な人種や珍しい外国の産品、言語、情報等々の行き交う、吐蕃一の大商業都市・大都へと変貌していた。


 大都の町は長大な城壁に囲まれた、いわゆる都市国家であった。白い城壁は堅固でありながら優美さを兼ね備えており、何ヶ所か設けられた門は丹塗りの太い柱と黒塗りの巨大な木扉で、見る者を圧倒した。

 町は南門から北に真直ぐ太い主要道路が走り、それを中心に碁盤目状に街路が配置されていた。そして町の中央を貫く道は真直ぐ、町の一番北にある王宮の正門に繋がっていた。他の道はただ踏み固められた土で、良くて砂利が敷き詰められているものであったが、この道だけは磨き上げられた黒曜石で舗装されていた。一点の隙無く黒く繋がる道は白けた土色によく映えて美しく、誰ともなくこの道を「夜光の道」と呼んだ。月明かりの美しい夜に輝く道、という意味である。

 この道の両側には商店が軒を連ね、様々な商品の売買が活発に行なわれていた。南門に近い辺りは固定の店舗はなく、天幕を張った行商人たちのエリアとなっていた。そこから数ブロック先が、大都に居を構えた商人たちの店舗が集められたエリアであった。

 更に商業区から水路一つを隔てた先は行政区となっており、各役所が一ブロックずつに配置されていた。水路に架けられた橋は黒の橋板、丹塗りの橋脚に金の擬宝珠(ぎぼし)が配された、同じく丹塗りの高欄といった、重厚でありながらも華やかなもので、都の美しさに花を添えていた。

 そして行政区の先、「夜光の道」の突き当たりにそびえる巨大な建物が、吐蕃皇の住まいであり、皇国政治の中心である、正に吐蕃皇国の中心部、「円城(エンジョウ)」であった。

 「円城」は町を囲む城壁と同じく白壁で囲まれ、丹塗りの柱と黒の木扉の巨大な門を正門としていた。敷地内は、黒い道の周囲に今度は白の砂利が敷き詰められ、所々に木や花が配置されていた。そしてその中央にある朱の柱と白壁造りの壮麗な建物が、王宮であった。

 更に「夜光の道」は王宮の裏門を貫き、大都の北地区を貫いて北の大河、明江(ミンコウ)にまで至る。

 そして明江の対岸、なだらかな赤土の台地では、大都の建設と同時進行でいま一つ大規模な工事が行なわれていた。こちらは大都の建設の開始に遅れること一年から着手されたもので、いまだ全貌は明らかになってはいないが、どうやら巨大な建物であるらしかった。

 この建物は河の南にそびえる「円城」のちょうど対称の場所に位置しており、やはり皇国内の各所から労働力や資材を集めて工事が行なわれていた。

 以上が現在の大都の状況である。




 吐蕃皇国政府の一日は、朝一番の皇臨席の会議、「朝議」から始まる。

 「朝議」とは円城の「謁見の間」に皇以下文武両官、官位を持つ者全てが集まり、前日の報告や本日の政務予定発表、陳情や幾つかの討議を行なうというものである。つまり、一日の始まりのセレモニーであると同時に、一日の政務を潤滑に行なうためのスケジュール確認の時間なのである。

 その日も朝議は予定通りの時間に始められ、部屋の前方、数段の(きざはし)の上で玉座に着いた皇によってその日のスケジュールが一通り述べられ、その左右についた文武両官の長から幾つかの補足と指示が下された。

 「大都」各所の工事に関する連絡事項、来年採用の官僚及び皇立研究所職員・研究員採用試験の出願開始の公布、大都への新規居住申請者報告、等々。


「北の宮殿の工事が遅れておるようだな」

 皇の指摘を受けて工事部門の責任者である官僚が深く頭を垂れた。

「も、申し訳ありません。現在、(あた)う限り迅速に工事を進めておりますが、いかんせん人足の不足と地盤の問題がありまして、思うようにははかどらず…」

恐縮しきった返答に、皇がわずかに眉を顰める。

「工事の人数が足らぬのか。ならば増員するがよい。現在の担当はどこだ」

「いえ、人数は…いえ、もちろん増員も必要ですが、むしろ一番の問題は土地の方でございます。かの計画通りに進めますには地盤が軟弱でありまして、土台すら充分には支えられぬのでございます。そのために何度も土台の工事をやり直しているような状況でありまして…」

「恐れながら陛下、計画の変更をされた方がよろしいのではないかと。場所をすこしずらせば、当初の計画通りの建物を造ることが可能となると思うのですが…」

その言葉に皇が眉を跳ね上げた。

「ならぬ!場所の変更は認められぬ。北の宮殿は必ずあの場所でなくてはならぬのじゃ!」

予想を越える皇の言葉の激しさに、工事関係者のみならず議場に集う全員が思わず身を竦めた。皇の視線の鋭さは全員の気を呑むものがあった。

「……なれど、陛下、今のままでは…」

 皇の傍らに控えた武官の高官が沈黙を破った。

「如何でしょう、陛下。今一度土地を測定し直すのです。その上で計画を修正するのです」

「さすれば場所を変えずとも計画を進める方法が見付かるやも知れませぬ」

それを受けて宰相らが続けた。その言葉に皇はやや表情を緩めた。

「…よかろう。仔細は任せる。明日の朝議までには何らかの報告を持ってこい」

「は、承知いたしました」

皇の言葉に工事責任者の官僚が深く深く頭を下げた。その長い袖の陰に隠れた横顔は、やや血の気が引いていた。



 朝議が開けると、官僚たちはそれぞれの仕事場へと散ってゆく。皇も幾つかの決裁書類を書記に持たせると、先に執務室へ向かわせた。そして皇自身は数人の侍従を従え、王宮の北側の後宮へと足を向けた。

 後宮に入ることのできる男性は、基本的に皇のみである。そこで侍従は後宮の入り口で待たされることになる。そしてそこからは後宮付きの女官が従うことになるのである。

 後宮には何人もの側室の居室があるが、皇が向かったのはその中でも最も高い場所にあり、最も明るい日差しの差し込む場所であり、最も暖かく、そして眺めの良い場所に設けられた部屋であった。

 部屋の入り口に着くと、女官が静かに扉を開いた。そこから皇が内部へと声をかける。

「火晶。起きておるか、火晶、黄金の美人、佳き香りの姫よ」

その声には、朝議のときに文武官僚らの背筋をさむからしめた迫力は微塵も無く、ただ甘く蕩けそうな表情に似合った情感のこもった声音が、柔らかな薄金の紗の帳の中に響いた。

 するとその声に応じるように室内の空気が揺れた。甘い桂花に似た香りがふわりと床の上から立ち上る。

「――ようこそいらっしゃいました、陛下。そろそろいらっしゃる頃と思い、お待ち申し上げておりました」

半透明の紗がふわりと引き上げられ、その奥で一人の女が頭を垂れて皇を迎えた。

「面を上げよ、火晶」

皇の許しの言葉を得て、女がゆっくりと顔を上げた。そして面前まで近付いていた皇を見上げ、ふわりと微笑んだ。

「――おはようございます、陛下。今朝も御機嫌麗しゅう…――」

「そなたの顔を見ることができたなら余はいかなる時でもいかなることがあろうともこの上なく幸せを得ることができるのだ。そなたの美しさはまこと余の宝。そなたの存在は余の全てなのだ」

言って、皇は女の髪の一房を掬い上げ、口吻けた。それは上質の亜麻糸の色をして皇の目を喜ばせ、上質の絹の感触で皇を悦ばせた。



 光を孕む亜麻色の髪、白磁の如く透き通る柔肌、常に夢見るような光を湛えた鳶色の瞳。その姿と常に纏う金色の花の香りから、「黄金の姫」との称号を得ている、西域諸族(ショウ)氏出身の女。皇の一番の寵姫にして現在、皇都・大都で最も有名で憧憬の的の存在。

 それが火晶。彼女の名前である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ