水を見て
水が辛い。
水道水じゃない。百二十円の、ペットボトルに入った、ほんとうにただの水だった。原材料に水としか書いていない、ただの水が辛かった。キャップを空ける時、プラスチックのぷちぷちっと千切れる音がする。結露した側面で手を滑らせないように、ぐっと手に力を籠める。ボトルのへこむ音がして、キャップが開く。水には匂いもないし、色もついていない。本当にただの水を、舌に乗せた瞬間、ぴりぴり走り回る感覚があった。あわてて口からボトルを離し、そっと机の上に置く。
考えた。水がおかしいのか、舌がおかしいのか? 今までにこの水は何度も飲んでいる。こんな感覚ははじめてだった。何かがおかしいのだ。ペットボトルの賞味期限を確認する。一年以上も先だ。そもそも、きちんと栓を閉じ封印されていた水が、ある日突然変わったりするものだろうか。となると、やはり舌がおかしいのかもしれない。今日の朝は不規則な生活だった。朝起きてすぐに布団から出たりしないで、ようやく出たのは目を開けてから一時間半と少し経った頃だろうか。そして、蓬の饅頭を食べた。昨日たまたま二個買っていたうちの余りだった。もう一度口をつけて、水を飲んでみた。やっぱり、舌がぴりぴりする。塩水を飲んでいるみたいだった。けれど、飲み込んで喉を通り抜ける瞬間には、すっかり普通の水のような味に戻っていて、そう気がついた時には舌の上も元の調子に戻っている。やはり、舌がおかしいのだ。起きてすぐに饅頭を食べたのがいけないんだ。
もう一度水を飲んだ。今度はすぐに飲み込んだりせず、舌の上でキャンディをなめるみたいに転がしてみた。自分の舌の上から小さな気泡が次々に生れてくるような、そんな感覚がした。気泡は水の中に入り込もうとするけれど、すぐに舌の上ではじけてしまう。シャンパンの泡が栓を抜いたとたんに天井高く吹き上げたりしないように、舌がぴりぴりするのはその泡が、舌のすぐ近くてはじけているからだ。たっぷり時間をかけると水はだんだんぬるく、気持悪いスライムみたいな半液体になってきた。慌てて飲み込むと、ずるっとした生き物が喉を通り抜けて、胃袋に落ちていくみたいだった。
こんな話を聞いたことがある。ある人間の血液を、一定量採取して密封し、冷凍保存しておく。何十年か後になって、この人が白血病になった。幸いドナーが見つかり、骨髄移植の手術をすぐに行うことが出来た。一命をとりとめたその人は、骨髄の移植にともなって血液型が変わってしまった。そんな時、血液型が変わる前に冷凍保存したその人自身の血液を解凍し、検査してみると、血液型が本体と同じように変化していたというのだ。にわかには信じられないが、血液も肉体と見なすなら、人間の肉体には、切り離されてもつながる霊的なパスがある。血液は、おおざっぱに液体だと言えなくもない。そして人間の身体はほとんど水で出来ているという。水を飲んでいたのは、乾いた図書室の一室で本を読んでいたからだ。こぼさないように、わざわざ栓のついた入れ物を選んだ。改めて、ペットボトルの水をしげしげ見てみる。水というのは、よく考えると奇妙な物体だと思う。色がないし、軽く容器を回してみると、別な生き物みたいに暴れ回る。
三態といって、世の物質は固体、液体、気体にそれぞれ分類されるらしい。理科の授業で、小学生が習うことだ。そんな中で、友だちと遊んだり、おしゃべりをしたりするよりも、勉強が好きな子供は、こう考える。秋の落ち葉で焚き火をしながら、じゃあ、火は何なの? 空に昇っていく煙は何なの?
気体かもしれない。しかし、気体は目に見えないものらしい。火はちゃんと見えてるし、煙も真っ黒だ。じゃあ、液体なのだろうか? こんなに熱い火が、水の仲間だなんて信じられない。それに、火は水をかけると消える。じゃあ、まさか固体なの? そんな訳がない。だってつかめないし、形がない。いろいろ考える。この、ペットボトルに入っている水は、果たして本当に液体なのだろうか? こんなことを考える。原材料をみると、この水はどこかの山で採れたものらしい。山に流れる水をくみ上げて、滅菌し、殺菌し、密封して配送する。ある日、その山に何か変化が起ったら? 例えば、殺虫剤があちこちに散布されたとか、生態系が変化して知らない動物がたくさん増えたとか。そうなると、水質が変わる。水質が変わると、源流を同じくするこのペットボトルの水も変化するのは、当然なのかもしれない。舌がまだぴりぴりする。おかしいのは舌ではなく、きっとこの水なのだ。このペットボトルの水の味が変わったということには、とんでもなく迂遠で、壮大な事件が隠れているに違いない。
それとも、この考えはぜんぶ妄想で、自分がおかしくなったわけじゃないということを正当化するための、嘘っぱちなのかもしれない。生まれたばかりの小さい子どもは、何かにつけて大きな声で母親を呼ぶ。自分の想像もつかないできことが起こったとき、人は、誰かにその正体を教えてもらおうとする。例えば、うっかりカッターナイフか何かで手を切ってしまったとき、痛いし、赤い液体が肌色の皮膚の内側から流れてくるし、そもそも皮膚には内側があるし、分からないことの連続で大きな声で泣く。ところが、ある時期を境に子どもは、怪我をしたことや体調が悪くなったことを、親に対してひた隠しにするようになる。自分のせいで親に余分な仕事を負わせ、大変な表情を見ることになるからだ。それを嫌がる。そんな時、余計に知恵をつけてくると、子どもは痛さを正当化するようになる。きょう頭が痛いのは、ふざけて座布団を被っていたせいだとか、足を捻ったのは自分のせいで、ぜんぜん大したことないから、とか……この舌の痺れも、きっとそうなんだろうか。
唇が渇いて来た。舌で唇を湿らせたあと、ペットボトルの水をもう一口飲もうと、ごく自然に手を伸ばすと、もう水は空っぽになっていた。わずかに残った水滴だけが、容器の内側をゆっくり流れ落ちていた。
トイレに行きたくなってきた。