「萌え」とおまんこ教
現代日本サブカルチャーの最大のキーワードになるのが、「萌え」です。
「萌え」の原義とは、次のようなものです。
ここに植物の種があります。
あるいは、木の枝に冬を越すための固い殻に覆われたままの新芽があります。
これらは固く凍ったような時を過ごしていますが、暖かな日差しや潤いを得て、中の植物の新芽がついには固い殻を破って外に出てきます。
芽生えたばかりの新芽は、やわらかくも美しい。
なのに力強く、そして目を見張るばかりの速度で成長していく。
ここに生命の神秘と力強さが凝縮されている。
まさにその驚きに満ちている。
もう少し縮めるなら、「固い殻を破ってやわらかいものが成長してくる」感覚というのがふさわしいでしょう。
「萌え」というのは、日本美学が生んだ現代における最高到達点を表す言葉です。
日本美学は、自然を見つめ、そのかすかな変化の兆しから、「もののあはれ」や「わびさび」などのいくつものキーワードを生み出してきました。
そのなかで、ものごとを哀調でとらえるのでなく肯定的に捉えるのは、「をかし」などあまり多くありません。
現代日本文明はその系譜の上で、ついに「萌え」を発見するに至ったというわけです。
現代サブカルにおいて、「萌え」の主対象になるのは「少女」です。
固い体つきをしていた「子供」が、第二次性徴とともに柔らかみを増し、一気に「大人」の相貌を見せるように変わっていく。
わかりきっていたはずの何かから、底と奥行きの知れない驚倒すべき何かに、いきなり変わっていってしまう。
この発見の驚きが「萌え」です。
この「萌え」の対象、「底と奥行きの知れない驚倒すべき何か」というのが、「おまんこ様」の正体です。
「性の発現」を契機として、宇宙と生命の全てを包含する何かとつながっていく感覚、これが「萌え」というものです。
「おまんこ様」は、女性の性器を名前の由来としています。
女性の性器は、からだの下端にあって、折り込まれ包み込まれて完全に隠されています。
日常において意識されることはほとんどない。
それが意識されない限りにおいては、女性は男性の柔弱なものでしかない。
しかし、女性器の秘められた部分がうごめき始めれば、女性の全体は異次元の存在に変貌を遂げます。
女性器は単なる局所ではなく、全体を、さらにはそれ以上の何かを含んだ特別なものなのです。
このメカニズムは、「萌え」と相同です。
ゆえに、おまんこ様は、「萌え」の存在原理たりうるのです。
皮をかぶった男性器が勃起時にめくりあがるとき、やはり相同の感覚が発生します。
あるいは、性的なものを見つけて、ぐぐっと瞳孔が拡大するときに、やはり相同の感覚が発生します。
これらも「萌え」の存在形態の一つです。
「おまんこ様への信仰」は、「萌え」を愛する文化土壌の中で、潜在的にすでに大繁殖しています。
それをただ名づけて形を与えただけのことなのです。