仏の教えとおまんこ教
仏教は、インドで発祥し、中央アジア、中国を経て日本に伝わりました。
その他、チベットや東南アジアにも足跡を残しています。
インドにおける仏教は、最終的にタントラ密教といわれる生の肯定を突き詰める方向に進みました。
その流れは一部、ヒンズー教に合流し、ハタ・ヨーガなどでその成果を垣間見ることが可能です。
タントラ密教は、性の力を仏教修行の方法論に取り入れました。
このタブーに挑戦する姿勢が、最終的にはやり過ぎだったのか、インド仏教は滅亡します。
しかし、それから千年近くが過ぎ、世界文明は大きく発展を遂げます。
かつては時期尚早であった方法論も、21世紀では可能になるかもしれません。
おまんこ教は、性の力を認めます。
人間の魂の成長に、社会関係の構築に、性の力を利用することを企図します。
タントラの教えは、おまんこ教が発展する上で重要な貢献をするであろうことが予想されます。
日本に伝わった真言密教では、理趣経という、性を肯定する経典が以下の教えを説いています。
男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
真言密教はこの教えによって、日本古来の「おまんこ教」と合流し、平安以降の日本思想の隠れた一大水脈となりました。
近代以降はこの流れは、下劣な軽蔑されるべきものと誤解され、歴史からほとんど消されてしまいました。
しかし、ポストモダンの今こそ、復権のときというべきでしょう。
現代文明は、メインカルチャーの部分では数々の「性のタブー」が残存します。
サブカルチャーの部分では、時により所によりかなり奔放に扱われる場合も出てきています。
メインカルチャーがいたるところで行き詰っては、そのあふれたエネルギーをサブカルチャーが解消しているのが現実です。
しかし、その矛盾がもはやのっぴきならない水準に達しているのではないでしょうか。
おまんこ教は、この時代背景の下に、200年の弾圧を乗り越えて復活を遂げます。
そして卑弥呼以来2000年の雌伏のときを経て、日本文明のメインストリーム奪還を目論見ます。
おまんこ様、万歳!
おちんぽ様、万歳!!