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日本を救うのは、おまんこ教  作者: 野馬三朗
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儒教の本質とおまんこ教

おまんこ教を深く考えるのに、意外なことですが、孔子の儒教を手がかりにすることができます。


後世の儒教は、とんでもなく「おまんこ教」から離れていってしまうのですが、孔子の儒教の時点ではまだ接点を保っていました。


もともと孔子以前の古代中国の習俗は、古代日本と通じるような性格を多く持っていました。

そういったもののほとんどは、西方や北方の遊牧民が侵入するにしたがって中国本土からは消滅し、南方の少数民族にかろうじて伝えられているようです。


孔子の儒教においては、「孝」の原理が重要視されます。

後世の儒教でも重要視はされるのですが、その内容が全然違うものになっています。


後世においては、「孝」は無原則に重要な規範であり、いかなる「親」に対しても「子」は必ず「孝養」を尽くすことが義務付けられました。

孔子の場合は、少し性格が違います。

「義務」ではなく「自然の情」であることが強調されます。

孔子は「不自然で無理のある道徳」を、人に強制するようなことを嫌っていました。


孔子は、父親が年取ってからの若い後妻の子供で、実質、父を知らずに育てられたと考えられます。

その分母親に対して、とても強い愛情を注がれて育ったのではないでしょうか。

親の深い愛情を受けることが、人倫の基礎であることを孔子は確信していました。

愛されたがゆえに、感謝を返すことを当然と思う、これが彼の道徳原則だと思います。


儒教における愛は、キリスト教の愛のように無原則に広く適用されるものではありません。

それは「不自然で無理がある」からです。

「愛され、愛し返す」具体的な人間関係の中に、意味を見出すのです。


儒教においては、妻は夫を立て支えることが求められます。

後世では、これが形式的に適用されて女性差別的になるのですが、孔子の意図は違うものだったでしょう。


夫は存分に妻に愛を与え、妻はその感謝の印として、夫の影の支えになることを選ぶのです。

夫は「おちんぽ様」として「おまんこ様」たる妻に、官能の深い深い歓びを与えます。

女の官能は、男よりもずっと深くて強いものであるだけに、そこで得た感謝のために、女は自らへりくだることを選ぶのです。

これを夫婦の「自然の情」とみなしたのが、孔子の儒教だったと思われるのです。


こうした親子の愛、夫婦の愛が、「家」を構成し、その家が集まって「社会」ができる、これが儒教の本来の世界観です。


後世、この愛情の部分が形式的な規範で置き換わるにつれて、家も社会も寒々しいものに変わっていきました。

現代日本が直面しているのもまさしくこの問題です。


おまんこ教の世界観は、「儒教本来」のものと同様の見方をします。

愛と和合が、人倫の基礎です。

規範や強制は不用なのです。


男と女には、まず官能の喜びを与えるべし。

これが「おまんこ教」の基礎教義です。

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