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Chapter 27 ヒロ エクスガーデン ネットワーク隔離地区

1



 陰気なイメージの地下排水路を抜け、唐突に開けた視界。ドーム状の広大な空間を照らす照明の強烈さに思わず目を細める。


 そして更に鼻を突く異臭。


 衛生状態が決して良くない限られた空間に、多くの人が集まり生活を行った場合に発生する独特の臭い。


 獣臭とは明らかに異なるヒト特有の咽返るような臭いに交じって、肉や魚もしくは植物などの食料が焦げる何とも言えない香りが漂う。無秩序この上ないヒトの生活臭。


 死霊達の施設内でまさかこの臭いを嗅ぐことになろうとは思いもよらなかった。心を満たして行く言いようの無い懐かしさを伴った安堵と共に、強烈な空腹感に襲われる。


 強い照明に目が慣れるにつれて飛び込んでくる光景に息を飲んだ。至る所に張られた大型テント。その先には見かけは良くないが、明らかに食料だと分かる物が陳列されている。


 その間を行きかうのは紛れもない『人』だった。それは比較的治安の良い集落に見受けられる市場の光景に酷似している。


「これは……」


『行き場がない奴と、ベルイードにとっての異端者の溜まり場。本サーバーの中の奴等には『スラム』って呼ばれてる。

 元々は食料を製造するためのプラントだったんだけどね。ベルイードのせいで、必用な原料が届かなくなったから殆ど稼働出来ずに閉鎖時状態。まぁ、それでも微生物や空気と水を原料に製造するタイプの機械がまだ使えてるから、みんなそれに頼りながら生活してる感じ』


 響生の肩の上で小さなサソリ、飯島が甲高い合成音を上げる。その姿は滑稽極まりなく、まるで子供の玩具の様である。


 それが、何処となく上から目線の語り口調で喋るものだから妙な腹立たしさを感じずにいられない。だが、それ以上に語られた内容に強い違和感を覚えた。


「食料……? お前達に食料が必要なのか?」


『エクスガーデンにはクローズド処置を受けた感染者もいるし、ニューロデバイスを導入してない者もいる。それに感染者やアクセス者の中には、物理エリアと理論エリアを頻繁に行き来する人もいるし…… まぁ、本サーバーの方では大幅に制限されてるけど。見たでしょ? 筋肉が異常に畏縮したアクセス者達を』


 粘性液体で満たされたカプセルの中に漂う骨と皮だけの様なアクセス者達が思い出される。それに湧き上がる激しい拒否感を伴った感情。


 それは自分の中にある死霊達の世界イメージそのものだ。死霊共はああやって肉体のある者をカプセル中に閉じ込め支配しているに違いないと思っていた。


 だが、飯島の言葉は『それが全て』では無い事を示唆している。


「それは普通なら自由に出入り出来るって事か? そもそもニューロデバイスを導入してねぇ奴なんかがいるのか?」


『中立エリアの多くは、確かにニューロデバイス導入と生活圏の殆どを理論エリアに移す事を受け入れの条件にしてるけど、ここは違ったんだ、親父が管理者だったころはね。このプラントは彼等の雇用を確保するうえでも役立ってた。小さいけど今より遥かに環境のいい居住区や商業地区だって物理エリアにあったんだよ。今は全部取り上げられて中央へ納入するための兵器プラントに成っちゃってるけど――』


 言葉を区切った飯島の声のトーンが僅かに落ちた気がした。心なしか目に宿る赤い光の光量すらも落ちた様に感じる。


『――で、唯一残ったのが食料製造プラントがあったこの区画、流石のベルイードも理論エリアに行けない市民がいる状況で、その全てを剥奪する事は法的にできなかったって訳。親父が議会に働きかけたのもあるだろうけど。


 ニューロデバイスを持たない人達やクローズド処置を受けた人達にとっては、外の状況を考えればエクスガーデンから出る訳にも行かず、理論エリアにも入る術がない。彼等の居場所は此処しかなかったて訳。それがその内、ベルイードのやり方が嫌いな奴等が、勝手に集まってきて掃き溜めを形成してる感じだよね』


「はみ出し者…… そんな奴等がいるのか? お前らの世界に……」


『色んな人がいて当然でしょう? 俺っち達を何だと思ってるの?』


「そりゃそうかも知れねぇけど…… 淘汰されないのか」

『もちろん半端ない圧力は掛かってるよ。嫌がらせのような処置もあるし。このエリアはネットワークから隔離されてるしね。でも淘汰するなんて無理。そんな事が出来るならフロンティアはとっくに現実世界を完全支配してると思わない?』


 その言葉に思わず唇を噛みしめる。『死霊達の世界がどういったものなのか』その一部が分かった気がした。同時に彼等を理解する事への強烈な拒否感に襲われる。


 止まってしまった会話に妙な気まずさを感じ、それをごまかす様に足を進めようとして、橘に制止させられた。


「お待ちください。これより先はこれを付けて頂いた方が良いかと」


 手渡されたゴーグルの様な何か。だがそれがただのゴーグルでは無い事が見て取れる。フレームの一部が発光し、レンズに至っては、微細な指向性発光素子の集合体が埋め込まれ、それが何かを映し出していた。


「なんだこれ?」

「この先は小型独立サーバーによって物理エリアに理論エリアが重なる拡張空間が構築されています。理論領域に存在する彼等を貴方が認識するためのツールだとお考え下さい。くれぐれも『彼等』を無視した行動を取らない様にお願いいたします」


 常に張り付いた様な笑みを浮かべる橘。その表情は仮面のようであり強烈な違和感を伴う。それ以上に『人の姿をした別の何か』だと彼を認識してしまうが故に、激しい拒否感を伴う感情に支配される。生理的に受け付けないと言うのは正しくこのことなのだろう。何故か彼に比べれば、人の容姿ですらない飯島の方が人らしく感じてしまう。


 それが気になる上に、言葉の組み合わせが複雑すぎて彼が言った事が殆ど頭に入ってこない。


「言ってる事が全く分からねぇよ」


 端的に答えると、空かさず小さなサソリが声を上げた。


『ここから先は今の君が肉眼で見える人達だけが生活してるんじゃないって事。君がそれを付けずに動き回れば、現実には存在しない彼等の身体を突き抜けたりするでしょ? それは彼等からしたら気分のいい物じゃないって事。取りあえず付けて見れば分かるよ』


 得体の知れない『それ』を訝し気に見つめ、恐る恐る目の高さまで上げる。そしてどうにか付ける事をせずに、覗き込むようにしてゴーグルの向こう側の世界を見ようと試みる。


『あのさ、発光素子の焦点距離ってものが有るんだから、ちゃんと付けないと機能しないよ。目を焼く様な装置とかついて無いから安心して。フレームについてるイヤホンもちゃんと填める事』


「きっとそれを付けたら貴方にも私が見てる景色と同じものが見えるんよ」


 静かにそう言った伊織。それに否応なく頷くしかなかった。


 意を決してそれを付けた瞬間、目の前に広がる景色が激変する。


 ドーム状の天井は姿を消し、抜けるような青さを宿した空へと変わる。飾り気のないテントは煌びやかな装飾が施されたものへ変化し、空中には様々な情報を表示したウィンドウが、まるで風に流されるかの如く漂いながら移動して行く。


 まばらだった人影にいたっては倍以上になっていた。 


 直ぐ目の前に出現した街路樹。見たことも無いその広葉樹に垂れ下がる赤々とした果実に思わず手を伸ばす。


 リアルなんてものじゃない。そこからは生命感すら伝わってくるのだ。が、その果実に触れる刹那、手が空を切ってしまう。


「君には触れられないんだよ。ニューロデバイスを導入して五感全てを繋げば触れられるけどね」


 響生の肩から街路樹へと飛びうつった小さなサソリが、手に従えたハサミで果実を切り離し、摘み上げた。


 次の瞬間、小さな身体が光の粒子を纏い急激に肥大化し、見る間に人の姿を形成する。光量が減るにしたがって明らかになる容姿。


 アメジストを思わせる紫色の瞳が意味深な笑みを宿して此方を見つめていた。何よりも目に付くのは奇怪な髪型だ。銀色の髪がまるで内部に骨を宿しているかのように針状に逆立っているのだ。まるで旧時代のゲームか何かのキャラクターである。


 手にした果実をまるで見せつけるかの如く、頬張って見せた飯島。そして更に二つの果実を街路樹からもぎ取り、その一つを伊織へと差し出す。


 ぎこちない動作でそれを受取った伊織が、『どうしたら良いか分からない』と言いたげに此方に視線を送って来た。


「この木になってる果実は常に食べごろなんだ」


 その飯島の言葉に更に伊織が困惑した表情を浮かべる。


「好きにしろ」


 短く答えると、伊織は恐る恐るそれを口へと運んだ。その瞬間、見開かれた彼女の瞳。


「お、おいしい…… 久しぶりやわ…… こんな美味しい物食べたんは……」


 震える声と共に瞳に大粒の涙が溜まり始める。伊織の表情に湧き上がる表現しようのない感情。伊織は自分と地上を彷徨ったこの半年間、アンプル菅に納められた液体しか口にしていないのだ。


 残ったもう一つの果実を此方へと放った飯島。放物線を描き飛んでくるそれに思わず手を出すが、それは手の平に一切干渉することなく幻の様に通り抜け、地で無残な姿となってしまう。


 感じた言いようの無い腹立たしさに飯島を睨み付ける。


 が、それを受けた飯島は全くの予想外な表情をした。その瞳が強い憂いを宿して、此方から集落へと向けられる。


「これが今の限界であると同時にシステムの重大な欠陥だよ。本当はニューロデバイスを導入してない人にも、ワイアレスで五感にフル干渉するようなシステムが構築できれば良いんだろうけど…… 響生もそう思うでしょう?」


 響生が思案気に手を顎に当てた。 


「なぁ…… なんかディズィールにそんなような装置が積まれてなかったか? 確か『希望』とか呼ばれてたような……」


 その瞬間、興奮気味に目を見開いた飯島が響生へと詰め寄る。


「なにそれ! 秘密兵器か何か? 俺っちは知らないよ!? ていうか技術的にそんな事が可能なの? どんな仕組み!?」


 あまりの勢いに目に見えて響生が顔を引きつらせる。


「いや、俺は良く分からないけど…… 俺の勘違いかもな」

「んだよぉ」


 明らかに落胆した表情をし飯島が肩を落とす。その姿勢までもがぐったりと項垂れた。まるで玩具を取り上げられた子供である。


 響生と飯島のやり取りに嫉妬めいた感情が湧き上がるのが分かる。響生は自分の知らない所で、新たな人間関係を既に構築していると言う事実を今更ながらに再認識してしまう。


 集落へと再び目を移す。そこには慣れ親しんだ『人』の営みがそのまま存在していた。


「これが、お前達の世界……」


 無意識に漏れた言葉。


「うーん、一部ではあるけど、ここはかなり偏ってるしフロンティアの縮図とは言い難いんじゃない?」


 否定的な飯島の言葉ではあったが、自分が意図していたのはそう言う事では無い。


「お前らは仮想世界で人の姿で生活してるのか……」


 その言葉に飯島どころか響生までも目を見開いた。


「当たり前でしょう? どんな姿をしてると思ってたのさ」

「何となく形の無い思考体と言うか、得体の知れねぇ世界を想像してたと言うか」


 響生が大きく首を横に振り瞳を閉じる。飯島は明らかに瞳に苛立ちを浮かべた。


「あのさ、そんな事したら余程の精神力がある人でも、直ぐに壊れちゃうよ? 想像して分からない? 身体も無く、感覚も無い状態で意識だけがあるってのがどんなに怖い事か。本当に俺っち達を何だと思ってるの?」

「文字通り得体の知れねぇ奴等だと思ってたよ。というよりそれは今でも変わらねぇ。ましてお前達は伊織や響生の様な生体からのトレースじゃねぇ。大半はコンピューターの中で発生してるって言うじゃねぇか。俺にとっては、いや現実世界の殆どの奴にとっては『得体の知れねぇもんが大量に自己増殖して、終いには俺達の世界を壊しちまった』そう感じているに違げぇねぇ」


 飯島の顔が憤怒を宿して激しく歪んだ。


「すっんごい言いよう! 君は歴史を正しく学んだ方がいい!」


 遂に荒立った語気。だが、その言葉に激しい怒りが自分の中にも湧き上がる。


「歴史を学ぶだぁ? それに必要な場所も環境も全て奪っておいて良くも言えたな。


 大体お前等が俺達の前に姿を現す時は、常に鋼鉄の化け物じゃねぇか。それ以外の姿を俺は今まで見た事がねぇ。


 現実世界にニューロデバイスを導入した奴が、どれくらいいると思ってる!? 殆どの奴がそんなもん持ってねぇし、興味もねぇ。そんな俺等の前に、お前らが『人の姿』で現れた事が一度でもあったか!? 殺戮以外を目的に姿を現したことが一度でもあったか!? それでも俺等がお前らを『化け物』と認識するのが間違ってるって言うのか!? あぁ?


 俺にとって唯一の例外が響生と伊織だ。けどよ、こいつ等は俺が幼い時から知ってる。伊織に至ってはついこの前まで、普通に一緒に行動してたんだ。こいつらは俺にとっては死霊じゃねぇ。お前たちの世界で生きていてもな」


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