Chapter 23 『女王の器(前編)』 2時間前 ディズィール・特別閉鎖領域
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「民間のチャンネルを使います。航行中の輸送艇のレーダー情報や、ローカル管制システムの情報が使えるかもしれません」
その提案に頷くことで答えたザイール。それを受けて数人のオペレーターが慌ただしくウィンドウを操作し始める。
やがて閉鎖領域内に復帰するウィンドウ。本来の十数分の一にも満たない情報ではあるが、先までの状況よりは遥かにましだった。閉鎖領域内に広がる僅かな安堵。
が、次の瞬間それは、一人のオペレーターが上げた悲鳴のような声によって完全に覆ってしまう。
「情報流入量、異常増大! これは!? 外部からのハッキングを受けています!」
閉鎖領域内に次々と開いて行く警告ウィンドウ。その表示内容の重大さに、オペレーター達の顔から血の気が引けて行く。
「情報セキュリティーが!? こんなにも簡単に…… いったい何故!?」
「電子戦部隊は何をやっているんだ!?」
閉鎖領域内に響き渡る罵声。その混乱しきった様子にザイールが立ち上がる。
「何をやっている! 回線を直ちに封鎖しろ!」
その指示にオペレーターが裏返った叫び声を返した。
「もうやってます! ですが閉じないんです!」
「なら、閉鎖領域のタイムレートを最大値まで引き上げて対応しろ!」
空かさず出されたザイールの指示。
「駄目です! タイムレート! 上がりません!」
その悲鳴にも似た声で発せられた言葉に、空間を絶望的なまでの空気が支配する。
「それって既に、システム深部まで掌握されてるって事じゃ…… 馬鹿な…… こんな短時間で……」
空間に浮かぶ全てのウィンドウに走り抜ける激しいノイズ。その全てが侵食を受けたかのように不気味に黒く染まっていく。
やがて映し出された映像。それは西洋人の男だった。黒一色の背景に浮かび上がる男の姿は、整い過ぎていて何処か作り物めいて見える。
僅かに俯く様な姿勢で閉じられていた瞳が不気味な光を宿してゆっくり開かれようとしていた。
「……荒木……」
オペレーター達が事態の対処をも忘れ、生唾を飲みウィンドウを見つめる中、ザイールが唇を噛みしめ掠れた声を漏らす。
『やぁ…… 久しぶりだね。会いたかったよ。うん、本当に会いたかった』
閉鎖領域内に響き渡った場違いな言葉。まるでウィンドウ越しに全てを見透かすが如く、真っすぐに此方へと向けられた青い瞳には、得体の知れない感情が宿る。
『――君達は今、自分達のシステムを破られた事に大きな憤りを感じてるね? うん感じてるはずだ。うん、間違いない。いったい何故、もしくはどうやって…… 色々な疑問が頭を占領しているね? きっと良い表情をしているに違いない。うん、そうに違いない……』
生理的に受け付けない独特の口調。それでも尚、殆どの者がウィンドウから思考を逸らす事が出来ない。
――こうなってしまったからには仕方がない。この状況を利用して接続元を割り出せ――
思考伝達に乗って飛んだザイールの指示に、オペレーターが我に返り作業をし出す。
『それには及ばない。うん、意味が無いんだ。僕の居場所を知る事は無意味だ。うん、間違いない』
明らかに思考伝達に反応した荒木の言葉にオペレーター達が顔を引きつらせ、ザイールを振り返った。
――奴の言葉に惑わされるな。続けろ――
ウィンドウを睨むように見つめ、細い指を顎に当てたザイール。
『無駄だと、言ったはずだよね? うん、今言ったばかりだ。それを今から証明しよう』
ウィンドウの中で、荒木の後ろに光の粒子が集まり二つのオブジェクトを形成する。内一つは十歳にも満たない幼い少女だった。車椅子に座ったその少女の容姿は控えめに言っても、何処か現実離れしていて美しい。
だが、ウェーブの掛かった長い金色の髪は全く整えられておらず、目は虚ろに開き何処を見ているのかすら分からない。僅かに開かれた口の隅から唾液が止めどなく流れ落ちていた。
その居た堪れない姿に、オペレーター達の数人が眉を顰める。
「メル……」
アイから掠れた声が漏れた。
『君達もメルは知っているよね? そのユニークな能力についても。うん、間違いない。それに対する対策も一応はとってあるようだ。メルの能力については限定的だからね。全てを読み解いてしまうが、それだけだ。うん、それだけなんだ。インプットに対して決まったアウトプットをするだけの存在。うん、機械だね。だから機械的な対処が可能だ。うん、可能なんだ。けどね――』
ウィンドウの中で荒木の口元が歪な笑みを浮かべた。
『メルと君達が良く知る者が持つ『能力』を組み合わせると、実に面白い事が出来るのは気付いたかい? 彼女とメルは相性がいい。うん、確かに葛城愛が持っていた能力とメルは愛称が良いんだ。ほら、だからこんなことだって出来る。サミア』
荒木に呼ばれ、黒髪の少女が顔を上げる。彫りの深い顔立ちに褐色の肌が特徴的な少女。赤を基調とした裾の長い衣服は時代錯誤も甚だしく、神話時代の登場人物を思い起こさせる。
響生が追う捕獲対象アーシャに瓜二つ。が、その瞳に宿る感情の強さがアーシャと比較にならない程強い。
少女が一歩前に歩み出た。次の瞬間、褐色の肌に浮かび上がった光の波紋。トランス状態の艦長アイに起きる現象と同現象がウィンドウ内で起こった事に、オペレーター達が愕然と目を見開く。
光の波紋を辿り、サミアから流れ出た光の帯が漆黒の空間を伝って行く。そして車椅子に座る少女に絡みつく様に包み込んだ。
その瞬間、身体を震わせ瞳を大きく開いた幼い少女。だが、やがてその瞳がサミアと全く同じ意思を宿して細められる。少女が車椅子から立ち上がった。
その視線の先に浮かび上がる空間を埋め尽くすが如き多量の量子キュービットコードの羅列。それが凄まじい速度で組み変えられて行く。ウィンドウに再び走り抜けた激しいノイズ。不鮮明な映像の中で荒木が再び口を開く。
が、それは
『ところで――』
と言う言葉を残してウィンドウごと消失してしまう。
唐突に訪れた静寂。だが、異変は戦慄する程の現象を伴って直ぐに襲って来た。
「――君達が連れて行った方のメルは元気かね? あの子は自分のコードを書き換えてしまったんじゃないのかい? うん、間違いない。僕もそれで幾つものバックアップを無駄にしているからね」
耳元で囁かれたかの如く閉鎖領域内に直接響き渡った声に、若い女性のオペレーターが遂に悲鳴を上げる。
それと同時に出現する夥しい量の光の粒子。
「……まさか…… そんな事が……」
男性オペレーターが掠れた声で発した言葉をあざ笑うかの様に、粒子密度は瞬く間に増す。形成される招かれざるオブジェクト群。
あり得ない数々の現象を見せつけられ、更に絶対に有ってはならないことが起きようとしていた。
そのあまりの拒否感にオペレーター達が身体を震わせる。
閉鎖領域の中央で光を失い、遂に形成を終えたオブジェクトが口元に卑屈な笑みを宿して静かに目を開く。
それだけで、閉鎖領域を統べる空間法則の何かが変わってしまったかの如き感覚に襲われる。
「驚いてるね。うん、言葉が出ないくらい驚いてる。自信や優越感が喪失した瞬間とでも言うのかな? 信じていた物が覆ったと言った感じだね。良い表情だ。うん、本当に良い表情だよ。僕は人のそういう顔を見るのが大好きだ……」