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Chapter 13 『エクスガーデン』 ヒロ

1



 見上げた壁は絶望的なまでに高く、それだけで近づく者を圧倒する。自分がつい最近まで戦ってきた相手がどれほど強大だったのかを改めて知った気がした。


 こんな物を作り上げる敵とまともにやり合って勝てるはずが無い。 


 だからこそ中立エリアを落とすとなれば、体内に爆弾を抱えて移住希望者を装うしかなかった。


 自分達のような存在が死霊共の施設に足を向ける時、それは死にに行く時だ。


 これが現状最も死霊達に打撃を与え、他の方法が追従できない程の確率で中立地帯を落とすことが出来る方法なのだから。


 吹き荒む激しい風の音に交じり、微かに聞こえた異音。それに猛烈に嫌な予感がして音のした方を注視する。だが、猛吹雪のために殆ど意味を成さない。


 微かにしか聞こえなかったはずの異音は直ぐに爆音と言えるほどの音量になり、聞き慣れた『その音』が何であるかを認識する。


 ホワイトアウトした視界でもハッキリと分かるほどの強い光を放つ物体。それが轟音を放ちながら凄まじい勢いで此方へと迫る。


――誘導弾!?――


 それも一つや二つではない、現時点で見えるだけでも4つは見える。


「馬鹿やろうが!」


 思わず上がった叫び声。それと同時に無意識に身体が反応した。万が一に備えて伊織に覆い被さるべく走り出す。


 だが次の瞬間、上空から物理的に押しつぶされるようなプレッシャーに襲われ、大きくバランスを崩してしまう。とっさの判断で仰向けに倒れる事で顔が雪に埋もれる事だけは回避した。


 視界の先ので中立エリアから放たれた集積光が、白一色に染まる空間を赤く切り裂いていく。あまりの高エネルギーが通過したために、瞬間的に膨張した大気が衝撃波となって地上に叩き付けられた。落雷の如き轟音が轟き、空気がビリビリと震える。


 視界の片隅で何かが異常な程の強い光を上げた。僅かに遅れて、地響きと共に耳を劈く様な爆発音が響き渡る。


 立ち上る爆炎を突き抜け、さらに2機の誘導弾が迫る。激しい光を放つ推進排気の尾を従えた『それ』が自身の上を通過し、中立エリアの壁を超える刹那、目の前の広がった光景に目を疑う。


 巨大な壁の上に、いつの間にか大量の『パネル』が出現しているのだ。それが、誘導弾の行く手を阻むかのように空中で新たな壁を形成していた。


――な!?――


 自身の真上で常識を一脱した物体に炸裂し、巨大な火球を形成した誘導弾。大量の破片が破壊的な速度でばらまかれる寸前、何かが自分の視界を覆った。


 その直後に襲った凄まじいまでの衝撃。自分に何が起きたのか分かると同時に、強烈な不安に襲われる。


「伊織!」


 上に覆い被さっていた伊織が僅かに顔を上げた。その瞳が細められる。


「こんな身体でも、役に立つことが有るんやね……」


 伊織の顔に浮かんだ悲し気な笑みが胸に突き刺さる。その痛みから逃れるように彼女から視線を逸らした。


 伊織が立ち上がる。それと同時に滴り落ちた鮮血が雪を赤く染めた。彼女の背に突き刺さった大量の破片。それはあまりに痛々しく、酷い有様だった。


 破片を受けたのが彼女でなかったなら、間違いなく死んでいただろう。その事実が強い痛みを伴って胸を抉る。


「すまない……」

「ええんや。どちらにしても、この身体はもう持たへんし……」


 振り返らずにそう答えた伊織。そして静かに聳え立つ壁を伝うようにして上を見上げた。その視線の先で、2機のネメシスが独特の動力音を響かせ飛び立って行く。


 垂直上昇から水平飛行に移った瞬間に迸る衝撃波。息もつく間もなく白一色に染まる空間に消えて行く。殆ど加速と同時の音速突破。


 遥か彼方に赤熱した装甲が放つ特徴的な光が浮かび上がり、再び消えた。ここを襲った誘導弾を遥かに超える速度で出撃したネメシスに絶望にも似た気持ちに襲われる。


 攻撃を行った実行部隊は十数秒と立たず壊滅し、参加した者は命を落とすだろう。


「化け物がっ……」


 無意識に雪に叩き付けた拳。


「――こんな事いくら続けたって、勝てるはずがねぇ…… クソっ!」


 高価で希少性の高い自走車両式の速射砲やロケット弾を用いた遠距離攻撃は、死霊達に対して嫌がらせ程度の効果しかない。


 それを承知の上で無意味な攻撃を繰り返すのは、視覚的に派手な戦闘を行う事で活動エリアの住民へのアピールを狙ったものでしかなかった。


 最悪な任務だ。組織としてのメンツを保つためだけに行われる『それ』の実行部隊は高確率で命を落とすのだから。


「一体何時まで…… 一体幾つのサーバーを落とせば、あいつらは出て行く!? 後何人殺せば、死霊共は此処からいなくなるんだ! 俺達は何時まで耐えれば……」


 感情を叩き付けるかの如く吐き出された言葉。伊織が静かに此方へと向き直る。


「きっと、彼等は出ていかへん。例え全てのサーバーが落とされようとも。仮に一時的に此処を離れたとしても、必ず戻ってくる……」


 強い憂いを伴った声が、静かに紡ぎ出される。


「――侵略者は侵略に『割りに合わない被害』が出れば、その地を離れていくもの。それは歴史が証明してる。


 でも、彼等は違うんや。私自身が死霊になって、彼等の世界を見て分かったんよ。


 私たちにとって彼等は侵略者でも、彼等はそう思ってへん。彼等からしたら、追われた地に戻って来ただけや。ここは彼等にとって故郷。執着があるんよ。


 だからこんな事いつまで続けたって無駄や。聖地を巡る戦争の様に互いに引くことは絶対にあらへん。双方の憎しみだけが、どうしようもない程に膨れ上がっていくだけや」


 言葉の最後で、視線を再び中立エリアに向けた伊織。強い憂いを宿した瞳が閉じられる。


「なら、どうしたら……


 クソッ、信じてた。いつかこの地を死霊共から取り戻して、みんなで笑える日がまたくるって。なのによ…… お前まで死霊になっちまって…… これじゃぁよ……」


 握りしめた拳が、どうしようもない程に震える。抑える術の無い行き場をなくした感情が、自身の中でのたうち回っていた。


 震える手に伊織のそれが重ねられる。死霊と化して尚も感じる彼女の体温。それがより強い痛みとなって広がる。


「行こう……」


 彼女に手を引かれ、ヨロヨロと立ち上がる。


 空中で何かを描くように動いた伊織の指先。それに呼応するかの如く聳え立つ壁に設けられた巨大な扉が、重々しい音と共に開いて行く。



2


 


「この街…… いや、そもそもこれは街なのか……」


 巨大な壁の内側に広がる光景に愕然と呟く。


 目に映る全てが異様だった。


 犇めき合う見上げるような構造物群。その間を無数の奇怪な形をした浮遊物が無音で飛びかう。


 構造物の谷間に出来た僅かな空間は、そこが通路なのかどうかも怪しく、雪が降り積もり手入れをされた形跡が全くない。人の気配が皆無なのだ。


 辺りは異様な程の静寂に包まれ、生命感の一切を感じさせない。それはあまりに冷たく寂しい空間だった。


「管理自治区とはえらい違いやね……」

「そうだな。けど、あそこはあそこで真面じゃねぇ。どいつもこいつも、死霊共をまるで神のように崇めやがって」


 フィードバックする管理自治区を訪れた時の記憶。確かにあそこは今の世の中では考えられない程に治安が良く清潔感に溢れた街だった。そして生きるために必要な全てがそろっている。いや、そろい過ぎているのだ。


 だからなのだろう。そこに生きる『人』は決して捨ててはならない『何か』を捨ててしまっていると感じる。


「そうやね。みんな怯えてた。あそこには彼等のサーバーすらも置かれて無いと言うのに……」

「上空に死霊共の巨大戦艦が常駐してりゃ怯えもする」


 吐き捨てるように出た言葉。


「でも、それが無ければ自治区の治安は維持出来へん」

「だからだろうよ。あそこの連中は何でもかんでも、死霊共の施しに頼り切っちまってるから、そうなるんだ。自分で考える事を止めちまってる。

 それにあそこに一度住み着いちまったら、外の世界じゃ誰も受け入れちゃくんねぇ。結局奴等も死霊側に付いた裏切り者と同じ扱いだ。奴等もそれを解ってるんだろうよ。だから馬鹿みてぇに死霊共を崇めるんだ。追い出されねぇように。

 死霊共からしたら理想の実効支配モデルだろうよ。あれを足掛かりに、俺達を支配しようとしてるに違げぇねぇ。クソがっ!」


 自分が声を荒らげた事で、黙り込んでしまった伊織。強い憂いを宿した瞳に見つめられ、耐えきれずに視線を逸らす。


 伊織は再び歩き出した。その背中は大量の破片が突き刺さった事で、流れ出た血で赤く染まり、見るに堪えない。彼女が一歩進む度に、別れの時が迫っている事実を認識せずにはいられなかった。



3




 構造物の中に入った事で、凍てつく様な寒さから解放される。適温とまではいかないが、外よりは遥かにましだった。


 ほっとしたところで、今までの疲れが一気に押し寄せる。止まってしまった歩み。そしてそのまま金属製の壁を背に崩れ落ちる。


「少し、休憩せんとやね」


 言いながら、自分の隣に腰を下ろした伊織。


「背中、見せて見ろ。大した処置は出来ねぇけど」

「うん……」


 改めて見た伊織の背中。酷い有様だった。皮膚の奥深くまで食い込んだ破片。それを一つずつ抜いていく。


 破片を抜いた後の出血量は驚くほどに少ない。生身の肉体に比べて遥かに少ない量の血液で、生態部を維持しているのだろう。


 無残に裂けてしまった皮膚を縫合する術はない。自分が持っている物は僅かな食料と、ハンドガンにナイフだけだ。


 凄まじい死臭を放つ毛皮を脱ぎ、その下に着込んだインナーを乱暴に引き裂く。こんな物で傷口を覆うしか手段が無い自分に、強い怒りを感じずにはいられない。


「十分や…… ありがとう」


 こちらの気持が伝わってしまったのだろう。伊織はそう言うとやや大げさな笑顔を見せた。


 それに黙って頷く事で応える。


 伊織は再び自分の隣で、壁を背に座るとボロボロのバックから唯一の所持品を取り出した。手に収まる程度の大きさのアンプル菅。それはフロンティアを彼女が去る時、大量にもらったものだと言う。けど、それも彼女が今もっているのが最後の一つだ。


 伊織はアンプル菅の栓を折ると静かにそれに口を付けた。彼女が『それ』以外を口にすることは決してない。


 その行動に促される様にして、自分も酷い匂いのする干し肉を取り出し齧りつく。その瞬間口の中に広がった味に、思わずむせ返った。


 大型草食獣の毛皮を剥ぎ取ると同時に、手に入った食料の一部を干しておいたのだが、我ながら酷い味だった。


 それでも、無いよりマシだ。口に何かを含む行為は、それだけで気持ちを落ち着かせる。


「ダイブ施設までは?」


 その問いに、何もない空間から何かを読み取る様に視線を動かした伊織。


「まだ、結構距離がある」

「そこに行けば本当に、お前は助かるんだな?」

「うん。けど……」


 言葉を途中で止めてしまった伊織。そしてそのまま黙りこんでしまう。


 伊織がダイブ施設に着けば、自分達の関係はそこで終わる。そしてこれからは、別々の世界で生きて行くのだ。


「……行くところはあるん?」


 暫くして唐突に口を開いた伊織。


「分かり切った事を訊くな。当てなんかねぇよ」

「そう……やね」


 再び訪れた静寂。伊織を失った後の事など考えたくも無い。まして伊織が死霊共の世界に渡ってしまえば、自分は『生きる意味』とも言うべき敵を失うのだ。伊織が生きる世界を相手に戦う事など出来るはずがない。


「……けど、どうとでもなる。とりあえず新しい女でも見つけて、上手くやるさ。大分やれてねぇしな」


 無理矢理に紡いだ言葉に伊織が頬を膨らませて此方を見上げた。


「随分と意地悪な事、言うんやね?」

「俺らしいだろ?」


 口元に浮かべた強引な笑み。


「そやね」


 わざとらしく乾いた声でそう返した伊織。その口元にも笑みが浮かぶ。


「響生に会ったら言ってやれ。管理自治区、『あれじゃ駄目だ』ってな。それと、あいつが俺の事を気にしてるようなら、『ほっといてくれ』って言ってたと」

「ヒロ……」

「もう、ゲリラに戻るようなことはしねぇよ。正直うんざりだ、これ以上死霊共と関わるのは。さっきも言った様に、適当に女作って何処かの山奥にでも引っ込んでのんびりやるさ。だからお前ぇも気にすんな」


 瞳を大きく見開き、指の裏を眼の縁に当てた伊織。涙が流れなくとも、それを拭う身体に染み付いた仕草だけが残ってしまっている。


「ごめんね……」


 そう言った伊織の表情は殊更に寂し気に見え、この上なく愛おしく感じた。


 無意識に伊織の頬へと伸ばされかけた手。それを強引に引っ込め、ポケットへと突っ込む。そして意識して立ち上がった。


 声を絞り出そうとする喉の震えが止まらない。それを強引に鎮めるべく瞳を閉じる。


「行くぞ」

「うん……」


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