Chapter 11 『出撃』 アイ ディズィール理論エリア・特別閉鎖領域
1
「α隊β隊展開完了。出現予測ポイントに現時点で艦影なし」
特別閉鎖領域に360度にわたって再現された大海原。人の心に何かを訴え掛けるかの如く、深く美しい青一色の世界が何処までも広がる。穏やかな波を湛えた水面が赤道付近特有の強い日差しを浴び、眩いばかりの光の波紋を作り出していた。
その幻想郷の様な光景とは裏腹に、特別閉鎖領域の空気は張り詰め、異様な緊張感が漂う。
空間に浮かぶウィンドウは通常よりも明らかに多い。アイはその中で一際大きく展開されたマップを静かに見つめていた。
マップ上に配置された百近い光点は、対艦自動殲滅ユニット『リバイアス』を含めた自軍の展開位置を示すものだ。
以前はこの空間に浮かぶ全てのウィンドウが示す一切の意味が分からず、長らく苦しんでいた。それが今は嘘のように情報が頭に滑り込んでくる。
多量の情報と共にフィードバックされ続ける『何時経験したのかも分からない記憶』は、あまりに鮮明であり、自身を混乱させる。
それが『自分の経験では無い』事実を意識して処理しなければ、自身が何者であるかも分からなくなってしまいそうだった。
おかげで大半の集中力を作戦の遂行より、自己の維持に向けなければならない。擦り減っていく精神力。
それでも、今の自分はこれに頼るしかない。
アイは瞳を閉じ、大きく深呼吸すると静かに口を開いた。
「リバイアスの展開位置の修正を―― この位置です。それと最前部に展開するネメシスの内、No13,15,18,24ランナーをゴーストと入れ替えてください」
突然のアイの指示に動揺したオペレーター達が、確認するかのようにザイールに視線を向ける。ザイールは僅かに目を細め、それに頷いた。
それを受けてオペレーター達が自身のウィンドウに向き直る。
「了解。リバイアスの展開位置を修正。No13,15,18,24ランナーをゴーストと入れ替えます」
「衛星の索敵波をこのエリアに集中させてください」
さらに続いた指示に、オペレーター達は先より強い動揺を浮かべた。それを代弁するかの様にザイールが口を開く。
「艦長、それでは他のエリアに対象が出現した場合、我等は敵を見失います」
「分かっています。ですがそれで良いのです」
その発言に他のオペレーター達までも振り返る。
「――このエリア以外で対象が出現した場合、今回は見送るべきだと私は考えます」
「ですが」
「私はクルー全ての命を預かっています。このエリア以外での戦闘は私達に不利です」
まるで言葉を遮る様に重ねられた声に、ザイールは僅かに片眉を上げた。
「不利? 我等は40機以上のネメシスと60機を超えるリバイアスをこの作戦に投入しています。それでもですか?」
静かに発せられた声は強い威圧感を伴い、返答を間違えば逆鱗に触れることを意味している。
「嫌な予感がするのです」
あまりの根拠に欠ける発言にザイールの表情が目に見えて険しさを増した。
オペレーターにも話せない極秘情報を持っている事実が、発言の自由度を極端に制限している状態では、これ以上口頭で話せない。仕方なく思考伝達に切り替える。
――相手はあの荒木なのでしょう? 彼は先の事件でこのディズィールの艦載機の半数を掌握しようとしていました。それも『あえて半数』です。美玲の報告からは彼がその気になれば艦載機の全てを掌握することも可能である事がうかがえます――
――ネメシスの『乗っ取り』に対する対処は既に行っていますが――
――私はそれでも安心できません――
思わず出てしまった言葉。それが全くの根拠のない感情論である事に気付く。これではザイールを説得することはできないだろう。
ザイールが静かに此方を見下ろし、瞳を閉じた。
――それは私も同じです。ですが我等が何もせず奴を見逃した場合、元老院への釈明はどうするのです?――
――恐らく元老院は『私』が下した判断なら文句を言えないでしょう。違いますか?――
ザイールが目を見開いた。その眉間に深い皺が刻まれる。
訪れた間が、表現のしようの無い緊張を誘う。
――皆が不安がっています――
やがて頭に響き渡ったザイールの声は低く僅かに掠れていた。
――不安…… ですか?――
唐突に話題が変わった事に戸惑いを感じつつも、ザイールの瞳をまっすぐと見返す。
――艦長のここ最近の成長の速さにです。先ほどの展開位置の修正、見事でした。敵の特性や地形を考慮し、何よりランナーの命を最優先に考えた配置。しかもそれは教科書通りではない…… そのような判断を行う術を艦長はいつどのようにして、手に入れたのです?――
いつかされるであろうと思っていた質問。それが遂にされた事に瞳が自然と落ちる。
――言えません。誰にも言えないのです――
そう言う契約なのだから。
変える事の出来ない結論だけが、絞り出される様にして思考伝達に乗った。ザイールは納得してはくれないだろう。
――それは分かっています――
――……え?――
返って来た全く予想外の返答に、驚きと共にザイールを見上げる。そして自身を見下ろすザイールの瞳に強い憂いが宿っている事を知った。
――私には艦長とこの艦の間で何が起きているのか大方予想がついているのです――
――そう…… なのですか?――
静かに瞳を閉じたザイール。その眉間には尚も深い皺が刻まれたままだ。
――私が言いたいのは、出過ぎた『能力』はそれを理解できない者に無用な不安をあたえてしまうと言う事です。それに、その『能力』は『貴方自身の寿命を削る事で成り立っている』と理解していますか?――
言葉の最後で開かれたザイールの瞳。此方の表情から漏れる感情の全てを汲取るが如き視線が向けられる。
――分かっています――
――ならばもう一つ。このまま続ければ艦長は『希望』と名付けられた『艦の意思』に飲み込まれてしまうかもしれません――
――それも分かっています。でも…… それが貴方達の望みなのでしょう? 私は女王の『器』ですから――
言った瞬間、再びザイールの瞳が大きく見開かれた。その表情は普段の彼女から想像もつかない程に驚愕が有々と浮かぶ。
――知って…… いたのですか……――
――先の事件でこの船に高深度リンクを果たした時、全てを知りました――
その言葉を聞いたザイールはまるで何かに耐えるかの様に瞳を閉じると静かに息を吐いた。
――どうやら私にはこれ以上言える事はないようですね。艦長…… 貴方は強くなられた……
貴方がそれを承知の上で元老院の描いた筋書きに乗ると言うのであれば、私の罪悪感も少しは軽減されると言うものです――
再び開かれた瞳からは一切の感情が読み取れない。そこには出会った時、彼女に抱いた印象を象徴するかの如き冷たく鋭い輝きが浮かぶ。それに感じた不安。
――ザイール。貴方は私の味方ですか?――
ザイールの瞳が此方から、ウィンドウ群が並ぶ正面へと戻される。
――私は貴方の知る通りの冷酷な人間です。先の大戦では艦隊の指揮を取り、現実世界を再起不能なまでに叩きのめしました。私の中にあるのは、あの時も今も同じです。『全ては我等がフロンティアの為に』 ……それだけです――
2
「目標エリア内に量子場確認、例の暗号通信です!」
「対象捕捉。座標位置、―0.60116052/125.35664052。深度73.44」
マップに浮かび上がる捕獲対象を示す赤い光点。閉鎖領域内が一気に慌ただしくなる。
「接続先の解析を急げ。同時に強襲射出ユニットの電磁投射準備を。いつでも射出できる状態へしておけ」
間髪入れずに閉鎖領域内に響き渡ったザイールの声に更に緊張感が増した。
「了解。二宮軍曹の意識を強襲射出ユニット上の義体に転送します」
――響生――
思わず心の中で呼んでしまった名前。それにシテステムが干渉し、意図していない思考伝達が行われてしまう。どんなに、それらしく振舞おうともこの癖だけがどうしても消えない。事あるごとに行われてしまう響生への思考伝達。
――ようやく出番だな――
まるでそれを気にも留めていないような、気の抜けた緊張感の無い声が頭に響き渡る。響生が自分にまでこのような態度を取る時は、自分の緊張が彼に伝わってしまった時だ。
――ごめん……――
――謝るなよ。これが俺の本来の仕事だし。それに約束したしな――
――けど……――
途切れてしまう会話。何か言わなければならないという思いに反して、一切の言葉が出てこない。
――なぁ、これ、覚えてるか?――
暫くして再び頭に響き渡った声と同時に視界に開いたプライベート・ウィンドウ。そこに映し出されていた物に思わず目を見開く。
――嘘…… まだ、持ってたの……?――
それは、あまりにチャチなデザインのピンク色の指輪だった。それも小さすぎて、とても今の自分達には填められそうににない。当たり前だ。それは幼児用の玩具なのだから。
『――これはね、『ずっと一緒に居よう』って言う約束の証なの――』
母が指輪を見せながら言ったその言葉だけが今でも強く思い出される。遠い幼少期の記憶。自分がまだ『葛城 愛』として生きていたころの記憶。
そして指輪が持つ本当の意味を知らないままに響生と出会った。
見知らぬ場所で遥かな時を経て目覚めた5歳の自分は、意味も解らず泣き叫び続けた。ただ只管に父と母の名を呼び、押しつぶされそうな不安に抗う術も無く泣き続けたのだ。
どれくらいの時間そうしていただろうか。響生はその間ずっと自分の側にいた。決して離れる事無く。そして誓ってくれたのだ、『ずっと一緒にいる。絶対に一人にしない』と。
その約束の証として響生に渡したのがこの指輪だった。そこに込められた感情は、指輪に込める『本来の願い』とは程遠い、強い不安だった。それを付けさせる事で、自分は響生を縛ろうとしたのだ。
けど、そんなものは直ぐに要らなくなった。響生は約束通り、ウェアブル端末を常に身に着け、片時も離れず側に居てくれたのだから。
驚きと共に自身の中に湧き上がる表現のしようがない感情。
――ああ…… 何となくな…… てか、アイもまだ持ってるだろ?――
僅かに照れるかの様な声が頭に響く。
――うん、捨てられる訳がない…… でも、何故……――
――この前メルに貸してあげてただろ? 貸しといて取り返すの必死そうで、なんて言うか…… あれだったけど――
響生の言葉に顔が急激に熱るのを感じずにはいられない。
――見てたなら、助けてよ。全く……――
思わず出てしまった言葉。
――いや、まぁ…… その…… 違っ、そんな事より渡してぇ物があるんだよ。まぁ、大したものじゃないけど……――
視界に追加されたプライベート・ウィンドウ。そこには一つのプログラムが添えられていた。
――オブジェクトのアップデート…… プログラム?――
吸い寄せられるようにしてそれに触れると、更に展開したウィンドウが自身のフォルダ奥深くに保管された一つのオブジェクトを指し示して、実行確認を求める。
それは、決して失う事の出来ない思い出を伴った大切なオブジェクト名だった。
――これって……――
――まぁ、気に入らなかったら元に戻せばいいからさ――
震える指先がウィンドウに触れる。
その瞬間、空間に現れる僅かな量の光の粒子。それが膝に置かれた手の指先に集まり実体を結び始める。徐々に失われていく光とは裏腹に、オブジェクト化したそれが新たな輝きを静かに放ち始めた。
元となったオブジェクトの雰囲気をそのままに、高級感だけが増したそれを呆然と見つめる。徐々に震えだす身体。決して抑える事の出来ない感情の高鳴りに、頬を涙が伝うのが分かる。
――出会った時に約束した言葉、覚えてるよな?――
――うん……――
――なら、まぁ、そう言う事だ――
――馬鹿だよ…… 私と響生は違うんだよ? 分かってるの?――
震えた声が思考伝達に乗る。
――分かってる。それでも……
アイと居ればいつか『何も違わない』って言える日が来るって感じるんだ。そんな世界を作るんだろ? だから俺はそれを見たい。俺はアイと一緒にそんな未来を紡ぎたい――
――響生……――
――まぁ、って考えてるのは俺だけじゃないと思うけどな……
――……え?――
――穂乃果や美玲、サラにドグみんな同じ気持ちのはずだ。だから、もうこれ以上もう一人で背負い込むな。皆で一緒にやればいい。
大体俺に『一人で背負い込むな』って言ったのアイだろ? 俺と違って隠すの下手なんだから無理するなって。分かり易すぎだっての――
――響生に分かり易いって言われたら、お終いだね――
自分の口元に僅かな笑みが浮かぶのが分かる。
――あ? そりゃどういう意味だ?――
響生の思考伝達に重なる様に聞こえたザイールの咳払い。それに一気に現実に戻される。
「作戦中に度重なる堂々のプライベート通信。しかも特別閉鎖領域に無許可でプログラムを持ち込むとは……」
自身を見下ろすザイールの引き攣った口元に、熱った顔から一気に血の気が引ける。
「済みません。以後気を付けます」
慌てて出た言葉にザイールの表情が僅かに緩んだ。
「まぁ、ですが、何はともあれ『おめでとうございます』と言わせてください。この続きは彼が帰ってきてから、閉鎖領域の総力を挙げて盛大に祝わせてもらいます。
艦長のお立場を考えれば、月詠の高級士官もしくはその上も呼ばなければなりません。ですが、ご安心を。このザイールが全て仕切らせていただきます」
「え? えぇ!? えっと、それは…… その…… 有難う…… ございます……」
思わずそう言ってしまい。偉い事になってしまった事に気付く。頭から湯気が上がりそうなまでに熱くなった顔を、両手で覆い下に向ける。
「冗談ですよ。まだ、その一歩手前と言ったところでしょうか?」
その言葉に顔を上げる。ザイールが自分を揶揄うなど今までにあっただろうか。
「少し…… 安心しました。どうやら艦長は自分を犠牲にするおつもりは無さそうですね」
目元に僅かな笑みを浮かべそう言ったザイール。その瞳が静かに前方に向けられる。その先に展開したウィンドには新たな光点が浮かび上がっていた。
「――奴のアクセス先が絞り込めたようですね……」
その言葉を裏付けるように、空間に新たに多数のウィンドウが開いていく。
艦外映像を映したウィンドウ上では、激しい帯電光をまき散らしながら回転する浮遊ユニット群が、上空に向けられた巨大な砲身の如き形状を形作っていた。強襲射出ユニットを投射するための超電磁カタパルト。それは通常の出撃で形成されるカタパルトのサイズの比ではない。
「磁場強度安定上昇中。超流体コンデンサー形成強度まで1500、1400……」
空間に蓄積されたあまりの莫大なエネルギーにイオン化した大気が、眩いばかりの光を放ちながら形成された磁場に沿い流れ出だした。
「超流体コンデンサーの形成を確認。流体圧力上昇、臨界状態に入ります」
「流体誘導レール起動。チャージ開始」
「軌道再計算終了、射角修正0.2」
オペレーターの言葉と共に、刻一刻とその表示内容を変えていくウィンドウ。響生を乗せた強襲射出ユニットの超電磁投射が迫る。
「慣性力制御ユニット、正常起動を確認」
「最終待機状態へ移行。射出タイミングを艦長に委ねます」
そして遂に全ての準備を終えたオペレーターの瞳が此方へと向けられた。
瞳を閉じる。
――響生、行くよ――
――ああ、直ぐに済ませて帰ってくる。だから待っててくれ――
――うん……――
確かな意思をこめて瞳を開き、右手を前方に掲げる。
「射出!」
その瞬間激しく揺らいだ艦外映像。大気中へと音速の十数倍の速度で弾き出された高質量体に、凄まじいまでの衝撃波が迸る。それが可視化する程の大気密度の差を生み出し、円盤状に広がった。
射出後直ぐに脱離した慣性力制御ユニットが激しい帯電光をまき散らしながら四散して行く。
その中心でプラズマ化した大気を纏い、眩いばかりの光を放ちながら空へと昇っていく強襲ユニットは、さながら空へ向かって落ちる流星の如き様相だ。
そのあまりの眩しさに思わず翳した手の平。その指には形成されたばかりの真新しい指輪が、静かに輝いていた。