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Chapter 10  響生 ディズィール・物理エリア

挿絵(By みてみん)



1



 空間を司る全ての物が金属で組み上げられた狭く無機質な空間。そこに僅かながらに並ぶ『肉体を持つ者』の為に存在する設備。


 響生は壁際に設けられたランニングマシーンの上をただ只管に走り続けていた。


 旧時代から殆どその姿を変えていない『それ』には、運動量の表示も無く自身が何キロ走ったのかも分からない。


 僅かに感じた疲れに逆らい走るスピードを上げる。息は直ぐに荒くなり、急激に上昇しようとする体温を押さえつけるべく汗が噴き出した。ただでさえ消耗していた身体が悲鳴を上げ始める。


 意識すらも飛ぶほどに感じる息苦しさにあえて縋りつくが如く、さらに全力疾走に移行する。


 その後、僅か数秒で訪れた限界は義体のそれに比べ、あまりに早い。ランニングマシーンから振り落とされる様にして、床に足を付いたが危うく転倒しかける。


 姿勢をかがめ両膝に付いた手。それでも治まらない荒い息。あまりの息苦しさに吐き気すらも感じる。自身の中で激しい抗議の悲鳴を上げる心臓は今にも破裂しそうだ。


 先の出撃以来、現実世界に自身の肉体で出ては、これを繰り返している。もはや健康維持とは程遠い状態なのかもしれない。


 けど、こうやって精神に『自身の肉体本来の限界値』を焼き付けておかなければ、『何か』が壊れてしまうと感じた。


 自身の身体とあまりにスペックの違う義体。それに長時間意識を移すことで、『自分が何なのかを見失うのではないか?』と言う恐怖に取りつかれるのだ。


 仮想世界にいると、よりそれが顕著に表れる。オブジェクトが今、現実の肉体と義体のどちらに近い状態にあるのかが分からなくなる時があるのだから。


 後方で不意に自動ドアが開く音がした。けど、振り返る事すら出来る状態にない。近づいて来る足音の方向に瞳だけを動かし、それが誰であるかの確認を試みる。


 やがて視界に入る細く白い足。ようやく息が整い始めたところで、ゆっくりと視線を上げる。


 そして目に飛び込んでくる焼き付くほどに彩度の高い赤のトレニーングウェア。続いて視界に入った露出した腹部に思わず視線を逸らす。


「こっち側に出てて大丈夫なの? 待機中なんでしょう? しかも出撃前」


 声を掛けられてしまった事で、やもやなく視線を声の主へと戻す。そこには呆れ顔のサラが腰に手を当て立っていた。


 ただでさえ、露出度が高いデザインのトレーニングウェアに身を包む彼女がその姿勢を取っている事で、引き締まった女性らしい身体のラインがより強調される。


 それは以前の病的なまでにやせ細っていた彼女を微塵も感じさせず、ある種の野生じみた魅力すら感じさせるものだ。


 仮想世界特有の理想化されたオブジェクトに身を包む女性達に比べ、強い存在感を感じずにはいられない。


 僅かに熱が逃げた身体が再び急激に熱るのを感じ、再び視線をそらす。


「作戦開始までまだ時間があるからな。それに俺の出番があるかどうかも今回の場合は流動的だし」


 言いながら再びランニングマシーンの上を軽く走り始める。


「本当にそれが理由?」


 サラが正面に移動し、まるで此方を探るような視線を投げかける。


「……本音言うと、なんか落ち着かなくて。それに出撃すれば思考レート加速は多用するだろうし、前回同様『減速空間処置』は必至だろうからな。暫くこの身体に戻ってこれないかもって思うと、何となく。まぁ、こうしてログアウト出来る訳だし、違反ではないだろ…… 多分」

「ふーん」


 言いながら壁に背を預けるような姿勢で、その場に落ち着いてしまったサラ。おかげで彼女を見ないように再び走り始めた事が完全に裏目になってしまう。


「まるで緊張感がないのね。貴方は」


 再び大げさに呆れ顔を作ったサラ。


「何で、今の発言でそうなるんだ?」


 その言葉を受けてサラの表情が意地の悪い物に変化する。


「普通は死ぬかもって思ったら、もっと別の行動を取るんじゃない?」

「酷っでぇ、なんだよその前提」


 思わず出た言葉。サラはそれにケラケラと一度笑って見せたが、その表情が唐突に真顔になる。


「でも、事実でしょう? 貴方が死ぬかもしれないのは」


 僅かに低くなった声。サラの瞳が細められる。自身の置かれた状況を再認識せずにはいられなかった。


「まぁ、否定はできない…… か……」


 そう自分自身が返事をしたことで、さらに現実を認識させられる。


「分かってるならいいわ。貴方を見てると心配になるのよ。何時もヘラヘラしてるって言うか……」


 その言葉にどう返して良いか分からず黙り込んでしまう。言葉が途切れた狭いルームに自身が走る音だけが響き続ける。


 暫くして再びサラが口を開いた。


「ねぇ、どうせ時間を潰してるんだったら、一つ聞いてもいい?」


 唐突な言葉にサラを確認するが、彼女は此方を見ていなかった。ぼんやりとした視線をただ前方に向け、何かを考えているようにも見える。


「何だよ急に……」

「貴方にはフロンティアはどう見えてるの?」


 まるで核心を突く様な質問に言葉を再び詰まらせる。フロンティアには様々な思いがあるが、到底一言で表せるような物ではない。


――まして俺は……


「『考えない様にしてる』もしくは『言いたくない』って表情ね」


 真っすぐに此方へと向けられたサラの瞳。


「まぁ、いいわ。それならそれでも……


 私にとってこの世界は夢の様な物。良い意味でも悪い意味でも。現実世界の地獄と比べたら、この世界はとても美しくて…… 本当に夢のよう。だからかな、余計にこの『世界は現実には存在しない物』だって自分に認識させる」


 サラの発言に僅かに感じた憤り。


「物理的な存在は重要じゃない。この世界には実際沢山の人が生きてるし、彼等は肉体を持っていなくても、それぞれが感情を持ち経験を蓄積してる」

「分かってる…… 痛い程に…… だから余計によ」


 視線を此方から外し、再びぼんやりと正面に瞳を向けたサラ。


「――あれほど憎んだ貴方達の世界がこんなにも綺麗で、人に溢れた世界だったなんて。けど同時に私達から何もかもを奪った世界でもある……


 怖いのよ、とても。何か大きな『蟠りの様な物』を抱えたまま行動してる自分が。せっかく動き出した小さな希望をいつか自分の手で壊してしまうんじゃないかって」


 サラの言おうとしている事が僅かながらに分かった気がする。彼女は彼女で現実世界からフロンティアに移った者としての葛藤に苦しんでいるのだ。


 自身を抱え込むような仕草をしたサラの身体は僅かに震えていた。


「でも、俺はサラは凄いって思うぜ? 俺と違ってサラはフロンティアに肉親がいる訳じゃない。それでもサラはこの世界を知ろうとしてくれた。それだけじゃ無い。この世界と現実世界を再び繋げようとしてる」


 それは嘘偽りの無い自分の彼女に対する評価だ。出来るかどうかは別にしても、行動すること自体が中々できるものではない。実際自分は行動してこなかったのだから。


「それはっ。……私にだってこの世界に」


 唐突に強い感情を瞳に浮かべて、此方を見上げたサラ。だが、その視線は直ぐにそらされ、出かけた言葉も途中で飲み込まれてしまう。


 再び訪れる静寂。


「……正直、俺には考えもしなかったことだよ。現実世界とフロンティアを再び繋げるなんて」


 僅かな時間の後に自然と出た言葉。サラが再び瞳をこちらに向ける。


「考えた事ない? それは嘘だわ」

「嘘?」

「そうよ。貴方は私と同じで現実世界の出身、まして今も肉体を持ってる。考えないはずが無い」


 その通りだった。フロンティアと現実世界が再び繋がる事。それを考えなかった訳ではない。


――けど……


「俺はそれを含めた全てを、自分の中に殺して来た……」


 サラの瞳が見開かれる。


「どういう事?」


 サラから視線を逸らす。


「いや、これは単なる言い訳になるから……」

「それでもいい…… 教えて。この世界で貴方は私にとって唯一立ち位置が近い人間。貴方が感じて来たことを知ることが、私がこの世界で生きていくための糧にもなる」


 真剣さを増すサラの瞳。


「そんな、糧になるほど、大したものじゃないよ……」


 掠れた声が自分から漏れる。それでも逸らされないサラの瞳。


「――フロンティアに渡って来たのが微妙な年齢だったのと穂乃果の事もあって、ずっと必死だっと言うか……


 この世界が『何なのか』を知れ知るほどに、『俺は穂乃果をこの世界に閉じ込めてしまった』と考えるようになったし。彼女の居場所をつくる事に必死だった。


 自分達がフロンティアに来てから『現実世界がどうなったのか』を知ってからはさらに地獄だ。まぁ、俺がどんなに苦しんだ所で何も変わりはしないし、罪が消える訳でもない。俺は現実世界の全てを裏切りここにいる。


 けど、俺がそれを抱えて苦しんでる姿を見せれば、この世界に俺を導いたアイはどうなる? 俺にこの世界に閉じ込められた穂乃果はどうなる? 結局俺に出来たのは全てを押し殺し、何も考えていないふりをして生きる事だけだった…… 今まではな。


 もうそう言うのは止めようって思ったけど、サラが俺を『ヘラヘラ』してるって思うんなら、きっとその癖がまだ抜けてないんだな」


「……そう……」


 それだけを言い、視線を落としたサラ。こんな返答のしようの無い話を聞けば誰だってそうなるのだろう。


 それでも今まで誰にも話した事の無い心の内を吐き出した事によって、僅かに軽くなったような気がする。今まではそれを話せる立ち位置の人間がいなかったのだから。


 サラがフロンティアに身を置いている事が思いの他、自分にとって意味が大きい事に今更ながらに気付く。


 不意に視線を上げたサラ。


「それで? これからはどうするの?」


 その瞳が純粋な興味を宿して大きく開かれていた。


「……え?」

「『今までは』で区切ったんだから、『これから』があるでしょう?」


 サラの言葉にフラッシュバックする記憶。前回の一連の事件で経験した全て。


――生きてる限り悔い続けろ――


 土壇場で自分の命を救ってくれたヒロの言葉。


 伊織はフロンティアを離れ、僅かな寿命を背負い現実世界でヒロと生きることを選んだ。その事の意味。


 そして自分は誓ったのだ。アイとサラが成そうとしている事を全力でサポートしようと。その決意と共にアイに言った言葉が蘇る。


――俺が、アイの目になる――


 だから、管理自治区以外の地域へ降り立つ今回の出撃は大きな意味を持つ。単なる任務遂行で終わらせてはいけないのだ。


「まぁ、行ってみないと何があるか分からないしな…… ってことで、『これから』の事は全力模索中だ」


 そう言ったところで、期待に目を輝かせていたサラの表情が、一気に落胆に変わる。


「何よそれ」


 溜息混じりの声。


 瞳を閉じる。アイに誓った言葉を遂行するには、一つ確実に成さねばならないことがある。


 それこそ『これから』膨大な時間が掛るであろう彼女達が成そうとしている事。それが達成されるまで、自分は情報をもたらし続ける。


――そのためには――


「必ず生きて帰ってこねぇとな、今回も」


 言いながら口元に作った笑みを『これでもかっ』と言うほどに強調する。再び溜息を付いたサラ。


「全く意味が通じないわ」


 そう言ったサラの口元にも浮かんだ笑み。


「まぁ、でもそれには賛成よ。生きて帰ってよ? 必ず…… そうだ、貴方が無事に帰ってきたらご褒美を上げるわ」

「お? なんかくれるのか?」


 サラの瞳が妖艶な光を宿して細められた。


「私が貴方に抱かれてあげる」


 瞬間的に真っ白になる思考。自分がランニングマシーンの上に居る事すらも忘れ、強張ってしまった身体。それに気づいた時には既に遅く、感情の一切を持たないマシーンが止まった足を微塵の容赦もなく弾き出す。


「はぶっ!」


 結果、見事に顔面から滑走面に転倒、あまりに情けない体制でランニングマシーンから排出される。


「ちょっ、大丈夫!?」

「サラが変なこと言うからだろ!?」


 言いながら起き上がると、呆れ果てた表情のサラが顔を覗き込んだ。


「冗談よ。まったく分かりやすいったら……」

「違っ!」


 咄嗟にそう言い返し気付く。サラの瞳が僅かな憂いを帯びている事に。まるで自身に浮かんだ表情を隠すかの様に瞳を逸らしたサラ。


「まぁ、これではっきり分かったわ」

「あ? 何が?」

「優柔不断に見えて、結局貴方が見ているのはいつも一人だけ」


 サラが何を言っているのか分からない。


「はい!?」


 結果的にスットンキョな声が上がってしまう。それにサラが瞳を細めた。


「妖怪、『鈍感一途天然男』」


 低い声でボソりと呟かれた明らかな悪口に思わず、


「何だそりゃ?」


 と言い返す。サラは口元に意地の悪い笑みを浮かべた。


「貴方には一生分からないでしょうね」

「……」

「さて、話にも飽きたし、私は向こうに戻るわ」


 そう言うとサラは唐突に部屋の出口に向かって歩き出した。彼女の一連の行動に全く意味が分からず混乱する思考。


「ちょっ、トレーニングしに来たんじゃねぇのかよ!?」

「響生の汗の臭いが充満してるから今日は止めとく」


 こちらを振り向こうともせず、軽く片手を上げてそう答えたサラ。だが、その歩みは扉の直前で止まった。


「一つ言い忘れてたけど、出撃前にアイのフォロー宜しくね。彼女、大分追い詰められてるわよ? まぁ、私が散々文句を言い散らかしたのもあるけど。大半の原因は貴方だからね。『心当たり』あるでしょう?」


 サラの言葉に一気に血の気が引けるような感覚が襲う。


「ああ…… えっと、ええ? えええ!?」

「ええ? じゃない。とにかくこのまま貴方に出撃されてアイが機嫌損ねたままだと、仕事の上で彼女に頼るしかない私が困るのよ。だから頼んだわよ?」


 サラが再び歩き出す。開く扉。その奥へと歩みを進めた彼女が、扉が閉まる刹那に振り返った。その表情に言葉を失う。


「『貴方達』は私にとって『二つの世界の象徴』。だからお願い、私に希望を見せて……」


 閉まってしまう扉。


 サラの言葉が何を意味しているのかが分からない。けど、それを言った彼女の表情が決してこれが冗談や謎かけの類で無い事を示していた。


 サラの出て行った扉を呆然と見つめ、無意識に頭を掻きむしる。


 めぐり始める思考。だが、それは空間に開いたウィンドウに遮られてしまう。そこには『作戦実行のタイミングが早まった』事と『理論エリアへの帰還命令』が記されていた。


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