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Chapter 7 『The Wall ー壁ー』アイ ディズィール・理論エリア・艦長専用領域

1



 プライベート領域の空間データーの一部をそのまま移植した艦長室。それは戦艦のイメージとはあまりにかけ離れた空間だった。


 全ての構造物が、荒削りの丸太によって組まれた6畳ほどの室内。それは狭いながらも、木材が持つ温かさと柔らかさに包まれている。


 開け放たれたままの窓から流れ込んだ柔らかな風が、アイのシルバーブルーの髪を静かに揺らした。


 望まれない限り変わることのない風景に、変わることのない天候。常に穏やかな春の陽気をたたえる空を、アイは虚ろな視線で一瞥すると、窓をカーテンで閉ざした。そして壁際に設けられた質素なデスクの椅子の上に膝を抱くようにして蹲る。小刻みに振るえ始める細い身体。


 だが、気持ちを落ち着かせるために設けた『高圧縮された僅かな時間』までもが、入室許可を求めるウィンドウに奪われてしまう。


 正直今は誰にも会いたくはない。


 待機時間を過ぎても操作が無い事に痺れを切らしたかの如くウィンドウがアラートを鳴らし始める。その耳障りな音に膝に伏せていた顔を僅かに持ち上げる。そして仕方なく入室承認を保留にしたまま、要件を聞くためにウィンドウを通話状態にした。


 その瞬間、室内に響き渡るサラの声。


『今日のミーティングのログと今後の方針を纏めて持ってきたわ。急ぎで伝えたい事もあるのだけど』


 ウィンドウ越しに聞こえた声は露骨に『直ぐに入室許可を出さない事』への不満が宿る。


「今じゃないと駄目? 空間のタイムレート上げてるし――」


 やんわりと拒否を示した言葉。だが、それは不機嫌さを増したサラの声に被されてしまう。 


『今じゃないと駄目だから来てるんじゃない。それとも何? ここ最近貴方がミーティングに出席しないと思ったら、結局『管理自治区構想』より、フロンティアの戦争事業の方が大事ってわけ?』


「そ、そんな事…… 私はただ、タイムレートの差異がサラの肉体にフィードバックされた時の負荷を心配しただけ。響生も倒れたことあるし」


 あまりの言いように可能な限り短い問答で済ませようとしていた思惑は完全にくじかれ、思わず出てしまった言い訳。それはサラに対して『入室させられない理由』を明確化してしまう結果となる。


『私が『適合者』って事忘れた? 1000倍程度だったらリアルタイム・フィードバック・ダイブが可能よ。もちろん長時間は無理だけど。大体、こうやって加速空間にいる貴方と話してるだけでも、タイムレートの影響は十分すぎるほど受けてるのよ。貴方が私に気を使うと言うのなら、無駄な思考加速を使わせないで』


 この問答自体がサラによって誘導されていた事に気付いた時には、既に遅く『入室させられない理由』を完全に潰されてしまった事を知る。


 サラの言葉に答えない事で自身にできる最大の抗議をしつつ、しぶしぶ入室許可申請の受託処理を行った。


 途端に空間に舞い始める光の粒子。


 重々しい動作で抱えていた膝を下ろし、空間転移特有の光に背を向けると、閉めていたカーテンを再び開ける。


 背中越しにでもサラの勝ち誇ったような表情が容易に想像がついた。


「イライラしてるんじゃない? 閉鎖領域から出ていく時の貴方の態度、珍しくあからさまだったわよ? まぁ、トラブルとはいえ、響生があれじゃぁね。貴方からしたら無理も無いかしら?」


 サラから出た『響生』と言う言葉に無意識に漏れる溜息。


「ううん。別にそう言う訳じゃない。響生は美玲に何もしてない。それは直ぐに分かった。イライラしてるのは多分、最近忙しくて少し疲れてるだけ」


 言いながら振り返ると、そこには人を揶揄う様な言動とは裏腹に、思いのほか心配そうな顔で此方を見つめるサラがいた。


 そして気付く、サラが此処へ来た本当の理由に。


「なら何故……」

「瞬間的に頭に血が上ったのは事実。それに任せて思わず大きな声を出したら、私には『怒る理由も無ければ、権利も無い』って気づいた。そしたら何か急に疲れちゃって……」


 強引な作り笑いを口元に浮かべようとするが上手くいかない。それを隠そうとして再び窓の外に視線を移す。


「ねぇ、前から訊こうと思ってたんだけど、貴方達って付き合ってるんじゃないの?」


 あまりの唐突な質問。それに戸惑いながら、静かに首を横に振る。


「私と響生はそんなんじゃない。どちらかと言うと幼い頃から一緒に育った兄妹、もしくは幼馴染のようなもの。


 特別だとすれば、それは私にとっての響生。フロンティアに来るまで、私は響生にしか見えない存在だったから…… 響生は私にとって唯一の話し相手だったし、友達であり家族でもあった」


「ふーん…… 少し納得がいったわ。貴方達の距離感を見てて妙に引っかかってたから。それにしても貴方もとんでも無い過去を抱えてるのね。まぁ、何となくそれは感じてたけど。

 それで? 今の貴方は響生の事が好きなんでしょ?」


 あまりに直球な質問に言葉を詰まらせる。サラはそれを見て口元に意地の悪い笑みを作り、さらに続けた。


「――まぁ、それは訊くまでもなかったかしら? そう言えば『あの時』も大変だったものね。響生、響生って、こっちは攫われた挙句に大雨の中、空から放り投げられてビショ濡れ。寒くて死にそうだって言うのに、貴方の頭の中には響生しかなかったもの。なんか、思い出したらイライラしてきたわ」


 そう言って口元に浮かんだ意地の悪い笑みを更に強調したサラ。呼び起こされた記憶に急激に顔が熱くなるのを感じて、思わず口を開く。


「それはっ……」


 けど、その後が一切出てこない。


「ねぇ、そんな風に一歩下がってていいの? あいつ…… 今度こそ死ぬかもよ?」


 サラの口元から突然消えた笑み。更にトーンの落ちた声色が決して彼女が悪趣味な冗談を言ってるのでは無い事を悟らせる。


 胸を刺すような痛みと共に、心を乱すが如く感じた戸惑い。


「……え?」


 それしか出てこない。


「彼はそう言う世界に生きてるってことよ。分かってるんでしょ? 次に出撃したら最後、もう二度と遭えないかもしれない。貴方はそれをもっと意識したほうがいいわ。後悔したくないならね」


 その言葉に胸に突き刺さる痛みは更に大きくなり、息苦しさすらも感じる。震えだそうとする身体に抗うかのように、アイは手を自身の胸に押し当てるようにして強く握りしめた。


――そんな事は……――


「もちろん分かってる……」


 分かっているのだ。


「なら、どうして……」


 どうする事もできない。気持ちを正直に伝える事など出来るはずがない。


 例え、思いが通じたとしても、それは響生をさらに強くフロンティアに縛り付ける事に繋がり、結果として彼を苦しめ傷つけてしまうだろう。


 まして響生は『感染者』なのだ。近い将来、脳の全てがニューロデバイスに侵食される前に彼は決断を迫られる。脳への侵食を止める代わりに、フロンティアへのアクセスを含めたニューロデバイスの拡張機能の全てを失う『クローズド処置』を受けるか否かを。


 それを受けた場合、響生がフロンティアにダイブする事は二度とない。自分は響生との接点を完全に失うのだ。


 逆に受けなければ、ニューロデバイスは脳の全てを侵食し、やがて『脳神経とは働きも構造も違う身体の神経系』までをも侵食し始める。頻繁に痙攣が起きるようになり、最終的には心肺機能や呼吸器系に致命的な影響を及ぼす。待っているのは肉体の死だ。響生は現実世界に出る術を失い、自分達と同じ存在となる。


 響生が『現実世界』と『フロンティア』のどちらを選ぶのかは分からない。


 けど、これだけは言える。響生の決断に自分の存在が干渉するなどあってはならない。


「私と響生は違うから……」


 胸を引き裂くような感情と共に絞り出された言葉。それを言ってしまってから再認識させられる響生と自分の立ち位置の違いに絶望感すら襲う。


 サラはその言葉に、目に見えて困惑を浮かべた。


「それってどういう事? まさか自分には肉体が無くて、響生にはあるとかそう言う事を言ってる訳じゃないわよね?」


 噛みしめた下唇が震えるばかりで、答えることが出来ない。


「ちょっと待ってよ! それじゃぁ私は何のために!? これだけ近い距離にいて、長い時間を一緒に過ごしても『消えない壁』があるって事!?」


 感情をむき出しにして、そう叫んだサラ。それに何とか答える。


「確かにそうかもしれない。けど……」

「『けど』じゃないわ! 貴方自身が『壁』は消すことが出来ないって証明してるようなものじゃない!

 本当に驚いた。これからフロンティアと現実世界の間にある『壁』を取り払おうとしてる人が、まさか自分の恋愛においては現実世界の人間をまともに愛せないなんてね」


 その言葉に感じた激しい拒否感。


「違う! 私は響生をっ! 私は、ただ――」


 湧き上がる感情が溢れ出るかの如く、自身の声を荒らげさせる。


「ただ、何? どうせ、『そうなったら響生が不幸になる』とか考えてるんでしょう? 同じじゃない。一緒にいる事で片方が不幸になるのが目に見える関係なんて、正常じゃないわ」


 サラの言葉が胸を抉る。その通りだと感じた。言い返せる言葉が無い。そして出てしまった言葉。


「そう…… だよね……」


 その瞬間、サラが目を限界まで見開き、そして表情を激しく歪ませた。


「否定してよ! 貴方が『それ』を否定しないでどうするのよ!!」


 激しい感情が乗った罵声が浴びせられる。けど、何も言うことが出来ない。重苦しい沈黙。


 やがてサラが諦めた様に口を開く。その表情は出会った頃の彼女を彷彿させる程に硬く、ある種の軽蔑と侮蔑すらも含むものだ。


「もういい、貴方に気を遣うのがバカバカしくなって来た。決めた。私はドグの研究の被験者に立候補するわ」

「……え?」


 サラの険しい表情と唐突に変わった話題への激しい戸惑い。サラが何を言っているのか分からない。


「ドグが何を作ろうとしてるのか、データーを見たのよ。こっそりね」


 サラと自分の間に開くウィンドウ。遺伝子モデル等を始めとした複雑な図形や計算式が次々に映し出されていく。そして最後に映し出された棺にも似た筒状の装置。緑色の光線で描かれたそれが、ウィンドウの中でゆっくりと回転を始めた。


――フロンティアのダイブユニット……?――


「『葛城 智也』が残した研究。それは『フロンティアと現実世界の間に出来た子』をなるべく自然な形で、現実世界側に産み落とすための研究。彼は『アクセス者と感染者』が使うダイブ装置に新たな機能を付加しようとしていた。『使用者の女性を妊娠させる機能』よ。

 ドグはその試作品を既に完成させたわ。後は実際の被験者を使ってテストする段階に来てる。被験者には私がなるわ。言ってる事が分かる?」


 激しく混乱している上に、サラが早口なために思考が追いつかない。


「このフロンティアで私が誰かと結ばれれば、その結果は現実の私の肉体に『妊娠』と言う形でフィードバックされる。相手が肉体を持つ者だろうが、持たない者であろうが関係ない。そして私は自分にとって理想の相手を既に見つけているわ」


 強烈な胸騒ぎがした。


「まさか……」

「そう、響生よ」


 愕然となりサラを見つめる。サラの口元に歪な笑みが浮かんだ。


「貴方も知ってるでしょう? 私がそうやって生きて来たってこと。そしてこれからもそれは変わらないわ。必要だと思ったら私は何でもやる。得意なのよ、男の人の『気の迷い』を誘発するのは。

 言っておくけど、私は彼が私を好きでなくても構わない。一次的な気の迷いでも構わない。

 それでも彼の様なタイプは、既成事実さえ出来てしまえば一生をかけて責任を果たそうとするはずよ。きっと彼は私に今まで何処にもなかった心地良い居場所を提供してくれるわ。私にとっては今まで出会った誰よりも、求めていたタイプ。

 それに被験者になれば私のフロンティアでの発言力は確実に増す」


 サラの言葉に激しい憤りを感じる。


「そんな…… それじゃ響生が……」


 消え入りそうな声で何とか出た抗議の言葉。けど、サラはそれに失笑して見せただけだった。


「彼が幸せかどうかは重要じゃないの。彼といれば、少なくとも私は幸せになれる自信がある。それだけよ」


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